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アレッ?

・・・っと、時代劇専門チャンネルで始まった萬屋錦之介主演の『柳生新陰流』を見ていて、思いました。

 この作品、『それからの武蔵』と同じように、昔、テレビ東京で放送された柳生但馬守宗矩の生涯を描いたドラマなんですが、久しぶりに見てみて、武芸考証的にあり得ない箇所に、ポカ~ンとなってしまいました・・・。

 私が新陰流を少しだけでも学んだ後で見たら、どう思うかな~?と、ちょっとワクワクして見たんですね。

 タイトルロールで新陰流の型をシルエットで演武するシーンが印象に残っていて、武芸考証は大坪指方先生がされたと聞いていたので、本格的な殺陣になっていると思っていた訳です。

 確かに剣術に関しては、なかなか良いかな~と思ったんですけれど、第一話で宗矩が居合術の型を稽古するシーンが描かれているんですが・・・何と!

 居合道の型なんですよ・・・。

 ガ~~~~~ン・・・となりましたよ。

 新陰流の師範が武芸考証に参加していながら、何という大失策を仕出かしているのか?


 宜しいでしょうか? 本来、新陰流に居合術はありません。現代で新陰流居合術と名乗って演武されているのは、幕末に尾張柳生新陰流を編成した長岡桃嶺が、尾張藩に伝わった制剛流抜刀術を取り入れて併伝するようになったものなのです。

 当然、宗矩の時代には新陰流の居合術はありません。

 ましてや、現代居合道の母体になっているのは、土佐藩に伝わった無双直伝英信流(長谷川英信流・夢想神伝流など、派閥によって名前は変わる)を伝えた昭和の剣聖・中山博道師範の流儀であり、まるで関係ありません。

 強いて言えば、新陰流を創始した上泉伊勢守信綱の息子の権右衛門秀綱の系統の民弥流居合術がありますが、これも新陰流ではなく、長野無楽斎(居合術の開祖とされる林崎甚助・田宮平兵衛に学ぶ)の弟子であり、新陰流に併伝されていた証拠はありません。

 ただし、民弥流が富山藩に伝わる駒川改心流・四心多久間四代見日流・椿小天狗流・小栗流と併伝する形で黒田家に伝えられたというのは、古武術界のホープ、黒田鉄山先生の一連の著述活動によって、広く知られていますね。

 黒田家は埼玉に移りましたが、現在も富山には、高岡弥平師範の系統の同武術群を清水万象師範一門が伝えているようです(糸東流空手道も併伝)。

 駒川改心流は、上泉伊勢守に新陰流を学んだ駒川太郎左衛門が開いた流派であることは、古武術マニア間には割りと知られるところですが、何故か、本家の新陰流には長く居合術は伝えられていなかったようなのです。

 大坪先生がそれを知らないとも思えないのですが、錦之介個人が居合道の師範を招いて修行していたという話もありますから、恐らく、錦之介が主役の権限で「やらせてくれ」と言ったのではないかな~?とも思います。

 まあ、エンターティンメントに史実がどうこうと目くじら立ててもしょうがないので、ここは笑って済ますのが大人の対応なんだと思います。

 近衛十四郎主演の『柳生武芸帳』の柳生十兵衛なんて、柳生新陰流とは似ても似つかない殺陣ですが、迫力があるからチャンバラ映画の金字塔になっていますし・・・。

 私だって、夏に撮った『セーラー服忍者』で丸目蔵人佐を演じましたけど、タイ捨流の技は一、二手しか遣っていません・・・というか、撮影の諸事情で、思うに任せなかったのです。

 話は変わりますが、正和サマ主演の『忠臣蔵・音なしの剣』を時代劇専門チャンネルで見たら、いつもの正和サマの殺陣とは違って、実にリアルな、ぶった斬り感があります。

 正和サマの殺陣といえば、いつもは東映剣会の谷さんなのですが、これは違う人なんじゃないか?と思って、クレジットタイトルを確認したら、菅原さんでした。この人の殺陣も私は好きですね~。

 私も、もっと本格的に武芸考証の仕事やってみたいですね~・・・。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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