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10月セミナーは武器

 毎年の月例セミナーでも、特に武器術をやる時は、特に怪我が無いように注意しなければなりません。

 剣道や居合道をやっている人は、武器を使うことに慣れがあるでしょうが、一般的に、特に空手道をやっている人は武器を用いるということに抵抗感を感じる人も少なくありません。

 また、うちの会でも武器術をやりたがらない人も居ます。

 しかし、武術というものは、武器術の修練をやらなくては完成しません。

 本質論から言いますと、武術の本体は武器術にあります。素手の柔術や拳法などは、飽くまでも武器が無い場合の緊急に用いる技でしかなく、素手で戦うことをスタンダードに考えるのは競技スポーツとしての近代格闘技的な認識でしかありません。

 これは、軍隊や警察が銃をスタンダードにしている点からも明らかです。

 野戦体術や逮捕術、警棒術などは、個人の技能に効力が大きく左右されますが、銃は、上手下手の関係なく誰が用いても敵を殺傷するチカラを持っています。

 日本武術に限らず、古来の戦場での主武器は弓矢が多かったのは誰もが了解できるでしょう?

 命がかかった戦闘では敵を確実に殺せる武器が必要なのであり、素手で戦う技を訓練するのは基礎トレーニング的な意味しかなかったのです。

 ですから、個人の技能としての“強さ”は、命がかかった戦闘状況では大した意味を持ちません。一対一で同じ条件で闘うのは、あくまでも競技でしかなく、相撲やパンクラチオンが見世物の要素が大きかったのは論じるまでもないでしょう。

 私が現代武道や格闘技に惹かれなかったのは、それらが現実の命がかかった戦闘状況に遭遇した時に、ほとんど役立たないであろうと思われたからです。

 いや、それどころか、通り魔にさえ太刀打ちできないかもしれません。

 実際に、空手師範や柔道家が暴漢のナイフで殺された事件もあります。

 私が武術に求めているのはリアルな戦闘状況を生き延びることのできる技術と戦術であり、そのためには武器術ができなくては話にならないという結論に達した訳です。

 昔の武術はみな、そういう観点で技術が構成されていましたし、少なくとも昭和の時代の武術家は、複数の武術を学び、武器への対応を考えるのは最低限の心得でした。

 これらは当たり前のことなのです。

 相手が銃を出した。ナイフを出した。複数で襲ってきた・・・etc

 これらに全て対応して生き延びることを考えなくては武術ではありません。

 強い弱いを他人と競うのはスポーツです。

 武術は、いかなる強力な敵とも戦う以上は必ず勝つことを考えねばなりません。だから、卑怯卑劣などという概念に縛られてはいけないのです。

 聞くところによれば、フィリピン武術は世界中で高く評価されて警察や軍隊のトレーニングに採用されているそうですが、フィリピンの一般的な市民の間ではフィリピン武術を学ぶ者はゴロツキのように軽蔑されたりもするそうです。

 これは、中国の武術でも似た事情があり、武術家はヤクザ者と同一視されがちのようですね。

 しかし、日本では長い間、武士階級が政治の場に居たので、生き方の規範としての武士道という哲学が形成されていたので、武術武道に対する尊敬の感情がありました。

 つまり、力を持つ者は社会の秩序を護る責任を持っていた訳です。

 ここが他の国と日本が一番異なる点だと思います。

 武術を学ぶことが哲学的生き方に繋がっているのですね。

 いや・・・繋がって“いた”と、過去形にしなければならないのかもしれません。

 何故なら、今時、武術を学んだからと言って自分の生き方に結びつけて考える人は滅多にいないからです。

 結局、自己満足のため、自己顕示欲を満たすため・・・くらいのものではないでしょうか?

 無論、内省的に自分の生き方を節制して生きる美学を奉じる人はいます。が、そのような生き方は自己完結しているだけで、今の世の中に何の影響力も持ちません。

 毒にも薬にもならない自己満足のための修行・・・。そこには社会性が欠落していますね。

 人間はもともと野生の獣のような武器は持っていません。

 ゴリラやヒグマのような怪力は無いし、虎やライオンのような爪や牙も無い。コブラやハブのような毒牙も無い。

 人間相手なら一撃でぶち倒せる発勁も、野生動物には効き目は望めないでしょう。

 武器を毛嫌いする人達は、もしも人間が武器を作れなかったら、とっくの昔に人類は全滅していたであろうことを考えるべきですね。

 いくら刃物が嫌いでも、包丁無しで料理は作れません。

 ノコギリやノミ、カンナが無ければ家は作れないでしょう?

 武器というものは、人間が生きていくための道具として必要だから発明された訳ですし、その武器を有効に使う手段として武術も発明されたのです。

 そこを考えないで「危険だから無くせ」と言うのは愚かですよ。

「包丁やノミ、ノコギリは生活道具であり、弓矢や銃とは本質的に違う」と言いたい人も居るでしょう。

 しかし、通り魔や暴漢が包丁や鎌、フルーツナイフといった生活用具としての刃物を使う場合が多いことを考えるべきです。

 弓矢や銃を発明したお陰で、人類は“狩猟”という害獣駆除と食料確保の術をモノにしてきた・・・。

 ただし、武器というものは、その前提として「きちんとコントロールできること」という条件があります。

 お解りと思いますが、私が原発を反対するのも、核兵器や化学兵器、生物兵器などを反対するのも、これらは敵を殺すだけじゃなくて害毒を長く広範囲に拡大してしまう。即ち、コントロールが効かないから武器として欠陥があるからなんです。

 要するに、武器をコントロールして用いる技術を知ることが重要なんですよ。

 武器があっても武器の操作法を知らなければ何の役にも立ちません。

 これはどんな道具でも同じことですね。使い方を知ることが重要なんです。

 ですから、今回のセミナーは、「武器の使い方」を教えます。

 基本的な使い方を知れば、そこから応用していくことは自在です。そして、基本的な使い方は、武器の機構を知れば自ずと定まります。

 要するに、仕組みが解れば後は自然に解っていくのです・・・。


 さて、アスペクトの武術シリーズ第三弾『武術のシクミ』も文庫化されました!

 見本が贈られてきましたが、いい感じです。文庫版用後書きもお楽しみに、皆様、是非、買ってくださいね~。・・・っつうか、新刊本はどうなったんだぁ~(泣)?

PS;10月は14日に江古田にてセミナーがあり、21日には西荻窪ほびっと村にて講座があります。両日、最新作DVDの販売もしますので、宜しくねっ!

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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