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ほびっと村“活殺自在”感想

 新年第二弾は、西荻窪ほびっと村学校での講座でした。

 うちの会員さんには柔整師や整体師や鍼灸師がやたら多く、東洋医学についても基本的なことを知ってる人間が何人も居るので、ことさらツボ・急所や経絡なんかについても講義したりしていないんですが、知ってる人間は別として、大半の人間はそういうのを知らないので、「そういえば、俺は急所の知識とか、あんまり教えていなかったな~?」と思い出して、今回はかい摘まんで教えてみようと思った次第です。

 で、参加者も常連さんが多かったんですが、「先生が時々、ここが急所でって説明するのを聞く程度で、あんまり教わっていません」と言われました。

 自分が知ってると当たり前過ぎて、わざわざ説明しようとしなくなるんですよね?

 でも、いやしくも武術を学ぶ者としては基本的な殺活のツボ(急所)は基礎知識として知っているのがモア・ベターです。

 昭和の武道家だったら当たり前にそういう急所の知識もあったのですね。

 20年以上前に習った、ある中国拳法の先生は、「柔術なんかの組み討ち系統の技は知らないし苦手」だと言われていましたが、「じゃあ、そっち系の技なら勝てるかも? 何せ、天下の?甲野さんやキムタツでも俺に掛けられないからな~。フッフッフ・・・」と、お調子こいていたら、ある時、コロリンッとひっくり返されて唖然としたことがありました。

「柔術とか苦手って言ってたじゃ~ん? 嘘つき~」って思いました。

 この先生、何げに急所の知識が凄くて、耳裏下の独鈷のツボとか足三里とか無意識にスッと責めるので、何だかプロの鍼灸師でもできないだろ~?ってくらいでしたが、昭和の本物の武術家に学ぶと、そんな具合に自然に身についてしまうのかもしれませんね。

 急所のツボについて一般的に解説したのは、少林寺拳法の宗道臣が最初だったと思います。宗先生は古流柔術出身だからでしょう。“経絡秘孔”という言葉を初めて世間一般に広めたのも、カッパブックスから出た宗先生の『秘伝・少林寺拳法』が初だと思います。

 この本が無ければ、眠狂四郎のライバル陳孫も、北斗の拳も生まれていなかったかもしれません・・・。

 けれども、意外にも中国武術だと鷹爪拳などを除いて拳法家は急所の知識が無い人が多い様子で、詳しいのは擒拿(チンナ)術の専門家です。チンナ術は筋肉の筋目に指先を食い込ませたりする技(分筋錯骨法)があるので、筋肉系のツボに詳しくなるんですね。

 ちなみに私が学んだのは杜式擒拿術で、この杜先生はシャワイジャオの名手でもあったと後に知りました。

 ツボを直接攻撃するのは点穴術という独立した武術がありますが、大体は拳法や擒拿の中に折衷されて伝えられています。これは日本の柔術と同様ですね。

 ただし、ツボそのものは指圧や鍼灸といった東洋医学からアプローチした方が、もっと詳しく学べるでしょう。武術だと人体を破壊する目的で使う殺点が中心になり、「ここは狙ってはいけません!」と、少林寺木人拳の蛇八歩の術の遣い手の尼さんみたいなことを説教した上で教えます。

 急所という言葉も、「お灸を据えるツボ」という意味の“灸所”と表記したり、「救急のツボ」という意味で“救所”と表記したりもしました。

“殺活自在”という言葉にも意味があり、殺すツボと活かすツボは同じ箇所にあったりするので(全然、別にある場合もあります)、力の強弱や施し方によって殺にも活にも使えることが多く、それを自在にできてこそ武術家として一人前になれるという次第です。

 ごく一般的に言えば、瞬間的に突き刺すように強く突けば殺になり、ゆっくりじわ~っと優しく押圧すれば活になる・・・と覚えておいてください。

 ものの本には麻穴(マヒするツボ)とか唖穴(声が出せなくなるツボ)なんてのも解説されていますが、素人が単純にその箇所を打っても効果は出るものではありません。

 突くだけではなく、つねったり、引っ掻いたり、コチョコチョするツボだってあるのです。腋の下なんて、コチョコチョすると相手が竹中直人みたいに、笑いながら怒る?

 しかし、一番の難点は、初心者は正確にツボを捉えるのは難しく、特に戦闘中には極めて難度が高くなるという点です。

 なので、特に打撃格闘技をやっている人達には、「戦闘中にツボに正確に当てるなんて不可能だ。そんな技より突き蹴りの威力を高めれば、当たった箇所がすべて急所になる」という、非常に大雑把だけれども、一理はある意見が出るものです。

 私は、別にこういう人を否定はしません。他人は他人、自分は自分のやり方で行くというだけです。

 さて、流石に今回は、こういう喧嘩上等!な人は参加していませんでしたが、いやしくも殺法という以上は現実に使える技を指導できなくてはいけませんよね?

 なので、交叉法と組み合わせた急所に当てるコツを指導しました。

 貫手や特殊な一本拳の握り方の意味と使い方、鍛練法についても解説しました。

 鍛練法と言っても、竹の束を突くとか熱した鉄砂に貫手を突っ込む・・・みたいな荒業ではなく、無理なく指先を鍛練するやり方と、特に鍛練していない指でも突き指しないで急所に当てるコツなんかを指導しました。

 うちの仁平師範なんて、小学生の頃に竹束を貫手で突く稽古を爪がはがれる程やったそうですが、ガクンと視力が落ちてきたので中止したそうです。荒業の稽古は健康を損ないますよね?(・・・っつうか、どういう小学生やねん?)

 結局、早い話が、武術というのは“知識と知恵”なんですよ。

 知識も知恵もなく、どんなに努力して鍛練しても報われません!

 型なんかも、「ひたすら練習していれば自然に使い方が解る」って説明する人が少なくありませんが、はっきり言って、嘘です!

 使い方は教わらないと自分で自得するなんてことはありません。

「でも、長野さんはいろんな流派の技の用法を自分で気づいたと言ってるじゃないか?」と言いたい方もおられるでしょう。

 確かに、私は自分で考えています。

 ですが、0から考え出している訳ではありません。

 私は、物凄くラッキーなことに、いろんな先生から事細かくコツを教えてもらったり説明してもらったり・・・という経験を無数にしているのです。

 本や映像資料だって武術の専門古書店が開けるくらい目を通しているんですよ。それを40年くらい続けてきているんですよ? 詳しいのが当たり前でしょう?

 だから、いろんな流派の共通点に気づいたり、既に武術一般に通じるセオリーを飲み込んでいるので、自分で考えつくことができる訳です。

 何か、中途半端に知ったかぶりする人間が多過ぎますよね~? 本当に知ってたら、逆に限界や例外が解ってるから、簡単に「これが正しい」なんて言えないんですよ。

 私は、「これが正しいんですよ」と言った時点で、もうその人は信用しません。「阿呆だな~、こいつ」・・・と、“付き合うだけ無駄な人間”と判断しますからね。

 まあ、「教えてください」って来た人なら知らなくて当然だから、丁寧に教えますけど、それでも習いに来ていながら「教えてあげましょう」みたいな態度取る頭の悪い人も、ごくたま~に来たりしますね~。

 武術の先生には、知ってても知らないフリする人も多いです。特に一流中の一流の先生だとそうです。洞察力の無い人は、「知らない」と言われたら、「何だ、大したことね~な」と判断しますが、これは、「無論、知ってるけど、貴方に教えてやる義理はありません」という意味なんですよ。

 考えてみたら当然のことで、部外者に企業秘密をペラペラ喋るバカはいないでしょ?

 私が「言葉は信用しない」と言うのは、このような人間の心理を考えるからです。

 地道に信頼関係を築いて、師匠が、「この人にはちゃんと教えてあげよう」という気持ちになるようにしなければいけません。それには、感謝する心が大切ということです。

 ちょっとだけヒントを書きます。

 どんな流儀でも、合理性を念頭に技を組み上げていくのは同じことです。だから、名の有る流儀の極意の技なんかは、必ず原理的に共通性があるのです。一刀流の切り落としと新陰流の合撃(がっし)は、対の先の合わせ技だという点では原理的には同じです。

 無論、奇妙奇天烈な技を使う流派もありますが、いくら奇妙に見えても、やはり合理性を考えているのでは同じなので、見た目は全然違っていても原理的には共通している。ただ、技の構造的なアプローチの仕方が別だというだけだったりするのです。

 先の先か、後の先か、貼随の技か・・・といった具合に・・・。

 しかし、この原理的な構造が観えていない人だと、自分のやっている流派こそが本物で・・・みたいな技の外形ばかりに拘って独善思考に支配され、本質を洞察する眼力を自分で封印してしまったりする訳ですね。

 まっ、武道界はそういう人が圧倒的に多いんですが、これはもう「頭が悪い」というか、頭を使って考える習慣が無くなっている。自分で自分に洗脳している。こういう人とは付き合いたくありませんね~。


 えっと・・・そんな次第で、今回はツボの位置とか探り方、当て方なんかを指導しましたが、ナイフ術なんかの文字通りの殺法術まで指導しました。

 普通は教えないんですが、参加者の人柄を見てやりました。悪用しそうな人がいたら教えませんでしたね。

 殺す方法を知識として知っていれば、やられないで済む可能性が高まりますし、殺す技を持ってる人間からすれば、普通の武道や格闘技、喧嘩自慢のような連中に怯む心が無くなっていきますから・・・。

 戸隠流忍法に世界中の特殊部隊の人達が習いに行ったりしているのも、武術本来の殺法をサバイバル術として教えている点に共感しているからじゃないでしょうか?

 戸隠流は競技試合とかやりませんよね? 生きるか死ぬかの戦闘と競技の強い弱いというのがまったく別物だと弁えているからだろうと思います。

 私も、武術を深く研究すればする程、武道や格闘技の強い弱いという観念が消滅していきました。生死をくぐり抜ける戦闘を考えている人間にとって、現代の競技試合を目的化した武道には本質が抜け落ちてしまっていると思えるからです。

・・・と、こう書けば、「お前はプロ格闘家と闘って勝てるつもりなのか?」とか文句を言う人が未だにいるんですが、勝てるなんか思ってませんが、“生き死にがかかった戦闘なら、どんな手段を使っても倒す”ことを考えます。

 それが武術の考え方です。

 こういう考え方を特殊だと考える人は、既に格闘スポーツの“制度”に洗脳されている証拠です。

 普通の人間だったら、プロレスラーみたいな巨漢に襲われたら、素手で勝負しようとは考えないで、迷わず出刃包丁とか金属バットとかゴルフクラブとか手に取るでしょう?

 それを卑怯だって非難します? 命の危機に晒されたら、卑怯も糞も無いでしょ?

 強い弱いじゃなくて、確実に生き残るにはどうすればいいか?と考えて、適切な武装をしようとするのが普通の人間が生死がかかったギリギリの戦闘状態に追い込まれた時に自然に考える選択ですよ。

 普通に、当たり前に考えているだけ。それが武術の原点です。

 勝つためには相手より強力な武器で武装する! これが鉄則!

 そして、武術というのも基本的に武装するものなのです。刀や槍や弓矢や鉄砲や爆薬や、時には“情報戦略で相手を社会的に抹殺する”という忍術的戦略も含めて・・・。

 これは兵法です。戦国時代は当たり前に用いたものですよ。

 現代の武道は、こういう剥き出しの戦闘哲学というものを失って口先ばかりの綺麗事を並べたててしまってます。私はそういう欺瞞的体質が本当に嫌いなんです。


 急所を攻めるというのも、力では敵わない敵を効率よく倒すための知識と知恵なんですよね。

 先日のセミナーの第一回の時も、筋トレの重要性を質問される方がいらしたのですが、私、20年以上教えてきて、筋トレばんばんやっていて筋が良かった人には一人も会ったことないんですよね。

 もうね~、筋弛緩剤打ってやりたくなるくらい無駄に力んでたり、とにかく習得の遅さは絶句するくらいなんですよ。皮膚感覚が鈍くなるみたいですね~?

 無論、医療的に弱った身体の人が筋トレするのは必要かもしれませんから否定はしませんが、健常者がより強いパフォーマンスを求めて筋トレするというのは落とし穴があると思いますよ。

 東洋医学的に言えば、筋肉を必要以上にパンプアップすると気の流れを阻害してしまうんじゃないか?と思えます。実際、こういう人は気を察知する気感の感受性が普通の人よりずっと鈍いみたいです。

 うちの大石総教練は、質問者に気を遣って、「筋肉はあればあった方が体重増えてパンチが重くなるからいいんですよ」と賛同していましたが、私はそれは違うと思います。

 必要以上に筋肉が膨らむと骨格の動きを邪魔して明らかに動きが遅くなります。

 重いパンチは体重よりも体内の重心移動の速度の問題であり、実際に体重20kg無いような子供がキックミット持った90kgの大人を寸勁で突き倒せましたから。大石総教練も誤解してると思いますよ。

 正直、発勁体得したら、筋トレがんがんやってパンチ力上げようとする行為の空しさに愕然としますよ? 本当に、発勁体得したら、まともに打ったら死ぬか重大な障害起こすかどっちかになるぞ・・・と、怖くて打てないですよ。

「力加減して安全な程度で打ってみせてください」って言う人いるんですけど、座布団何枚も重ねて30%くらいで打ったのに、後から「血尿出た」って報告受けて、「やっぱし、これ、やたら打つと内臓疾患起こすから危険だよな~」と、ぞっとしましたもん。

 打撃技は、衝撃力と貫通力の概ね二つがあり、一般的な打撃格闘技の場合は衝撃力の高さを威力と認識しますが、本当に怖いのはこの二つの性質を融合したもので、それが発勁の本質です。派手に吹っ飛ばすのは貫通力だけ使ってる訳です。

 危険なので、いつも貫通するだけで衝撃が残らないように打っていますが、打撃訣を加えれば致命的なダメージを与えられるんです。これは本当に試さない方がいいですよ。

 こういう技はいくつかの複合的な身体と意識の使い方、つまり技術なのですが、筋肉に力を込めると失敗しますから、「筋トレはマイナスだ」と言ってる訳です。

「それじゃあ、適度な筋トレならいいでしょう?」と、よく質問されるんですが、“適度”というのは極めて主観的な概念であり、ほとんどの人が適度にやっているつもりでやり過ぎてしまいます。

 それは、筋トレには中毒症状みたいな点があって、やればやる程、刺激が欲しくなって、結果的に過度になってしまうからです。私も昔、そうなっちゃってました。

 筋トレよりは、日常の労働で自然に鍛えられた方が良い。

 舞踊家で俳優の田中泯さんも、お百姓さんのナチュラルな身体の美しさに感動して、自身も農業に従事するようになったそうです。

 私も、ボディビルダーが美しいと思ったことは一度もありません(気持ち悪いとは思う)が、ダンサーの無駄のない均整の取れた身体と動きは美しいと思います。

 もっとも、私は美しい身体になりたいと思ってないので、サモハン体型ですが、若い頃はブルース・リーみたいだったんですよ~(マジ)!

 筋トレに励む時間があるなら、木剣振ったり立禅を30分以上やるとかウォーキングするとか、そういうのがいいと思います。

 武術は筋肉鍛えるより身体感覚を磨かないとダメですからね。感覚鈍ったら、もう全部がダメですよ。

 機能的な美しさは求めて得るのではなく、結果的にそう見えるから美しいと言えるんです。私が日本刀や銃が好きなのは、殺傷力を追究した結果の美しさが現れているから。

 武術もそうでありたい。

「筋肉より骨が重要だ」って甲野さんの共著が売れてるそうですが、これは間違いじゃないと思います。骨格で重心力を誘導するのもアリですから。

 しかし、筋肉に力を入れると重心力が阻害されてしまいます。発勁も打てないし、合気も使えない。

 伸筋連動で技かける方法もありますが、これも連動を断つ(閉気栽脈法と言います)と無残なくらい効果が無くなります。このやり方ではシステマに勝てない。

 理想的なのは自分の力をすべて捨て切って、身体に働いている重力のみを利用することです。無念無想、無心の技というのは、この身体性を獲得しないと使えないんですよ。

 大鉄人17の必殺技“グラビトーン”ですよ!

 武侠小説には、主人公が手足の筋脈を断たれて武術ができない身体にされてしまったのに、内功の秘伝を教えられて、以前よりずっと凄い超達人になる・・・という描写がよくあるんですが、これこそが私の言っている武術の力のことなんです。

 要するに筋力が使えなくなったから重心力を駆使することができるようになったという訳です。

 太極拳はもともと十三勢長拳という普通の少林拳のような拳法だったそうですが、接近密着して全身のどこからでも発勁を打てるような戦い方に変わることで少林拳的な拳法を封殺して勝てるようになったと考えられています。

 しかし、これは戦い方を知らないと駆使できませんね?

 私も昔は太極拳とか理論倒れで使えないと思ったりしていました。が、今は完全に逆ですね。自分ができるようになって初めて、価値が解る。戦闘法さえしっかり理解していたら、普通の拳法で太極拳に勝つのは難しいでしょう。

 ただし、私は太極拳の研究して破り方も工夫しました。だから、物凄い推手の達人と手合わせした時もふっ飛ばされなかったので、その先生から「長野先生は達人だから」と、言われて照れちゃいましたよ~。

 無論、これは、「どんな優れた技も原理が解れば対処法は考えられる」という一例であって、自慢したい訳じゃありません(してるけど?)。同様の経験は何度もあります。

 逆説すれば、「原理が解らない技には対応が難しい」ということで、武術が秘伝を重視するのも、武術が知識と知恵が上回る方が圧倒的に有利であることを示しています。

 まあ、だから、何でもバラしてしまう私が目の敵にされるんでしょうけどね?(隠すところは隠してるんだけど、それすら洞察できない未熟者が多いということですね)

 余談、終わり!

 殺法ばかりじゃ、殺伐とし過ぎるので、今回は、背活、腹活、脳活、それから金的活も数種指導しました。

 あっ、それと心臓が止まった時の活法と、溺れた人や餅を喉に詰まらせた人を吐かせて助ける方法も、やりました。

 背活は高校の柔道でも教わったので、誰か知ってるかな?と思ったんですが、皆さん、教わったこと無かったそうです。私の高校の柔道の先生がたまたま知ってたのかもしれませんね?

 もっとも、活法も、形ばかり知っていても有効に使うのは難しいでしょう。原理が解っている人間と形式だけ知ってる人間では施術に大きな差が出ます。

 具体的内容に関しては解説はやめておきます。危ないので。

 昔は、殺活法は免許皆伝レベルの人に教える最後の秘伝だったので、多くの流派で失われてしまいました。

 神道楊心流、天神真楊流、竹内流、長尾流、小栗流といった流派が比較的知られていますが、明治以降に成立した流派だと、例えば、八光流の皇方医学は、平田了山の熱鍼療法や肥田式強健術をベースにしているようですし、甲野氏に代表される武術系整体の提唱者の多くが野口晴哉の野口整体をベースにしています。

 その他にも身体均整法やカイロプラクティックをベースにしている武道家もいますね。

 腱引き療法などは伝統武術系の要素が強いようですが、中国の推拿(スイナ)をベースにしているところもあるみたいですね?

 私が学んだ武道医学(中山清先生創始)は、柳生心眼流の島津先生や戸隠流の初見先生も学ばれています(免許の写しと写真も見せられた)。

 そんな中山先生も、八光流を学んだり、新体道の棒術を学びに行ったりされています。

 昭和の武道家はいろんな流儀を学んで自己の武芸をより発展させていこうとしていたんですよね? この事実からは、私みたいに節操が無い人間にも存在価値があるんだよな~?という慰めになりますよ。

 講座の最後には、足裏反射療法についてもざざっと解説しました。これは、昔、京都の足医術講習会に参加して習ったものに武道医学の考えを入れたものです。

 やっぱり、人間は一生、勉強し続けることが肝心ですよね~?

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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