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4月セミナー“読み”

 四月の月例セミナーのテーマは“読み(目付け)”です。

 最近、格闘技系漫画でも先を取る読みの重要性について取り上げられたり、専門雑誌も特集を組むほどになっていますが、これはやっぱり、私が書いてきた事柄が注目された結果なんだと、内心、自負している次第です。

 もっとも、20年くらい前には、“読み”という言葉も概念も明確にはなくて、もっと心法的な第六感を開発するしか体得の筋道が無い!と信じられていたような塩梅でしたし、私が“目付け”の重要性を確信して研究し始めた頃も、「そんな簡単なものじゃない」という批判意見の方が強かったですね。

 でもね。できない連中が何を言おうが論外ですから、相手しなかったですよ。ただ自分の研究を進めるだけです。できる人間を何人も育てれば、否定しようがない事実になりますからね。

 しかし、批判されている方々が全面的に間違っていた訳ではなくて、“読み”に関して、熟練すればするほど、“目付け”に頼らなくなるのも事実なのです。

 うちの会員でも、いつまでも目付けに頼っている人は、ある程度の段階で必ず進歩が止まってしまいます。

 心法にシフトしていかなくては高度な“読み”を駆使することはできない・・・と言えるでしょう。

 賢友流二代宗家、友寄隆一郎先生が説かれる通り、「徹底的に五感を磨け! そうすれば自然に第六感が芽生えてくる・・・」のだと痛感するばかりです。

 ところが、ここが難しい問題なんですが、“目付け”を無視して、いきなり「心眼を開こう!」と考えて、ろくな稽古もしないで瞑想に耽ったりしていれば、大抵の場合、魔境に捕らわれて精神疾患に陥る危険性があるんですね。

 私が“気の武術”に警戒してきたのは、ここに問題点があります。

 要するに、心眼と幻覚の境目は非常に曖昧で、明確な区別がつきにくいんですよ。

 本人にも区別できないし、他人には尚更でしょう?

 私は心理カウンセラーを一時期目指していたので、割合、心理学には詳しい方ですし、新興宗教や自己啓発セミナーの類いの、いわゆるマインドコントロール技術の方法論にも詳しいので、その方面の人間が、どのようにして人心を操っていくか?という仕組みも、実はかなりよく知っています。

 例えば、催眠商法やら占い師の話術なんかにも、そのような典型的なやり方があるんですね。

 私がそういう方面の知識があるのを知らずに、非常にマニュアル化されたマインドコントロールの手法を使って私をコントロールしようとした人間も以前は居たんですが、ビジネスパートナーだったので簡単に切り捨てる訳にもいかず、半年くらいは様子を観察していました。そして、「これは反省する見込みは無いな」と判断し、最終的には縁切りしました。

 本人は私をうまく操っているつもりだったんでしょうが、こちとら潜った修羅場の数が違いますからね(苦笑)。「自分が居なかったら、長野先生の老後はありませんね~(笑)」とか、「僕は先生に頼らなくても自分でやった方がお金稼げるんですよ(笑)」とか言っていました。

 このような物言いは、「自分がいなければ貴方はやっていけないのだ」と、相手に不安を感じさせることで依存心をかき立てようとするマインドコントロール話術の典型的な手口なんですね。私は、(あ~、こんな安い手口が通用すると思ってるとは、俺もなめられたもんだな~?)と、内心、苦笑していましたが、この言葉で縁切りする決心がつきましたね。信の置けない人間だとはっきり判ったからです。

 彼は才能豊かな人間でしたが、自惚れが過ぎて他人の気持ちを理解できないのが致命的な欠陥でした。策士、策に溺れると言いますが、人を侮る人間は、必ずしっぺ返しを食らうハメに陥るものです(教えてやる機会を逸したので、ここに書いておきます)。



 私が武術に惹かれたのは、戦ってみれば正しいかどうか判明する!というリアリティーがあるからです。

 どんなゴタクを並べようが、実際に手合わせして相手の攻撃を制することができなければ、いかなる理論も空理空論だということです。

 武術は直に手合わせすれば真実が明らかになる・・・という潔い領域がある。下手にやれば、命を無くすかもしれない・・・という峻厳さがあるからこそ、口先だけでずっとごまかしていけるような甘い世界であってはなりませんし、だからこそ、「人を侮らず、自己を驕らず、日々、修練を怠らず」という自戒が必須となるのです。

 他人にケチつけてる暇があったら、自分を向上させることに専心する。それが武術を修行する者の心得です。その基本に関しては私は絶対に誰にも引けを取りません!

 個々の技術レベルでは優れた実力者はいくらでもおられるでしょうが、武芸全般を水準以上にできることを私は目指しています。オールラウンドに戦えれば、あるジャンルで圧倒的に強い相手であっても、その人が苦手なやり方で攻めたてて持ち味を封じておいて一方的に勝つことができる訳で、それも武術の常套手段であり、弱者が強者に勝てるほとんど唯一の戦術です。

 本来の武術とは、そういう戦術をメインに工夫してきたものですからね。人生全般に役立つのは、そういう戦術発想なのであって、身体鍛えたり職人芸的な技が役立つ訳ではありません。

 同じ条件で戦えば、技術に差が無くとも体格や体力、体能で差が出てしまいます。しかし、何をやってもいいのなら、女性が男性に勝つことも、老人が若者に勝つことも、子供が大人に勝つことも工夫次第で充分に可能です。

「いくらなんでも女子供老人が若くて屈強な男に勝てる訳がないじゃないか?」と思うのは、武道や格闘技の戦い方でしか考えられない人間の錯覚に過ぎません。

 簡単な話、武器を使えば簡単なのです。

 それを卑怯と言うのなら、熊や鮫と素手で戦ってやろうとするでしょうか? どんな屈強な男でも野生の猛獣と素手で戦おうとは考えないでしょう。槍や弓矢、銃、あるいは落とし穴などのトラップを仕掛けるでしょう?

 それを卑怯だと考えるでしょうか?

「現代で早く刀抜けたり、10m先から手裏剣打てても何の役に立つんだ?」と、批判する空手師範もいたそうですが、失礼ながら、「現代で人を殴ったり蹴ったりする技能の高さを誇って、どんな社会的評価があるんでしょうか?」って聞きたいですよ。

 現実的な意味の無さに関しては素手だろうが武器だろうが五十歩百歩でしょう?

 技そのものが特に役に立つ訳じゃないんです。技の稽古も関心の無い人には何の価値もないんです。

 しかし、技の修練で心身の機能そのものがアップし、達観して生きていける事、そして世の中で日々遭遇する雑多なトラブルに動揺しないで冷静に対処して解決していく精神と知識を高められる点に武術修行の価値があると私は確信している訳です。

 その意味で、いろんな戦い方ができることを、私は武術に必須の要素だと考えており、理論的には游心流は最前衛の武術として日々進化させてきた・・・と自負しています。

 また、それを実証してくれる会員も何人か育てられたと思っています。破門や除籍にした人間は別として、来なくなった昔の会員さん達に対しては、「今のやり方なら確実にレベルアップさせられたのに、中途半端なものを教えてしまったな~」という申し訳ない気持ちでいます。五年後、十年後にも同じことを思うかもしれませんが・・・。

 2~3年で離れた人には想像がつかないと思うんですが、例えば北島師範や横浜同好会のK原さんは8年くらい地道に続けていて、それはもう別人のようになっています。大石総教練も4年くらいなるでしょうか。もともと強かったけど、今は格闘漫画のキャラみたいな現実離れした技の遣い手になっています。

 でも、ここ2~3年くらいに入った常連会員さんの上達っぷりはファンタジーみたいですよ。唖然となります・・・。中でも72歳で入ったUさんの進歩は冗談みたい(笑)。

 研究も、恐ろしいくらい、どんどん進んできています。正直、人間が、こんな短時間でガラッと変わってしまうというのは魔術的ですよ。私ですら想像できませんでした。もう、ズブの素人でも70過ぎた老人でも、真面目に取り組んでもらえばビックリするくらい上達できると確信してますね。

「長野がどんな凄い技を体得しようが俺は認めない!」って言ってる人もいると聞いたんですが、大体、私は自分の理論や技を他人に認めて欲しいと思ったこと一度もないんですよ。事実は事実だとしか思ってないから、現実に圧倒的に勝てる武術を目指してきただけで、他人に認めてもらいたいなんか、最初っから考えてないです。

 ですが、自分の研究が最先端であるという実感はあります。優れた人や流派は星の数ほどあっても、“武術”という文化の奥深さを解明していっているのは、私たちだと自負しています。

 本当に、これは野口先生、甲野センセイ、小用先生、渡辺先生、パリッシュ先生、大友先生、木本先生、小林先生、高木先生、岩間先生、友寄先生、松田先生、高先生、光四郎先生、時津先生、青木先生、香川先生、佐原先生、河原先生・・・のお陰です!

 優れた先生方の研鑽されてこられたエッセンスを少しずつ分けていただいた・・・というのが私の大いなる財産です。そのエッセンスを熟成させて10年も20年も研鑽した結果、「何をどうすれば上達できるのか?」という稽古のセオリーが判明したのです。



 さて、余談が過ぎました。“読み”に関しても、初心者から中級者に関しては、“目付け”のやり方で、かなりの向上を図ることはできます!

 心法を駆使した“読み”は個人差が大きいのですが、“目付け”でやれば、大体、誰でも一定水準まで上達させることができます。

 対戦時に目付けで読む場合、相手の身体の“居着き”を観て、そこを攻めます。

“居着き”とは、“力んでいる箇所”だと考えてもらえば結構です。例えば、よく“力のタメ”の重要性が説かれますね? 「力のタメが無いと強い打撃が出せない」と・・・。

 しかし、タメの動作そのものが居着きであり、タメの動作の最中にそこを攻められたら対処できません。強い打撃を出そうとしてタメを作った瞬間が居着きになってしまう訳なのです。

 游心流の基本は無構えですが、これはタメを作らない体勢なのです。しかし、この構えから攻撃を出すには力のタメを作って動くやり方ではダメです。

 私が“重心移動の力”を用いると言っている意味がここにあります。力のタメを必要とせず、0からいきなり100の力を出せるようにするには、筋肉の収縮によって力を生み出す方法論から脱却しないといけません。

 これは、現代の武道格闘技のみならず、スポーツ運動理論の根幹と対立する考え方になってしまうでしょうが、古来から伝承する武術の極意を研究してきた結果として強く主張しておかなくてはならないでしょう。

 運動のパフォーマンスを決定するのが筋力によるものとする常識から離れない限り、武術の理論は読めないでしょう。

 スポーツ運動理論は、せいぜい、百年かそこらでしかないと思うんですが、武術の理論は何百年も何千年も昔から構築されてきたものなんです。現代的な観点から安易に判断してはいけないでしょう。

 松田隆智先生も言われていましたが、経絡理論なんか千年以上前にはあった・・・とすれば、古人の達していた生命原理への理解は、現代人の考える以上のものがあったのではないか?

 松田先生が生涯賭けて武術を探究された偉業は、単なる武術愛好家の間だけで利用しようとしてはいけないんじゃないでしょうか?

 またまた余談ですが、BABジャパンから出る予定の松田先生の著書が未だに出ていません。私の周囲の人達も、皆、楽しみにしているのに、どうなっているんでしょうか?

 日本に中国武術の文化を知らせ、多くの修行者に道筋を示してきた松田先生の著作活動は、本来、もっともっと広く認知されていなければおかしいと思うのです。

 中国武術専門誌が休刊になった後、BABジャパンの社長自ら頭を下げて松田先生を招かれたと聞いています。出版不況の今の御時世ですから、大変だとは思いますが、恩義を知る方の会社ですから、多少遅れても必ず出してくださるものと信じております。

 ともあれ、今月は、読みの基本である“目付け”の最新バージョンを御指導します!

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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