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11月セミナー感想

 今年も残り少なくなりました。

 11月は、例年だと『格闘技に武術を活かす』というテーマを設けていたんですが、最近は「格闘技と武術が根本的に立脚点が違う」ということを参加者も理解してきた様子で、ほとんど誰からも、「格闘技の試合に役立てよう・・・」みたいな要求が出なくなってきましたね。

 そこで、「いろんな分野に応用しよう!」というテーマにしたんですが、これまた、受講生の誰も介護だのスポーツだのに活かす・・・みたいなことは質問されなくて、ほぼ、いつもと同様の展開になりました。

 今回は、朝に結構、大きな地震が茨城であったので、そちらの方面の方が参加されなくて、その他にも都合で休まれた方が何人かいたので、結局、10人ちょいくらいの少ない人数になってしまったんですが、練習する分には、このくらいが会場も余裕があるという皮肉な結果になってしまったんですが・・・。

 しかし、最近、来られるようになった方が、過去に甲野氏や宇城氏の稽古会やセミナーに参加したことがあったそうで、そこでやっていた内容について質問されたので、“多数に押されるのを独りで押し返す”とか、“数人に押さえ付けられているのをサンチンの動きで崩し倒す”といった、宇城氏が「気の作用」だと主張している技?を原理的に解説して実演してみました。

 結論を書きますと、別に気の作用でなくても力学的な原理で説明できるし、やり方のコツを教えれば誰でもできます。

 少しも特別なものじゃないんですね。

 私は以前から宇城氏の実演のやり方に批判をしてきましたが、甲野氏と違って武術の腕前は確かだろうと評価していました。

 ですが、1~2年前だかにユーチューブに出ている動画を見たり、雑誌の写真解説だとかDVDだとか見て、恐らく本人は自覚していないでしょうが、昔に比べて明らかに実力が落ちている・・・言葉を換えれば、感覚が鈍っているように思えました。

 宇城氏の技の特徴は、身体技法としては脱力技法と伸筋技法の折衷であり、読みによる対の先(合わせ技)を取る技能を駆使した交叉法の理論を用いています。

 昔はケレン味の無い直截的な交叉迎撃の技法を駆使していたので、非常に研ぎ澄ました印象がありましたが、最近は“気の理論”に傾倒し過ぎて意識が散漫になってしまっていますね。

 心法系のある武道の宗家は、「宇城氏は凄い、凄い・・・と皆が言うから見てみたんだけど、いや~(笑)・・・」と、失笑していました。

 当然でしょう。私ですら首を捻ったのですから、その先生から見たら、子供のような初歩的な読みのレベルにしか見えなかったでしょうから・・・。

 宇城氏の読みの技能は感覚的に磨かれた心法系なので、意識に邪念が混じるとガクッと鈍くなってしまう。それが彼の実力がガクッと落ちてしまった真相でしょう。

 私は目付けや聴勁といった五感を駆使する読みから磨いたので、多少、邪念が入っても、そんなに下手にはなりませんが、高度な察知力を養成するには心法技術に入らないとなりません。

 が、高度な技術は、それを成立させるために高度な心身のコントロールが必要になるのです。高度な技なら万能に通じる?と勘違いする人が多いですが、先鋭化すればするほど、弱点を突かれると脆くなってしまうのです・・・。

 宇城氏は“世直し”を唱えて武道教育のような路線で活動している様子ですが、私の目には甲野氏の真似をしているようにしか見えません。

 ただ、最近は知りませんが、甲野氏自身は組織的な権力欲は薄かったですね。彼は周囲の人から称賛されていれば満足していられるだけのナルチシストですから、民衆を支配したいというような権力欲はあまり無かった。

 それに比すれば、宇城氏には他者を支配してやろうという欲求を強く感じますし、相当な自惚れに毒されているように見えますね。

 武侠小説に、よく武林(武術界)の覇者になる!という欲望に塗れて権謀術策に邁進して自滅する武術家が登場しますが、まったく、そういうタイプに見えます。

 でもって、忠義心をもって批判的な直言をする弟子を「お前のような未熟者は何も解っておらん! 俺に意見するのは百年早い!」と恫喝してしまったり・・・という話も聞いてますが、人間、下手に才能なんか無い方が欲望に振り回されなくて幸せなんじゃないかな~?と思いますよ。


 おっと、話が脱線しまくりですね?

 スイマセン。

 ただね。今回、いつもの調子でノリノリで宇城氏の神技?のネタをばらしたところ、質問した方は、もう、笑っていいのか泣いていいのかわかんないような顔で、よっぽどショックだったんだろうな~?と思ったんですね。

 かなりお金をつぎ込んだのかもしれないし、天下の達人だからこそできる秘技で、私みたいなオチャラケタ人間に簡単に見破られるようなインチキな技ではない!と、思っていたのかもしれません・・・。

 でも、私も質問されなかったら、わざわざ自分で試してみようとは思わない訳ですよ。

 それくらい、もはや、私共の間では、「単なる素人騙しの演芸」だとしか思っていないから、バカバカしくって、やらない訳ですよ。

 仕組みが解ると返し方も解りますから、宇城氏の神業も私共には通じないと思います。

 実際、うちのセミナーを受講してコイン取りの仕組みを教えた人が、その後、宇城氏のセミナーを受けてコイン取りに成功してしまって、宇城氏が苦笑いしながら「たまに、こういう人も居る」と言ったという目撃談も聞いたんですが、武術をダシに演芸みたいなことばっかりやって、他者を見下していたら、そのうち、足元すくわれると思いますよ。

 それはもちろん、技の仕組みがわからない人にとっては、神業のごとく説明されれば信じてしまうかもしれません。

 しかし、よく考えてください。

 昔、Mr.マリックが出てきた時に「超魔術」のブームが興り、一世風靡しましたね。

 手品なのか超能力なのか?という議論が相当ありました。

 結論は、新しい見せ方をした手品だった訳です。

 手品はタネと仕掛けがわかったら、な~んだ・・・と笑って済ます演芸です。

 武術も、宣伝のために手品的な見せ方をする文化があります。

 鉄棒を曲げたり、槍を喉に押し付けてへし折ったり、レンガを打ち割ったり、卵の上に乗ったりする硬気功。

 空手の板割り、瓦割り、自然石割り、サンチンでの角材折り・・・なんかも宣伝のためにやり始めたんですよね。

 この延長線上に、合気道や少林寺拳法の演武、古武道大会の演武、空手の形競技、居合道の型競技、中国表演武術・・・等が成立していった訳です。

 江戸時代の御前試合なんかも、実際は約束組手的なものだったとされます。

 こういうのはパフォーマンスとして成立してきた文化なので、インチキだの何だの言うのは本来は無粋な勘違いなんですが、極真空手に始まるフルコンタクト空手や異種格闘技の試合のムーブメントの中で、従来の型や約束組手で見せる演武の意味が曲解されてしまったんですね。

 つまり、「実戦的かどうか?」という観点で「強いか弱いか」の二元論で語る風潮が蔓延した訳です。

 それが逆説的に、「演武でいかに実戦的で強いように見せるか?」という見せ方の工夫をやる人間が出てきた訳ですよ。

 例えば、合気武術系統は伝統的にこの要素が強いですし、西野流呼吸法や甲野氏もこの典型例ですね。

 これは、構造的に矛盾しているんですが、素人もプロも皆、この構造の中に惑わされてしまうようになった訳です。

 そこのところは、普段から試合やっている人達はシンプルですからね。「実際に闘ってみればいいじゃん?」という訳ですよ。

 で、あれこれ言い訳して闘わない連中を軽蔑と揶揄を込めて「神秘系」と呼ぶようになった・・・という、ここ20年くらいの風潮があります。

 中国武術も、表演武術が紹介されてから、超人的な動きを見せても実際に闘う訳ではないから「あれは形だけ」と実戦志向の日本の武道・格闘技ファンは蔑視するようになりました。

 もっとも、中国武術マニアは「伝統武術こそ真の実戦性を持つ」という考えで、こぞって中国に学びに行ったりして、意拳、陳氏太極拳、戴氏心意拳等を学んだ人がいましたが、中には「最強の秘密拳法を学んだ俺、最強!」みたいな最狂?になっちゃった人もいましたね。

 だから、私は表演武術やっている人達の方がいいと思いますね。戦闘理論教えるだけで戦闘力倍加しますから・・・。

 何でも一長一短ありますから、一面的に断定することはできません。

 ですが、武術習ってるのに身を護る技能も体得できないというのは、根本的におかしくないですか?

 私は、終始一貫して、そう言い続けてきたつもりでいます。

 そして、身を護る術というのは、肉体的に弱い人間が駆使できるものでなくてはならないと思います。

 考えてみてください。

 パワハラ、セクハラ、虐待、DV、イジメ、ストーカー・・・暴力の犠牲になる人達は、気弱な人、女性、老人、子供・・・いわゆる“弱い人”でしょう?

 暴力をふるって他者を支配したがる人間は、心が歪んでいるんです。だから、平然と暴力をふるえる訳です。

 心が歪んでいるから論理的に話しても通じない。倫理観も歪んでいるから・・・。

 武道や格闘技をやっている人間の中には、わざわざ弱そうな相手に挑んで自分の強さをアピールしたがる人間も少なからず居ます。

 私も毎度、その手の連中にからまれて困るんですけど、最近は武術の名誉を俺が護るぞ!と決心しているので、挑まれたら“ぶち殺す気”で受けるつもりでいます。

 何て非常識な!・・・みたいに言う人は、武術武道なんかに興味を持つべきじゃありません。

 武術は“護身殺敵”の目的で考案され、長い歴史の中で磨かれてきた技術を学ぶものです。綺麗事じゃないんですよ。

 しかし、誤解しないでくださいね?

 武術は暴力に対抗するための手段なのです。生命が脅かされるギリギリの瞬間まで使うべきはじゃないんです。

 私が競技に否定的なのは、基本的に「使っちゃダメでしょ?」と思っているからであり、他者と技量を比べ合うレクリエーションの要素は本来、持っていないからです。

 だから、いくら熟練しても普通に生活している中では全然、使い道がないんです。

 私だって本気で使ったこと、ただの一度もありません。

 では、全然、必要性が無いのか?と問われれば、私はそうは思いません。

 武術を修行することは生きることに対する必死の覚悟を養い、理不尽な暴力を伴った抑圧に対する最終的な克己心を鼓舞する手段たり得ると思います。

 何故、そう思うかと言うと、私自身が、「いざとなったら死ぬ気で戦ってやる!」という勇気を内に秘めて難事に当たった経験が何度もあったからです。

 結果的に使わずに済みましたが、武術を修行していなかったら、臆病な私は環境に潰されてしまっていたでしょう・・・。

 セミナー参加者の感想で、私があまりにもエグイ技を平然と教えるので、そうしなければならないのか?と悩む人も居るみたいなんですが、全然、そういうことじゃないんですよ。

 基本的に暴力に暴力で対抗することなんか許されることじゃありません!

 しかし、これは飽くまでも“建前”であり、現実に生きていれば理不尽な理屈に合わないことは無数にある訳ですよ。

 現実は理不尽なものなんです。綺麗事の理屈で片付けられるような代物じゃない。

 そして、武術は、現実の理不尽さに対抗する手段として生まれたと言っても過言ではありません。それは人間がギリギリで生きていく手段として知恵を振り絞って創りあげて伝えてきた“生き残るための戦闘術”なのです。

 私の技が徹底的にエグいのは、そのためです。軍隊格闘術を学んでいる人が驚くくらい残虐なことを教えるのも、いかに弱者が強者に勝つか?ということを考えているからなのです。

 普通のやり方で弱者が強者に勝つことは不可能なんですよ。戦いのリアルを追究しているから、こうなっただけです。

 本気で勘違いする方もおられるので、はっきり書いておきますが、うちの技を実際に使っちゃダメです!

 人体を破壊する技、人を殺す技なんですから・・・。

 じゃあ、使えない技を何で修行するのか?

 それは、「法律があれば警察や軍隊は必要ない」という論理が現実の世の中では決して成立し得ないように、現実に生きていれば、予測し得ない理不尽な暴力に晒されてしまう場合が誰の身にもあり得るからです。

「絶対、安全」と言い続けていた原発が、あ~なったように・・・。

 月並みな表現ですが、武術武道を学ぶ意義は、「人として勇気を養うこと」だと私は思っています。


PS;来年の月例セミナーの会場を変更せねばならないか?という不安があったんですが、来年も江古田ストアハウスで開催できることになりました。例年通り、毎月第二日曜日に開催しますので、安心してお申し込みください! 常連の受講生の方は一括申し込みされる方がほとんどですが、一括申し込みしても用事で受講できなかった・・・という方は回数分の振替指導をやりますので、御安心ください(最近、個人指導希望者も増えてきつつあります)。一括予約申し込みは12月8日の2013年月例セミナー最終日まで受け付けますので、お早くどうぞ。「いろんな武術系セミナーを受けたけれどもピンとこない」という方も大歓迎です。ただ、一時的に「うわ~ん、こんな簡単にできるのを、今まで騙された~?」とドヨ~ンとした気分に陥る場合もありますので、念のため・・・(苦笑)。

PS;DVDの割引セールは本年いっぱいで終了させていただきます。本当に価値を認める人だけ買ってもらう・・・という当初のコンセプトを曲げて、安くしてまで売る意味はないだろう?と思っています。高山本店さんは一割引きで売られていますから、そちらもどうぞ!

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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