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高瀬道場公演観劇

 今年のGWは目まぐるしい展開でした。

 まず、4/30の相模原千代田メイプルホール木曜稽古会は、久々、参加者が複数いたので、剣と無刀取りとかやりまして、翌5/1は霜剣堂の刀剣即売会を天真會青木先生と一緒に観て、昼飯を食べながらいろいろとお話したり、3日の日曜本部稽古会では小塚師範が三間(5.4m)の距離で畳針を打つ!という技を突如、発明し(あんな軽い針が、ほとんど真っすぐの軌道で的にピシッと刺さったのに唖然! 普通の打ち方だとできないそうな・・・)、5日は高瀬道場の舞台公演を、游心流一門と柔芯体メソッド稲吉優流先生、バレエの松田英子先生と一緒に観に行きました。

 その他の時間は新作本の原稿書いて過ごしていたんですけど、特に5日は非常に濃い一日になりましたね~。

 高瀬道場の舞台公演は、毎回、新選組をテーマにして角度を変えて演じられてきていますが、続けて見ている人間にはお楽しみの連ドラ化するギャグ?があります。

 稲吉先生は、「いや~、何か、真面目一辺倒なのか?と思っていたら踊りありギャグありで楽しかったですね~」と、感心されてました。

 高瀬道場は硬派なイメージが強いですが、芯は硬派でもギャグ好きな高瀬先生のちょっとばかし暴走モードのギャグが入るところが一番の個性でしょうか?

 もしかすると、殺陣シーン以上にギャグに情熱を注いでいるのか?と思えたりします。

 やっぱし、笑わせるというのは凄く難しいことで、国民的人気を誇ったお笑い芸人が、一年も経過せずに過去の人になってしまったりするでしょう?

 正直、どマイナー過ぎて、意味が解らなくて笑うに笑えないフライングもある訳ですが、「押してダメでも押し倒す!」と言わんばかりに、グイッグイ、バージョンアップしてくるから意味はわかんないけど圧倒されて笑ってしまう?という状況になるんですね~。

 私も、読者おいてけぼりで特撮ネタ(『怪獣王子』に出てきたシシ竜が300mもあるとか? ちなみに主人公タケルの相棒恐竜ネッシーは200mで口から熱線吐けます。蛇足ながら確か? タケルのメインウエポンはブーメランでサイドアームはトンカチだった)に走るから、似てるかも・・・?

 そんな高瀬先生がお贈りする今回の公演、殺陣アクションのみならず階段落ちのスタントアクションも披露!

 でも、舞台ってのは怖いですよね~? 失敗してもやり直す訳にはいかないし、階段落ちもアクションアワードの時は身軽な状態でやれた分、まだいいと思うんですけど、問題は刀ですよ。

 鞘が引っ掛かったら思いもしない失敗をするかもしれません・・・。

 映画とかだったら、カメラワークや編集テクニックでごまかせるけど、舞台はそうはいきませんからね~?

 特に今回、立ち回りをやった後で、そのまま転がり落ちるという構成だったので、刀は取り落とす形にしたものの、鞘を抜き取るのは不自然だから・・・との判断だったんでしょうが、鞘を着けたまま加賀谷さんが転がり落ちたのは、ドキッとしましたね~。

 もし、私が演出する立場だったら、ギャグと混ぜて、「やられた~」とか言いながら、刀とか鞘とか外して「ちょっと待ってね~」とか言いつつサポーター付けたりして、「いい加減にしろ~!」と蹴り落とされる?みたいな、お笑いに走りますけど・・・やっぱ、それをやっちゃあ、お客さんは白けるでしょうね~?

 昔、学生演劇で殺陣つけた時に、小道具で作った剣がポキンポキン折れて、青ざめたことありましたね~? そこ、ギャグじゃなかったから、役者は動揺せずにそのまま立ち回り続けてましたけど、本番になるとガチでぶつけてしまってたな~?

 殺陣アクションがいかに難しい演技表現なのか?ということが、舞台やれば、よく判りますよ。魅せる技術というのは独りよがりではできませんからね。

 余談ですが、高瀬先生の殺陣講座を受講している小塚師範が、ラスト日に殺陣を演じる時に、瞬間、頭が真っ白になってしまって段取りをスッカリ忘れてしまった・・・と失敗談を語ってくれました。

 武術で考えれば型の演武と構造的には違わない筈なんですけど、合気道で慣れている筈の彼でさえ、いざとなるとこうなったりする訳ですよ。“演技”というものに対する認識の差なのかな~? 私なんかも自主映画とか寸劇とかで演技したことあるけど、アイドル映画(その後、絶賛お蔵入り?)で演じた時は凄い棒読みで恥ずかしかったですぅ~。もうちょっとはできると思ってたんだけどな~・・・(泣)。

 何事も、専門の基礎訓練は重要ですよね?

 プロレスラーでVシネとかで活躍している人もいるじゃないですか? プロレスがエンターティンメント・スポーツとしての演技力を必要とされるからでしょうね?

 あ~、そういえば、“キックの鬼”沢村忠は演技上手かった! 『闘え!ドラゴン』に“木枯らし”というダンディーな殺し屋で出た時は、倉田先生より上手かったような?

 何でも、日大芸術学部出身だったんだそうです。あそこは芸能の名門だよな~?

 今、時代劇専門チャンネルで『三匹の侍』やってるんですけど、高瀬先生も絶賛していた長門勇が槍と居合の遣い手、桜京十郎を演じているんですが、確かに上手いです。『影の軍団』とか『斬り捨て御免!』の長門勇もいいですが、主演映画いも侍蟹右衛門シリーズとか『道場破り(雨あがると同じ原作)』『続・道場破り』は素晴らしいですよ~?

 相手の刀を刀や槍でクルクルクルッと巻き取ってしまう技は、他の誰もできないでしょうね~?

 国士館大学の剣道家の馬場欽次先生のお父さんがこの技ができたそうで、渦巻きだったか竜巻だったか・・・という名前だそうです。馬場先生の門下だった会員に以前、聞きました。

 ちなみに、この前、気づいたんですけど、この三匹の侍の名字は皆、花から採ってるんですね? 平幹二郎は桔梗(ききょう)で、加藤剛は橘(たちばな)なんですよ。長門勇は桜(さくら)。無頼な浪人達なのに花の名字というのは、ちょっと粋な感じですね?

 ところで・・・高瀬先生に一つだけ質問。毎回、疑問に思うんですけど、なんで斎藤一は登場しないのかな~? 沖田、土方に継ぐ人気者だと思うんですけど・・・。次回は是非!

 それにしても・・・“高血圧”をネタにするとは思わなかった・・・(苦笑)。アレはもっと発展していけそうだな~? 音がカラータイマーみたいになるとか?

 はっ? 何で、私がギャグ考えてんだ? 職業病だな・・・。


 観劇の後は、打ち上げで小塚邸に行きました。

 実は、大変、失礼な話なんですが、この日の私の一番の目的は、小塚師範が新しく飼った猫を見に行くことだったのです・・・(高瀬先生、申し訳ござりませぬぅ~)。

 料理上手な小塚師範が準備してくれていた料理を食べながら、ミケ猫のカズコをダッコして癒されました・・・。

 九ケ月だそうなんで、まだ子猫なんですね~? ネコカフェに居たそうなんで、普通の猫みたいに警戒心が強くなく、すぐ慣れて、我々の膝の上に乗ってきて丸まったり、終始、アクティブに動き回っていました。

 猫に触るのは、数年前に白州の田中泯さんのダンスフェスティバルに行った時以来ですが、ダッコしたのは20代半ばに不払いで電気止められた冬の寒い日に、捨て猫の子猫を拾ってきて暖を取った時が最後・・・(戦時中の思い出か?)。

 あの時は、三匹の子猫をダッコして布団にくるまって寝たけど、翌日、猫ノミに食われて痒かったな~・・・(やっぱ、戦時中みたい)?

 やっぱし、猫は柔らかいっスね~? それと、ゴロゴロ鳴るのがいいんですニャ~。

 私も早く猫飼えるように小説と漫画原作で金稼いでビル建てねば・・・。

 この日の夜は、仁平師範が自分の武術観を「ここまで話したのは初めてです」というくらい話してくれて(実演しているうちに成り行きで・・・)、私が心配していたことも杞憂になったな~と、非常に意味ある日になりましたよ。

 言葉で説明できるような内容ではないし、武術だけやっている人だとチンプンカンプンで誤解するだけだったでしょう。というか、東洋哲学の知識も無いと理解できない内容で、彼の若さで、ここまで考えて本質を掴んでいたのか?と、舌を巻きました。

 彼も理解されないのが解っているから言うに言えずにいたんじゃないか?と思います。

 私でさえ、昔、似たようなことをあれこれと考えてデモーニッシュな観念に取り憑かれそうになった経験(新興宗教や呪術や魔術といったオカルティズム)があり、それで仏教とか道教とか当時流行していたニューサイエンス(デヴッド・ボームとかケン・ウィルバーとか)とか勉強した訳です。ちょうど、ポストモダン現代思想がブームの頃でしたが、同時に精神世界ブームも始まっていました。

 J・クリシュナムルティー、オショー・ラジニーシ、カルロス・カスタネダ、ルドルフ・シュタイナーなんかが注目され始めた時代でしたね。80年代は・・・。

 でも、今はそういう時代じゃないから、彼は独自に関心持っていったんだろうな~?と思いました。

 武術は論理的に解説できない側面がありますが、それは人間の存在理由そのものに関わるものだからで、宗教と違って、直接に命のやり取りを実行するものですからね。

 上っ面の倫理観に当てはめてごまかしていく(お題目唱えて思考停止する)しか現実的な対応はできないかもしれません。言語解析していくと論理矛盾起こして自家中毒になりますからね。

 そもそも、宗教や哲学が発生するのは、命のやり取り、死生観から起こるものですからね。非常に現実的なリアルなものから発想されるものです。

 ただ、人間の場合は、社会的動物としての理性と知性と本能、感情が錯綜して様々な欲望が生じるので、それが他者への支配欲となり、組織化する民衆が社会構造を作り発展させ、文明や文化が生まれて宗教やイデオロギーによって権力が社会の維持装置化して機能していくことになります。

 武の力(国家規模に組織化されたものは軍事力)というのは個人から組織、社会、国家の権力を支えるものへと転用されていくものなので、武術を求める人間の心の中にも権力指向が育ちやすい訳です。

 その意味では現代武道のようにスポーツ競技化されたことは安全装置をかけたということでもあるでしょう。

 一般に勘違いされているのは、表向きの社会の維持が法によって成されているという認識ですが、これは正しくありません。

 それは、イスラム国の一連の事件を鑑みれば明白ですよね?

 法によって恭順するのは法の観念を受け入れた人間だけです。それに従わない“無法者”には通用しません。

 そもそも、法の効力は警察や軍隊という圧倒的な国家の武力が存在しているという暗黙の認識があるから成立する訳で、もし、それが無ければ、一気に瓦解してしまうに違いありません。

 つまり、我々は日常的に認識していないだけで武力によって支えられている社会の中に生かされている訳ですね?

 ですが、この場合の武力とは国家権力と同義です。これが地球規模の一つの権力となればあらゆる紛争が終結する?・・・かと考えるのは、あまりに世間知らずと言えるでしょう。

 それはそれとして、個人が過ぎた超人的武力を持ったとした場合、他者への支配的権力欲に目覚めることは不幸な結果しかもたらさない。

 だから、心ある武術家は、権力に背を向けて生涯を修行僧のように送ろうと考えるものです。が、それでは何のために学ぶのか? 武術を学ぶことに何の意義があるのか?

 個人の自己実現を追求することが持て囃された時代もありました。が、それは体の良い現実逃避でしかありませんでした。

 しかし、今の時代は個人の好きに生きられる余裕が無くなりつつある厳しい時代になったと言えるでしょう。

 世界の仕組みが音をたてて崩れてきて建築構造物が剥き出しになってきた時代です。

 この時代に生きていくには相当な覚悟が必要になるでしょう。そのための強靭な超人類が必要なのかもしれません・・・。

 私の世代は、新人類と呼ばれる世代でしたが、今は超人類と呼ぶべき個体としての能力値が異常に高い人間が生まれてきているような気がします。

 それは時代の要請なんじゃないか?とも思えます。能力があるのは、「能力を使え」ということでしょう。

 私が生きていられるのは、せいぜい、後、20年かそこらでしょう。その間に、世界がどういう方向へ向かって行くのか?くらいは確認しておきたいな~・・・と、思いましたが、身近に、超人類(ニュータイプ?)が居たことが再確認できた夜でしたね。

 まあ、私の職業的な立ち位置からしたら、人間の本来あるポテンシャルを引き出していくシステムが武術には有る!とか“ほざいて見せた”方が賢明なんでしょうけど、そこまでノーテンキにはなれないな~・・・(苦笑)。

・・・っ~か、どんなに肉体を鍛えても50BMG一発撃ち込まれたらオシマイだからね~。武術じゃ鉄砲に敵わないと解っていた江戸時代。推定ですが、鉄砲の流派は200~300は有ったんですよ? 一度、調べて書き出してみようとしたんですけど、途中で嫌になってやめました。

 私が身体鍛えることを重視しないのは、武術的合理性の行き着くところは、“鍛えても無駄”だからです。これはアンチテーゼとして敢えて、書いておきますね?


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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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