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『こんな自分がイヤと思ったら読む本』

 游心流を1999年に興してから今年の秋には14年にもなりますか?

 結構、時間が経過するのは早いものですね~。

 つい、この間まで「10周年には何かやろうか?」なんて北島師範と話していたのが、忙しさにかまけて、すっかり時間が経ってしまいました・・・。

 まあ、これだけ続けていると会員の入れ替わりも多くありましたし、問題を起こして破門にした人も何人か居ます。

 無論、自然消滅した人も、自分から退会を願い出て去っていった人も何人か居ます。

 忘れた頃に、ひょっこり顔を出す方も居ますが、常連で来ている中では北島師範と横浜同好会の栗原さんが8年くらいで最も長くやっている会員ということになりますか?

 発足当初から残っている人は、ほとんど居なくなってしまいましたが、自身の仕事が軌道に乗って来られなくなった人も居ます。

 そういう人は、自身の仕事で活躍してくれていれば、それが何よりも嬉しいことです。
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 この『こんな自分がイヤと思ったら読む本』(現代書林)の著者の片寄陽平さんも、自身の整体治療院の仕事が忙しくなって、来られなくなっていた御一人で、律義な性格なので、「通えないのに会員で居るのは失礼なので・・・」と退会の旨を言われていたのですが、私の方から、「お願いですから、辞めないでください」と、後にも先にも、こっちからお願いして名前だけでも残しておいてくれと頼んだ唯一の人です。

 正直、私は退会したいと言う人を止める気持ちにはなれません。

 やる気の無い人に教えても身につかないし、游心流に学ぶ以上は、ぶっちぎりの超達人を目指していただきたいからです。

 游心流でネット検索すれば、誹謗中傷のオンパレードだったりするそうで、その中には元会員と称する人も居ますが、私は、「面と向かって文句を言えない恥を知らない連中は勝手にさえずってなさい」としか思っておりません。

 ですが、現実に実力の無い会員が増えれば、「やっぱり、游心流なんて大したことないじゃないか」と嘲笑されてしまいますから、私は中途半端な実力で自己満足するような会員は居てもらいたくないのです。

 武術は中途半端に身につけるのが一番、危ない。狭い世界で自惚れていれば人生を無駄に費やしてしまいかねません。上達することに関しては、徹底的に貪欲である方が良いと思いますね。常に自分の限界と向き合うことで本当の謙虚さが得られると思います。

 自己満足で武術を楽しみたいだけの人は、それに見合った道場や教室はいくらでもあります。「強いとか弱いとか関係ない。自分が楽しいかどうかだけが大切なんだ」と思っている人は、そういうところに通われたら充分でしょう。

 別に、そういう考えが間違っていると言うつもりはありません。私はそういう自己満足でやりたい人の考えが個人的に好きじゃないし、そういう人には教えたくないというだけの話なんです。

 ちょっとずつでも上達し続けていれば、後は長く続ければ続ける程、より高みに到達することができます。「このぐらいやれば充分」というのは有り得ないのです。

 私が武術に求めているのはリアルな戦闘技能であり、それは一度しかない人生を外部から抑圧されて忍従して生きるのではなく、誰からも支配されず、誰も支配せず、自分の理想とする人生を真っすぐ生きていくための精神的支柱であり具体的な防衛術として位置付けているからで、生きて行くあらゆる局面に応用できるものでなくては意味がないからです。

 だから、単に習い事であるとか伝統文化であるという認識だけに留まらず、様々な危機的状況に対応する豊富な戦闘技能やサバイバル技術を持っていないとダメだろう?と思っている訳です。

 こう考える切っ掛けは、中学時代の校内暴力の体験にありましたが、人間、一皮剥いたら自我をぶつけて暴力で押し通そうとする野性の本能が厳然として有ります。

 やっぱり、九州の男だと子供の頃から殴り合いの喧嘩は誰でもするし、話し合いでカタがつかないのが男の世界だったりしますよ。

「殴り合いの喧嘩なんか一度もしたことが無い」と言う人も居ますが、私には理解に苦しむばかりですね。「自分が体験したことが無いから現実にも有り得ない」という考え方そのものが不合理でしょう? 

「痛い思い、危険な体験をしたことが無い」というのは自慢にはなりません。もし危険な状況に陥っても対処法を知らないし考えたこともない・・・と言っているに等しいですからね。私が女で武術とか知らなかったら、こんな頼りにならない人とは知らない土地を一緒に歩きたくないでしょうね。

 今や、東京を大地震が襲うことも、富士山が爆発することも、それが現実に起こっても誰も「そんな馬鹿な?」とは言わないでしょう。

 私が武術に関心を持ったのは自然な流れでしたし、少なくとも男と生まれて武道や武術にまったく興味が無いという人の心性は理解に苦しみます。

 いや、正直言えば、大抵の人が憧れる気持ちは有るでしょう。ただ、「自分にはムリだ」と思っているから学ぼうと考えないだけです。

 実際、私も、まさか自分が武術を生業にするようになろうとは夢にも思いませんでしたよ。

 何しろ、運動神経はクラスで下から何番目って感じでしたし、何よりも体育が嫌いでしたね。

 もう、TV見たり何か作ってる方が好きでしたね~。

 でも、それでも土地柄から喧嘩はそこそこやる訳ですよ。で、体育は苦手だけど喧嘩はそこそこできる訳です。相撲なんかも結構、強かったんですよ。

「あれっ? 武道だと結構、できるかも?」と思いましたよね。で、相変わらず普通の運動とかスポーツは苦手なんだけど、武道的な動きだけはできた訳です。

 周囲を見回しても、私と似たような人がいましたね。

 どうも、一般的なスポーツと武道はちょっと違うぞ?と思って、自己流で、ずぅっと練習し続けて、結構、鍛えてましたね~。

 そのお陰で、道場に通うようになってからも上達は早かったと思います。

 ただ、スポーツ的な根性主義でやらされると全然、ダメ! もう、向いてないんです。

 向いてないから、「これはもう、自分でやり方を考える方が合理的だ」と思って個人的に研究会を始めて、それが游心流になっていった訳です。

 私のように運動神経が鈍くて体力も無い根性も無い・・・という人間の方が圧倒的に大多数の筈ですが、残念ながら一般の武道や格闘技は、そういう人が上達できるシステムではありません。だから、私は新しいシステムを作ったんですね。


 まあ、何事も止めずに長く続けていれば、それなりの形になっていくものです。

 自信持って言いますが、今、游心流が武術として最も進んでいると思っています。得られる限りのデータを集めて技術を原理的に分類再編成して新しくシステム化しましたからね。

 伝統的な武術は文化として完成されているけれども、やはり現実の今の時代に対応してはいません。

 現代的な武術流派の場合も、下手に運動構造の違う現代武道や格闘技を組み合わせてしまったがために戦闘理論がどっちつかずになってしまっている流派をよく見かけます。

 あるいは、戦闘理論そのものが備わっておらず、武術の理合を身体の操作法だと短絡的に理解してしまっている人も多いようですね。

 空手にしろ合気道にしろ、本来の戦闘理論を知らないまま、形式だけ練習してしまっている事例が大半だろうと思います。武術をスポーツと勘違いしてしまったからですね。

 いやはや、実にもったいないことです。唯一の希望は、まだ達人と呼べるに足る先生がいろんな流儀に少数は残っている・・・という点だけでしょうか?


 さて、本論に戻りますが、片寄さんの著書『こんな自分がイヤと思ったら読む本』の骨子となっているのは、身体の問題も含めて、「心のサビ」を落とすことで悩みは自然に解消していく・・・という単純明快な理論です。

 これは、要するに、“心法”について優しく解説してくれているのです。

 一読、よくありがちなスピリチュアルヒーリング系の自己啓発本のように解釈しがちですが、この本は、そういうマインドコントロールを説いた本ではありません。

 心と身体、その奥にある魂と呼ばれる根源的な意識の仕組みについて平易に説き明かしているのです。

“心のサビ”というのは、的確な表現で、肉体の老化の一つが酸化であることは、今日、広く知られるところです。

 細胞が酸化していくのと同様、心がネガティブな思考に侵食されていくことで悪因縁を招き寄せてしまう・・・というこの世の法則性を、この本では説いているのです。

 仏教的に言えば、唯識論ですよ。

 何カ月か前、うちの会員が片寄さんの活動をインターネットで調べて、「何だか、教祖様的になっているみたいです」なんて心配していたんですが、今回の本を読んで、杞憂であったと安心しました。

 カルト的になるということが必ずしもマイナスに作用するのではなく、結局、主宰者の方向性の問題なんですね。

 何らかのイデオロギーに従うのは人間の本能のようなものであり、誰もが自分の好みの考えに従って生きていて、それに反する考えを持つ人を非難したがってしまうものです。

 重要なのは、考えの違う人を容認できることです。“違い”を認められること。

 以前、片寄さんを個人指導した時に、当時、うちの会の内部が揉めていて困った状態であったことから、彼に愚痴をこぼしたことがあったんですが、その時に、「長野先生は自分でやる気になれば何でもできますよ。運気は自分でコントロールできるものです」と、キラキラ光る目でサラッと言ってくれたことが、その後、大いなる自信になって、迷いを払拭してくれました。

 そして、彼の言う通り、自分で自信をもってやってきたことが、ことごとく良い循環になってくれています。

 だから、形としては私が彼の先生の立場になり、実際に彼も私を尊重してくれましたが、実質的には、私の方が彼にどれだけ気持ちの上で助けられたか?ということなのです。

 今回、初の著書を贈ってもらい、本当に、こんな嬉しいことはありません。しかも、内容が本当に素晴らしい! 私の本の何十倍も良い! 今の世の中に、本当に必要な内容を説いてある本です。

 先日、RAKUDOの公演を観た時にも感じましたが、こんな素晴らしい人達が游心流に関心を持ってくれた・・・という事実が、本当に有り難く誇らしい気持ちなのです。

 あるいは、私に反感をもって離れた人達であっても、やはり、社会的に認められる業績を挙げてくれた方が、嬉しいですよ。むしろ、「どうだ! 長野!」と言ってくれた方が、悔しさよりも「参りました!」という気持ちになれるでしょう。

 だから、陰に隠れて陰湿な誹謗中傷をするしかできない何とも情けないヤツばっかりで、「あ~、俺はこんなヤツに教えていたのか~?」と、ガッカリするだけだったんですが、そういう時に片寄さんの贈ってくれた本を手に取った私の気持ちが解りますか?

 本当に世の中、物事を表面的にしか読めないヤツが多くて、自分の損か得か?でしか考えられないヤツには“義憤”という言葉が理解できないんでしょうけどね。

 私が甲野氏を批判し始めた時から、一貫して、「俺はこいつだけには絶対に負けんぞ!」って燃えてましたよ。

 だって、彼は純粋そうに見せてて本当はそうじゃありませんでしたからね。名誉欲が強過ぎるんですよ。

 もっとも、私の場合、元師匠に喧嘩売って離れた以上、より以上の業績を挙げないと男じゃないでしょ?

 甲野氏が社会的に挙げた業績に比べれば、私はまだまだ実績が足りません。だから、これからガンガン活躍して彼が広めた間違いを払拭して、さらに実効性ある武術文化への理解を広めないと男じゃない!

 有名人を批判する以上、そこまでやらなきゃ~ダメ。礼儀知らずを敢えて決行する以上は、そこまでやらないと筋を通したことにならない。

 どうも、私が単なる礼儀知らずだと誤解している人が多いみたいですが、私はむしろ礼儀にうるさいから、虚礼をしたくないんです。

 上っ面の礼は相手に対して最大の非礼ですよ。相手を侮ってるから適当にあしらおうとしている訳で、そういう虚礼を重視する連中の形式主義思考を引きずっていれば、社会的な評価は得られないでしょう?

 私は、「虚礼を強いる武道の世界こそが非常識」だと思ってるだけで、この構造的欺瞞体質を変えないと武術文化が世の中にまともに評価されないと思ってる訳で、それを改善するために一時的に自分の評判が悪くなるのは承知の上だったんですよ。

 10年20年先を見越して地道に実践する覚悟が無い人間には理解できないでしょうけれど、本物を目指すなら、目先の損得を考えていちゃ~ダメですよね。

 無論、自分の損得は後回しで、世の中に役立つ仕事をやれば、天が味方してくれます。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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