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11月セミナー『格闘技に活かす』

 今年も後、二回ですね~。11月のテーマは「格闘技に武術を活かす」です。

 もっとも、私が考えると「それは試合には使えません・・・」って言われる場合が多くて、う~む・・・って感じなんですが、「格闘技のテクニックに付け足すと面白いよ」って具合に言っときましょうか?

 0インチパンチが打てるようになると、戦闘法がガラッと変わりますし、抖勁ができるようになると、組み討ちに持ち込まれた瞬間が最大のチャンスになります。

 うちの会員でも定期的に練習に来れない人だと、「体格の大きな相手には勝てない」とか悩んだり、目先のパワーやスピードでしか考えられない人が少なくありませんね。

 自在に発勁(暗勁)が打てるようになると、「こりゃあ、まともに打ったら死ぬな~?」と思うようになり、恐ろしくて打てなくなります。体格差がどうとか、効くかどうか?なんか考える以前に、「これ、使ったら相手を殺しちゃうやん? これ、使えね~よ」ってなります。

 暗勁の打法は、相手にダメージを与えるというようなものではなく、“肉体に機能不全を起こさせる”というものなのです。“毒手”と言われるのは、毒物に手を浸け込んで鍛えるというものではなく、「毒が浸透するように肉体に機能不全を起こさせて最終的に死に到らしめる打撃法」ということなのです。

 だから、打った後から全身が重くなって動けなくなったり、血尿が出たり、両目ひん剥いたまま失神したり・・・なんてことが起こる。

 座布団何枚も重ねて軽~く打っても、こうなるのですから、まともに直に打ったらどうなるか?

 これを点穴と組み合わせると完全な暗殺術になってしまいますが・・・。

 誤解のないようにはっきり申しますが、武術に体格は関係無いし、パンチやキックのスピードも関係ありません。

「そんなこと言っても、ボクシングでも柔道でも体重制になっているのは、体格差を技術で埋めることができない証明じゃないのか?」って考える人もいるでしょうね?

 まあね~。同じ技を使って同じ闘い方をするのなら、その考え方は間違いじゃありませんけどね~。

 だけど、こういう考え方しかできない人は、重大な見落としがあるんですよ。

 例えば、空手雑誌の編集長だったKさんの書いた本には、中国拳法とかバカにして書かれていましたが、養神館合気道の塩田剛三先生だけは本物だ!って書かれていました。

 その理由は、自分も何もできずにやられたから・・・らしいんですが、どうしてこう、個人の実力だけで考えたがるんでしょうかね~?

 ちゃんと技術を分析して、「どうしてこの体格であれだけの威力が出せるのか?」という秘密を解いた方が、誰もが塩田剛三先生のような実力を得られる可能性があるじゃないですか?

 どうして、そういう風に考えないのかな~?と、私は不思議で仕方がありませんよ。

 残念ながら、特にフルコン空手をやっている人や格闘技をやっている人には、非常に頭が固くて視野が狭い人を時々、見受けます。

 それは純朴で愚直な誠実さに結びつく場合もありますが、世の中で生きていくには、もっと毒食らわば皿まで・・・みたいなワイルドさや狡猾さも必要なんですよ。

 そうでないと、暴力で人を従わせることを何とも思わないような悪徳な人間に遭遇した時に無残な目にあってしまう場合もあります。

 暴力で他人を従わせようとする人間に良心なんか期待しても無駄です。「やれるもんなら、やってみな。でもお前が自滅するだけだぞ」って具合に戦闘態勢で迎え撃つしかないんですよ。

「そんなことは人のやることではない!」とか、勘違いしたことを言ってちゃいけませんよ。

 自分の手を汚さない人は、その分を必ず他人の手を汚させているんです。

 これは善でもなければ悪とも言えない。

 牛肉を食うには牛を殺さなきゃならない。寿司食べるには魚を殺さなきゃならない。

 これは野菜だって何だって生きている生物を殺して食うのには違いはありません。

 つまりは、生きることは延々と他の生物を殺し続ける行為に外ならない・・・。

 だから、綺麗事を言うのは偽善にしかならないんですよ。現実はそうじゃないんだからね~。

 私が結構、むかつくのは、「武道とは人を傷つけたり殺したりするものではない」と平気で言うヤツ。

 ウソつけ~!

 武の本質は殺す技を修練することです。それを無視して精神論なんか説くなら、坊さんに土下座しろ!って私は言いたいですね。

“殺す”っていう言葉や行為の意味することを真剣に考えることが武術を修行することのもう一方の目的なんじゃないかな~?

 私が思うのは、武術は誰でも自分を変えることができる。それは第一に心身を鍛えることであり、具体的な技を身につけることで暴力に対抗できるということ。

 そして一番の効用というと、暴力にさらされている人を助ける勇気を培ってくれるということ・・・。

 私は、この一点だけで武術は人類にとって偉大な発明だと思っています。

 だから、いい年こいて「俺は強いっ!」と自己顕示欲ばっかりの格闘技オッサンとか見ると恥ずかしいんですよ。「バカじゃないの?」って感じ・・・。

「俺はこんなに強いんだ! お前が本物かどうか、俺と勝負しろ!」なんか言われたら、十文字鎌槍で突き殺してやりたくなります・・・。

「そんなカッコイイこと言って、お前は本当に人助けしたことあるのかよ?」って言われるなら、もちろん、何度もありますよ。できる範囲で・・・。

 それに、私がよく知る武術の先生方も、やっぱりそうです。弱い人や困ってる人を躊躇なく助けられる。

 世の中に役立つことをやってこそ人としての存在価値があるんですから、“汗流して頑張ってるオレはビューティフォ~!”みたいなナルチシストは死んでくれって感じ。

 まっ、そんな感じで、格闘技の技を“マジ必殺技”に改造して、楽しく組手をやれないようにしてさしあげます。

 あっ、そういえば・・・昔、ヤンキー系の人が何回か来て、「こりゃ~、喧嘩に使えるぜっ!」って、ウヒョヒョ~ッ!って、喜んでいたんですが、二回、三回と来る度に、表情がドンヨリしていき・・・苦渋に満ちた顔で、「先生・・・俺、もう辞めます」と言うのです。

「何で? お前は筋がいいのに・・・」と言うと、寂し気に自虐的笑いを浮かべて、「いや~・・・先生、これ使ったら相手、死にますよね?」と言うので、私は平然と、「うん、死ぬよ。確実に・・・」と自信満々に言いました。

 彼は、「俺は喧嘩を楽しくやりたいだけで、人を殺してまで勝ちたくないんですよ。だけど、こんなに簡単に人が殺せるのか?と思うと、もう、喧嘩をやりたいとは思わなくなりましたよ」と言うので、「そうか? それが健全だよね。それが判っただけで教えた甲斐があるよ。まあ、頑張ってね!」と言うと、照れ笑いを浮かべながら去っていきました・・・。

 誤解のないように申し上げておきますが、格闘技も武術も技術的にはそんなに差がある訳ではありません。似た技も沢山あります。

 ただし、目的が違うんですよ。

 武術は護身術として徹底的に特化した個人戦闘術なんですね。だから前提として敵を殺すという目的がある訳です。

 従って、武器でも何でも使うし、戦術的に騙し討ちにもする。

 何でか?というと命がかかったサバイバル戦闘術だからです。

 格闘技は技量を比べ合う競技ですから命を取ることは目的じゃありません。スポーツの枠内に留まるのです。スポーツの中に留まることで社会性を保っている。

 しかし、武術は社会性の中に留めることはできません。無秩序な状況を前提にしているからです。

 だから、社会の中ではみだりにひけらかしてはいけないんですよ。

 忍法者みたいなのが武術家の一つの理想かもしれませんね~?

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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