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松田隆智先生告別式

 急逝された松田隆智先生の告別式が西国立で開催されるということで、最期の御挨拶にうかがってきました。

 新陰流転會の千葉先生も一緒に行きたいということでしたので、淵野辺駅で待ち合わせて一緒に行きました。

 千葉先生は一度、青木宏之先生のお祝いのパーティーがあった時に水道橋のエドモントホテルで松田先生とうちの会員達でお茶した時にも同席されていらして、是非、うかがいたいということでした。

 何でも、私と同様に松田先生の御著書を読んで武術の世界に入られたそうです。

 恐らく、そんな人が斯界には大勢、いらっしゃるのではないでしょうか?

 松田先生の著作によって知られるようになった武術家には、大東流合気武術の佐川幸義先生をはじめ、台湾武壇の八極拳の劉雲樵、徐紀、蘇イク彰老師などがおられ、陳氏太極拳、心意六合拳、少林寺心意把・・・といった日本で人気が高まって逆輸入の形で中国で知られるようになった門派もあります。

 日本の古武術が注目される切っ掛けを作ったのも松田先生で、竹内流、柳生心眼流、示現流、諸賞流、そして大東流の存在を知らしめしたのでした。

 特に松田先生が原作を書かれた『拳児』以降は、この傾向が顕著になり、佐川道場に入門者が殺到するようになったり、八極拳、心意六合拳の人気が広がったりしたそうですが、逆に、海外で人気がある詠春拳や通背拳、少林拳、洪家拳などは日本ではあまり普及していません。

 元来、日本の武道愛好家は見た目より質実剛健な種目を好む傾向が強く、派手な技より実戦的な地味な技が本物であると考え、見た目のカッコイイ技を偽物視して毛嫌いしたりします。

 松田先生も典型的な日本の武道修行者タイプであり、アクロバチックな技の多い中国武術の門派より、地味で実戦本位の門派を好まれたので、その松田先生の好みが、そのまま日本の中国武術愛好家の傾向として広まったと考えられます。

 実際に、映画『少林寺』以降に日本に紹介された中国武術は派手なアクロバチックな演武をウリにする表演武術であり、実戦的な武道を好む日本の愛好家にはあまり受け入れられませんでした。

 私自身、中学時代のイジメ経験に悩んでいた時期に松田先生の本を買って太極拳への憧れを持ったのが武術の世界に触れた最初の切っ掛けでしたし、あくまでも太極拳の実戦性に魅力を感じたものでした。

 しかし、いろいろな武道、格闘技も経験するうちに、「中国武術は理論は立派だけども実戦に通用するような代物ではないのでは?」という疑問ばかりが膨らんでいきました。

 このような疑問を持つのは、事実として中国武術を駆使して戦える人に滅多に出会わなかったからです。

 先週、個人指導に来られた方も、「中国武術を20年以上学んでいながら下手すると素人より弱いのでは?と思うような人がざらに居て、しかも本人はその現実を知らずに自分は強いと錯覚している」というような話をしていましたが、確かにそれが日本の中国武術の世界の哀しい現状だろうと思います。

 そのような現実を薄々は解っていながら認めたくなくて現実逃避の妄想に耽っているうちに人格がねじ曲がってしまう人も相当に多く、中国武術マニアというと武道業界では軽蔑の対象になってしまっているのです。

 事実として、シャレにならないくらい日本の中国武術の世界には弱々しい誇大妄想狂が多く、それが未熟な一修行者なら仕方がないとも言えますが、指導者になっていたりするのですから恐ろしいのです。

 自分の弱さを弁えていれば、まだ救いもありますが、病的に盲信して勘違いしていたりする人が、ふとした弾みで他流の人と手合わせして自分の弱さに直面してしまうと、ストーカーみたいになったりする例が多いのも困ったところです。

 原因は簡単です。戦い方を知らないのに、「稽古を続けていればある日突然、戦えるようになる」というデタラメを盲信してしまっているからです。

 道具で考えれば解るでしょう。

 毎日、包丁を研いでピカピカにしていても、料理の仕方を知らなければ包丁は使えませんね。そして、使いもしない包丁を毎日毎日研ぎ続けていれば、擦り減り続けて最後は使いものにならなくなってしまいます。

 日本の中国武術の学び方は、このような本末転倒な妙なやり方をしているのです。練習している内容が使い方に結びついていないのです。

 そして、不思議にも、それを指摘して改善する人も滅多にいません。恐らく、現実逃避の妄想に浸っていたいんでしょう。

 使い方に関しては、フルコンタクト空手や総合格闘技のやり方に当てはめてしまい、中国武術本来の実戦力を発揮できないまま試合で惨敗してしまう例も多くみられます。

 これも、よく考えれば解ることです。

 空手でも剣道でも現在の試合ルールになるまでは長い試行錯誤と研究の期間があったのですから、どうしても試合をやるのならば、中国武術もそれをやらねばならないでしょうね。

 ただ、賢明な人なら気づいていますが、中国武術は極端に実戦への対応感度が高い(要するに急所しか狙わず後遺症の出る打ち方をする)ので、試合ルールを決めるのは非常に難しく、また、門派によって戦闘法もかなり異なるので、平均的なルールを制定するのも至難なのです。

 だから、「無理して試合をする意味があるのか?」という根本的な疑問も出てくる。

 私は、このような理由から武術の試合競技化には否定的な考えでいます。恐らく、松田先生も同じ意見だったのではないかな~?と思います。

 余談が過ぎました。

 二、三ケ月前に松田先生から電話を頂戴してお喋りしたのが最期でしたが、今にして思えば遺言めいた話をされていました・・・。

「長野君はもう一度生まれ変わったら別の人生を歩みたいと思うか?」と聞かれたので、「いや~、本当に金に苦労したり人間関係で揉めたり、散々な思いはしましたけど、やっぱり、同じ生き方がしたいですね~。まあ、これで金が入れば文句はありませんが(笑)」と答えました。

 すると、「そうだろ~(笑)。俺もそうだよ。苦労はしたけど、面白い人生だったよ」と笑っておられました。

 松田先生と話す時は、いつも苦労話、失敗談、武術業界のアタマがおかしい人達の話・・・などに終始するんですが、いつも笑い話に転化してしまうんですね。

 いや、もう、馬鹿過ぎて笑うしかない訳ですよ。

「武術の世界は小人(しょうじん)ばっかりだよ~」と、いつも言われていましたが、私も同感です。気が小さい人が多いんでしょうね?

 こういうこと書くと、「武術をやる人間は臆病なものなんだ。臆病だから上達できるんだ」みたいな屁理屈言うヤツもいるんですが、臆病者は上達しませんよ。必要な時に戦う覚悟を決めていないと無理です。

 だって、実際に戦わねばならない時にブルってしまって何ができますか? やるべき時にやれる人間だけが武術修行が意味あるものになるのです。

 自尊心を満足させるためだけの武術修行は害しかありません。それは自己憐憫と現実逃避にしか行き着かず、謙虚さの仮面を被った卑屈な人間を育てるだけだからです・・・。

 武術の修行は、自分の現状を否定して改善していく意志が大切なのであって、自己愛に凝り固まったまま、「そのままの自分でいいんだ」と甘く考えているような人間がモノにできるような武術はどこにもありません。

 昔、「戦えない武術ではいけないんでしょうか?」と問うた人がいましたが、戦えないものを武術と呼称する必要はないでしょう。昨今の古武術介護などというのも意味不明なネーミングです。

 戦いを念頭に置かないのなら、武術という言葉を使うべきではありません。単に身体操作法なり介護操法なり名乗れば良いでしょう。“武術”をダシにしているような不快感が拭えません。

 松田先生の主張は、常にそういうものでしたし、中国武術愛好家の多くに見られる、この手の人間に批判的でした。

 しかし、同時に松田先生は周囲の人達に愛情を向ける人でした。

 明らかに武的才能の無いようなひ弱な人達を選んで教えてあげたり、弱い人に視線を向けていたんじゃないか?と思えてなりません。

 時に物凄い雷を落として叱りつけることもありましたが、それは愛情が深いからなんだと思います。

 私も二度ほど雷を落とされましたが、どちらの時も反論しました。勝負も辞さずの覚悟で意見したこともありました。

 すると・・・「いや、俺は長野君を友達だと思ってるから言うんだよ。同じ失敗をして欲しくないからさ・・・」と言われて、(あ~、有り難いことだ)と思いました。

 私は情が薄いから人を本気で叱ったりすることは滅多にありません。そもそも、本気で叱っても通じないのが今時の日本人なんじゃなかろうか?と思います。

 煩がられるだけだと思うので、よほどのことがないと会員を叱ることもありません。

 しかし、本気で大切に思っている会員に対しては厳しいことも言います。どうでもいいと思っている会員には優しいことしか言いません。私が優しく接するのを喜んでいる人もいますが、認識が甘いですね。

 今時の日本人は厳しく言われるとすぐに心がへし折れる人が多いでしょう?

 心の耐久力が無さ過ぎますからね。

 そんな理由もあるのだと思いますが、松田先生は仲良くしていた人とも、ちょっとした切っ掛けで別れることが多かったように聞いています。

 情の深さ故に、付き合う相手を選んでしまうのかもしれませんし、ひょっとすると、相手を試していたのかもしれません。

 告別式会場には、生前の松田先生とは袂を分かつことになっていた人も何人も来ておられました。

 できれば、生前に関係を修復できたら良かったのだろうにな~と思いましたが、最晩年の松田先生が昔を懐かしむ心境になられていたことを思えば、「あ~、わざわざ来てくれて有り難うな・・・」と言われたんじゃないかな?と、思いました。

 特に御自身が研究してきた武術に関して発表の場を与えてくれた・・・と、各武道マスコミ関係者には感謝の言葉を話されてもいました。

 私の目には(利用されているだけじゃないですか?)という感覚もある訳ですが、松田先生は本当に売名欲とか金銭欲とか呆れるくらい薄い方でしたから、自身の研究が発表できればそれで良いという思いだったのかもしれません。

 私が本やDVD出しているのは、はっきり言って金ですよ。生活のためにやっていることです。情けないことに、これでしか金稼げないんだから、しょうがない・・・。

 でも、松田先生は武士は食わねど・・・的な昭和のオヤジ的な感覚の人でしたね。一緒に金儲けしましょう・・・と誘っても、全然、乗ってこられませんでした。

 告別式会場には、柳生心眼流の島津先生、通背拳の常松先生、新体道の青木先生、壮神社の恩蔵社長、メビウス気流法の坪井先生・・・といった武術の世界では有名な方が来られていました(青木先生に後で聞いたら、笠尾先生も来られていたそうですね)し、私の顔見知りの雑誌編集者やフリーのライターの方も何人も来られていて、ちょっと同窓会かな?と思うくらいでした。

 ただ、あまりにも久しぶりなので、(あれ~、この人、顔に見覚えがあるけど、名前思いだせないな~? 誰だか判らないのに挨拶するのも逆に失礼だしな~・・・)なんて思って御無礼してしまった方も何人かいらっしゃいました。

 ごめんなさい! 失礼しましたっ!

(この人、随分、老けちゃったな~?)なんて思った人もいましたが、多分、向こうも同じように思ったでしょうね~?

 何しろ、雑誌ライター辞めてから十数年経過してますからね・・・。

 あっ、そういえば雑誌ライターやる切っ掛けになったのも松田先生の推薦があったからなんですよ。

 それ以前に当時の空手道・武術(うーしゅう)の編集長だった生島さんが原稿を載せてくださったのが最初の切っ掛けなんですが、本格的にライターやったのは松田先生がプッシュしてくださったからなんですね。

 そういう経緯が無ければ、私は文筆業やれていなかったかもしれないし(プロでやれるような文才があるとは思っていなかった)、武術そのものも松田先生の御著書と出会うことがなかったら、やっていなかったかもしれないんですから、恩人という言葉では全然、足りないですね。

 実際に松田先生に教わったのは、宮氏八卦掌を三回だけほびっと村の講座を受講させて戴いたのみですが、その後、親しくさせて戴く中で、武術の心得や理論的な面でいろいろ貴重なことを教えて戴きました。

 何よりも、私の武術研究を高く評価してくださった最大の理解者でした。

 私が後悔するとすれば、何故、松田先生に直接、「教えてください」とお願いしなかったのか・・・ということです。

 陳氏太極拳・宮氏八卦掌・八極拳・心意六合拳・・・、恐らく、私がお願いすれば教えてくださったでしょう。

 でも、遠慮してしまいました。

 私が松田先生に取り入っているように思われるのが嫌だったからです。私、基本的に自分の実力で成り上がってみせる!という意志が強いので、小判鮫みたいなカッコワルイことはやりたくないんですよ。

 今、ほとんど武道武術関係の付き合いをお断りしているのも、ここに理由があります。

 けれども、今となっては後悔しています。

 他人に何と言われようと、私が人を集めて稽古会を組織して松田先生に教えを願っていれば、松田先生の武術研究の実戦性を証明できる人材を育てる自信があったからです。

 所詮、私は我流であり、それなりに中国武術の練習はしてきましたが本式に学んだものではありません。

 本式に学んでいないから研究が自由にできたという側面もあり、そこを松田先生は評価してくださっていたんですが、その上に松田先生から学べば、どれほどのレベルに到達できただろうか?と思うと、外聞なんか気にした自分の心の狭さを反省するばかりです。

 何よりも、最近の研究の進展で、「松田先生が発表して来られたことが本当だった」と確認できてきて、改めて武術に秘められた真価に感動するようになっています。

 松田先生はずっと以前からそれを感じられていたのだろうと思います。

 生前、「俺は悔しいよ。俺がもっと若ければ証明してやれるのに・・・」と言われたことがありましたが、それは武道の業界で、あまりにも中国武術がヘナチョコな醜態を晒し続けて冷笑され続けていることへの憤りであったのだと思います。

 日本に於ける中国武術家の水準は、極めて少数の達人を除いて、大半が素人と喧嘩しても殴り倒されてしまうような冗談のようなレベルであり、普通に現代武道や格闘技をやっている人達から嘲笑されるのは仕方がないのです。

 山田編集長が『合気道と中国武術はなぜ強いのか?』という本を書いたのも、一般に弱い武術と思われているからこそのアンチテーゼでしょう(会場でお会いしたので一緒に写真写りました。ろくに話したこと無かったんですが、気さくな方ですね)。

 主な原因は戦い方の研究をしない点にあり、稽古法しかないのが多くの中国武術団体の現状です。

 つまり、いざ戦う時に、どうやって戦えばいいのか?ということすら解らないのですから、これで戦って勝てる道理もないのです。

 ですが、断言しますが、ことルール無用の勝負となれば、中国武術は恐ろしい程の戦闘力を発揮し得ます!

 例えば、私の知る範囲では、この日に会場にもいらしていた通背拳の常松勝先生、呉氏太極拳の高小飛先生、先日お会いした馬貴八卦掌の李保華先生・・・といった先生方は間違いなく強いです。

 武道格闘技愛好家の間では実戦的な中国武術といえば意拳しか知られていませんが、そんなことはありません。どの門派にも優れた遣い手はおられます!

 戦い方を知っている人なら唖然となるくらい強くて当たり前・・・。それが中国武術の真相であると私は確信して疑いません。

 私は交叉法と読みを導入することで中国武術の戦闘理論を独自に解析しました。

 その結果、門派の別なく中国武術の真の実戦性を確信するようになりました。

 それこそ酔拳や蛇拳でも遣い方を解っていれば、高い戦闘力が発揮できるのです!

 晩年の松田先生とは、そのような中国武術の実戦性に関する話を随分としました。自主製作したビデオやDVDもお贈りして感想をお聞きしました。

 いろいろアドバイスも受けました。

 日本のみならず中国においても武術文化の復興を果たした第一人者である松田隆智先生と理論的交流ができる光栄を得られたことが、私の生涯の幸せだと思っています。

 できることなら、もっともっと松田先生から教えを受けたかったと思っています。

 本当に笑顔の素敵な先生でした。

 一途に道を求めて、そして楽しむ、真の自由を愛する人でした。

 自身の生きざまを通して、武術という文化の素晴らしさを現代に問うた希有の人でした。

 真のオンリーワン。松田隆智の前にも後にも同じ仕事をできる人はいない。

 あの世に行くのが、あんまり、早過ぎますよ・・・松田先生・・・。


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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
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