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今年の目標

 2015年の目標としては、まあ、私個人はいろいろあるんですが、どこまで実現できるかは時代の要請?みたいなものも確実にあるので、ここに書いても仕方がないな~?と思っています。

 取り敢えず、年末ギリギリまで直し作業をした『時代劇の間違い探し』(新人物文庫より刊行)が今月中には出ると思いますが、これは共著ですから、自分のメインの本も今年は複数出したいですね。
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 それはそれとして、游心流の活動としては、常設道場を目一杯活用していきたい。

 特に発勁の練習というのは対人では充分にできないので、サンドバッグ・トレーニングは早急にやりたいですね。

 発勁の威力は空手のマキワラ板も簡単にへし折ってしまったりする性質のものだし、威力が浸透するので、キックミット越しに持ち手の身体にダメージが蓄積されがちなので、サンドバッグでしか練習できないんですよ。

 それも柔らか~いサンドバッグの方がいい。浸透力と波紋効果の練習のためです。

 全力で打ち込む身体感覚を体得しておかないと、どのくらいで人体に致命傷になるか?という見極めができないと思うんですね。

 力一杯殴るのと真逆なんで、どの程度の威力が対象に作用しているのか?というのが非常にわかりにくいんです。

 私ができるようになったのは20代半ばだったんで、30年近く試行錯誤を繰り返してきた訳です。

 ポンと打っただけで、サンドバッグがドバーン!と真横に弾けた時はビックリしましたもん。

 それまで全力で打ったって、斜めになる程度でしたからね。

 しかも、ほとんど拳を接触させた位置からポンッて、体重乗せただけで、そんなになっちゃうんだから、そりゃあ、最初は驚きましたよね。

 普通、パンチ力って、持って生まれた先天的要素で上限が決まってしまう。どんなに練習を積んでも、一定以上には威力は上がらないものですし、身体のでかい重いパンチが打てる相手に小柄で軽量な人間はパワーではとても勝てないのが原則なんです。

 私も、発勁使えるようになるまでは、人並みの威力しか出せませんでしたし、体重が10kg重い相手に打ち合いでは勝つ自信がありませんでしたね。

 これはボクシングや柔道やレスリングが体重制になっている点でも明らかでしょう。スポーツ格闘技では常識なんです。体重に10kg差があったら、もう勝負にならないんですよ。

 武術マニアが発勁に憧れるのは、この格闘技の常識を逸脱している点なんですが、現実にできる人があまりにも少ないから、「あんなのは嘘だ」と決めつける人がフルコン空手やキックなどをやっている人には大多数だったんですね。

 まあ、それは無理からぬと思います。限界ギリギリに身体を鍛え抜いた揚げ句に獲得した威力を、「コツを知れば簡単に越えられる」なんて感情的にも容認できないでしょう。

 私も半信半疑でしたね。それまでも、いろいろな打撃技を分析してはきましたけど、自分ができるようになって初めて、「何じゃ、これは? この威力は一体、何だ?」と思ったもんです。

 自分の体重が52kgの当時、90kg越した人と組手やった時に、その人が体格差があり過ぎて可哀想だと思ったんでしょう。攻撃を止めて打たせてくれたんですよ。

 でも、こっちとしては「バカにしてんの?」って思うじゃないですか? まだ若かったし・・・。

 それで、“よし、どのくらい効くか使ってみよう”と思って、寸勁でバンッって打ったんですね。そうしたら、その人が数m後ろに弾き飛んで、「長野さん、パンチ重いっスね~?」と驚かれてました。

 けれども、この当時は効かせ方は知らなかったんで、体格差があっても大丈夫だな~と自信がついただけで、それだけでは武術的に使えないと解り、結局は基本に戻って地道に練習する以外に武術の王道は無い!と気づくのに時間はかかりませんでしたよ。

 発勁は現実に一撃必殺の威力は出せると思いますが、それを成功させるには戦闘法を体得しないとダメなんですね。普通の打撃格闘技と同じ戦い方をしてはダメです。

 けれども、「いざとなれば一撃で倒せる」という自信があると、そんなに劣等感は感じないで済みます。数発食らっても、一発返せば逆転できると思ってましたから。

 実際、フルコンタクト空手や伝統空手をやってきた人達にやって見せると、「こんなパンチは食らったことがない」と、非常に驚かれます。身体ごとふっ飛ばされるような威力がパンチで出せるとは想定外で信じられないと言われます。

 もちろん、流石に、いきなりできた訳じゃありませんからね。武道・武術の本に書いてある練習法は一通り、何でも試しましたよ。

 特に参考にしたのが、青木宏之先生の『身体は宇宙のメッセージ』や、戸隠流忍法体術の“身体で突く突き”でした。要するに、拳に全身の重さを乗せるということです。

 その“重さ”を利用することから身体の中の重心移動を加速度をつけて利用するという方法論に到達した訳ですが、そのためには脱力体が肝心だと気づいた訳です。

 で、脱力技法の研究が合気の研究にも繋がり、応用発展していった訳です。

 しかし・・・脱力技法が、ここまで武術的な高みに到達させる鍵だとは予想していませんでしたよ。

 一歩動いたら倒れる・・・というくらいグデングデンに酔っ払った状態でも戦えた時は、後から、「何で勝てたのか?」と分析しまくりましたよ。

 インフルエンザで40度近くの高熱で身体がフラフラの時でも、太極拳の技で空手有段者を吹っ飛ばすことができましたからね?

 もちろん、こんな状態で普通の試合とか組手とかは無理です。

 でも、交叉法なら使える。

 ただし、交叉法も戦闘法の一部であり、発勁や化勁と組み合わせて用いないと意味がありません。極論すれば、交叉法は一瞬の接触点を作り出すのが目的なんです。

 この、一瞬のペタッと貼り着く瞬間に相手の重心点を探り出して、ほんの僅かでも居着かせることができれば、もう私が勝ちなんですよ!

 一瞬でいいんです。重い発勁を打ち込む時間があれば、一発で確実に倒す自信があります。

 とまあ、こう書けば、「一瞬の間に人間はパンチを避けられる」とか言う人もいますよね? でも、私の言ってる一瞬というのは、拳や掌を触れた状態から重心力を打ち込む一瞬であり、流石に、触れてるところから避けられる人は、ほとんどいませんよ。

 とにかく、触れてしまえば誰にも引けを取らない自信があります。拳だけじゃなく掌でも肘でも前腕でも肩でも、どこからでも発勁打てるからです。

 無論、反撃される可能性はあります。こっちが触れてるということは、間合が密着している訳ですから、相手も投げ・絞め・逆技なんかを繰り出す余裕はあります。

 しかし、密着したところから一発で相手を悶絶させられるような威力の当て技を繰り出せますか? 私はそれができるから自信がある訳です。

 普通の武道や格闘技にはそんな技はありません。ほんの少しの差でしかないんですが、その一手が有るのと無いのとでは“戦闘法がまったく変わってしまう”のです。

 0距離打撃の技というのは、実はいろんな流派の奥の手としては伝えられています。

 けれども、奥の手であるからこそ一般には知られないまま伝えられ、伝説的な扱いをされてきたのです。

 私はそれを先に感覚的に会得してしまい、後追いで理論や実用法の研究をしてきた訳ですが、技として洗練させるには感覚そのものを高めるしか道はありませんでした。

 この感覚を高めるのに、どれだけの年月と労力を費やしたのか?というのは、もう解りませんが、武術の勝負に於いては、これが解るかどうかが分岐点なんだろうと思えますね。使えるか使えないか?の・・・。

 この感覚をより鋭敏にするのに、推手の訓練も役立ちますが、私は剣術でもやりましたね。ある程度以上の勝負になると感覚の勝負になるんですよ。力やスピードは関係なくなります。それこそ無住心剣術の世界ですよ。

 だから、剣術に力を入れるようになった訳です。

 真剣でやれるようになれば、素手だと圧倒的に楽にできるようになります。

 試し斬りも、これは寸勁斬りに応用できるんですよ。

 試し斬りも、数多くやると、単なる斬撃力とは別の、対象の表面・芯・反対側の表面・その先・・・へと意識が移っていきますね。斬る感覚は剣体一致でないとダメですから。

 手裏剣もそう。

 打つ瞬間に、「あ~、これはうまく飛んだな~」とか解るようになってくる。

 独りで練習する武器術には、そういう次の瞬間の洞察力を養う面があると思います。

 最近、練習中に何も指示しないで勝手にやらせて、観察したりすることが多くなっているんですが、実は、私自身は、“読み”の訓練をしているんです。

 練習というのは実戦の代わりにはなりません。

 どれだけ実戦的だと想定できる内容でも、練習は練習です。

 何故なら、仲間うちで互いに殺気を出して戦う・・・なんて練習は、できる道理がないでしょう?

 仮に、「俺たちはそういう練習をしている!」と断言する人がいたら、単なる勘違いか、あるいは「一生、武術を理解できない馬鹿者」か?の、どちらかです。

 私は最近、確信が持てました。

 武術の実態は“殺人術の訓練”なんですよ。現象としては、それ以外ではないんです。

 無論、武道は違います!

 格闘技も違います!

 でも、欧米のコンバット・シューティング、タクティカル・トレーニング・・・これらは本質的に武術と同じものです。

 拳銃やアサルトライフル、ショットガン、ナイフなんかを使って、現実に敵を抹殺する技術を訓練しているからです。

 私の言ってることがお解りでしょうか?

 剣道家で師範クラスになっても、真剣を一度も触ったことがないという人は珍しくありません。そういう人は、剣道の技術を用いて人を殺せるかどうか?なんて、恐らく考えないでしょう。

 もし、リアルな殺傷技能としての剣道の技を考えたとしたら、その人は間違いなく真剣を入手して、いろいろなものを斬って試す筈です。

 そして、従来の剣道に疑問を持つでしょう。面・籠手・胴・喉しか狙わないのは不合理ではないか?と・・・。

 武術には、原則的にそういう制約はありません。勝てばいいんです。だから、何でもやります。

 いかなる状況でも即座に応じて咄嗟に応用変化できること・・・これが大切なんです。

 逆説すれば、そういう応用力を発揮できない競技武道や競技格闘技、あるいは様式美しか求めない型武術・・・というものには、私は興味が持てないんです。

 別に否定はしません。やりたい人はやってください。

 私だって、ボクシングや女子プロレスを見るのは大好きですし、アクション映画を見るのは、もっと好き!

 けれど、だいたい、普通の人間は、人と人が殴り合ったり血を流しているのを見るのは嫌いなものですよ。暴力が好きというのは変態だけ。そこは弁えていないと人間失格!

 スポーツというのは、ルールを決めて技の洗練度を競うところに醍醐味がある訳で、やるのも見るのもゲーム感覚で楽しめる。

 だから、「不謹慎だ!」と非難されていたサバイバルゲームも、最近は、ようやく市民権を得つつあるでしょう? ルールをきちんと決めて、ゲーム感覚で楽しんでいるから、いいんですよ。

 もし、「サバイバルゲームをリアルにやろう!」としていったら、それこそB級ホラー映画みたいになりかねないですよ。

 妙な実戦だのリアリティーだのと論じるようなヤボなことを言っちゃダメなんですよ。

「ウソだ! フェイクなんだ!」と、きちんと弁えていないといけません!

 武術の練習も、そうです!

 練習仲間同士、自分たちのやっている内容をきちんと理解し、何を練習して、それは何を目的にしているのか?という点を明確に意識している必要があります。

 うちの練習は、基礎的な身体の練り、二人組んでの読みと交叉法の訓練、差し手からの総合体術の訓練、剣・棒・居合・手裏剣・試し斬り・・・等々をやりますが、練習後はファミレスで会食しながらいろんな話をしています。

 実は、このいろんな話をしながら武術的な考え方、つまり、いろんな状況への応用法を工夫する戦略戦術思考の訓練をしている訳です。

 だから、練習が終わったら、さっさと帰る・・・という人より、一見、無駄に思える会食に付き合って私や幹部連中の話に耳を傾けている会員の方が圧倒的に上達が早い。

 具体的な技の秘訣を話すこともありますが、技の原理を対人コミュニケーションに応用することを工夫したり、あるいは、その限界を示して、武術的な考え方に拘泥し過ぎて本質を観逃してしまうことの防ぎ方なんかも話します。

 結局、ものを考えないで練習に没頭しているだけの人は、武術に関しては決してものにならないんですよ。

 無論、練習しなくてもいいということではありません。

 練習の目的をきちんと理解した上で、適切な量をこなして体得していく点に意味がある訳で、そうでなければ、いくら技の外見を綺麗に演じられても、丸で戦えない・・・という甲野氏のようなコントみたいな事態になってしまう訳です。

 甲野氏がミカエル先生に片手で刀を奪われてしまう動画は、実際のやり取りのほんの一部だったそうです。実際は顔を真っ赤にしてマジになっている甲野氏を苦笑しながらミカエル先生があしらい、最後の突き技はわざと受けて甲野氏の体面を保ってあげていたらしいんですね・・・。

 本人は気づかずに「やったぜ~ぃ! ミカエル先生から一本取ったぜ~い!」とはしゃいでいたそうですが・・・本当に恥を知らないにも程がありますよ!

“華拳繍腿”という言葉が中国武術の用語でありますが、見た目が美しくても実用の役に立たない技では武術としては本末転倒なんですね。

 理想としては美しい動きで尚且つ、達人!というのがいいと思いますが・・・。


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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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