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久々に東京支部へ

・・・行ってきました。

 動画撮影のデータとカメラを受け取りに行くのと、入会希望の人が来るということだったので、丁度いいか?と思ったんですが、この人は来られませんでした。

 ちょっと厳しいこと書きます・・・。

 武術に限らず、どんな習い事でも、講師は真面目にやりたいと思っている人に集中したいのが偽らざる本音でしょう。

 金さえ払えば誰でも教える・・・なんて人は、まず居ないと思います。人間だから、熱意の感じられる人には金銭を度外視しても教えたくなるものです。

 うちの支部長陣は、私が会をある程度広げたいと思っているのを察して、会員を増やすように心がけてくれていますが、私は、人数は少なくとも周囲の人に気配りできる人柄の良い人に集まって欲しいですね。量より質です。

 うちの会に入会している人の人数は総数で二百は越えていますが、常連と言える人はその十分の一くらいです。入会しても全然来ない人も何人も居ました。

 仕事で忙しい人のために・・・と思って独修用の教材DVDを作っているのですから、通えない人はわざわざ入会しなくてもDVDを買って練習された方が、よほど身につくでしょう。地方からセミナーや講座に参加された人にはDVDだけで練習して相当な実力になっている人も居たからです。

 熱心な人は関西から毎月一回、通っている人も居ますし、USA支部長なんて日本に帰ってくる度に集中特訓してアメリカに帰る・・・というのを数回繰り返しているだけで、ものにしてしまっています。

 あるいは、昔、来ていたけれど今は通っていないという人でも、年賀状で「今は通えなくなりましたが、先生の本は全部買って、ブログも楽しみに読んでいます。いつか、また通いたいです」なんて嬉しいことを書いてくれる人も居ます。

 私が一番嬉しいのは、「游心流を習って心の支えになった」みたいに言ってくれる人ですね。通えなくても気持ちで繋がっていれば充分でしょう。

「興味がある。体験してみたい」と言われるのは有り難いことです。楽しんでもらいたいから、こちらもサービスしようと思って、申し込みした方が来るのをワクワクして待ってる訳ですね。

 でも、半分くらいはガッカリさせられることになりますね。

 文字通りの“興味本位で、のぞいてみたいだけ”の人だったりするからです・・・。

“見世芸”は単なるコツで簡単に会得できますが、武術を体得し駆使できるようになるには毎週通っていても何年もかかります。この点は他の武道や格闘技と少しも変わることはありません。

 うちの場合は理論を理解して練習すれば、上達度合いが異常なくらい早まったりする人も居ますが、それでも、どんな才能のある人でも、最低、週一回練習に来て三カ月くらいはかかるでしょう。

 ですから、一、二回体験しても見世物芸を覚えるくらいが関の山で、のぞいたくらいでは何の役にも立たないでしょう。

 游心流発足当初は、武術系身体論のブームがありました。「武術には興味がないけれど身体の動きを変えたい」という考えの人が随分、来ました。

 私は非常に不愉快でした。正直、「お前なんか帰れ!」と言いたいくらい嫌で嫌でたまりませんでした。

 私は武術に惚れ込んで人生捧げて研究してきています。誇りを持ってやってきている人間です。そんな人間に対して「武術には興味ありませんが、教えてください」なんて無礼千万ですよ!

 悪気がなくて言ってる人を叱るのも大人げないから黙っていましたが、私は自分の生きざまを愚弄されているような気持ちになって、「この人には本当のことは教える必要はないな」と思っていました。これはこれで私も相手を見下していることになりますから、今後は改めます。教えたくないと思ったら、最初にきっぱりと断ることにします!

 そもそも、“身体の動きを変える”というのは、一体、何のことなんでしょう?

“身体の動きの質的転換”なんてカッコイイ表現に酔っているだけで、さしたる中身の無いボディマジック?を権威的に求めているだけの人達が、実に浅ましく見えました。

 私が甲野氏が大っ嫌いなのは、あの人は武術に対する誇りも情熱も尊敬も無く、ただ自分の名声を確立する道具に利用しているだけだと考えているからです。これは多くの証拠がありますよ。邪推して言っているのではありません。

 私が尊敬できる人は、自分の選んだ道を誇りを持って純粋に打ち込んで歩いている人です。武術ももちろん、それ以外の分野でも、そんな人とだけ付き合いたいですね。

 身体の動きのパフォーマンスを上げたいのなら、むしろ器械体操をやるとかストリートダンスをやるとかの方がずっと効果的でしょう。そういう専門的な苦しい訓練をやる覚悟の無い人間が、軽いエクササイズでこなせることなんてタカが知れていることを、私は長年、痛感してきています。

 アクション関係のプロの方々との付き合いもある私の目から見たら、武道や格闘技を長年やってきたからといっても、パフォーマンスとしての身体技能は遥かに劣ります。上から目線でアクション映画とか馬鹿にする武道人も居ますが、「お前の目ン玉、腐ってんのか?」と言いたくなります。

 事実、武道や格闘技を齧った人間が自信満々でアクション俳優になろうとして、まったく何にもできなかった・・・という話もよく聞きます。

 せめて、自分のレベルくらい弁えてくれと言いたいですね。武術を学ぶ人間はもっと謙虚にならなければいけない。自惚れは自滅の始まりです。

 うちの会には女性も入会希望されることがありますが、正直、ほとんどの人が続きません。練習がきついからではなくて、何だかサークル内恋愛?を楽しみたいとでも思っているような勘違いした人が来たりすることもあって、失礼を承知で申しますが、私は女性に教えるのはあまり気が進みません。

 無論、非常に性格の良い女性も居たし、差別的な考えはしたくないんですが、あまりにもそういう人が多かったので、嫌気がさしてしまった・・・というのが、嘘偽らざる本音です。

 私は男女問わず、自分の気持ちを優先して他人の気持ちを考えない人間が嫌いです。ワガママ勝手にやりたいなら独りでやってくれ・・・ということです。

 もちろん、男でもそんな人は結構居ます。当然ながら破門にするか自然に来なくなるかのどちらかです。

 以前は自分の指導者としての未熟を反省もしましたが、いろんな先生のお話を聞いて、「あ~、どこでも同じなんだな~?」と、気が楽になりました。

 うちは来る者は選んで、去る者は追わないことにしています。

 本当に武術が好きで「身につけたい」と思っている人だけ、来てもらいたいですね。

 私は、本心から、武術は先人が命がけで創造してきた素晴らしい文化であり人生哲学を含んだ生き方を指南するものだと思っていますから、自分自身が一生をかけて追究するに足るものだと感じています。

 ただ、楽しみたいというだけなら、武術以外のものをやった方がいいんじゃないでしょうか? 武術の楽しさを理解できる人は相当、知的水準が高くないと無理だと思います。

 技を体得し、それを駆使して戦えるようになるには相当な訓練期間が必要ですし、そして・・・戦えるようにならなければ武術を学んだ意味がありません。

 型を覚えたり、組手をやったりすることだけで武術を学んでいるということにはなりません。武術は徹底して脳を使わないと体得できません。

 宮本武蔵が武術の極意について質問された時に、弟子を呼び付けて、「その方に切腹せよという殿からの御命令があった」と告げたところ、弟子は顔色も変えずに、「承知つかまつりました」と平伏して切腹の支度をはじめました。

 そして、脇差を腹に突き立てようとした瞬間、武蔵は「待て!」と止めて、「これが極意でございます」と言ったそうです。

 要するに、技だの何だのの修行は心を強くすることに意味があるのです。

 身体の動きを変えるなんて、そんなものは武術の初歩の初歩でしかないのです。

 武術は生死のかかった戦闘を想定して誕生したものなので、現代のスポーツ感覚で是非を論じることは大きな間違いなのです。

 なので、競技的なスポーツ感覚の楽しさを求めている人には合わない。

 武道や格闘技をやり込んできた人でも、うちに入会すると、まず、技の極悪さに驚かれます。“倒す”じゃなくて、“殺す”ことを明確に目的にしているからです。

 これをスパーリングで使えば不具者を量産するだけなのが誰でも解るでしょう。

 ボクシングやフルコンタクト空手などをやってきた人に限って、「こんな技を使ったら死ぬんじゃありませんか?」と、青ざめた顔をされます。ギリギリの肉体の削り合いを経験してきているからこそ、ほんの少しの違いが死に直結してしまうことに気づくのです。

 伝統的な古武術のほとんどが型稽古オンリーなのも、私は仕方がないと思います。自由攻防をやれば死人と身体障害者が毎日出るでしょう。

 けれども、現代武道にケチをつけるのも見当違いだと思います。社会性を考えれば、本来の武術のまま普及するなんか犯罪行為になってしまうでしょう。スポーツにすることで市民権を得て続けられたのだから、それはそれで先人の賢明なる処置だったでしょう。

 もっとも、現代武道が上で、古武術は型だけの非実戦的な時代おくれのものという誤った認識が定着しているのは本当に残念ですね。武術の真価を理解している人が非常に少ない・・・。

 成立している土壌が違うことを認識して、きちんと評価して伝えていくなら、混迷を深める現代にこそ役立てることができると私は思っています。

 何よりも、武術の最も優れている点は、素質や才能に関係なく老若男女が体得できるという点にあります。戦闘の概念そのものを根底から引っ繰り返してしまうのです。

 それは、戦術の多彩さと戦略思考によるものであり、表面的な技を云々してもはじまりません。それこそ身体機能と精神作用をフル活用しているのです。

 単に手のみに限っての使い方でも、拳・拳鎚・貫手・一本拳・鉤手・平拳・掌底・掌打・背掌・手刀・背刀・掴み手・引っ掻き・摘まみ手・喉輪・・・等々、多彩にありますし、前腕・上腕・肘・肩での当て身や内腕での当てからの絞め、肘から先を使った払い手や巻き手・・・等の技もまた無数にあります。

 現代の打撃格闘技では、手による技というと、概ね、ジャヴ・ストレート・アッパー・フックにバックハンドブローくらいしかないし、受け払いもパリーくらいしかやらないでしょう?

 武術には、ざっと何百倍も技のバリエーションがあり、それに従っての戦術がありますから、“使いこなせさえすれば”圧倒的に有利になります。

「少ない技を洗練させてこそ強くなれる」と説く人も居ますが、だったら数多くの技を洗練させた方が遥かに強くなれるとは考えられませんか? 少ない技を磨くことの有利を説く人の大半が、“それしか知らない”という現実があることを知らねばなりません。

 武術の実体は膨大な知識にあります。それがすべて実に巧妙に組み合わさって伝承されているので、これを学ぶことは学問的な面白さがあります。むしろ、体育的に考えると理解できなくなるでしょう。

 従来、武道をやる人は頭が悪かった実情がありましたから、恐らく、武術に秘められたあまりにも膨大な知識量に圧倒されて“神秘系”という理解不能のジャンルに押し込めてしまったのでしょう。

 一つの流派でも大変なのですから、数多くの流派を学ぶことは至難です。

 それこそ私は専門古書店が開けるくらいの本を読み、一日中、武術の技について考えていますよ。これは努力しているのではなくて、楽しいからやってる訳です。

 技を体得し、応用自在に活用できてはじめて武術の本当の価値を理解することができるのです。

 できれば、そこまで学ぶつもりの方に来ていただきたいと心から願っていますし、教材用DVDの値段が高いのも、表面的に判断してもらいたくないからなんですよね。込めてる“気”が全然違うんで・・・。


 再開した東京支部も、地道に活動して会員も増えていきそうです。真摯に取り組んで地道に腕を磨いていこうという人が、一人でも多く入ってくれたら・・・と願っています。


PS;29日の詠春拳講習会が迫ってきました。まだまだ余裕がありますから、どしどしお申し込みくださいませ

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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