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現代版津山事件を考える

 山口の山村集落での殺人事件の一報をニュース番組で見た時は、「これは津山30人殺しみたいだな・・・」と戦慄したものでした。

“津山30人殺し”とは、『八ツ墓村』の元ネタになった岡山県津山で起こった陰惨な大量虐殺事件のことで、杉沢村伝説などの多くの村系都市伝説にも影響を与えたと言われています。

 結核を患っていたので徴兵をはねられた青年が、山村の集落の中で孤立し、猟銃と日本刀で武装して深夜に集落の住民を惨殺して回った末、自殺したという事件で、実録風に描いた『丑三つの村』という作品は、自殺したF・Mの主演で映画化されていて、彼が自殺したのもFが憑依型俳優だったためではないか?という話もあります。

 最初は、そのようなミステリー小説的な事件に興味がひかれただけでしたが、しかし、続報をみていくと、高齢者しか居ない集落で村八分状態になって精神的に追い詰められた犯人に同情する気持ちにさえなりました。

 もちろん、だから人を殺してもいいと言いたいのではありませんよ。

 けれども、都会に出ていて親の介護のために帰ってきたという犯人は、多少、エキセントリックな性格だったとしても根っからの問題人物という訳でもなかったようです。

 多分、寂しがり屋で自己顕示欲が強いタイプだったのではないでしょうか?

 ネットの住人には多いタイプでしょう。

 もし、周囲に仲の良い気持ちの通じる嫁さんとか友達とかが居たら、もっと明るい人生を歩けたのではないでしょうか?

 63歳と言っても、最近では年寄りという印象はあまりありません。確か田中泯さんもそのくらいだろうと思いますし、清心館の佐原先生もそのくらいでした。

 まだまだ、精力的に活躍できる年齢ですよ。

 私が、これはおかしいな~と思ったのは、“酒席で口論した揚げ句に刃物で刺された”という事件のことで、犯人が加害者だったら「そういうヤツなら、やりかねないな~」と納得すると思うのですが、その時は「被害者だった」というのですから、この事件の背景は、老人ばかりの集落の閉鎖性と、排他的な共同体の体質にこそ問題があるのではないか?と思えたのです。

 事実、犯人の集落の外の知人の談話では同情的なものが多かったようです。

 田舎特有の閉鎖的で排他的な空気。変化を好まない、時が止まったような日常が連続するだけの生活空間・・・。

 田舎で生まれ育った私には、容易に想像がつきます。

 町起こし、村起こしの類いも、老人ばかりだとやりたがらないし、都会に出た者が戻ってきて村のイニシアチブを握ろうとしている・・・という“煩わしいヤツ”という反感を買ってしまう。

 田舎に生まれ育った人間は変化が嫌いです。都会が嫌いです。目立つ人間を軽蔑するものです。

 私の弟なんて、最近はなくなりましたが、以前は都会アレルギーがひどくて、出張して出てきた時も、飯食べようと入ったお店で、わざわざ熊本弁まるだしで話して田舎者アピールをしていました・・・。

 何か露骨に対抗心が燃えるみたいで、「都会のモンはしこっとる(カッコウつけてる)」と、田舎愛が強いと都会への根拠無き憎悪が膨らむのかもしれません・・・。

 ただ、こういう劣等感まるだしの憎悪の感情というのは、新大久保でヘイトスピーチやってるような差別意識を隠さない下品さにも通じていて、本当に最低に見苦しい!ということを自覚した方がいいと思うんですよ。

 私の弟も、私がそんな話をちょこっとしたからなのか? 田舎アピール癖はやらなくなってくれましたが、何も弟が特別な訳ではなくて、田舎の人間は大なり小なり、そういう面があるんですよね・・・。

 逆に言うと、都会に出て一旗あげて故郷に錦を飾る!という精神性もあって、私も心のどこかにそういう側面があることを自覚してますよ。

 よって、私も数年前の一時期は、「50になったら田舎に帰ろう」と思ってましたよ。

 どうしてか?というと、やっぱり、こちらで生活していくのは経済的に大変だからですし、50くらいになったら私も経済的に安定していて執筆活動も田舎でやれると思っていたからです。

 田舎に戻れば、取り敢えず住む所には困らないし、家を改築して道場作って世界各国から来た弟子相手の民宿やったりすれば余生を過ごせるかな~?とも思った訳です。

 でも、やはりやめました。

 思った通りに仕事は進んでないし、何よりも、価値観を共有できる人達がほとんどいないからです。

 私の兄貴は、「よ~、都会で生きていけるな~?」と、呆れたように言っていましたが、自分も若い頃に、一時的に、こっちに住んだことがあったのですが、合わなかったんですね~(浪人していた時期だから落ち着けなかったのが大きいと思いますが)。

 田舎出身の人間が都会に出て、生活していく中で挫折しない秘訣は、何か目的があるということが第一ではないか?と思います。

 目的をもって活動していれば、自然にその目的に沿った価値観を共有できる人達と繋がりが生じていきます。私はその典型例でしたね。武術や映画を通じていろんな人脈が広がりました・・・。

 私は、やはり、田舎で暮らすのはもう無理ですね。

 そんな自分と比べてしまうので、この犯人の孤独感、疎外感といったものには同情的にならざるを得ないのです。

 仮に、私が田舎に帰っていたとしたら、この犯人と同じように浮きまくってしまったと思いますし、居たたまれないんじゃなかろうか?と・・・。

 まして、周囲に同世代の人間が居ないのでは、息苦しいでしょう?

 両親が無くなってしまった時点で都会に戻った方がマシだったのではないか?と思えてなりません。そうしていれば、こんな悲惨な事件を起こさずに済んだのではないか?

 故郷は、遠きにありて想うもの・・・ですね。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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