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10月セミナー“隠し武器~護身術”

 11月3日に特別講習会をやる!と告知しましたが、月例セミナーをおろそかには致しません!

 特に九月はタルんでしまったので、10月11日は気合入れてやりますよっ!

 内容は、“隠し武器”を使った“護身術”なんですが、馬鹿にしてもらっちゃあ困りますよ~。

 武術とは“専守防衛の自己防衛術”に外なりません!

 つまり、護身術こそが“武術の本体”なのですよ。

 これは現代武道や格闘技をやっている人には理解しにくいことなのかもしれませんが、本来の武術を研究すればするほど、“護身術”として徹底的に研究されていったのだと確信せざるを得なくなります。

 では、クラブマガみたいなものなのか?と思われるでしょうが、はっきり言いますが、歴史が違います!

 もちろん、現代に工夫されたものがレベルが低い訳ではありません。銃を遣う現代戦闘の中から生まれた軍隊格闘術がダメな道理がありません。

 しかし、伝統的な武術というものは、数百年、数千年の発展の歴史があるのです。それを単純に時代遅れの役に立たないものだと考えるのは大きな誤りです。

 もちろん、意味がわからなければ武術というものは全然、遣えなくなってしまいます。

 意味もわからないまま、ただ練習を続けていれば自然に遣えるようになる?と考えるのは武術の歴史を何も理解していない考えの甘い人でしょう。

 武術というものは、理合(戦闘理論)がわからなければ本当の真価は発揮できないように構造化されて稽古システムが考案されているものなのです。

 ただ、習っただけでは実は遣えません。

 だから、型を一通り学んでも遣えないままだったりする訳です。師匠が遣い方を教えてやらないと、長年の努力が無駄になってしまうものなのです。

 怖いですね~?

 私は、いろんな先生から部分部分を教わりました。

 本来なら、それだけではダメなんでしょうが、私はヲタク気質だったので、本や映像作品を漁りパーツパーツを組み合わせていき、意味不明な部分は論理的に推測して全体像を描いていきました。

 後は、教えながら実験検証を繰り返す作業を30前後から延々と続けてきた訳です。

 チリも積もれば・・・の譬えの通り、研究成果は次第に明確な形になっていきました。

 まあ、20年以上、そういうことを続けてきたお陰ですし、有名無名を問わない多くの諸先生方の研究を分けていただく格好になったのだと思っています。

 だから、私は自分の研究成果をパクられることには鷹揚でいられる訳です。もっとも、隠されるのは不愉快ですけどね~(苦笑)?

 でもまあ、いいんです。

 私が武術研究のトップを走り続けていればいいだけですから・・・。

 理論を拝借しても自分ができなきゃ~意味がありませんし、仮に自分ができても、弟子を育てられなければ指導者として“無能”でしょう?

 武術業界だと、とにかく必要以上にへりくだって謙虚に「私ごときが・・・」と言えばいいみたいな風潮がありますが、「本当にそう思ってんの?」って疑問に思う時もあるんですね。

 実際、そういう謙虚な性格の人もいますが、謙虚なだけで武術が上達するのか?と疑問に思うんですよ。

 どんな立派なこと言っても、武術は戦って敵を倒す技術を錬磨するものです。戦うべき時に卑屈に逃げるような人間では論外でしょう。

 生きることは戦うことですよ。それを自覚するための日々の修行が武術です。

 戦うことを考えない武術では意味がありません。

 では、戦うこととは何か?

「現代で戦う必要なんか無いだろう?」と言う人の方が圧倒的に大多数かもしれませんが、それって、単に鈍感なだけだと思いますよ。

 子供は勉強、大人は仕事が“戦い”の本体ですよ。

 有り体に言えば、生きていくにはお金が無くてはなりませんね? お金を得るには仕事をしなくちゃいけない。お金を得られる仕事をするには勉強しなくちゃいけない。

 ねっ? 納得できるでしょう?

 やらなきゃいけないことをやる! それを“戦い”と言わずして何を言うのか?

 もちろん、武術は具体的に人を殴ったり蹴ったり投げつけたり関節の逆を取ったりする技を練習する訳なんですが、何のためにそんな練習をするのか?と考えてみれば、直接的な対人戦闘の技術を磨くことで、人生のサバイバルの“意識を高めている”んですよ。

 どういう意味かわからない人もいるでしょうね?

 源初生命体としての生存本能を刺激することによって、人生に対する覚悟を養成している訳なんです。

 例えば、現代では弱い人が暴力を受けているのを見ても助けに入る人は稀でしょう?

 どうしてでしょうか? どうして助けに入らないのでしょうか? 正義感が無いからでしょうか?

 いや、そんな理由ではありません。

 助ける具体的な力を持っていないからですよ。

 下手に助けに入って自分が暴力に晒されるのは嫌だから、見て見ぬフリをするしかない訳です。

 それでも警察に通報するくらいの人はいるでしょう。

 でも、間に合うかどうか?

 死傷者が出てしまった後では意味がないですよね?

 私は、子供の殺人事件が起こった時に親の責任を論じるのが常ですが、親だったら自分の命を捨てても子供を護る!くらいの覚悟を持って欲しいと思うからですよ。

 学校とか職場のイジメもそうです。

 私は権力をかさに着て弱い者イジメするようなヤツが大っ嫌いです。

 自分も中学時代にイジメを受けていた側だから、許せない訳です。今から中学時代に戻れたら、イジメ・グループを全員半殺しにしてやりたいですね~。

 大人げないとか言いたい人は言えばいいんです。

 でも、彼らのお陰で今の自分があると思えば、まあ、許せますよ。

 中には空手やったりヤクザになったりした人間もいると聞いていますが、純粋な戦闘能力だけなら私が負ける要素ありませんからね。

 あっ、自慢しているんじゃありませんよ? 私は自分が研究してきた武術に絶対的確信を持っているだけの話です。

 武道や格闘技を学んでも、圧倒的な武器を持った敵には勝てません。

 強くなるのは、あくまでも限定された想定内の闘いの中でしかない訳ですし、自分より強い相手に勝つ術はない訳です。

 当然ですね? どっちが強いか?を競うことを目的にしている訳ですから、相手が明らかに自分より戦力が上だったら闘うことそのものが無意味です。

 しかし、武術は強いとか弱いとかは無関係に、敵を殲滅する術策を延々と工夫します。

 降参したフリをして敵の隙を突くとか、敵の武器を奪って制圧するなんてのも当たり前にやる訳です。要は、最終的に“勝ちゃ~いい”んですよっ!

 卑怯だと言いたい人が多いんでしょうが、私は、「そこがいいんじゃない! 誰でもできるからいいんじゃない」と言いたいですね。

 普通の武道や格闘技では30過ぎたら実力は維持できなくなるだけですし、そもそも、どれだけ頑張っても素質や才能に大きく左右されてしまいます。

 苦労に見合って上達することはできない訳ですよ。

 私も若い頃は、それが仕方がないことだと思っていましたが、今は「それでは本当の武道とは言えないんじゃないか?」と思います。だから、武“術”の研究をしていった訳ですね。

 今回は、「なぜ、武術なら勝てるのか?」という答えを披露します。

 もちろん、「隠し武器なんか、いつでも持ち歩ける訳じゃないだろう?」と文句を言いたい人もいるでしょう。

 別に自分が持ち歩いていなければいけない訳ではありません。

 有り合わせの物を使えばいいし、無ければ自分の身体のパーツを利用する。あるいは、敵の武器を利用すればいい訳です。

 それと、自分が被害を被らないのが目的なので、やり方に規定はない訳です。いちいち格闘する必要もないのです。

 以前にも何回か書いたと思いますが、例えば、某国がいきなり武力制圧してきた場合、武力で防衛するという方策しか考えないのは芸が無いんですね。

 被害が無いうちに降参してしまい、好きに支配させる。その上で戦略的に制圧していくのが賢い戦法だと私は思いますね。

 戦後のアメリカの日本支配のやり方がそれですよね。

 表向き自主独立させているように見せかけて、日本国民にもそう思わせる。しかしながら、精神的にアメリカ依存体質の国民に洗脳していく・・・。

 実にうまいやり方ですよね?

「陰謀論だ」と、つい最近まで冷笑していた人達も、最近は押し黙ってしまった印象がありますが、恐らく、アメリカの陰謀が露骨過ぎて隠すに隠せなくなってきたからではないでしょうか?

 原発再稼働もTPPも安保法案もマイナンバーも、すべてアメリカの命令だから逆らえない・・・。

 もうバレバレですからね~?

 ちなみに、日本の原発推進の中心人物、正力松太郎氏はCIAだったとスッパ抜かれていますが、政治もメディアもアメリカに圧えられてるということでしょう。

 真相がそうなら、もう隠す必要ないんじゃないですか? 日本もアメリカの州にしてもらって、将来は日本人の大統領を出して日本式の教育やカルチャーを普及すればいいんですよ!

 アメリカ人はアメリカ人で、日本に経済侵略されることに対する恐怖心があって、『猿の惑星』とか侵略SF系の映画に日本を暗示するような要素がいろいろあった訳ですね。

 でも、日本通の外国人なんかは、日本が世界一平和で文化的な国だって大好きになったりするでしょう? 

 世界の趨勢から見ると、軍事的に紛争を解決するのは無理なんですよ。延々と紛争の火種を残してしまうだけだから。

 本当に世界の平和を実現するには、文化芸術の交流が重要でしょうね。

 民族によって宗教的価値観が違うから、価値観の押し付け合いは争いしか生まない。

 では、どうすればいいのか? 

 何もしないのが一番ですよ。余計なことはしない。

 その上で、暴力で支配しようとしてきた相手には専守防衛で迎撃する・・・それだけでいいんです。

 言葉が違って価値観が違えば、理解し合うには時間がかかります。

 しかし、一足飛びに共感できるのが文化芸術。

 芸術に言葉はいりませんからね~。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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