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やっぱ練習が楽しいね

 今週は17日が普通に練習、19日のシダックスは小説講座の同期の女性陣が見学に来られまして、20日の公園の練習も遠方から二人参加されていたので、ちょっと賑やかになりました。

 ここのところ、いろいろ用事が増えてきて、まともに指導できずに北島師範や大石総教練に任せたりしていたんですが、やっぱり、いつものように普通に練習してファミレスでお喋りする・・・というパターンが一番、楽しいですね?

 メイプルホールの練習後も、近くのデニーズに寄ってお喋りして帰るのが毎度のパターンで、それを楽しみにしてくれている会員さんも居ます。

 技術論をすることもありますが、大抵は全然関係ない話になりますね。映画とか時事ネタとか一定している訳じゃありませんが、無関係な話をしていても、やっぱり最終的には武術の話に戻ります。

 日曜日の公園の練習もそうなんですが、こちらは駅前のジョナサンで何時間も粘るのがパターンになっていて、時々、会員がパソコンでネット動画を見せてくれて、他流の研究にもなる大事な時間です。

 結局、ただ練習するよりも、一見、無駄に思える話の中に武術の秘訣が隠れていたりするんで、漫然とお喋りしているだけだと思っている人は、確実に上達に反映しませんね。

 北島師範や大石総教練、小塚師範代、栗原横浜同好会長なんかは、このお喋りタイムの中で私が重要な秘訣を示唆するような話をするのに気づいていて、要するに技の練習をした後の理論の勉強だと認識しているので、時間の許す限り、馬鹿話に付き合います。

 私は、実際に技を習わなくても話しているだけで相手の先生の技を学び取ることができますが、こういう話をすると、「そんな馬鹿なことがあるか! 実際に汗を流して練習してこそ武道なんだ!」と言下に否定する武道の先生が多いと思います。

 しかし、私に言わせてもらえば、そんな考えしかできない人は“能無し”です。いくら努力しても達人の域には一生、到達できないでしょうね。

 要するに、“身体を動かして練習しなければ体得できない”という強固な思い込みがあるから、「頭脳で分析しても体得できるものではない。そんなのは頭でっかちの妄想に過ぎない」と考えてしまうのです。

 私の知る達人の先生方は、優れた遣い手と会うと、その一挙手一投足に注意をこらし、話す内容から実力を測るのが当たり前です。

 佐原先生にうかがった話では、山口清吾先生は、鹿島神流の国井先生に学びに行った弟子から、国井先生の技のことを聞いただけで実演できてしまったそうですが、山口先生ほどのレベルであれば、当然だろうと思います。

 一度もやったことが無くても、技の原理に気づけば、技の形を再現するのは難しいことではないのです。

 例えば、私は逆手斬りや寸勁斬りは誰にも習ったことも無いし、やってみるまで練習したことさえ一度も無かったのです。

「こうやれば斬れる筈だ・・・」と考えて、実験してみただけなんですよ。

 いくらやってもできない人に共通しているのは、感覚が鈍いのと、原理をきちんと理解していないということです。

 私は身体が弱かったんですが、IQがそこそこ高いので、武術と相性が良かったんだと思います。生の腕力に頼らない理詰めで考えられている技術だから、飽きずに続けられたんだと思います。

 もちろん、理詰めで考えた技だけで実戦に通用すると考えるほど、私はものを知らない訳じゃありません。が、まったくの素人が自己防衛を考える場合に、身体で覚えろ式の武道や格闘技では身につく前に続けられないでしょう。

 護身術と武道は別物だと考える人が少なくありませんが、護身術と武術はほとんど同じです。それは、“道”じゃなくて“術”だからです。

“術”というのは、目的を達成するための方法論であり、より合理的な方策を探るものなんですね。

 つまり、護身術とは、より合理的に身を護ることが目的であって、護り方のセオリーなんか本質的には無い訳です。

「相手のこういう攻撃には、こう対処して・・・」みたいな武道や格闘技は、確かに護身術としてはあまりにも不合理な対処法しか持っていません。

 鍛えた技で対処するよりも、咄嗟に周囲の物を投げ付けながら逃げた方がマシだったりするでしょう?

 渋谷駅で口論から刃物で刺された事件でも解ることですが、護身や威嚇のために刃物などを持ち歩いている人間だって世の中には居るのです。

 ちょっとした口論からナイフを出してくるような人間はざらに居ます。そんなのは当たり前のことだと考えていてこそ護身術になるのです。「想定外だった」なんて言葉は危機管理者が絶対に口にしてはならない言葉です。

 シダックスの講座でも、圧倒的に初心者が受講されることが多いので、そういう話をするようにしています。危機に備える意識を持つだけで、危険を回避する確率が上がる筈だからです。

 さて、シダックスも時々、近くのサイゼリヤでお喋りしたりしていたんですが、今回は見学に来てくれた女性陣の感想も聞きたくて、1時間半くらいお喋りしましたね。

 もっとも、この日は北島師範が休んでいたので、ロクに技を実演できなかったんですが、真剣白刃取りの嘘とかいろいろ話をしまして、小説のネタにしてもらえればいいかな~?と・・・。

 どうも、女性の方が知的好奇心が旺盛なのかな~?という気もしますね~。男だと技の威力とかそういうところしか興味を持たない傾向があるような気がします。

 この日は、小説講座の先生が編集者の方と会うので、後で共同執筆する人全員が集まる予定もあったので、一度、帰宅してからもう一度、町田に出掛けてきましたが、何か、有名な武芸考証家の裏話とか聞いて面白かったですよ。

 先日の映画撮影の時の話とかしたり、映画ネタの馬鹿話とか、漫画原作の持ち込み方とか、いろいろ有益な話を聞けました。本当に、もっと早く講座を受講していれば良かったな~と、つくづく思います。

 私はやっぱり、映画とか本とか刀の拵え作るとか・・・なんか“作る”というのが性に合うんですね。

 武術も技そのものは破壊するばっかりでしょう? やっぱり、人を指導して育てていくのが楽しいのかもな~?と思います。

 青木先生は“人を作る”と言ってらっしゃいましたが、武術と書道と瞑想を教えて、人間の可能性を引き出していくところに本当の凄さを感じますね。

 ただ自分だけが強くなりたいと思っているうちはダメだな~と、最近、思うようになってきました。

 日曜日の稽古では、遠方から来ている会員さんに少しでも新しいことを教えておかなくては・・・と思いました。

 だって、ただ基本だけ繰り返しても、わざわざ来た意味が無いでしょう?

 体得できるかどうかは別として、新しい技を体験させて向上心を持続してもらおうと思っています。

 真面目な人は、「基本が大切だから・・・」と、延々と基本をやらせようとしてしまうところがあるんですが、そんなのは自分で気づけば勝手にやるんです。

 基本の練習というのは、自分が必要だと思ったら自分から日常的に練習するようになりますから、道場では次々に新しい技を体験させるべきですね。

 基本の練習を形式だけやっても応用性は育ちません。むしろ、パターンでしか動けなくなりますね。

 重要なのは形式の練習ではなくて中身の感覚を磨くことであり、徹底的に意識を集中して身体内部の感覚を高めていくことが肝心です。

 それができなければ、うちの練習は向いていません。いや、実をいえば武術に向いていないんです。

 私がもう、ほとんど練習していないというのも、外側を動かす必要がないからやらないだけで、意識的に身体感覚を練っているのが習慣になってしまっているからなんですよ。

 筋力にも頼らないので、繰り返し同じ動きをやることそのものが修行の邪魔にさえなりかねないんです。

 つまり、武術の修練は、先に進めば“脳トレ”になるんですよ。

 だから、うちの練習法だと体育会系より文系の人の方が向いているだろうと思います。

 上達する人も、分析能力のある人だと早いですね。

 さて、ジョナサンでいろいろ動画を見せてもらったんですが、ある合気道の師範の動きを見ました。

 その師範のお弟子さんに何人か指導したことがあるんですが、押しなべて動きが硬くてダメだったので、だいたい想像はしていたんですけれど、思った通り、勢いで技をかけており、合気道らしい柔らかく崩すような動きは全然ありませんでした。

 そうですねぇ~・・・、アダモちゃんの、ペイッてやるような動き? あんな感じ。

 想像通りだったのでガッカリはしませんでしたが、これが合気なんだと思ってしまうと残念なことだな~?と、部外者ながら思ってしまいました。

 洞察眼の無い人は、素早く勢いよく技をかけていれば、凄い!と思ってしまうものなんですが、そんな技は猫や猿にも劣ります。

 人間がやる技であれば、リラックスして何の力感も感じさせずにフワリと崩し制してしまうようなコブラ捕りの名人のような技を目指さないと意味がありません。

 まして、やたら早く技をかけていれば、受けをとっている人間に大怪我をさせてしまいかねません。素早く勢いよくやらないとかからないような技しかできない人間は、人に指導してはいけないと思いますよ。

 外国の合気道?の動画も見ましたが、実戦力では日本より上でしょうね? 伝統の形に拘る日本と、形に拘らないで自由に発展させる外国の修行者を比べれば、武術としては外国のやり方が正しいでしょうね。

 発展させないことに意義を求めるのは、日本人の悪しき伝統だと思いますよ。

 例えば、本来の居合術に正座からの大刀の抜きは無かった筈なんですし、とすれば、恐らく明治以降に創作された型の筈。それを伝統だから・・・と何の検証もしないで伝えていくのはナンセンスでしょう?

「日本の武道は伝統文化だから・・・」とか言いながら、その伝統そのものが誤って伝えられている事実に気づかないのでは論外ですよ。

 古流武術のほとんどの流派が古伝そのままの形を伝えてはいませんからね。自覚していない人が多いですが・・・。

「師匠の言葉を疑ってはいけない」という建前論の虚礼が蔓延し、真相を追究する者を排斥してきたのが日本の武術の世界の真相なんですよ。

「武道は礼に始まり礼に終わる」と言いますが、現実は虚礼に始まり虚礼で終わってしまっているんですよ。

 師匠には感謝の気持ちを持ちながら、でも学んだ技は実験検証し、情報は調査して裏付けを取っていく・・・そういう学問的探究心がこれからは必要でしょう。

 そうでないと、ネット社会の膨大な情報量に呑み込まれて、真贋の区別もつかない能無しばかりが増殖し、武術は真価を現すことなく沈没していくばかりでしょうね。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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