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10月セミナー“剣棒術”と大阪日帰り旅行

 10月は、初の本部道場での月例セミナーでした。

 20人越えていたので、ちょっと手狭でしたが(剣術だから尚更)、外部ではできない試し斬りを今回は十二分にできたので、まずは大成功かな~?と思います。

 小塚師範が用意してくれた畳表が五枚に、新陰流・制剛流を現在、本部道場にて毎週土曜夜に開催している千葉先生も一枚用意してくれていたので、都合、六本のマキワラを用意でき、一本を3~4回、斬ってみました。

 前半は、剣術と半棒術の共通する技法をいくつかやりました。

 毎回、同じような技ではつまんないと思ったので、今回は割りと剣術らしい技もやりましたよ。九鬼神伝流とか示現流とか馬庭念流とか・・・。

 この辺は新陰流を習うようになってから閃いた技法なんかも加えて、最近は剣術と半棒(杖)術と素手の体術が原理的に重なってきた印象があります。

 このような原理的なアプローチをしていると、いろんな武術が流儀を超えて融合していく感触が得られます。どの流儀が凄くてどうしたこうしたとかほざくバカは游心流にはいりません!

 流儀を超えれば、武術の技が勝手にどんどん発展していくので、非常に面白い!

 私は常々、「こんな面白いものを、何で皆、興味を示さないのかな~?」と、不思議でたまりません。

 素質も才能も関係なく、運動音痴でも理解力さえあれば体得でき、老若男女の別なく上達できる・・・こんなスポーツはどこにもないでしょう?

 武術は凄い! 人類が発明した身体技法として最高のものと言っても過言ではないと思います。

 何しろ、“凡人を超人に変えることができる”のですから!

 思うに、ほとんどの武道、格闘技の愛好家が、武術の真価を知らないままスポーツ理論で解釈しようとして失敗してしまっています。

 ごく少数の感覚的に優れた才能のある人だけが体得しながら、理論化して誰もが学べる稽古システムを構築できないまま、延々と続いてきている・・・それが現今の武道の世界です。

 いや、格闘技の世界はまだ進歩的です。日進月歩していると言っても良いでしょう。

 けれども、それは競技という枠組みの中での進歩なので、枠組みから出られない思考の限界はあるかもしれません。

 多分、日本の武道はこれ以上、発展しないと思います。組織的な運営のことしか考えておらず、肝心要の技術論をそっちのけにしてしまっているからです。

 その分、海外の方がどんどん発展していくでしょう。技術革新に熱心だから。

 それはそれで仕方がないかもしれませんが、私が武術文化をちゃ~んと発展させて超絶達人を何人も育てれば、数十年後には日本が武術の国として再び尊敬を集められるようになるでしょうから、10年や20年はしょうがないですね。裸の王様化しても・・・。

 私が剣術に拘るのも、日本の武術の根幹がそこにあると考えたからであり、それは間違っていなかったと今は言えます。

 剣を知らなければ日本の武術は理解できないと断言します。

 今回、敢えて参加者全員に真剣で試し斬りを体験してもらったのも、一撃で人間の生命を奪うことのできる武器を持つ・・・ということの重みを知ってもらいたかったのです。

 銃と違い、日本刀は使う者が殺す意志を固めて真剣に斬りつけなければ殺すことはできないでしょう。

 銃は殺す意志が無くても引き金を引くだけで銃弾が飛び出してしまうのです。

 これでは命の重みを噛み締める時間も無い。

 日本刀は殺すか殺されるか?という決死の覚悟を持つ者に要求します。使う者の心次第で凶器にもなれば、決死の覚悟で命を護る武器にもなるのです。鉄人28号みたい?

 私が特に居合術に惹かれるのは、一瞬に殺すか殺されるかを決めて使う武術だからで、徹底的に護身制敵に特化しているからです。

 そこには競い合いの娯楽性は無く、生きるか死ぬかの徹底した峻厳な選択があります。

 何をどう言い繕ったところで、武術は人の殺し方を学ぶものです。綺麗事ではありません。

 ですが、何で人は人を殺すのか?という生存本能の問題に直面する時に、人間の理性は宗教や哲学、倫理学を生み出してきました。

 それが逆に殺人を奨励する理由付けにさえなりました。

 世界中の宗教戦争や、イデオロギーによって殺される民衆(ナチス、ポル・ポト、天安門・・・etc)の問題の根本に、破壊と暴力の本能があります。

 イスラム国に参加しようとした学生がジャーナリストに話した理由に、この本能の問題が現れていたように思いました。

 そのジャーナリストも驚いたそうですが、私は、別に驚きはしませんが、「あ~、ここまで日本人が腐ってきたのか~?」とは思いました・・・。

 その学生は、「このままでは1~2年のうちに、どうせ自分は自殺する。それならイスラム国に入って戦って死にたい」と言ったのです。

 以前、アフガンゲリラ、ムジャヒディーンに入った日本人、田中光四郎氏は、酒を飲んでいる席で、「私は人を殺してしまった。生きてる価値のない人間です」と泣かれた。

 また、ベトナム戦争、朝鮮戦争で戦った某氏は、「国のためによく戦ってくれたと称賛されていなければ、罪の意識に苦しめられて、とても正気を保てないだろう」と言われました。

 そのくらい、人を殺した罪の意識は重く心にのしかかる。

 この学生は、自分の人生を終わらせてしまいたいくらい満たされない想いがあるのでしょうが、はっきり言って現実逃避!

 通り魔事件を起こすのに似た感覚で戦場に行きたいと考えただけで、戦地の人達のために戦おうという意志なんか微塵も無い!

 しかし、ある意味、正直かもしれない。自分の破滅願望をストレートに告白しているのだから・・・。

 でも、私が言いたいのは、「死にたきゃ~、他人に迷惑かけないで勝手に一人で死ね」ってことです。こんな腐れ金玉野郎に銃なんか持たせて何人殺されるか?と考えただけで、胸糞が悪くなります。

 今、大ヒットしている『るろうに剣心』。この作品が人気があるのは、幕末には人殺しのテロリストだった男が、明治の世に人を殺さないで人助けをすることで贖罪の願望を持ちながら、出会った人々との繋がりの中で生きていく意味を掴んでいく・・・という、人間の弱さと優しさを描いたストーリーだからではないでしょうか?

 ここには単純な正義のヒーローではなく、綺麗事ではなく生きることの難しさと希望を描いている点に、魅力を感じる。

 私が武術に心惹かれるのも、殺人の技術を修練するものでありながら、それは生存戦略への徹底的な探究によるものであり、最終的には敵を殺さず活かすという哲学的な地点にまで到達しているという点です。

 どんな理想論を唱えても現実に暴力に訴える人間は居ます。話しても通じない相手は居ます。暴力で他人を支配しようとする人間は居ます。パワハラ、セクハラ、DV、いじめ、幼児虐待・・・一見、平和に見えても暴力は日常的に、学校や職場や家庭の中にさえあります。

 だから、護身の知恵と技術は必要なのです。

 いくら人間に理性があっても、酒や麻薬で理性が眠り込み魔がさすことは誰にでもあります。原始的な本能には野獣の闘争本能もありますから・・・。

 武術は、人間の理性で本能をコントロールする術です。

 簡潔に言えば、悪心・邪心・弱心を滅することが武術の心法なのです。

 それは自分に対してでありながら、敵対する者に対しても同様です。

 生きるか死ぬか・・・という観点で考えるから、このような認識が芽生える訳で、単に娯楽として取り組んでいても得るものは目糞並みの自己満足でしかありません。

 生きていれば、時に理不尽な暴力に遭遇することもあります。その時に暴力を跳ね返すチカラが無いといけないでしょう? 武術はそのチカラになります。

「武術なんか役に立たない」と言う人も大勢、居ます。しかし、その人達は武術の真相をまったく解っていないだけなのです。知らないから簡単に否定するのです。

「そんなことはない! 俺は~流免許皆伝だ!」と言う人も居るかもしれませんが、免許皆伝でも技と型を知っているだけでは何の役にも立てられないでしょう。重要なのは応用能力です。

 暴力に対する手段は、いっくらでもあるんです。それを考えつくチカラもまた武術なんですよ。

 そして、その根本には“覚悟”があればいいんです。

 覚悟って何か?

 諦めと希望です。

 日本刀を初めて持って試し斬りに挑戦した参加者の皆さんは、この言葉の意味が何となく御理解戴けるんじゃないか?と思います。何故なら、迷いがあったら試し斬りは成功しないからです・・・。

 下手したら大怪我してしまう・・・という恐怖心を乗り越えて真剣を振り、マキワラを両断するというのは、経験の無い人にとっては相当な精神力が要ります。

 慣れてしまうと怖さの感覚が鈍るから、逆に怪我しやすくなったりします。

 それでも、この日は、今までで最も出来が良かったと思います。ほとんどの人が成功していましたし、一、二回失敗しても単に距離の目測を誤っただけでしたから。

 あるいはマキワラを水に浸け過ぎてヘタッてしまって難しくなったりしていました。わずかにでも刃筋がブレれば、マキワラがぐにゃっとなって刃が食い込まなくなる。

 これを防ぐには細竹を入れるか、水に浸さず、そのまま巻いてみてもいいかもしれません。

 要望があったので、また寸勁斬りもやりましたが、段々、簡単に斬れるようになってきました。集中しなくてもやり方を身体が覚えてきたのでしょう。

 それにしても、他人がやっている様子を観察するのも研究になります。上手に斬れる人も失敗する人も、それぞれの理由を考えて、よりよく斬るにはどうすればいいのか?というポイントが明確になってきますから。

 だから、上手とか下手とかではなくて、上達するためのコツを探り出していくために練習する訳ですね。

 自分のことしか考えない人はなかなか上達しませんが、これは自分を客観的に観察して改善すべき点を自覚すれば変わっていくんです。そのポイントが判らないまま自己満足の練習を重ねても結果に繋がりません。

 この点を勘違いしている人が多いんですよ。

 まず、観察すること。そして、上手い人の真似をする。それだけでも、かなり上達できます。

 小塚師範に手裏剣もやってもらいましたが、全員の視線が集まると緊張してしまって、調子が出るのにちょっと時間がかかりましたけれど、後ろ向きに三本同時に打って刺さった時は、皆がオオ~ッ!と、思わず声を挙げていました。


 セミナーが終わってから、この日は大阪に行きました。

 小説講座の先生が大阪方面の生徒さんたちと勉強会をやるそうで、私も親睦会から参加することにしたからです。

 時代小説作家の中で、今、最も売れているお一人の上田秀人先生も来られるということだったので、私も上田先生目当てで行くことにした訳です。

 時代小説といえば、一番売れてるのは佐伯泰英氏と言われていましたが、ここ最近では上田秀人先生が一番の注目を集めています。私も個人的に上田先生の作品の方が読みやすくて楽しめました。

 スーパー台風が来るとのことで、泊まってしまうと、朝に帰る時に台風で新幹線とか止まってしまっているとマズイな~?と思い、私は親睦会の途中で帰りましたが、上田先生やメーリングリストで交流していた生徒さんとお話したり、武芸考証をやらせてもらった小説家の平茂寛先生に鉄扇術の説明をしたり? 面白かったです。

 私は持病のせいか、実はあまり旅行が好きではありません。

 最近で遠出したのは、静岡の佐野美術館に源清麿展を見に行ったくらいですが、それも一年近く前です。それ以来、遠出はしていません。

 田舎にもさっぱり帰っていません。

 大阪に来るのも、分裂騒動前に大阪支部の講習会に来た時だから、7~8年前になりますかね~?

 何回来ても地理的にさっぱり解らなくて、今回も早めに到着したので講習会場に行こうとしたものの、皆目、解らず、駅で探してもらって到着しました。

 でも、親睦会場はもっと解らなかったので、助かりました・・・。

 武術やってたお陰で、いろいろな分野の人達と交流できるので、有り難いことです。

 もっとも、武術以上に、自分が小説書くようになろうとは、夢にも思いませんでしたけどね~。何しろ、文芸修行はしたことなかったですから・・・。

 今は、作家デビューは新人賞取らないと無理と言われますが、新人賞取ってデビューした人達も1~2年のうちに消えてしまうのが8~9割という恐ろしく厳しい状況です。

 だから、デビューして作家として生き残っていくのは並大抵の努力ではできないことだと思います。

 私は、どう考えても普通の王道の小説は書けないし、書きたいとも思っていません!

 自分の適性を考えたらラノベか漫画原作だと思うんですよね~。

 典型的な中二病のオッサンだからな~?

追伸;来年の月例セミナーは本部道場でやります。来年の一括予約申し込み割引セール期間中ですから、是非、御利用ください。今年は後、二回。江古田ストアハウスです。それから、支部活動は、東京支部、橋本支部横浜支部ですが、相模原メイプルホール(第一・第三・第五木曜夕方7時から9時)は私が直接指導しております。近在の方は是非、どうぞ。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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