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本の紹介

1,『鉄と日本刀』天田昭次 慶友社

 武術の根本的な原理を探究していて、「これは日本刀操法を研究しなければ解らないな~。そのためには真剣を入手しなければ」と思ったのが、かれこれ10年くらい前。

 本が売れて、真剣を買えるようになってからは、「これは日本刀の製作法を研究しなきゃ~ダメだな~?」と思うようになってから数年、もう武術の本よりも買ってるかもしれない?というくらい、随分と日本刀関連の本を購読しました。

 和鉄でなければ造れないとされる日本刀。

 その材料である玉鋼は鑪(タタラ)製鉄法でなければ造れない・・・。

 その鑪製鉄法も、古代から中世の頃はどうやっていたのか解らない。

 だから、鎌倉時代の古名刀を再現したいと思っても、どうやってもできない・・・。

 幕末新々刀から続き、現代日本刀作家たちもが夢みる古刀の再現。それを追究した天田刀匠が行き着いたのは自家製鋼という手法。

「古刀の材料は玉鋼ではなく銑鉄(ズク)だった」という仮説を実証するために繰り返された実験研究の記録は、伝統工芸師としての刀匠を超えて、まるで賢者の石を求めて実験を繰り返す中世の錬金術師を想起させます。

 また、現代に日本刀文化の伝統を繋げた人達の物語は、知られざる近代日本の裏面史であり、武道の世界とも繋がっていたのだな~・・・と、感慨深いものがあります。

 ここ数年、多くの刀剣関係書を読みましたが、これほどエキサイティングな本は初めてでした。


2,『基礎から始めるアクション 技斗/殺陣』高瀬將嗣 雷鳥社

 日曜日の稽古小塚師範代が持ってきたこの本をパラパラとめくった大石総教練の目の色が変わり、「うわ~、これはいいですね~・・・武道の秘訣に当たることがわかりやすく書かれてますね。僕も欲しいです」と、武道以外の本には目もくれなかった彼が、私の知る限り、初の“武道書以外の本”に興味津々の様子でした。

 もっとも、高瀬先生は「武道と殺陣はまったく別物です」と明確に言われています。

 それは、武道を侮っての発言ではなく、むしろ逆に敬意を払うからこそのものなのですが、私は研究家として「いや~、高瀬先生ぐらい武道全般を研究している武道家は滅多にいないんですけどね~(苦笑)」と、ちょっとブルーな気持ちになります・・・。

 ちゃんとした観る眼のある人ならば、この本で紹介解説されている内容が、一般の武道より深く身体操作・理合・戦術などを研究した上で構築されている事実に気づくでしょうが、そこまで気づく武道家が、今の日本に何人居るんだろうか?と思うと、物悲し~い気持ちになってしまうのです。

 パーティーの時に来賓代表で挨拶された今野敏先生は、武道と違って技を大きく、出をわかりやすくする点に感心したと言われていましたが、「武道は動きを小さく相手に出を読まれないように予備動作を無くして出すから凄いんだぞぉ~」みたいに言いたいドヤ顔をされてて、私ははっきり申し上げますが、「アッチャ~! それは安全に怪我なくやれて、その上で迫力あるように魅せるための演出でやっている訳で、それができるということは、逆説的に動きを小さく出を読ませないようにやることも簡単にできる・・・とは、思わないんですか~?」と思いました。

「やっちまったな~。今野先生~(苦笑)」と・・・。

 見た目の表現は、何を目的にしているか?で決まってくる訳で、武道はルールを決めた試合で互いの技を競うのが一般的な目的ですが、殺陣は演技として、どう魅力的に戦いの様子を見せるか?が目的なんですね。

 これが武術となると、「要するに、勝負は勝ちゃ~いいんだよ! 負けちゃったら人生終わるんだよ」の世界なので、技以上に戦術や使う武器の性能に比重が大きく働きます。

 だから、武術の場合、本当の戦闘法は隠しておいて、型なんかもわざとフェイクにしたりする訳ですね。手の内ばれたら、どんな必殺技も研究されて破られますからね。

 なので、武術を伝えるのに踊りの中に隠して伝えた・・・なんてこともある訳です。

 棒の手踊りなんかその典型例だし、カポエィラやインドの武術なんかも舞踊の中に隠したりしています。

 私が踊りを研究したのも、この事実を確認したかったからなんですよ。

 古武術の型なんて、所作の意味を知らなかったらまるで使えないものだし、それを口伝で伝えるシステムだったから、口伝が伝わらないまま型だけ伝わって意味不明になってしまったりしているんです。

 殺陣の源流は踊りです。日本舞踊には“立ち回り”が伝承しています。

 居合の名流として今に伝わる田宮流も、先代は田宮神剣流という剣舞に特化した流儀を伝承していて、現在の田宮流の型は他流に学んで先代が再編成したものだと聞きます。

 このように剣舞として伝わった居合術の流儀もいくつかあるようですし、最近、『秘伝』にて「天然理心流の棒術が棒の手踊りとして伝えられていた」という記事を読んだこともあります。

 このような実例を検討するまでもなく、殺陣が意外に伝統的な武術と重なる面があるということです。

 これが香港になると、ジャッキー・チェンやサモハン・キンポー、ユン・ピョウなどは京劇学校出身で、京劇の訓練の中で様々な武術の型も学んだようです。

 有名なアクション監督のラウ・カーリョンにいたっては中国南派拳術の名門、洪家拳のマスターでもありますからね。

 そもそも、中国の武術は、京劇の影響もあってパフォーマンスとしての表演武術が普及され、その天才的チャンピオンであったリー・リンチェイが『少林寺』でデビューしても演技に支障がなかったのも、表演という形態が演技に通じていたからでしょう。

 リー・リンチェイは、その後、ジェット・リーという芸名となって今も活躍していますが、カタチはカッコイイけれども、立ち回りで相手役の人にマジ当てしてしまったり、逆に「痛がりだった」といった噂が漏れてくるのも、アクションの技能の難しさを物語っているでしょう。

 特に難しいのは、間合と運足ではないかと思います。

 当たる間合がわかっていないと、当たらないように攻撃することはできません。

 伝統空手の寸止めという技術が、いかに高度なものであるか?は、部外者には想像もつかないでしょう。

 また、アクションでは、1vs1ばかりではなく、複数の相手と戦う様子も見せなくてはなりません。間合と運足がわかっていないと、これはとてもできません。

 ある殺陣師が空手の先生を呼んで、迫力のあるシーンにしようと空手の先生を囲んだカラミ数人が一気にかかっていくのをアドリブで倒すシーンを撮ろうとしたところ、空手の先生は何もできずにボコられてしまった・・・といいます。

 まあ、普通、空手は一対複数の練習はしないので、パニクッちゃったんでしょうね?

 無論、高瀬先生の言う通り、実際の戦いと演技としてのアクションは、まったくの別物です。

 しかし、一般の武道から失われた重要な秘訣がアクション演技の中に眠っているかもしれません。

 現に、私が武術の技を考える参考にしているのはアクション映画です。

 それは、理想的な技の用法が、そこに表現されている場合が多いからです。

 意外と武術のDVD教材なんかには、そういう具体的な技の使い方が解説されておらず、ただ、延々と型を演武しているだけのものが多いんですね。

 だから、参考にならない訳です。

 技のリアリティーという点では、かつて高瀬道場がアクションを担当していたビー・バップ・ハイスクールなんかの喧嘩殺法に学ぶ点が多かったですね~。

「あ~、これはやってないとわからないよな~」って思う描写がいくつもありましたし、発想が“武術的”なんですよ。

 昔、暴走族上がりやヤンキー上がりの人間が何人も入会してきていましたが、彼らが言うには「長野先生の発想はリアルで、俺らよりやり方が汚い」と、“そこがいいんじゃない”と言ってましたね。

 ただ、彼らは長く続きませんでした。

 どうしてか?というと、「長野先生の技は相手を殺すか半身不随にしてしまいそうだから・・・」と言うのです。

 どうも、喧嘩を楽しみたかったのに、私の技だと最初からトドメさすので必殺仕事人みたいになって喧嘩にならないから困惑してしまったみたいでした。

 しかし、こういう武術の技はアクションとして表現するには向いているだろうと思うんですけどね? どうでしょうかね?

 ちなみに、この本はDVDが非常にわかりやすいです。これで1800円というのはバーゲンセールもいいところですね。

 私だったら1万円にしますけどね~(笑)。

 うちの会員は是非、買ってくださいね(買わないと破門じゃ~っ!)。


PS;私が長い解説文を書いた『忍術忠臣蔵』という本が出ます。今年出る第一弾の本ですので、皆さん、買ってね?

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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