当て技感想
いや~、暑い! いや! 暑いというか、玄関から外に出たら皮膚がチリチリして痛い?って感じですね~。皆さま、熱中症にならないよう気をつけてくださいませ・・・。
今回の日曜日も、夏のセミナーはエアコン代がかさむからな~と思って、窓を全開にして自然風で何とかならんか?と思ったんですが、風も吹いておらず、ただ暑いだけ・・・。しょうがないからエアコンつけましたよ~。
道場の賃貸料は破格に安いんですが、電気代は結構かかるから、なるべく使わないようにしてるんですけどね~。
セミナーだと人数が多いし動くから熱気が籠もってヤバイんですよ。
なので、今回は説明を多くして練習は少しにしようか?と思っていたんですが、参加者に空手出身者が多いので、「空手の突きとは全然違う異質の威力を期待されているだろうな~?」と思うと、手抜きはできません。
「ここが違うんです!」という点を明確に示さないといけません。
ただ、重心力を駆使する当て技のコツを体得すると、軽く打ってるつもりでも致命傷になりかねないので、最初にキックミットを打って、威力の質の違いを充分理解してもらった上で、対人練習では怪我しないように寸止めでやってもらうようにしました。
質の違いを理解してもらうには、まず、キックミットを普通の打撃技で打ってみて、次に各種の重心力を駆使した当て技で打ってみる・・・というのを体験してもらうのが一番でしょう。
私も、既に忘れかかっている通常の打ち方で数回、ミットを打ってみたんですが、ミットの表面でパーンと良い音がするだけで持ってる人間はビクともしません。
そこで、拳を触れたところから重心移動でズンッと打つと、ミット持ったままスポーンと後ろに弾かれる・・・。
自分でやってみても全然、質が違いますよね? もう、この当て方が身体に馴染んでいるから、何発も殴って・・・というのは無駄に思えてやる気がしないんですよ。
最近もウィキペディアで私の腕前?に疑問を呈している人がいたそうなんですが、そんなに疑問があるなら直接来て試してみたらいいでしょう。確認もしないでケチつけるだけでは、単なるヤッカミにしかなりませんよ。
大体、この手の連中が勘違いしているのは、素人の上から目線の評論なんて飲み屋でクダまいてる親父の雑言と変わらないということです。プロの研究家や名のある武道武術のプロの方が言うのとは根本的に違うということです。
「長野さんは有名な武術家を散々批判しているじゃないか? 他人のことはとやかく言いながら、自分が言われたら怒るのか?」という意見も聞きますが、バカ言ってもらっちゃ~困りますよ。
私が甲野氏や木村氏を批判するのは現実に手合わせして技を封じた経験があるからですし、宇城氏や高岡氏を批判するのは、彼らと同じパフォーマンスをやってみせられるからですよ。
頭の中で勝手な推論をしているのではなく実証的に技術分析して「これはおかしい!」と言っている訳です。“口先で言ってるだけ”だと思うなら、確認に来てみたらいいでしょう? それをやる自信が無いなら口を慎んで黙っているか、あるいは、批判者自身が実証データを公開してみせるのが筋というものでしょう。
それが「批判する」という行為なのであって、根拠もなく自分の思い込みだけで疑問を呈するのは稚拙過ぎますよ。
そもそも、私は自分が強いとか全然思ってませんし、格闘能力はさっぱり無いだろうと自覚しています。ですが、武術的な戦闘技能なら誰にも引けを取らないという自負があります。それは、必要とあらば捨て身で殺し合いする覚悟を持っているからです。
銃で平然と撃つ。刀で平然とぶった斬る。何もなければ喉笛掴んでねじり潰す。
こんな残忍な行為を普通の精神状態の人間にはできませんよね?
熱狂的な状態やサイコパスや戦争状態とかでないと普通の人間にはできません。つまり、まともな精神の人間にはできないということです。戦場では時に覚醒剤や麻薬で精神をブッ飛んだ状態にして戦わせたりする・・・ねっ? そこに何の大義名分が有るんですか?
戦争は結局、国家というものを運営している権力者のためのものでしかなく、民衆は権力者の道具にされているだけですよ。「皆さんの生活を保障してあげるから国家のために戦って死になさい!」って、根本的に矛盾していると思いませんか?
現代はもっと外にやり方はありますよ。いつまでも武力闘争する理由は何か? 権力の維持以外に何の理由があるんですか?
私が絶対戦争反対なのも、普通の現代日本人をこんな精神状態に追い込む国家観の愚劣さを憎悪するからです。私みたいに自分から選んで戦う意志を持つのとは全然、別次元ですよ。
武術の極意は心法ですが、心法は自分を催眠状態にして機械的に戦闘を行えるようにする術でもあるんです。これは権力に利用されたらヤバイですよね?
だから、比古師匠みたいに「絶対に権力に与してはならん!」という訳ですよ。
余談が過ぎましたけど、武術の技というのは特別な強い人間にしかできないものではなく、原理を理解すればだれでもできるのだ!ということです。
私は、それを実証してみせているのですから、斯界の将来に益する献身的研究だと歓迎されこそすれ、非難される筋合いはまったく皆無であると認識しています。
根拠も無いのに人を批判したら無礼千万と非難されるのが当然でしょうが、私は体験的実証的に根拠を明示して批判しているんですから、それを“礼節”で論じるのはおかしくないですか?
これは武術武道の世界に巣くう慣例としての非論理的、前時代的な解釈です。
私は、仮に、いかに恩義のある人から言われたとしても、このような不条理な礼節論には従うべき理由を感じません!
「悪法もまた法なり」というのが伝統的な武術武道の世界に生きる爺さん達に根強い信条なのは解っています。
本人がそうしたければ、死ぬまでやっていればいいでしょう。
しかし、新しい時代を開くのは老人じゃありません。これから武術武道の世界をけん引していく若者に前時代の慣例を押し付けるのは傲岸不遜でしょう。
私は、このような盲目的に慣例に従おうとする態度そのものが武術武道の世界を特殊化させ世間的評価の対象外にして延々と停滞させてしまっている最大の元凶である!と、声を大にして言いたい。
まあ、要するに、しつこく私を貶めようとしているこの人物は、自分が特別なものを持っているのだとエバりたい。自己満足に浸っていたいのでしょう。
多いんですよ。合気や発勁の武術幻想に酔い痴れていたいだけの外道な連中が・・・。
その為には、武術の世界が開けてもらっては困る訳です。自分の特権意識が失われてしまうのが怖いのですよ。
だからこそ、試合に臨む格闘技の愛好家は、長く武術を嫌ってきた訳ですが、その根拠は、このような外道な連中の存在そのものにあったのです。
ただし、試合至上の考え方は90年代で終わりました。その現実に早く気づくべき。
時代が求めているのは武術の知恵だと私は思います。
つまり、生き方そのものです。生き残るための戦闘サバイバル術としての武術です。
前回の合気と今回の当て技は、特に武術の特性を最も色濃く持っている技法だと私は思います。
どちらも、具体的に体格や体力の差を無化して“戦闘条件を平等化”してしまう工夫だからです。
ここで重要になるのは、「強いか弱いか」ではなく、「知ってるか知らないか」の差になるのですね。
武道や格闘技では熟練することで強さが高まります。
それは、学んでいる内容が皆、同じだからです。そうすると、個々の技の優劣ではなく、技を使う者の量的な要素でランク分けされていきます。
かつて、大山倍達師範は、自身の過去の他流試合の勝利について質問され、「相手が空手を知らなかったからだ」と率直に答えられていたそうです。
つまり、相手が空手を知っていたら、そうそう簡単に勝てなかった。あるいはやられてしまったかも知れない・・・と述べられたのです。
当たり前過ぎて誰も疑問を持たないのでしょうが、戦闘状況に於いて、敵に手の内を知られていないというのは絶対的な条件なのです。
例えば、うちのセミナーに参加した他流の有段者や指導者の方が一様に驚かれるのは、自分達の技を私が簡単に封じてしまうからですが、これも、タネを明かせば、圧倒的な知識量の差が前提にあるからなのです。
つまり、私はありとあらゆる武道武術格闘技の技と戦闘法を研究しているから弱点を知り尽くしている。だから、弱点だけを攻めて相手に何もさせない。相手は何もできないから驚く・・・という、“ただそれだけの話”なんですよ。
だから、私は自分が強いという自覚がさっぱり無いにも関わらず、戦えば自分が勝つという自信がある訳です。
これだけ説明しても理解できずにケチつけるIQ低い人がいるので譬え話にしましょうか?
私がウルトラマンだとしたら、怪獣と向かい合った瞬間にスペシウム光線出して、ハッハッハと笑いながら飛び去る・・・というドラマ的には糞面白くもないやり方をする訳。
相手が何の技も出していない状態で私が一方的に打ち倒すという戦闘法なんで、ある意味、勝って当たり前でしょう?
「そんなのまともな勝負じゃない!」って文句つけるようなヤツは武術やる意味がありません!
武術というのはスナイパーと一緒です。ワンショット・ワンキル! サーチ・アンド・デストロイ! 見敵必殺! 悪即斬!(あれ?)
ですが・・・重要なのは、「一撃必殺にできるだけの攻撃力を自分が持っていれば?」の話なんですね。
だから、一撃で致命傷を与えられる武器が必須なんです。
でも、武器が調達できなくては意味が無い・・・という場合には素手で一撃必殺できる技を会得するしかないですよね?
それが、今回のセミナーで解説指導した“当て技”という訳ですよ。
空手経験者が多かったので、違いは理解してもらえたみたいです。
形意拳の半歩崩拳、馬形拳、虎形拳、八極拳の頂心肘、冲捶、双撞掌、その他、心眼流の鉄砲、太極拳の攬雀尾、橙脚、白鶴拳の水形手、八卦掌の白猿献花、空手の裏当て・・・等々やりました。
中でも、三戦の源流である白鶴拳の両手の前腕で打つ打法を白鶴震身を使って打つと、凄い勢いでふっ飛んで、「なるほど、白鶴拳が意拳に大きな影響を与えたというのも納得だな~?」と思いましたね。
それから、対戦した時に相手の構えを崩して打つやり方もいくつかやりました。
最近は会員に怪我させたらマズイのでゆっくりやるように心掛けていたんですが、久しぶりにスピード出して連打してみました。もちろん、寸止めです。これ当てるとマジでヤバイんで・・・。
自分で言うのも何ですが、我ながらスピードは衰えていないな~?と確認できました。
しかし・・・何ですね? 当て技って、“思いっきり相手をぶちのめしてみたい”って気分になっちゃうから、そういう点がマズイかもな~?
けれども、空手で限界を感じている人も、この当て技を体得できれば「当てるのは危険だから止める」という意味を心底納得されると思いますよ。
質問もきていたんですが、人間に打って練習するのは危険だから、できればサンドバッグに当てて練習してください!
PS;19日はホビット村で講座があります。新刊本の出版記念でやる予定でしたが、案の定、間に合わなかったので、当て技の回で解説し切れなかった点を解説しようか?と思います。DVDも『続・合気の応用』とか売りますので、是非、どうぞ! 予想通り、嫌がらせも来てますよぉ~(笑)。
今回の日曜日も、夏のセミナーはエアコン代がかさむからな~と思って、窓を全開にして自然風で何とかならんか?と思ったんですが、風も吹いておらず、ただ暑いだけ・・・。しょうがないからエアコンつけましたよ~。
道場の賃貸料は破格に安いんですが、電気代は結構かかるから、なるべく使わないようにしてるんですけどね~。
セミナーだと人数が多いし動くから熱気が籠もってヤバイんですよ。
なので、今回は説明を多くして練習は少しにしようか?と思っていたんですが、参加者に空手出身者が多いので、「空手の突きとは全然違う異質の威力を期待されているだろうな~?」と思うと、手抜きはできません。
「ここが違うんです!」という点を明確に示さないといけません。
ただ、重心力を駆使する当て技のコツを体得すると、軽く打ってるつもりでも致命傷になりかねないので、最初にキックミットを打って、威力の質の違いを充分理解してもらった上で、対人練習では怪我しないように寸止めでやってもらうようにしました。
質の違いを理解してもらうには、まず、キックミットを普通の打撃技で打ってみて、次に各種の重心力を駆使した当て技で打ってみる・・・というのを体験してもらうのが一番でしょう。
私も、既に忘れかかっている通常の打ち方で数回、ミットを打ってみたんですが、ミットの表面でパーンと良い音がするだけで持ってる人間はビクともしません。
そこで、拳を触れたところから重心移動でズンッと打つと、ミット持ったままスポーンと後ろに弾かれる・・・。
自分でやってみても全然、質が違いますよね? もう、この当て方が身体に馴染んでいるから、何発も殴って・・・というのは無駄に思えてやる気がしないんですよ。
最近もウィキペディアで私の腕前?に疑問を呈している人がいたそうなんですが、そんなに疑問があるなら直接来て試してみたらいいでしょう。確認もしないでケチつけるだけでは、単なるヤッカミにしかなりませんよ。
大体、この手の連中が勘違いしているのは、素人の上から目線の評論なんて飲み屋でクダまいてる親父の雑言と変わらないということです。プロの研究家や名のある武道武術のプロの方が言うのとは根本的に違うということです。
「長野さんは有名な武術家を散々批判しているじゃないか? 他人のことはとやかく言いながら、自分が言われたら怒るのか?」という意見も聞きますが、バカ言ってもらっちゃ~困りますよ。
私が甲野氏や木村氏を批判するのは現実に手合わせして技を封じた経験があるからですし、宇城氏や高岡氏を批判するのは、彼らと同じパフォーマンスをやってみせられるからですよ。
頭の中で勝手な推論をしているのではなく実証的に技術分析して「これはおかしい!」と言っている訳です。“口先で言ってるだけ”だと思うなら、確認に来てみたらいいでしょう? それをやる自信が無いなら口を慎んで黙っているか、あるいは、批判者自身が実証データを公開してみせるのが筋というものでしょう。
それが「批判する」という行為なのであって、根拠もなく自分の思い込みだけで疑問を呈するのは稚拙過ぎますよ。
そもそも、私は自分が強いとか全然思ってませんし、格闘能力はさっぱり無いだろうと自覚しています。ですが、武術的な戦闘技能なら誰にも引けを取らないという自負があります。それは、必要とあらば捨て身で殺し合いする覚悟を持っているからです。
銃で平然と撃つ。刀で平然とぶった斬る。何もなければ喉笛掴んでねじり潰す。
こんな残忍な行為を普通の精神状態の人間にはできませんよね?
熱狂的な状態やサイコパスや戦争状態とかでないと普通の人間にはできません。つまり、まともな精神の人間にはできないということです。戦場では時に覚醒剤や麻薬で精神をブッ飛んだ状態にして戦わせたりする・・・ねっ? そこに何の大義名分が有るんですか?
戦争は結局、国家というものを運営している権力者のためのものでしかなく、民衆は権力者の道具にされているだけですよ。「皆さんの生活を保障してあげるから国家のために戦って死になさい!」って、根本的に矛盾していると思いませんか?
現代はもっと外にやり方はありますよ。いつまでも武力闘争する理由は何か? 権力の維持以外に何の理由があるんですか?
私が絶対戦争反対なのも、普通の現代日本人をこんな精神状態に追い込む国家観の愚劣さを憎悪するからです。私みたいに自分から選んで戦う意志を持つのとは全然、別次元ですよ。
武術の極意は心法ですが、心法は自分を催眠状態にして機械的に戦闘を行えるようにする術でもあるんです。これは権力に利用されたらヤバイですよね?
だから、比古師匠みたいに「絶対に権力に与してはならん!」という訳ですよ。
余談が過ぎましたけど、武術の技というのは特別な強い人間にしかできないものではなく、原理を理解すればだれでもできるのだ!ということです。
私は、それを実証してみせているのですから、斯界の将来に益する献身的研究だと歓迎されこそすれ、非難される筋合いはまったく皆無であると認識しています。
根拠も無いのに人を批判したら無礼千万と非難されるのが当然でしょうが、私は体験的実証的に根拠を明示して批判しているんですから、それを“礼節”で論じるのはおかしくないですか?
これは武術武道の世界に巣くう慣例としての非論理的、前時代的な解釈です。
私は、仮に、いかに恩義のある人から言われたとしても、このような不条理な礼節論には従うべき理由を感じません!
「悪法もまた法なり」というのが伝統的な武術武道の世界に生きる爺さん達に根強い信条なのは解っています。
本人がそうしたければ、死ぬまでやっていればいいでしょう。
しかし、新しい時代を開くのは老人じゃありません。これから武術武道の世界をけん引していく若者に前時代の慣例を押し付けるのは傲岸不遜でしょう。
私は、このような盲目的に慣例に従おうとする態度そのものが武術武道の世界を特殊化させ世間的評価の対象外にして延々と停滞させてしまっている最大の元凶である!と、声を大にして言いたい。
まあ、要するに、しつこく私を貶めようとしているこの人物は、自分が特別なものを持っているのだとエバりたい。自己満足に浸っていたいのでしょう。
多いんですよ。合気や発勁の武術幻想に酔い痴れていたいだけの外道な連中が・・・。
その為には、武術の世界が開けてもらっては困る訳です。自分の特権意識が失われてしまうのが怖いのですよ。
だからこそ、試合に臨む格闘技の愛好家は、長く武術を嫌ってきた訳ですが、その根拠は、このような外道な連中の存在そのものにあったのです。
ただし、試合至上の考え方は90年代で終わりました。その現実に早く気づくべき。
時代が求めているのは武術の知恵だと私は思います。
つまり、生き方そのものです。生き残るための戦闘サバイバル術としての武術です。
前回の合気と今回の当て技は、特に武術の特性を最も色濃く持っている技法だと私は思います。
どちらも、具体的に体格や体力の差を無化して“戦闘条件を平等化”してしまう工夫だからです。
ここで重要になるのは、「強いか弱いか」ではなく、「知ってるか知らないか」の差になるのですね。
武道や格闘技では熟練することで強さが高まります。
それは、学んでいる内容が皆、同じだからです。そうすると、個々の技の優劣ではなく、技を使う者の量的な要素でランク分けされていきます。
かつて、大山倍達師範は、自身の過去の他流試合の勝利について質問され、「相手が空手を知らなかったからだ」と率直に答えられていたそうです。
つまり、相手が空手を知っていたら、そうそう簡単に勝てなかった。あるいはやられてしまったかも知れない・・・と述べられたのです。
当たり前過ぎて誰も疑問を持たないのでしょうが、戦闘状況に於いて、敵に手の内を知られていないというのは絶対的な条件なのです。
例えば、うちのセミナーに参加した他流の有段者や指導者の方が一様に驚かれるのは、自分達の技を私が簡単に封じてしまうからですが、これも、タネを明かせば、圧倒的な知識量の差が前提にあるからなのです。
つまり、私はありとあらゆる武道武術格闘技の技と戦闘法を研究しているから弱点を知り尽くしている。だから、弱点だけを攻めて相手に何もさせない。相手は何もできないから驚く・・・という、“ただそれだけの話”なんですよ。
だから、私は自分が強いという自覚がさっぱり無いにも関わらず、戦えば自分が勝つという自信がある訳です。
これだけ説明しても理解できずにケチつけるIQ低い人がいるので譬え話にしましょうか?
私がウルトラマンだとしたら、怪獣と向かい合った瞬間にスペシウム光線出して、ハッハッハと笑いながら飛び去る・・・というドラマ的には糞面白くもないやり方をする訳。
相手が何の技も出していない状態で私が一方的に打ち倒すという戦闘法なんで、ある意味、勝って当たり前でしょう?
「そんなのまともな勝負じゃない!」って文句つけるようなヤツは武術やる意味がありません!
武術というのはスナイパーと一緒です。ワンショット・ワンキル! サーチ・アンド・デストロイ! 見敵必殺! 悪即斬!(あれ?)
ですが・・・重要なのは、「一撃必殺にできるだけの攻撃力を自分が持っていれば?」の話なんですね。
だから、一撃で致命傷を与えられる武器が必須なんです。
でも、武器が調達できなくては意味が無い・・・という場合には素手で一撃必殺できる技を会得するしかないですよね?
それが、今回のセミナーで解説指導した“当て技”という訳ですよ。
空手経験者が多かったので、違いは理解してもらえたみたいです。
形意拳の半歩崩拳、馬形拳、虎形拳、八極拳の頂心肘、冲捶、双撞掌、その他、心眼流の鉄砲、太極拳の攬雀尾、橙脚、白鶴拳の水形手、八卦掌の白猿献花、空手の裏当て・・・等々やりました。
中でも、三戦の源流である白鶴拳の両手の前腕で打つ打法を白鶴震身を使って打つと、凄い勢いでふっ飛んで、「なるほど、白鶴拳が意拳に大きな影響を与えたというのも納得だな~?」と思いましたね。
それから、対戦した時に相手の構えを崩して打つやり方もいくつかやりました。
最近は会員に怪我させたらマズイのでゆっくりやるように心掛けていたんですが、久しぶりにスピード出して連打してみました。もちろん、寸止めです。これ当てるとマジでヤバイんで・・・。
自分で言うのも何ですが、我ながらスピードは衰えていないな~?と確認できました。
しかし・・・何ですね? 当て技って、“思いっきり相手をぶちのめしてみたい”って気分になっちゃうから、そういう点がマズイかもな~?
けれども、空手で限界を感じている人も、この当て技を体得できれば「当てるのは危険だから止める」という意味を心底納得されると思いますよ。
質問もきていたんですが、人間に打って練習するのは危険だから、できればサンドバッグに当てて練習してください!
PS;19日はホビット村で講座があります。新刊本の出版記念でやる予定でしたが、案の定、間に合わなかったので、当て技の回で解説し切れなかった点を解説しようか?と思います。DVDも『続・合気の応用』とか売りますので、是非、どうぞ! 予想通り、嫌がらせも来てますよぉ~(笑)。
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