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独己九剣の真相

 16日・木曜日のメイプルホールの稽古会は、大阪に引っ越したSさんや、タイに行っていた千葉海外指導部長も参加して、いつもより賑やかになりました。

 相模原組のKさんも来ていましたが、何やら「彼は辞めるつもりかも?」という話を別の会員から耳にしていたので、ほっとしました。

 せっかく上達してきていたんだから、中途半端な腕前で辞めて欲しくはないんです。

 正直、“彼”が入った時は続かないだろうと思ったんですが、意外に熱心に通っていて、実力もどんどん上がってきていたんで、最近は、「1年後、2年後は相当なレベルになるかもしれない・・・」と、実は期待していたんですよ。

 中途半端な腕前で慢心してしまうと、本人の自覚とは無関係に、もう上達しなくなってしまいます。

 客観的に欠点を見て修正する人がいないと、武術を体得するのは不可能に近い面があります。黒田鉄山先生が「我流は所詮、我流です」と言ったというのは、真実か?と問われるなら真実ですよ。

 特に、未熟な人間は観の眼が無いから自分では欠点が解らない。どんな天才でもまったくの我流では上達のしようがないと思います。武術の伝統はそんなに甘いものじゃないからです。

 もっとも、どんな名人に習っても、ダメな人はやっぱりダメなんですけどね?

 他流は別として、うちの場合は、実力は観の眼のレベルに比例しています。

 一番の実力者は大石教練です。彼は特に教えなくても自分で分析して欠点を修正できるので、最近はもう、アドバイス程度で、ほとんど教えたりはしていません。

 余談ですが、指導の必要もないんだから金を取るのもヘンだと思って、二月から“総教練”という役職にして謝礼は免除にしました。指導力も物凄く上がって、拳法体術に関しての実技と理論で、ここまでできる人は滅多にいないでしょう。

 北島師範も観の眼は相当なレベルに達しています。やっぱり、いつも私の技を受けているので自然に育ったみたいですね。うちの会で初めて師範に任命したのも、彼ほど地道に修行を続けた人はいなかったからで、実際に私と一番、動きが似ています。

 彼の良さは実直なところです。実際、私が一番、厳しく指導したのは彼なんですよ。他の人にはそれほど厳しいことは言っていません。

 さて、観の眼ということで言うと、この日は、基礎錬体も対錬も推手もやらずに、いきなり独己九剣をやらせました。

 そして、独己九剣の応用法をいろいろ実演解説したんですね。

「実は、この型は、九つしかないのではなくて、各動作の応用法が十くらいあります。だから、単純に計算すると、“独己九十剣”になります・・・」と説明して、いくつか応用法をやって見せました。

 相手の太刀を奪っての二刀流、無刀捕り、拳法、柔体術・・・と、各動作から技を派生させて全然、別種の武術技法へと展開していく訳です。

 私は、これを考え出した時は、正直、自分で考えたとは思えなかったですよ。誰かが勝手に私の身体を操って教えてくれたんじゃないか?とすら思いましたね。

 いや、実を言えば、各動作の応用変化技を細かく設定していけば、“独己九百剣”くらい創作できそうなんですね~? 応用技が無尽蔵に、その場でわき出てくる感じです。

 大東流なんて千とか万とか技があるとされますが、原理さえ解れば技は無数に枝分かれしていけるから、必然的にそうなったんだと思います。私もその気になれば一カ月もあれば千くらい技を創作するのは造作もないと思います。

 独己九剣も、剣だけとは限らないから、正しく表記すれば、“独己九百式”と書くべきでしょうか?

 一般公開しないままの“蛟龍十八式”は、“蛟龍歩を用いた体術”でしたが、こちらは蛟龍歩ができることが条件になるので、教えられる人を極端に限定(現在は四人くらいか?)してしまいますが、独己九剣は誰にでも教えられます。

 例えば、7番目の柄廻しだけは、こちらは刀を抜かずに相手の斬ってきた刀を奪う技なんですが、実は、この技も応用法では抜刀するんですよ。

 この技の元ネタは、駒川改心流の実手術の太刀もぎの技なんですが、私は戸隠流忍法で学んだ技や杖術の技、沈身の威力を利用した威力・・・などを組み合わせて考えたんですね。

 基本は、相手の正面斬りを一調子で真半身で躱して太刀もぎにして奪う訳ですが、これは方便でして、実際には体捌きと同時に柄当てを入れて崩し裏投げにするとか、刀が無い状態なら当て身を入れて裏投げ・・・とか、手順を変えればいくらでも技を発展させていくことができる訳です。

 さらに、柄で抑えておいて、そのまま抜刀して突いたり斬ったりすることもできる。体捌きで抜刀できるという条件はありますが・・・。

 この場合、脇差だともっとやり易いんですね。

 どうして、こういう応用技を考えたか?と申しますと、居合術には柔術が併伝されていることが多いんですが、「何故、居合と柔術が併伝されたのか?」という疑問があって、いろいろ実験してきていたんですね。

 よく、「現代で刀を腰に差して歩く訳じゃないんだから、居合なんか稽古しても意味はない」と批判する武道関係者もいるんですが、それは非常に短絡的で近視眼的な“もったいない”見方をしていると思うんですよ。

 居合術修練の利点は、“腰のキレを養成すること”と、“読みの感覚を高める要素があること”であり、言うならば、「技の修練ではなくて武術体の養成と理合の体感」に優れた効果があるんですね。

 これらは素手の体術の次元を上げるのに役立ちます。空手家や拳法家でも自己流で真剣斬りや抜刀術の修練をする方がおられますが、それは直感的に必要だと感じられたからなんじゃないでしょうか?

 つまり、腰から動くという「骨盤主導の身体運用」と、「読みの感覚」を高めてくれることによって、ガチンコで筋力勝負する戦闘法から脱却できるという次第です。

 特に、合気道をやっている人は、模擬刀を買ってきて刀の抜き納めと素振りの練習くらいはやった方がいいと思いますよ。合気道の動きの意味が解るようになるでしょう。

 私がこれに気づいたのは、清心館の佐原先生とお会いしてからでしょうか? それ以前から直感的には考えていたんですが、佐原先生を取材してから、「あ~、やっぱりそうだったのか?」と納得がいきましたね。

 いまさらながら、伝統的な古流剣術を学ぼうと思ったのも、古くから伝わるカタの中に私の考えが及ばない要素が有るに違いないと思ったからです。

 そのためには現代的に作られたカタじゃ~判らない・・・と思ったんですよ。

 でも誤解しないでください。現代的なカタがダメだと言いたいのではありません。

 ダメだと思っていたら自分で作ったりしませんからね~(苦笑)。

 むしろ、実用を考えた場合、現代の様式に沿って考案されたものの方が良いに決まっています。何故なら、戦国時代の生活様式に沿って工夫された技を現代の生活様式でそのまま使える道理がありませんね。刀をベルトに差して歩けないでしょう?

 そうではなくて、昔の改編されていないプリミティヴなカタの所作の中の原理的なものを知りたいと思った訳です。

 それはもう、理屈じゃなくて、やってみるしか解らないでしょう?

 映像資料で見ても、カタの手順をわざと変えてある場合もありますからね? 実際に学ぶしか手はないのです。

 やっぱり、先人が命かけて工夫して代々伝えてきたものが、そんな薄っぺらなものである筈がないんです。薄っぺらなものに見えるとしたら、それは自分の洞察眼が養われていないせいなんですよ。


 この日の練習の最後には試し斬りをやりましたが、全員、問題なく斬ることができました。それだけ刃筋が通せるようになってきたということです。


 翌々日の土曜日は、シダックスの講座の後、橋本同好会に私も参加し、大阪に引っ越しされるSさんに特別指導として、独己九剣の応用技法をいくつも指導しました。

 3時間くらいで50種類くらい教えたでしょうか?

 まず、基本の九つの型。それから、その一つ一つの応用法として、奪刀からの二刀斬り、無刀捕り、蹴り技からの拳法体術、沈身を利用した崩し技・・・等々、基本原理から技の用法をどんどん発展させていくやり方を指導しました。

 例えば、蹴り一つでも、関節踏み蹴り・前蹴り・外廻し蹴り・内廻し蹴り・足刀蹴り・軸足スイッチの縮地法を応用した蹴り・・・等々、やろうと思えばいろいろできる訳ですが、これを蹴り技で仕留めると解釈するのでなく、技の流れの中で出すという方式で遣うことで多彩な変化技法となっていくのです。

 また、手裏剣術に応用する場合、上から、下から、横から、直打、反転打、車剣の回転打、同時二本、同時三本・・・等で分類していくと、やはり何十通りにもなる訳です。

 それと、剣術での用法をいくつか指導しましたが、居合ができれば剣術だって同じことです。正眼から下段、平正眼・・・等々、構えを変化させることで相手の攻撃を誘導することができます。

 読みだけでなく、武術では、この“誘い”も重要なんですね。

 私は、こういうのは誰にも習ってないです。でも、原理が解れば用法は自然にいくらでも工夫できる・・・ということなんですね。

 いわば、それこそが独己九剣の真相であるということです・・・。

 私は、型というのは戦闘理論のひな型だと思っています。そのまま技として使うんじゃなくて、その型の所作、動作から展開される戦略戦術を読み解き、相手に応じて無限に応用変化させて遣うようにしなければダメだと思っているのです。

 このシステムについては、新作DVDで解説していますが、実際にどれだけ応用展開できるか?というと、それこそ千以上の多種多様な武術技法になるでしょう。それからすれば、ごく一部しか御紹介できなかったかな~?とも思いますが、それらの中に発勁と合気を組み込んだ・・・という点では、見る人に見てもらえば、どれだけの価値があるか?は納得していただけると思っています。

 世の理法として、陰陽は相半ばしてバランスを保ち、中庸を取るものですが、ここ最近、次々に予想外の仕事の展開(共著や映画の話)があったと思えば、足を引っ張る人間も出てくる・・・という現象に、「面白いな~?」と苦笑しています。

 格闘漫画でも脱力や目付け、読みについて解説されるようになってきました。はばかりながら、私が本で書いてきたことに注目する人が増えてきたのだろうと思っています。

 あるいは、武術の神秘性に依存しきっていた業界の体質に変革の機運が出てきたということかもしれません。私はその先鞭をつけたに過ぎないのかもしれません。

 しかし、お楽しみは、まだまだこれからです・・・。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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