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ほびっと村講座感想

 17日は、今年初の西荻ほびっと村での講座でした。

 前回の昨年10月は、青木宏之先生をお迎えしての特別講座でしたが、今回は普通にやりましたよ。

 普通といっても、ここ最近は次々に新技開発していますから、参加者に満足して戴けるように指導させてもらいました。

 原点に帰って、今回は基礎錬体の動きの応用法をやってみました。

スワイショウも横回転だけでなく縦の腕振り運動の武術的応用法を指導しましたが、こういうのは体験してみないと効果がわかりませんからね?

 武術の基本技法は、打撃・逆(固め)・崩し・投げ(絞め・ツボ)なんですが、本来、これらの技は別々ではなく融合して遣うべきだと私は考えています。

 本来、そういうものだと認識していると、例えば、空手の形の動作の意味が判明してくるんですね。

 パンチに関しても、拳面だけを当てるものだと思い込んでいる人が多いんですが、武術で用いるパンチは、貫手・掌・裏拳・手刀・背刀・平拳・一本拳・鉤手・拳槌・・・と、あらゆる形で当てるものですし、さらに言えば、肘でも肩でも前外腕・前内腕・頭突き・・・と、身体のどこからでも打てるようにするべきなんですよ。

 受け技に関しても完全に誤解されていますね?

 皆、「相手の攻撃を受け止める技」、つまり、“ブロック”なんだと思い込んでしまっていますが、武術ではそんな受け方は“本来の遣い方ではない”んです。

 受け流すか、受け崩すか、受け潰すか、受け即攻めか・・・と、受け技は攻撃のための部分的技術なんですね。攻撃技を補完していると考えてもらえばいいでしょう。

 もっとも、多少、詳しい方だと、「そんなことはない。古流武術の型には敵の攻撃を受け止める動作も頻繁に出てくる」と反論されるかもしれません。

 けれども、ここが厄介な点で、確かに初学者向けの基本の型ではそのような動作が結構あるんですね。

 ところが、これは実際の戦い方ではやってはいけない間違ったことを、敢えて最初はやらせるんですよ。

 何で、そんな無駄というか嘘を教えたりするのか?と思われるでしょう。そこが古流武術が廃れたり誤解されることになった誘因だと思うんですが、要するに、門外漢に真の戦闘法を盗まれないための用心なんですよ。

 昔はそれだけ技を盗もうとして入門する者もいたんでしょう。だから、秘伝というシステムもできていったし、一般向けに教える内容と信頼できる内弟子に教える内容、さらに後継者だけに教える内容とに差をつけていったんです。

 従って、古流武術に限っては、宗家から教授代理を許されるくらい信頼された人しか本当の戦闘法を教えてもらえなかったし、本当に本当のことは宗家を極意相伝した人だけしか教えられていない・・・なんてことが普通にある訳です。

 でも、安心はできません。宗家を名乗っているから真のやり方をすべて知っているか?というと、実際はボロボロ失伝してしまっていたり、場合によっては宗家を名乗っている人が経歴詐称している実例もかなりあるからです。

 よって、ブランドに胡座をかいて質的に消耗してしまった流派が非常に多く、故にこそ、現代武道のように組織的に発展した流派から評価の対象外にされてしまったりしている訳です。

 例えば、現代武道や格闘技を浅くやっている人だと、古流武術が現代にも伝わっていることすら知らない人が珍しくありません。そのくらい、伝承形態が小規模過ぎるんです。

 ツチノコやヒバゴンやクッシーが実在するかどうか?と同じくらいのレベルで語るバカがいるから、武術と言うだけで果てしなく誤解だけが拡散していくのです・・・。


 ここを勘違いして、「遣える遣えない」と論議してしまうからおかしなことになる訳なんですよね。

 武術がインチキだと言っている人達は、“武術の技と遣い方を知らないだけ”で、圧倒的に知識が無くて妄想的なイメージしかないから、ほとんどオカルト扱いしている訳なんですよ。

 普通に考えたら、そんな糞の役にも立たないものが何百年も続けられる道理がないでしょう?

 私も、「こんなもんは時代錯誤で使いもんにならん」と若い頃は思った時期がありますよ。甲野氏に失望した時は・・・。

 甲野氏自身、何かの流派をきちんと習って師範を認められている訳ではないので、いろんな本を読んで研究はしていますが、根本的な戦闘理論を知らない。だからこそ、まともに戦えば冗談みたいにメタクソにやられてしまっていた訳です。

 型稽古オンリーの流派で不完全な稽古体系しか習っていなければ、そうなるのは必然的帰結でしかないんですが、盲信しているからなかなか気づかないんですよ。で、試合に出てボロ負けして初めて気づいたりするんですね?

 気づいても嘘で自己暗示かけて達人のフリしてるのが甲野氏です。正常じゃないんだから、周囲が見抜くしかない訳ですけど、見抜ける人は意外に少ないし、例え見抜いても糾弾する人は滅多にいませんね。

 何故か?というと、著名人を批判したら自分の立場が危うくなるから・・・。で、彼を信じていたり、薄々解っていながら利用しているような小判鮫な人達は、もう武術やってもものにならないでしょうね。実力よりも社会的評価が欲しいだけでしょうから。

 でもね。彼のお陰で武術は非常に誤解されまくってしまいました。勘違いしてても試合に出たりする人達の方が純粋ですよ。自分に嘘ついてないんだから。

 甲野氏個人がフェイクなだけで、武術そのものは極めて高度な戦闘技術と理論を兼ね備えていたんです。もちろん、実際に達人レベルの先生に何人も遭遇できたから再認識できたんですけどね~?

 で、私みたいに素質も才能もない人間でも普通なら衰える年齢になっても日々、向上していけているんですから、武術という戦闘文化は本当にとてつもなく優れた価値を持っている!と、声を大にして言いたい訳です。

 誤解しちゃいけないのは、遣えるか遣えないかは、体得している人間の技量の問題でしかないという点です。

 これは、武術でなくとも武道でも格闘技でもスポーツでも何でも同じでしょう?

 格闘家でも武術の極意技と同質の技術をそうとは知らずに遣っている人はいます。

 もっとも、それは個人的な工夫なので他人には伝えようがなかったりする訳です。武術は長い歴史の中で誰もが体得できるように稽古法が体系化されているので、それを理解して学べば、誰でも体得できる・・・と私は思っています。

 秘伝扱いし過ぎて稽古法の意味が専門家でも解らなくなってしまっているのが、今日の混乱を生じた一番の問題点だと思います。

 だからこそ、私は失われていきつつある武術の真の意味を発掘していく研究が必要だと思っている訳で、特定の流儀の優秀性をアピールしたがる普通の武術愛好家とは明確に別の道を選んでやってきたんですね。

 主にやっているのは、秘伝の解明なんですよ。教えている人達すら解らなくなってしまっている意味を分析して稽古法を再生し、あわよくば、更に発展させようとしてきている訳です。

 だから、自分の学んだ流派の技がどうすれば実際に遣えるようになるのか?と悩んでいる多くの他流派の師範や将来の師範候補の人に、その人の学んでいる流派の技の応用法をアドバイスしてきたんです。

 何せ、長くやってますからね~。研究家としての活動は30くらいからやってきたから、もう23年くらい? 流派名乗ってからも17年くらいですからね。

 無刀捕りなんか30くらいの時は全然できなかったですね~。竹刀で女の子にポコポコ打たれたりしてましたよ。今は真剣捌いて捕ったりしていますが、このコツを解明するのに10年20年かかってる訳ですから・・・。

 いろんな人が来ましたよ。フルコン空手だと極真・芦原・円心・正道・誠道・士道・佐藤塾・無門會・大道塾、伝統空手だと松濤館・松濤会・新体道・和道・糸東・剛柔・少林・松林、拳法だと少林寺拳法・不動禅・日本・流水・太気・借力・武当派、合気道だと合気会・養正・養神・気の研・万生・光輪洞・岩間、合気武術だと八光・武田、大東流だと佐川・六方・光道・幸道・電々・松田・大和道、古流武術だと、香取神道・鹿島神・田宮・夢想神伝・無双直伝英信・竹内・柳生心眼・竹生島・駒川改心・小野派一刀・柳生新陰・示現・円明・浅山一伝・天心古・戸隠流忍法・圓心・神夢想林崎・関口新心・伯耆・二天一・根岸・影山・心形刀・正木流万力鎖・江戸町方捕手十手、中国武術だと、八極・八卦・形意・意拳・戴氏心意・心意六合・教門長拳・洪家拳・詠春・通背・通備・通臂・散打に各種太極拳、その他、JKD、クラブマガ、システマ、シラット、カリエスクリーマ、カラリパヤット、カポエィラ、体術、躰道、なぎなた、スポチャン、銃剣道、ブラジリアン柔術、シューティング、シュートボクシング、ボクシング、ムエタイ、総合格闘技、テコンドー、逮捕術、不二流、サンボ、レスリング、柔道、剣道、居合道、弓道、杖道・・・etc.

 私が自分で書籍やビデオで研究した以外に、最も研究になったのが、このように講座やセミナーを受講した人達との技術論議にある訳です。それを20年以上続けているんだから、詳しくなるのも当然でしょう?

 他流破りの研究も、このような中にはヤンチャな人もたまにいるので、必然的に手合わせになったりする。その経験が積み重なっている訳ですよ。

 もともと九州男児は殴り合いのケンカを子供の頃から普通にやるので、その感覚でずぅ~っと生きてきたら、それは場数も多くならざるを得ませんよね? 自分から進んでやるほどケンカ好きじゃないんですけどね~。

 もちろん、何度か負けたり怪我したりもしてますけど、そういうのもトライアル&エラーになって研究にプラスになってる訳ですよ。鼻血出したり肋骨折ったり歯折れたりしてますよ。真剣にやってたら、そんなの当たり前なんですよ。

 普通に武道格闘技やっている人だと、闘い方のスタイルが一定した自由組手やスパーリング、試合しか経験しない訳ですが、私の場合、ほとんどが他流試合的な要素があるので、必然的に相手の弱点を研究するようになっていった訳ですよ。

 それも、素手とは限りませんからね。アウトロータイプの相手だと、本当にストリートファイトみたいになってしまいますから、油断できないでしょう? 先手必勝ですよ。

 木刀や鉄パイプで殴られるのを何発も耐えられないでしょ? 打ち所が悪かったら死ぬか半身不随になるかもしれないでしょう? 正直、カバンにヌンチャク、上着のポケットに万力鎖入れてたりしてましたからね(今は違法にならない竹の中国扇子入れてる)。

 だから、初撃を潰すしかないんです。絶対に打ち合いをやってはいけない!

 こういう経験上、流派というカテゴライズは適当ではないのかもしれませんが、何しろ、長くやっているので、対他流戦闘を考えて自然に技術的スタイルというものはできてきたので、やはり流派を名乗ったのが正解だったと思っていますね。

 普通の人はあれこれ迷うみたいですが、私は迷わないです。方向性は終始一貫して「戦って勝つこと」だけですよ。「武術なんだから当然だ」と思ってる訳です。

「戦うことに何の意味があるのか?」「勝つことに何の意味があるのか?」・・・といった哲学的命題を追求したことはありませんね。

 どうしてか?というと、そんなこと解答が出ないでしょう? 無理に理屈付けた時点で思想としての権威付けにはなるでしょうが、武術の真相とは無関係な妄想としか思わないですよ。「そんなこと考えるんだったら武術なんかやるな! 黙って殺されてろ」と思います。

 頑固な職人と同じです。ただひたすら自分の理想の武術を追究している人間が、あれこれ迷っていたらアカンのですよ。

 私は、必要と思った瞬間に戦える人間でありたい。そのためには戦って勝てる技術を求める。ただ、それだけの話。

 哲学的命題を追求する人って、戦う必要性を感じたことがない人なんじゃないかな~?と思います。「戦うこと、勝つことに何の意味があるんだ?」って言える人って、基本的に必要な時になっても戦わない人だと思うんですよ。

 私は戦わない人間は嫌いです。戦わない人間は実は戦えない人間で、人を助けることすらしない人間だと思っているからです。

 私は正義(という観念)は信用しませんが、正義感は大切にしたいです。理不尽なことに怒りを感じない人間は信用できません。

 思想だの美意識だのという言葉を戦いの中で口にする人間はいません。

 だってね? 戦いは現実そのものだからです。必死で戦わないと生き残れない状況で思想だの美意識だのとゴタク並べる余裕はないですよ。生きることはリアルなことです。

 私が武術始めたのは、中学時代のイジメ体験で、自分の身を護るには自分で戦うしか方法が無いと思ったからでした。

 この考えは、その後、ずっと変わっていません。自分以外に暴力に晒されている人達を助けたことも何度もありましたが、話して解る人間って、意外と少ない。

 追い詰められた人間に必要なのは、その状況を打開する闘志であり、その意志を支える技術と方法論を提供していきたいんですね。

 意志を支えるのは現実のチカラですよ。武術はその中でもかなり応用性の高いものだと私は思いますね。実際にネットや手紙で殺害予告何度もされている私が平然としていられるのも、いざとなったら返り討ちにしてやる!と決心できるモノを持ってるからです。

 この前、ヤケドした子供を病院に連れていかずに死なせた夫婦の事件がありましたが、真相が判明していくに連れて、私は四半世紀前に体験した同じアパートの幼児虐待死の事件と、そっくりだったことに愕然としました。

 親が子供を虐待して死に至らしめるというのは、子供にとったら、どうやって回避できますか?

 学校や職場のイジメなら引きこもってしまえば回避できます。ネットの誹謗中傷ならネット断ちすればいいです。

 しかし、本来、絶対的に保護してくれる筈の親が虐待してくるというのは、どうすればいいのか? 独りで生きていけるようになるまでに十数年もかかりますよね?

 行政に任せればいいのか? でも、十分に助けてもらえるかどうかは多分に運次第ではないでしょうか?

 私は、現実に暴力に晒されている人達に、自分自身で暴力に対処して遮ることのできる技術と知恵を提供すること。そのための武術を研究してきています。

 圧倒的な力の差を技術で逆転する方法を武術の中に求めている訳です。

 だから、体格・体力・筋力・身体能力という要素ではない部分を研究している訳です。

 行き着いたのは、「武器を遣う」ということでした。

 いろんな身体技術もありますが、武器を遣うのが手っ取り早いんですね。

 よって、今回のほびっと村では、日本刀(真剣)、拳銃(ガスガン)、ナイフ、隠し武器なんかもいくつか持参して解説しました。

 武道・格闘技愛好家は武器を毛嫌いする人が少なくありませんが、自分が嫌いでも相手が武器を遣わない道理はありません。それに対応するには、自分も武器に詳しく遣いこなせる能力がないといけません。

 武器も道具ですから、遣い方を知らないと持っていても何の役にも立ちません。

 素手の武術は、何の武器も無い場合に自分の五体を駆使して戦えるように工夫されたものなのです。武器があったら遣うことができないとダメなんですよ。

 ただね~。私はつくづく痛感するのは、現代で最も強力な武器は何か?というと、「ペンは剣より強し」だと思いますね~。武術だって知恵ですし、知恵を磨くのが一番の武器になりますよね?

 だから、一生涯できる限り、いろんなことを勉強し続けること。これが武術的な極意ではないか?と思いますね。
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
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