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武術と武道と格闘技

『大武道(OH!BUDO)』を買ってきて読みました。

 元格闘技通信と元紙のプロレスの編集長が組んで創刊したムック本でしたね。

 どちらの雑誌も、基本はプロ格闘技の専門雑誌でしたから、この『大武道』も、根本的には武道ではなくプロ格闘技の雑誌としてやっていこうとしているように思えました。

 コンセプトとしては、プロ格闘技の新たなブームを作るには“武道”という思想的な概念が必要なのではないか?という企画意図があったようですね。

 なので、実際に武道をやっている人間が読むと、かなり違和感を感じます。

 つまり、『厳流島』という“プロ格闘技イベントのプロパー”として創刊されたムックであって、別に“武道”という文化そのものを探究する専門雑誌にするつもりはさらさら無いのが読めてしまうからです。

 私は格闘技は嫌いではありませんし、格闘技を修行している人達にも尊敬の気持ちを持ちますけれど、“興行”というビジネスに組み込まれてしまっているプロ格闘技の選手として一所懸命にトレーニングしている人達は、どうにも気の毒に思えてしまいます。

 格闘技の純粋な探究と、興行のためのショー化は本来、意味が違うのではないかな~?と思うからです。やっている人達は、目先の“強さ”を求めて視野狭搾に陥っていることを自覚していないでしょう。

 古代ローマのパンクラチオンや、タイのムエタイ、プロボクシングやプロレスもそうですが、ショーとして見せるエンターティンメント性ビジネスとなれば、そこには多少なりとも演出や演技が入ってくる訳で、それを「真剣勝負」と認識することは何か根本が違うと思いますね。

 むしろ、完全に演技と割り切って、芸術性や芸能性を追究する殺陣アクションが、スポーツの枠組みを脱しているように思いますし、“健全”でしょう。今夏、自分でやってみて、尚更、芸道として確立されているジャンルなんだと思いました。

 抽象概念としての“強さ”を求める呪縛から解放されて、ダンスのような身体表現の芸術になっているから“健全”なんですよ。

 私も道場経営している人間ですから、ビジネスが悪いと言うつもりはありませんが、何か目的がズレていってしまうのでは問題があるな~?と思うんですよ。

 武道は、既に現代日本でビジネスモデルにされてしまっている面があるので、どんどん本質から離れて建前としての精神論と、競技に勝てる技術ばかりを残す形式になってきています。

 いや、その点を疑わない人も多いのではないでしょうか?

「試合に勝って強さを証明する」というスポーツの論理に組み込まれてしまっている訳で、“競技試合”が目的化されているのです。

 そこでは、武道はスポーツとして微塵も疑われなくなっていますが、これは西洋の文化に日本の本来の文化が侵食されてしまった結果だと思います。

 もともと、武術は兵法と同義であり、いかに効率良く敵を抹殺するか?を研究して発達してきたものです。そこに年齢とか体格とか体重とかはまったく関係ありません。

 そもそも、命懸けの戦闘に平等な条件はあり得ないからですし、見物して楽しむためのものでもありません。戦争映画は虚構だから楽しめるのであって、ドキュメンタリー映像で戦争で人が木っ端微塵になる様子を楽しんで見れたら、それは精神に異常がある証明にしかなりませんよ。

 血みどろで闘う格闘技を「実戦的だ!」と喜ぶのは、もう変態性欲の持ち主でしかないでしょう。こういう人間が暴力事件を起こしても驚くには値しません。弱い者を救いたいと思う人間でないとキチガイに刃物ですよ。


 さて、よく誤解されがちですが、鉄砲が入ってから武術は廃れたと考えられていますが、事実は違います。鉄砲も武術化したのです。

 西洋では鉄砲は火繩式(マッチロック)から火打石(フリントロック)や燧発火式(ホイールロック)を経て、雷管式(プライマー)となり、19世紀半ば過ぎに薬莢(カートリッジ)が開発されてから連発が容易になって急激に発達して今に至ります。

 が、日本では幕末に独自に雷火式が発明されるまで火繩式が使われ続け、火繩式に関しては世界で最も研究されて数多くの流派が出ました。

 しかし、海外で鉄砲の流派というものはあまり聞きません。鉄砲そのものが改良され続けて一般化したからです。そこには武器の進化しかありません。

 日本では、どうして武術化したのか? それは、鉄砲が新しい武器だったからです。刀や槍、薙刀、棒などに対するに、弓矢や手裏剣よりも遠方を狙える“武器”として武術の中に採り入れられた訳です。

 どうも、格闘技をやってきた人達が一番、誤解しやすいのが、この点のようです。

 武術は本来、“武器を用いて戦う戦闘術”だということです。

 素手で闘うのは、相撲のような祭礼儀式的な遊戯であり、軍事訓練の一つでもありましたが、そこから武術が発展した訳ではありません。

 日本で素手の武術が発展したのは、戦場で武器が無くなった時に最後の手段として組み討ちで戦う必要があったからです。

 その証拠に、ほとんどの柔術流派が、剣術や居合術も含んでおり、最初の柔術流派とされる竹内流に至っては総合武術流派として剣・居合・棒・槍・薙刀・手裏剣・整体活法・捕縄・十手に気合術や霊術(エクソシズム)まで含まれています。

 戦国時代に発祥した天真正伝香取神道流も、剣術がメインではありますが、居合・棒・薙刀・槍・手裏剣も含みながら、柔術も採り入れています。

 現代武道のように空手なら突き蹴り、柔道なら投げと固め、剣道なら竹刀で打ち合う・・・といった形態とはまるで異なるという事実を、もっと理解していなければなりません。

『大武道』では、このような現代武道の根底にある本来の武術性について評価する視点がまったく感じられませんでした。

 実際に柳生心眼流を学んでいる平さんや、武道武術に造詣の深い山田編集長も取材されていましたが、インタビューの聞き手の質問に問題があるのか、そういった“武術性”については、ほとんどくみ取られておらず、語られてもいないのです。

「達人は本当にいるのかどうか?」といった、格闘技ファンが考える神秘のイメージでしか語られないので、結局、強いか弱いか?という競技試合の観点に話が戻ってしまうんですね?

 平さんはもともとプロ格闘家だったので、武術マニアがプロ格闘技をなめたような発言をするのを苦々しく感じているのが明白でしたが、ほとんど格闘家の視点に戻っていましたね。

 武術の代表として、この期に及んでフェイク武術の代表である甲野さんを取材する時点で、何も理解していないのがバレバレなんですが、“武道”という言葉を掲げているだけで、武道そのものへのリスペクトが欠落しているのは明白でしょう。

 それでも、私は「しょうがない」と思っています。

 実際に武道家と呼ばれている先生方を取材しても、納得できるような答えを論理的に示すことのできる人は皆無に近いでしょうし、それができる先生は取材そのものを受け付けないと思います。

 真に武道武術を探究している先生方に共通するのは、「わかってない人間はまともに取り合わない」ということです。無視したり叱責したりするか、あるいは、「こいつに何を話しても無駄だな」と、テキトーにおだてて何も見せずに帰してしまうか? そういうものですよ(私もそうやってますから・・・)。

 だから、本当に凄い先生って、案外、メディアに出てこないんですよ。いっぱい出てるから本物か?というと、まったく逆で、自分で売り込みまくってたりするんですよね。

 そんな訳で、武道や武術を真剣に追究していれば、雑誌は作れないでしょう。仮に私が、「金出すからやれっ」て言われても断るでしょうね?

 難しいですよ。各流派を取材しても流派の歴史なんてもう捏造だらけですからね~(苦笑)。本当のこと書いたら、やっている人達が激怒するでしょう? だから、書けないんですよ。

『秘伝』なんて、よく頑張ってやっているよな~?と、最近、本当に偉いと思うようになりましたよ。物凄くニュートラルにバランス取って書いてる。私にはできない芸当です。「こりゃあ、ダメっすね~(苦笑)」って思った通りに書いちゃうし、あまりにもインチキで勘違いした相手だったりしたら、怒ってぶっ叩いちゃったりしますからね~、私は。

 つまり、武道について知らないから『大武道』と、シャレでできる訳です。

 知らないなりに、「知りたい」という欲求が根底にあるから創刊しようとした訳でしょうから、是非を論じても仕方がありませんが、雑誌を作るには金がかかるし、ビジネスとして成立させるには出版事業計画を建てなければなりません。

 そういう大変なことが必要なのを、私ももの書きの端くれとして知らない訳ではありませんから・・・。

 ただ、「もういい加減に、格闘技と武道、武術をいっしょくたにして考えるな!」と言いたいし、専門家も、「もうちょっと、ちゃんと勉強してから物を言え!」って言いたいんですね~。

 格闘技と武道は、競技スポーツとしての面で共通性がありますが、武術は競技スポーツではありません。

 では、武術は何か?と問われるのなら、“護身術”です!

 ただし、暴漢から身を護るだけが護身術ではありません。

 病気に罹らないための養生術・怪我を治す治療術・身体を強化する健身術・心を強化する瞑想術・危機を予測する察知術・敵の心を読む読心術・天地自然の理を読む観相術・・・や、あらゆる武器を使いこなす武芸百般の腕も必要です。

 気功や呼吸法、整体や薬方、食養、易や風水気学、そして、ありとあらゆる武器術の修練や武器の製作法なんかも勉強するのが武術の考える護身術なのです。

 何故、そんなに膨大な知識が必要なのか?というと、生き残ることが大前提だからなんですね?

 格闘技の試合だったら、「相手が強かったから負けても仕方ない」と言えますが、武術の勝負は基本的に“負けたら死ぬ”という状況であって、“競い合う”という概念は皆無です。当然、強いとか弱いとかも関係ありません。

 相手が自分より強くても勝たなきゃいけない場合が“当たり前”なのが武術の想定する実戦なんです。よって、できるだけ勝負は避けるのが基本ですし、強さの確認じゃなくて、「生き残るためにはどうすればいいか?」が前提としてあって、その上に確実に勝ち残るための戦闘術がある訳です。

 プロ格闘技の場合は、“負けたら飯が食えなくなる”という状況があるかもしれませんが、即座に死ぬことには直結しないでしょう。

 実戦をケンカと想定するのも、やはり、ちょっと違いますよね? ケンカで人を殺そうとは思わないですよ。普通。従って、殺傷力のある武器は使いません。

 逆説すると、人を殺そうと考える場合、素手で殴り合う人間は普通はいません。ナイフや包丁、金属バットくらいは用意するでしょう?

 致命傷を与えるには武器を使うのが確実だからです。

 ですから、護身術で一番に考えなくてはならないのは、“対武器”なんですよ。

 素手の武道や格闘技をやっている人間は、この認識が非常に乏しいようです。皆無に近いと言っても構わないくらいですね?

「刃物や鉄砲を相手にするなんか考えるのがナンセンスだ」って言い切ってしまう武道家も普通にいますが、本来は、そこが肝心要な点なんですよ。そこを考えないで武術だの武道だの語るも愚かです。平和ボケの極致!

 わかりますか? 武道家が一番、平和ボケしている?って、それこそナンセンス・ギャグにすらなりませんよ。笑えないよな~・・・。

 恐らく、日本がアメリカみたいな銃社会だったら、「銃道」みたいな武道があったでしょうね?

「そんな訳あるかい?」って思った人は、何かお忘れではないでしょうか?

“銃剣道”ってあるでしょう?

 どう考えますか? 明らかに軍事教練の産物ですよね?

 ライフル型の木剣は、小銃にバヨネット(銃口近くに装着するナイフ)を装着したものをモデルにしていますね? これって完全に軍隊の野戦体術の発想でしょう?

 銃は、弾が尽きたら鈍器として使うくらいしか武器としての効力がありませんが、ナイフを装着していれば接近戦闘にも応用できます。

 この発想で、アラン・ジッタという人が考えた“ストライクガン”というのがあって、これはコルト・ガバメントM1911をベースに、銃口やグリップ下に打撃用のスパイクがデザインされていて、『リベリオン』のガン=カタに登場するクラリックガンの元ネタになったものです。

 OK牧場の決闘で有名な名保安官ワイアット・アープが使用したと言われる、異常に銃身が長いコルト・シングルアクション・アーミー45・バントライン・スペシャルも、実際に撃つより長い銃身でぶん殴っていたとか?

 映画『黄金の犬』で地井さんが演じた残虐非道な殺し屋が使ったナックルダスターガンというのも、弾が尽きたらナックルダスターで殴ったり、ナイフで切ったりする実在する珍銃でした。

 日本や中国の武術にも、こういう珍奇な隠し武器、暗器は沢山ありますし、宮本武蔵が晩年、刀を差さずに歩いて、「流石は名人だ」と言われながらも、実は懐に斧刃状の懐剣という握り武器を隠していたとか・・・武器というものは武術にとって必要不可欠なものだったのです。

 武道や格闘技を愛好する人は、大抵、こういう武器に関する話を嫌がるものですが、刃物を持った通り魔に遭遇して逃げるしか能がないような武道家や格闘家の実戦論なんか聞く意味があるんでしょうかね?

 まして、武装テロリストに捕まって、為す術なく斬首されてしまうとしたら、何のための武道や格闘技の修行だったのか?と、私は思います。どうせ殺されるのなら、敵の銃を奪って一人でも多くのテロリストを殺した方が、世の中の平和に貢献できると思うのは私が特殊過ぎるんでしょうか?

 私は、戦うべき時に戦える人間でありたい。そのための武術修行であり、同じ志しを持つ人に戦い方を教えるべく研究している訳です。

 競技で自己満足の強さを獲得したい人は、そういう道場を選べばいいと思うんですけど、それだけで満足できる人達の気持ちが私には理解できませんね。

 私は人を救けられなくて悔しい思いをしたことが二回あります。

 一度目は中学の時で、二度目は24歳くらいの時でした。

 試合に負けたりしても大して悔しくはないんですが、人を救けられなかった悔しさはずぅ~っと残りますよ。

 だから、爺さんになっても、義を見てせざるは勇無きなり!の精神を保てるように武術の研鑽を生涯続けたいんですね・・・。


PS;31日の隔週木曜のメイプルホールの稽古はお休みです! 間違って、来ないようにお願いしますね。新年は14日から始めます。3日の日曜本部稽古は普通にやります!(ブログ担当追記:1/2土曜日11:00から本部道場稽古あります。いつも通り10:30にJR横浜線淵野辺駅集合です)

PS2;質問があったのですが、『武術極意特別講習会』DVDは、セミナーや講座でも値引きできません。秘伝をいくつも喋ってしまっているので、安くして広まると問題が生じるかもしれないので・・・。また、同じ理由で、予告無しに販売中止するかもしれませんので、御了解ください。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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