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七十歳からやっても達人

 72歳で入会されたUさんが、段々、凄いことになってきましたっ!

 大石総教練が次々に秘術を教えるものだから、発勁はできるは脱力合気はできるは、凄いことになってきたんですよっ(笑)。

 正直、ほとんど武道経験が無きに等しい(50年くらい前に合気道を半年だけやったそうです)70過ぎた人が、体得できるんだろうか?と、さすがに思ったんですが、いや~、杞憂に過ぎませんでしたね~。

 日ごろから、年齢性別は関係ないって言ってきてますが、「あっ、本当だぁっ?」って、教えてるこっちが驚いています。

 また、Uさんが実に熱心で、シダックス、メイプルホール、日曜稽古会、月例セミナー、ほびっと村講座・・・と、ほとんど全部、参加してますから練習量が積み重なってきているんで、なんだか知らないうちにいろんなことできるようになってきたんですよ。

 形はなかなか覚えられないし、足元もフラついて軸も立っていないんですが、そこがまた逆に、いい感じに脱力体になっていて、推手もうまくなってるし、うちの技だと体格体力は関係ないんで、時々、達人のような動きが出てくるようになりました。

 19日の日曜稽古会は、関西組が二名参加し、タイから戻ったばかりの千葉海外指導部長も参加していたので、賑やかになって、大石総教練もハッスルして寸勁や蹴り技を脱力技法で受けて威力を殺す方法なんかを次から次に教えて、何か、みんな一気に達人超え?してしまいましたよ~(苦笑)。

 だって、72歳でほぼ武道経験0の人がフルコン経験者の若い人の廻し蹴りを前腕で受けてビクともしないんだから、笑っちゃいますよ? おまけにUさんは50kgないんじゃないかな~?という体格なんだから、尚更ですよ・・・。

 この調子で、もっと身体がヨボッてきたら、更に驚異的な達人になっちゃうかも?

 これ見たら、頑張って練習してきたのに中年過ぎて技なんか知らない若くてガンガンくるだけのヤツにやられて悔しい思いをしている空手マンとか唖然とするでしょうね?

 いやまあ・・・しかし・・・何ですね~? 自分で「70歳で最強!」って言っておきながら、「70歳から始めても最強!」になれるとは思ってなかったですよ。

 何か、武術で身体鍛えることに何の意味があるのかな~?と、今更ながら考え込まざるを得なかったですね~。

 鍛えてるから強い?

 いや~、多分、違うな~。逆に鍛えていると、相手の攻撃を受けてから反撃する・・・という戦法になってしまいがちで、相手が一人ならまだしも、複数いたら危険だと思いますね。

 武器での攻防で考えたら、一発受けたら致命傷になりますから、尚更、鍛えても意味がない。

 まして、鍛えた身体で繰り出す技を、全然、鍛えていないヨボ爺?にあっさり凌駕されて、しかももっと強烈な技を食らわされたりしたら、悲し過ぎるでしょうね?

 私を批判する人達の中には、恐らく、「俺たちは必死で鍛えてきたのに、鍛えないで強くなれるなんてフザケたこと言ってんじゃね~ぞ? このバカ野郎!」って気持ちの人もいると思います。

 でも、“鍛えて技を研ぎ澄ます”ってのは人間だけがやっていることで、野生の動物は身体鍛えたりしませんよ?

 猫なんか一日中、ゴロゴロ寝転がってて、寝起きにグーッと全身を伸ばすだけ。犬も喜んで走り回るくらい。

 猫や犬が腕立て伏せや腹筋やったりします?

「猫や犬は子供の頃に兄弟とじゃれあって狩りのトレーニングをしている」と考える人もいますが、うちの猫は産まれたての頃に叔父さんが拾ってきたんで、全然、その種の訓練をしていません。まあ、お手玉取らせて遊んだくらい?

 生後2週間くらいで小ネズミを見るや野性の本能が目覚めてダッシュしてイップマンみたいな猛烈猫パンチでネズミ捕ってました。

 やっぱ、本能の力は偉大ですよ~。

“自然体”の重要性を言うなら、「身体を鍛える」ということの意味を根本から考え直す必要があるんじゃないか?と、私は最近、痛感しています。

 私が「全然、練習していない」と強調してきたのは、実は、この実験をやっていた訳なんですよ。

 で、思った通り、実力は衰えません。威力もスピードもむしろ向上してます。

 それに、私の技の半分以上は、練習して体得したのではなくて、頭の中でイメージしたものを、指導している最中にアドリブで再現したものです。

 いろんな先生の技をイメージとして頭の中に定着させておいて、それを私なりにアレンジして再現して使っている訳ですが、これは友寄隆一郎先生が自分の眼と脳をビデオカメラにする・・・と教えてくださったことを実践してきた訳です。

 だから、一回観て“一度も練習したことの無い”技を、私は教えている訳ですが、例えば、私がセミナーや講座の時に実演する技を、常連会員も「初めて見ました!」と驚いたりするんですが、そりゃあそうですよ~。私だって初めてやってみたんだから(笑)。

 一般に、武道には「これが正しい形だ」という姿勢なり技の所作なりがあります。

 しかし、それは、何を基準として「正しい」と言っているのでしょうか?

 ある流派で正しいと言われている形が、別の流派では間違いだとされている例は無数にあります。

 どうしてでしょうか?

 それは、戦闘理論の違いであったり、術者の体格や体能、体質などによって有効性のある技の形が変わっていくからでしょう。

 うちの会の中でさえ、北島師範や大石総教練は、形の正しさに拘りがある発言をしていて、「長野先生は形じゃないと言うけれど、実際に初心者には正しい形を教える必要があるんじゃないか?」と考えている様子でした。

 しかし、その正しい形を体現しようとすることで、逆に正しい形を取るために身体に無意識に無駄な力みが生じて動きが固くなってしまったりしていました。これでは本末転倒です。堅くなるような形なら正しく取らない方がずっと良い!

 うちの理合では、“固さイコール弱点”です。ちょっとでも力んで固まっている箇所には重心が滞るので、そこを攻めれば受け流すことができずに力が作用してしまう。

 脱力技法とは身体を流動体にして重心を固定させないで動かし続けることが原理となって技として機能します。

「骨盤から動く」というのもうちの運動理論ですが、これすら固定的に考えてはいけません。骨盤を固定してそこから動かそうとするのは間違いで、そこに“力をタメて”動こうとしてはいけません。

 力をタメる行為そのものが居着きになるからです。重心移動の力は“流れ”が要でありこの流れを止めては意味がありません。

 身体論者の多くは、この意味を解っていません。

 簡単なのは歩きながら当てることです。これは移動力そのものを利用するやり方であり、合気道や伝統空手の当て技の威力はこれに負っています。

“身体に浮きをかける”と甲野氏が表現していたことを、うちでは“重心の流れを滞らせない”と認識します。

 つまり、相手の攻撃に対しては、こちらの重心を分散させて威力を殺したり(化勁)、逆に集中して当たって撥ね返したり(抖勁)する訳です。

 この重心操作という観点では発勁と化勁(合気)は表裏の関係にあるものの、原理的には同一の技法を逆転させて用いているに過ぎません。

 そして、こうした技法原理を理解していれば、技として駆使するのは身体感覚次第であって、特に鍛えなければ体得できないというものではないのです。

 大石総教練と話していて、「結局、うちで伸びる人は先生の言っていることを理解する頭があるかどうか?ですね~」と言っていましたが、確かにそうなんだと思います。

 ただし、頭で解っているつもりでも身体感覚が鈍いと体現するのに苦労するのは事実ですね。

 そして、これまでいろんな人に教えてきて明確に判明したのは、筋トレに熱心に励んだ人は、ほとんど例外なく身体感覚が鈍いという現実です。

 直接打撃制の武道・格闘技をやっていた人にも極端に身体感覚の鈍い人が少なくなかったんですが、これは恐らく、直接拳足を身体に受けて打ち合う中で、“痛みに耐える”ということが身体の痛覚を麻痺させていくことと無関係ではないように思えます。

 人間、つらい環境に居続けると、そのつらさを受け止める感覚が麻痺してきて鈍感になってしまうものですが、身体もそういうことなんですね。

 練習に励んでいるのに成果が出ない人の場合も、「練習しているから上達する筈だ」という安心感を得るための一種の思考停止に陥って、“練習のための練習”になっているので“刺激が脳に行かなくなってしまう”のでしょう。

 こういう状態では、十年、二十年と練習しても、単に形だけで一向に使えるようにならない・・・という現象になってしまったりする訳です。

 私は、最近、ちょっと甲野氏を見直す気持ちが出てきているんですが、それは、彼自身が武術の世界で当たり前だと言われていたことを疑って再検証しようとしている点には共感できるからです。

 ただ、方向性が根本から異なっていて、彼は“身体操作”という位置付けでしか武術を追究していないのに対して、私はあくまでも“戦闘術”としての武術を中心に探究して、そこから派生するあらゆる分野への応用展開を図ることを考えています。

 その中で、「あ~、やっぱり武術は脳の訓練をやっているんだな~? それを無視して身体だけ鍛えても意味ないな~」と思うようになりました。

 武道でもスポーツでも頭を空っぽにして、ただ無心に繰り返し動けばいいという「バカになる練習」が必要だと信じている人が多いですが、その練習が最終的に何を目的にしているか?という点を自覚していなければ危険ですね。

 身体を鍛えるというのも、ただ筋肉に負荷をかけて鍛えるというのではなく、もっと総合的な身体性を養うことを考えないとダメでしょう。

 基本の形を訓練することは無意味ではありませんが、いつまでもやっていてはダメですね。形ができたら、崩していく。崩してまた一瞬で形を作る。そしてまた崩す・・・それが身体を“練る”という行為です。

 鍛えて形を作ればいいと思い込んでいる人が多過ぎますね。固定した形を作ってしまえば、その形の動きしかできなくなります。

 一回、形を作ったら、必ず壊さなきゃダメです。形を維持しようとすれば居着きを生じるだけで、弱点をさらすに等しいのです。

 仮面ライダーブラックRXのバイオライダーや、バビル二世のロデムみたいな感じ?

 つまり、液体人間ですよ!

 さらに目指すはガス人間です!

 本当の遣い手は、変幻自在に形を崩して“流れ”を生み出して技をかけます。拡散と集中が大切で、これは青木宏之先生と親しくしていただくようになってから気づきました。

 本当に私は、要所要所で素晴らしい先生方と出会う縁に恵まれたな~と思いますよ。

「昨日の友は今日の敵」そのもので、人間関係はグッチャグチャで苦労することの方が多かったですが、それを含めて考えても、やっぱり恵まれているんだと思いますね。

 だって、未だに生きてるし、自分のやりたいことをやれているんだし・・・文句言ったら罰が当たるでしょ?

 会うは別れの始まりと言いますが、一期一会で得られることはプラマイは別として必ず有益になることだと思いますね。

 むしろ、同じ人とずっと一緒に居ることの方が不自然なのかも知れません。一緒に居続けられる関係というのは、一緒に成長できる場合に限られるんじゃないでしょうか?

 別れた人達とも、その時々で自分の欠けてる点を教えてもらったり、具体的に助けてもらったり、縁を繋いでもらったり・・・、その場その時は嫌な思いだけしか残らなくても、後々に、「あ~、あの時に経験していたから失敗しないで済んだな~?」と、必ず役立つことがある訳ですよ。

 失敗は成功のモトというのは真実ですね。

 もう、数え切れないくらい失敗と挫折を繰り返してきた私でも、ここまでやってこれているんだから、本当に才能のある人はもっとずっと活躍できると思うんですよ。

 現役の会員さんが自身の活動の場で活躍しているのを見るのは嬉しいし、今は来ていない会員さんでも風の便りで頑張っていると聞けば、ほっとします。先日も、結婚が決まったとバイク飛ばして相模原まで報告に来てくれた会員さんもいます。

 無論、ガッカリするような情けない真似をして恥じない人もいたりしますが、それは自分に必ず返ってくることを、いずれは自覚されるでしょう。それが世の理法ですからね。

 いや~、現実に既につらい思いをしているから、他人を非難することで自尊心を満足させて精神のバランスを保ちたいのかもしれませんけどね? 結果的に、逆効果にしかならないことは指摘しておきましょう。人のフリ見て、我がフリ直せ!・・・です。


 人間は、自分に与えられた仕事をひとつひとつ、しっかり着実にこなしていくしかありませんよ。

 有り難いことに、今年は次々にお声をかけていただいております。乞、ご期待!です。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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