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越川禮子先生米寿のお祝い

 陽明学の林田明大先生(余談ですが、「なんで“大先生”って書いてるの?」という質問がありましたけど、明・大先生と書いてるんじゃなくて、明大・先生なんですよ)の御紹介で、昨年のスコーレ親睦会の時にお会いし、その後、林田先生に連れられて御自宅へ遊びにうかがったNPO江戸しぐさの越川禮子先生の米寿のお祝いパーティーのお誘いを受けまして、13日に原宿に行ってきました。

 原宿は滅多に来ないんですが、久しぶりに歩く原宿は相変わらず人が多くて、刀剣店の霜剣堂さんの近くのパーティー会場でしたが、参加希望者が殺到してしまったので広い場所に変更になったということでした。

 会場近くまでくると、続々と紳士淑女が集まっている建物がありまして、何かイベントがあるのかな~?と思って、よくよく見ていたら、そこがパーティー会場でした。なんか凄い人数です・・・。

「要するにお誕生会だからカジュアルな格好でいいよね~?」と思って、春物シャツにジャケット、ジーンズに靴も久しぶりに磨いて気楽に行ったんですが・・・「しまった・・・親父の形見の礼服着てくればよかった・・・」と思いましたよ・・・。

 一応、おニューの帽子買って被ってたから、まっ、いっか?と思って、会場に入ると林田先生が迎えてくださり、次から次に人を紹介してくださいまして、一応、念のため名刺を用意していたんですが、切れてしまいましたよ。

 最近、思うんですけど、私も和服着てポン刀持ち歩くとかケッタイなコスプレ親父みたいにした方がいいのかな~?なんて思ったりもします。所詮、私なんて特殊技能職だから、イロモノですからね。

 何しろ、武術なんて物騒なものを研究して武器を集めて「合理的な人体の破壊のやり方」を日夜真剣に考えてる訳ですから、もう人間・失格! 一歩間違うと、反社会的テロリストになりかねない。

 まかり間違っても自分が立派な人間であるという勘違いをしてはいかん!と思う次第。

「そうだ、私はヘンタイなのだ」と自覚していなければいけない! そして、ヘンタイをウリにして意地汚~く銭を稼いで生活するしかないのではなかろうか?と、自虐的に思ったりする訳です。

 もっとも、そのヘンタイ性をキャラ付けにして仕事をしているダメ人間も、あたかも立派な哲学的求道者であるかのごとく世間的に錯覚させてきた数多の先人の恩恵に浴して、「~先生」と呼ばれることに羞恥心が薄れていく今日この頃・・・。

「あ~、人間はこうして自己認識を歪めて初志を忘れていくんだな~?」と、久々に痛感しましたね。

 近年で言えば、メディアに採り上げられて武術のイメージをアップさせてくれた甲野善紀氏がいなければ、私は食えていないでしょう。その意味で超・恩人です。

 が、御承知のごとく、私は甲野氏が嫌いです。

 今更のことながら、何故、嫌いか?というと、彼は武術の真価を世間に知らせたのではなく、枝葉末節でしかない“身体運用法・身体操作術”をアピールすることにより、「武術とは身体の動かし方に価値がある」という、大きな大きな誤解を広めてしまったからです。

 江戸時代以前の日本人の身体操作の優れた点を論じるのに武術を語り口に利用しただけでしかない・・・と私は思っていますし、ここでは技術的反論はしませんが、彼は本当は武術という文化に対する敬意を全然持っていないのだろうな~?と思います。

 自己の売名だけが目的で、人からチヤホヤ崇め奉られたいだけの人なんだろうと思いますね。“そういうのが気持ち悪い”とか言いつつ、自分がちやほやされていないと露骨に嫌な顔するし・・・。

 武術に関しても、誰もが知らない分野(現代武道をやっている人達でも全く知らない)だからこそ、自分が好き勝手にねじ曲げた俺ジナル理論を提唱してメディアを通じて間違いを広めてしまった・・・というマイナス面が大きくなっているように感じますね。

・・・と言うのも、パーティーが終わった後の二次会にも誘っていただき、そこで“ナンバ歩き”なるものに対しての質問を受けたので、少し実演解説を試みたのですが、いかに彼のお陰で間違いが広く伝播してしまっていることか・・・?と、私は愕然としてしまうとですたい・・・(唐突に天草弁)。

 武術の世界に“ナンバ”という言葉はありません。

 もちろん、江戸時代の一般用語としても“ナンバ”という言葉はなく、当然、“ナンバ歩き”だの“ナンバ走り”という言葉もありません。

「えっ? そんな馬鹿な?」と思う歴史愛好者も多いと思いますが、これが事実。

 現に、上泉伊勢守の門流の一派である駒川改心流を伝承する黒田鉄山師範も、雑誌連載記事中で、「ナンバって何ですか?」と“自分は知らない”と書かれています。

 私が親しくさせていただいている清心館の佐原先生も、「ナンバというのは聞いたことないですね~」と言われていました。

 当然といえば当然なんです。実は、“ナンバ”とは日本舞踊、歌舞伎に伝わる舞踊の専門用語なので、一般的な言葉でもなく、無論、武術とはまるで関係ない言葉だからです。

“ナンバ”で説明する空手家や古武術家が少なからずいるようですが、彼らは甲野氏の本を読んで無批判に信じているだけだろうと思います。もっと、深く勉強してもらいたいものです。

 日本舞踊では、“ナンバン”と“ナンバ”に分かれていて、どちらも語源は、「南蛮人の歩き方はヘンだね?」と嘲笑したところから出ており、踊りの中で表現する場合も、六方を踏む・・・というような“ヘンテコな歩き方”という意味でデフォルメされたものなのです。

 それがどうして江戸時代以前の日本人独自の歩き方になるのか?

 おかしいでしょう? 山がちだから半身のナンバが普通になったと言いますが、山がちなのは日本ばかりじゃないし、地域によっても違います。服装のせいだと思いますよ。

 ちなみに“ナンバ歩き”だの“ナンバ走り”だのというのは造語であり、前者は演出家の武智鉄二氏か、その弟子筋の武芸考証家の名和弓雄氏が使った言葉のようですし、後者は甲野氏の造語か、あるいは末次さんが「ナンバをイメージしている」と公言したことでメディアが作った造語の可能性があります。

 いずれにしても、本来の日本語にそういうものはありません。それなのに江戸時代の考証本なんかに堂々と“ナンバ歩き”と書いているウッカリ者のプロも多いんですから、こっちが恥ずかしいですよ。プロだったら、もうちょっと、ちゃんと勉強しろよ!と・・・。

 よく考えてください。

 歩き方や走り方に~歩きだの~走りだのと普通は名付けないでしょう? 専門用語として名付けられても一般向けに“~走り”とかは言わないですよ。

 そもそも甲野氏がナンバについて知ったのは名和氏のレクチャーを受けたからであり、要はパクリなんですよ。名和氏が古武術の師範であることから、「ナンバの身ごなしが古武術に通じている」と説明したのを早とちりしたんじゃないでしょうか?

 つまり、言い出しっぺが全然、解ってなくて勘違いしていた訳です。

 理論がどうこうと言う場合は、学術の世界ではきちんと原点を明記しなければダメなんですけどね・・・。

 甲野氏の問題点は、「昔の絵に描かれているから・・・」とか、物凄く安易な理由で自説を主張したりするんですが、特殊な分野だから、誰も真偽の判別がつかない。

 だから、調子に乗ってテキトーなことばっかり思いつきで喧伝し、素人騙しの実用性0の演武ばっかり発表する・・・。判別がつかない人達は「有名な人だから本当なんだろう」と錯覚させられて信じてしまう。

 私は研究家ですから、間違いは間違いとしてビシバシ指摘していかなくちゃならない。私が研究“家”と名乗っているのは、自分の言葉に対する責任を持とうと思っているからです。

 甲野氏は批判されると研究“者”とか名乗って責任逃れしようとする。それを謙虚さの現れだと勘違いして持て囃す阿呆な取り巻きが大勢いるからバカが増殖するんです!

「身体の動きが変わってスポーツのパフォーマンスが上がったり介護技術に役立ったりするのは画期的なことだとは思わないんですか?」と、これまで何度、言われたことでしょう?

 それって、武術でなくてもいいんじゃないですか?

 身体の合理的な使い方を研究するのなら、別に武術である必然性は皆無でしょう?

 現実に、甲野氏のやってる身体操作術に古武術の要素は、ほとんど0に近い。

 彼が沖ヨガを学んだ飛龍会の故・伊藤昇先生が提唱した胴体力の理論(フェルデンクライス・メソッドの影響が強いらしい)と、合気道や新体道の脱力技法の応用だと思いますね。彼が学んだ伊藤昇先生、合気道の山口清吾先生や、新体道の青木宏之先生・・・等に対する義理が立たないんじゃないですかね~?

 そういう肝心要のことは隠すんだから・・・(苦笑)。

 また、いろんな武道家だの整体師だのという人達が甲野氏の物真似やってみせたりするのも恥ずかしい。「お前ら、プライドってものが無いのかっ?」と私は言いたい。


 私が武術を研究しているのは、あくまでも戦って勝つ!という戦闘術としての側面であり、そこに付随する形での伝統医術であったり心身開発術であったり、あるいはアートとして芸術芸能の分野に役立つなら楽しいな~ということです。

 それぞれの分野で御活躍されているプロの方々ともご縁ができて、尚更、そう思うようになりました。

 身体操作がどうのこうのと言ってみたところで、そんなの武術だけの専売特許じゃないんですよ。レベル低過ぎて、話になりません。誰でもできる簡単なことを、よくもまあ、あそこまで権威付けして小難しく解説できるもんだな~?と、むしろ、そういうところに感心してしまいますね。

 また、阿呆臭いと思ったのは、TVで筋電位を測る装置で甲野氏の技を測定して「信じられない! 筋電位が動いていないのに、あんな力が出ている?」って騒いでて、甲野氏も、「私の技は科学では解明できない」なんて威張ってる・・・救いようのない大バカ軍団です。

 そりゃあ、筋肉に力込めないで脱力したまま重心移動の力を使ってるんだから、筋電位が変わらないの当たり前なんですよ。なんで、そこに気づかないのか?

 何で、世の中、こんなにバカばっかりなんでしょう?

 私はむしろ哀しいです。本当に私以外に観抜ける人がいないんでしょうか? 合気道や太極拳の先生なら洞察できる筈だと思うんですが・・・本当に、もう観の眼のある人がいなくなってしまったのでしょうか?


 私自身は、九割以上、弱者が理不尽な暴力に蹂躙されないための防衛術を研究していきたいと思っています。身体の動きの改善とかそういうのは余技でしかやる気はありませんし、他の分野に役立っても、全然、戦えない武術では無意味だからです。

「何で、そこまで戦いに拘るんですか? そんなに暴力にさらされることなんか日本じゃないでしょう?」ってこともまた、よく言われます。

 そうでしょうか?

 私は中学時代のイジメを契機に武術を志しましたし、これまで50年生きてきた中で、理不尽な暴力にさらされている人を何度も助けることができましたが、これは私が対抗手段を持っていたからできたことでした。

 学校・職場・サークル・近所付き合い等でも人間関係でまったく揉めないなんてことはあり得ないと思います。

 終電近くの電車の中で酔っ払いにからまれたとか、痴漢に遭遇して怖い思いをした人はざらに居るでしょう?

 通勤電車で毎日乗る訳でもない私でも、何度もそういうシーンを見ていますし、渋谷の夜の繁華街で大乱闘を演じている学生達の姿も見たりしました。

(これを書いてる時にボストン・マラソンの爆弾事件やら包丁持って屋根の上で籠城した男の捕り物劇とかニュースで見ました)

 例えば、日本は平和な国だから警察も自衛隊もいらないよね~って、解散しちゃったらどうなるんでしょうか?

 たちまち犯罪大国、あるいは中国やロシアの植民地にされてしまうと思いますよ。

 暴力はいけないことだ!って、そんなことはわかりきったことです。しかし、そのいけないことを平然とやる人間が居るのも現実です。

 暴力に暴力で対抗する発想そのものが悪である!と言う論理を私は賛成しません。

 リアリティーの無い空理空論だとしか思わないからです。世の中、そんなにメルヘンチックじゃないんですよ。必死で戦わないと生きられない局面は人生の中で必ずありますよ。

 非暴力をとなえて無抵抗でやられっぱなしになるのも本人の自由ですが、自分の家族や友人、恋人が暴力の被害を受けていても何もしないのであれば、それは単なる無能者。

「警察に相談しても助けてくれなかった」と、いつも問題になりますが、私も一度、地元警察に相談に行った時に、「貴方が殺されでもしなきゃ~警察は動けないのが現実なんですよ」と言われて、あ~、まったくその通りだろうな・・・と思いました。

 武術を教えている立場上、脅迫めいたことをやる人間は必ず居るものですが、いつでも来たら撃退する!という確固たる覚悟をしていなければ武術を教えるなど無理な話だろうと思います。

 そういう現実の世の中の負の側面を認めて、それに備えておくのが武術の修行眼目の基本だと思っています。

 どうも、国防論を口にする人達に疑問を感じるのは、「何故、貴方は戦闘訓練しないんですか?」ということです。自分自身が戦う能力も無いのに、大局を語っても何にもならないでしょう。

 ペンは剣より強し!というのは社会機構が正常な場合の話であり、紛争状態では通用しません。銃の扱いすら知らない人間が戦争状態に置かれても何もできないでしょう?

 私は、国防を論じるなら、まず第一に銃の使い方から訓練し、撃たれたら死ぬという現実をきちんと弁えてから論じてもらいたいと思いますね。

 私は自衛隊の人達には戦って欲しくありません。歩兵の戦闘になれば中国にも北朝鮮にも勝てないと思うからです。武器の性能以前に、今の日本人が平気で人間を的にして銃の引き金をひけるとは思えないからです。

 一瞬の逡巡のうちに蜂の巣にされてしまうのがオチでしょう。それをやれと言うのは酷でしょう?

 あまりにも空理空論がまかり通っていると思います。

 武道をやっている人間だって、今はスポーツとして取り組んでるだけですからね。命の取り合いになったら通用しないでしょう。

 しかし、誰もが私と同じ考えをすべきとは思いませんね。やっぱり私は自分が極端過ぎる生き方をしていると自覚していますし、少数精鋭の武術人を育てて、彼らが今の日本の中で社会貢献できる人間として活躍してくれれば、私のヘンタイ人生も無駄にはならないでしょう・・・。それで充分じゃないでしょうか?


 あれれ・・・?

 物凄い脱線したまま長くなってしまいましたね? 失敬!

 私は、越川先生はもっとずっとお若いと思っていたので、今回、米寿ということに非常に驚いてしまったのですが、高齢化が社会問題とされている日本にあって、若い者が足元にも及ばないように元気で活躍されているお姿を拝見すると、「やっぱ、人間は心映えが肝心だよな~」と、つくづく思いました。

 私は古武術介護術に関して、何か、嫌な印象が拭えなかったんですが、それは、一種、老人差別的な「人間は年とったら一人で何もできない荷物のようになってしまうもの」みたいな上から目線の雰囲気が嫌だったんだ・・・と、改めて気づきました。

 私の親父は熊本県の教育界ではちょっとした名士として知られていましたが、六十代で脳梗塞やってから三度倒れ、晩年は認知症の症状も出ていまして、私が帰ると、すっかり家族の中でお爺ちゃん扱いされていて、何か辛くなりましたね。

 昭和一桁生まれだったので努力するのが当たり前の性格だった親父は、養生とリハビリにも励んでいたので、あんまり酷くはなりませんでしたが、このままだと介護が必要だからと心臓の手術をして、その後亡くなりましたけれど、何か悔しくてですね~。

 家族が、もう親父を尊敬しなくなっていたからです。私は離れて暮らしていたからかもしれませんが、死んだ後も尊敬され続けて欲しかったですね。

 死んだ後から不名誉な噂話を聞いて、否定もしないで「そうだったんですか~?」なんて・・・死人は反論できないんだから家族が反論してやれよって、本当に思いましたよ。

 私だったら、「失礼なこと言うんじゃねえっ! 親父はそんな人間じゃねえっ! ふざけんな、このヤロー、帰れっ!」って、怒鳴りつけてますけどね~?

 まあ、そうしなかったというのは、それだけ尊敬の気持ちが無かったってことで、家族と言っても、そんなもんですか?って、私は本当に悲しくなったんですよ。

 人間は年とっても誇り高く凛として生きていくべきだ・・・と、そう思います。

 そうすることで、若者も老人に敬意をはらい人生の先達としての教えを求めるようになるでしょう。

 私もナメられないように、これからもっともっと実力を上げて、若い頃の何十倍も仕事して周囲に恐れられる武闘派爺さんになってやろうと思ってます。


PS;去年、手伝った映画で主演だった飯田ゆかさんが事務所を辞めたそうで非常に残念です。既に黒木舞花さんと山田亜美さんも辞めているそうで、これでは映画を公開しても意味がありません。現場で風邪ひいて具合が悪い中を一所懸命に頑張って芝居していた姿を思い出すと、本当に可哀想です。ホームページで「退学」と書かれていたそうですが、ちょっと、あんまりじゃないですかね? どんな理由があるにしろ、中心メンバーで頑張っていたのに配慮が無さ過ぎますよ。「事情があって辞めることになりましたが、彼女のこれまでの頑張りに感謝し、飯田ゆかのこれからの人生が実りあるものになるよう、ファンの皆様、暖かく見守ってあげてください」みたいに書くのが当然でしょう? その程度の礼節も知らない人間がホームページ書いているんでしょうか? ここには書きませんが、映画に関連してある人のあまりにも非礼極まるパワハラ対応に、私は怒りを通り越して空しさだけが増幅していました。迷惑かけるだけになってはいかんと思って黙っているつもりでしたが、これは酷過ぎますよ。アイドルだって人間なんだから、ただの商品みたいにプロデュースする側が扱う権利はありません。私はボランティアで手伝っただけで何の義理もないから、思ったこと書かせていただきました! 飯田さん、負けずに頑張れ!

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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