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『初心者からの居合道 新陰流』小山将生氏への疑問

 奇しくも同じ相模原市内で活動されている新陰流居合道の小山将生氏の著書を町田の書店で見かけて、購入してきました。

 以前の著書には千葉真一さん、今回は若林豪さんという時代劇で活躍されている俳優さんのインタビュー記事も載っていて、時代劇ファンとして楽しく読んでいます。

 千葉さんも若林さんも柳生十兵衛を当たり役にされていたのは50代以上の時代劇ファンにはおなじみでしょう。もっと上の世代だと近衛十四郎のイメージが強いかもしれませんが・・・。

 小山氏は編集者出身の方だと聞き及んでおりますが、出版のプロだからこそ、著名な俳優への取材も可能だったのかもしれません。

 それは、大変、結構なことで読者としても楽しく読んでいるのですが・・・。

 しかし、今回の著作中には、研究家として見逃す訳にはいかない重大な間違いがありました。

 誤解されると困るんですが、ここに書くことは、「事実はどうか?」という疑問の提示であって、他意はまったくありません。

 直接、小山氏に質問すべきか?とも思いましたが、公刊された本に書かれている事柄なので、公に質疑をするのが適切か?と思って、ここに書くものです。

 私のブログは武術関係のプロの方も多くチェックしているので、本に書く以上に業界関係者に広まり易いので・・・。悪しからず、御了解ください。


 まず、著書中、54ページの「新陰流居合道について」ですが、問題の箇所は、“新陰流継承の以前より、柳生宗厳は、新當流居合なども極めていたといわれており、そのような居合・抜刀の技法も、剣術などとともに柳生家には伝えられ、それらが今日における新陰流居合道の基礎となっている”とあります。

 また、小山氏の経歴によれば、“江戸柳生流剣術”を伝承されているとのことです。

 新陰流は上泉伊勢守信綱によって創始され、多くの流派を生み出した日本剣術の母体的な流派の一つです。

 ざっと挙げても、疋田陰流(疋田豊五郎)、神後流(神後伊豆守)、松田派新陰流(松田織部之助)、奥山流(奥山休賀斎)、駒川改心流(駒川太郎左衛門)、狭川派新陰流(狭川甲斐守)、タイ捨流(丸目蔵人佐)とあり、また、小笠原玄信斎の真新陰流からは神谷伝心斎の直心流、針ケ谷夕雲の無住心剣術が出ていますし、松田織部之助の門からは近衛十四郎の最高傑作と評価が高い『十兵衛暗殺剣』の敵役、幕屋大休が出ています。

 その上泉伝の正統な伝承は、無刀取りの工夫をして伊勢守に認められた柳生宗厳(石舟斎)に伝えられ、以降、柳生家の家伝として江戸時代に隆盛します。

 当初は、宗厳の息子の宗矩が将軍家の兵法指南役となり、また後に惣目付となって但馬守となって伝えた江戸柳生と、宗厳が正統な後継者と定めた孫の兵庫介利厳による尾張柳生の二つの系脈がありましたが、江戸柳生は江戸時代半ばで衰退し、明治の頃には失伝してしまっています。

 尾張柳生は代々、継承されていき、“最後の継承者”とされる柳生厳長が苦心して育てた弟子達によって現代まで伝えられました。

 今日、日本各地で新陰流を名乗って活動している団体のほぼすべてが厳長に学んだ高弟の流れを汲むものと言えます。

 とすれば、現在、江戸柳生の系列の新陰流を名乗っている団体の出自は何か?という疑問が出るところでしょう。

 江戸柳生を名乗っていた人物としてはTVや映画の時代考証にも関わった大坪指方という方が居ました。

 小山氏が学んだのがこの系列の師であるとすれば、当然ながら名前を挙げるのが筋であろうと思いますし、もし、教授資格を得ていないから名前を出せないのであれば、その旨、きちんと公にして「個人的に新陰流を研究している」と言えば良いのではないか?と思います。

 この点は日本武術の最も曖昧にしてきた問題なので、とやかく言うつもりもないのですが、間違いを広めてもらっては困るので、研究家として指摘している次第です。

 無論、江戸柳生の伝書も宗矩の『兵法家伝書』や十兵衛三厳の『月之抄』といった優れたものが遺されていますから、それらを参考に復元した“江戸遣い”という新陰流の勢法(型)もありますけれど、それを江戸柳生の剣術だと称して指導するのは常識的に考えてもおかしな話でしょう。

 それから、肝心の“新陰流居合道”に関してですが、これは小山氏の解説は完全に間違いであります。

 なぜ、断言できるか?と申しますと、そもそも新陰流には居合抜刀術は付随していなかったからです。

 余談ながら、上泉伊勢守信綱の息子の常陸介の息子権右衛門は、父の命令で長野無楽斎に弟子入りして居合術を学んでおり、これを勘違いして新陰流の居合道だと取り違える人も居るのですが、長野無楽斎は居合術の開祖とされる林崎甚助重信の弟子であり、新陰流とは無関係なのです。ちなみに、古武術界の超有名人である黒田鉄山先生が伝承している民弥流居合術が、この上泉権右衛門の開いた流儀です。

 では、新陰流居合道とは何か?と申しますと、これは、柳生厳長と、その父で最後の尾張藩剣術師範だった厳周に学んだ鹿嶋清孝が広めたものです。

 鹿島が“新陰流居合”と称して広めたのです。

 鹿嶋が学んだ居合術は、幕末に尾張柳生の技術的再興を果たした長岡桃嶺が制剛流抜刀術を組み入れて以降、伝えられたものなのです。

 制剛流は水早長左衛門信正によって創始された柔術・拳法・捕手・捕縄・隠し武器等を総合的に伝える流派で、独自の居合抜刀術も伝えていました。

 この流儀の梶原源左衛門直景(制剛ヤワラ組打骨砕きの伝と称する)が召し抱えられて、尾張藩に広まったようで、その子、源左衛門景明から柔術と居合術が伝わったようです。

 制剛流が新陰流に併伝されるようになり、刀法に新陰流剣術との融合性が見られるようになりますが、新當流に伝わる居合抜刀術とは技法的にまったく別物で、多少なりとも居合の心得がある者が見比べてみれば一目瞭然に別物なのが判るものです。

 余談ながら長岡桃嶺は、幕末の各流儀の竹刀での試合稽古への対応を考えて、試合勢法を考案したりしており、新陰流の歴史上でも特筆されるべき名手でした。

 他流の技を組み込んでいく例としては、現代に伝わる無外流(辻月丹創始)が、併伝された自鏡流居合術(多賀自鏡軒創始。新田宮流和田平助の門人)のみが伝わって、無外流剣術そのものは失伝してしまっている・・・という皮肉な事情もあります。

 より有名な流派名で広めようとする宣伝戦略は理解できますが、文化伝統の真相をねじ曲げてしまうのは感心しません。その流儀を興した先人の努力を踏みにじることになるでしょう?

 小山氏が、これらの事情をまったく知らなかった可能性もありますが、そうだとするなら、いかにも不勉強の謗りを受けても仕方がありますまい。少なくとも古流を指導する以上は、学んだ師伝を明らかにするのは最低限の礼儀ではないでしょうか?


 かく申す私自身、様々な流儀を齧り歩きましたが、師より教授の許しを得た流儀は一つしかありません(武道医学の中伝位に相当する免許として東郷平八郎の書いた「武医同術」の書のコピーを卒業証書代わりに武道医学会の二代目会長サイード・パリッシュ・サーバッジュー先生に頂戴しています。突き指とギックリ腰治すくらいしかやってませんが、せっかく学んだんだから無駄にしないで勉強し直そうかと思ってます)。

 だからこそ、私は自分を武道家だの武術家だのと名乗る資格が無いと思っており、さりとて、これを指導するしか生活の手段が無く、致し方もなく“研究家”と名乗って教えるようになっていった次第ですが、武歴に関しては記憶している限り、正確に書いてきたつもりです。そうしなければ詐欺だと思うからです。

 もの書きでちゃんと食えるようになったら、隠居して代表は譲り、後は研究活動だけ続けて稽古は完全に趣味道楽でやるつもりなのです。私自身は、最初から広く普及するつもりも無いのです。

 それでも私が研究してきた事柄が、いろんな流儀の修行者に役立ててもらえているという声があるから、続けてこれた訳です。

 事情を知らない人はギョッとする話ですが、元来、武術武道の世界は、経歴詐称、流派捏造が大半と言っても過言ではありません。八割九割がそうなんですよ。私も最初は唖然となりましたから・・・。

 が、だから、「自分もやっていいんだ」ということにはなりません。

 流派や団体の正統論争なんか糞食らえだと思っている私ですが、間違ったことが広まって武術武道が誤解されていくことだけは容認できません。

 正しい情報、正しい知識が広まれば、武術武道という文化が世の中に貢献できる要素は極めて多大だと思うからで、そのために個人の考えで伝承内容を破壊してしまってはいけないと思うのです。

 世の武道家の多くが、ただ自分の腕前を磨くことにしか興味がなく、無批判で従順な弟子を可愛がり、遅々として上達しない弟子に十年二十年三十年と愚直に練習を積み上げることの重要性を説き、自分に及ばない弟子の未熟をほくそ笑むような不合理な指導をしています。

 武道の世界は“馬鹿”を称賛し、“愚直さ”を美徳とする愚かな風潮を延々と続けてきました。

 その結果が、嘘と間違いと嫉妬と頑迷・・・その結果としての独善思考の持ち主の巣窟となり果てています。

 文化として腐っている現状を、なぜ、改善しようとしないのか? 自己保身と現実逃避の区別もつかない人が多過ぎるようです・・・。

 けれども、個人が造作もなく情報発信できる時代で、間違いを延々と定着させ続けることはできないでしょう。やってる人間に洞察力が無くとも、外部にそんな人間が居ないとも限らないからです。

 ただ、真面目に練習してさえいれば良い・・・という時代ではなくなったのです。

 少なくとも指導者たる者は、まず、人を指導するに足る知識・技術・見識を磨いておくのが先決であり、自身の学ぶ門流について如何なる質問にも答えられるように生涯に渡って日々の勉強を欠かさないでいることは最低限の心得るべき条件でしょう。

 営業能力は指導者にとっては“外の物”なのです。無くとも構わない。

 普及することを急いではなりません! 間違いが広まるより失伝させた方がマシだというのが日本の武の伝統だからです。

 武術に限らず伝統文化を継承していくという行為には大変な責任が伴います。現状が、いいかげんな業界だから自分もいいかげんにやって良いということにはなりません。

 これまで、あまりにもいいかげん過ぎたからこそ武術の文化伝統は社会的評価が得られて来なかった・・・。

 だからこそ、次代を担う我々は改革の志しを持たねばなりません。それには、「事実は事実としてしっかり提示すること」であり、私心を持ち込んではなりません。

 以上、自戒を込めての斯界への提言とさせて戴きました。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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