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実はプロレス好き

・・・というオッサンは多くて、私も好きか嫌いかと言えば“好き”なんですが、最近はプロレス好き女子のお陰でブームが復活しているのだとか?

 でも、女子の目線はイケメンマッチョ若手レスラーが組んずほぐれつしているシーンが好きという、かつての女子プロレス好き男子とちっとも変わらない理由なんだそうで、BL好き女子も加担しているのだとか?

 はあ~、そうなんすか? 時代は変わったな~・・・。

 私の親の世代(昭和一桁)だと、圧倒的に力道山のファンでしょうし、シャープ兄弟とか知ってる世代ですね。

 私がTVで見はじめた頃は、ジャイアント馬場の全盛期で、アントニオ猪木、ストロング小林(後に金剛)、大木金太郎、坂口征二とかがいて、ブルーノ・サンマルチノ、カール・ゴッチ、ボボ・ブラジル、ザ・デストロイヤー、フレッド・ブラッシーなんかがよく出てましたね。

 その後、馬場の全日と猪木の新日に分かれて、藤波辰巳、ジャンボ鶴田、天竜、長州とかが出てきて、ファンク兄弟、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シン、ビル・ロビンソン、ミル・マスカラス、ドス・カラス、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディーとかが活躍してました。

 でも、プロレスではしばしば異種格闘技対戦がマッチメイクされ、プロ柔道を目指した木村政彦に始まり、柔道のオリンピック金メダリストのアントン・ヘーシンクやウィレム・ルスカが出たり、梶原一騎がプロデュースしていた頃にはモンスターマンとか極真のウィリー・ウイリアムスとか出たり、馬場もバンドー空手の遣い手という触れ込みのラジャ・ライオン(自分が蹴った拍子にヘナヘナ・スッテンコロリンとコケてしまって呆然としましたよ。その後、倉田先生の映画『ファイナルファイト』に出演した時は別人のようにちゃんとアクション演じてた・・・別人?)と闘ったりしてました。

 しかし、プロレスの黄金期と言えば、恐らく、初代タイガーマスクが活躍した頃ではないかな~?と思います。四次元殺法と呼ばれたルチャ・リーブレ仕込みのアクロバチックな闘い方は、今日のプロレス人気にまで継承されています。

 覆面レスラーもマスカラス以降いろいろ出ていて、ザ・コブラ、ウルトラマンとかもいましたけど、獣神サンダーライガーとスーパーストロングマシーンぐらいかな~? タイガーマスク以降では? あっ、ブラックタイガーもいたか?

 プロレスは梶原一騎原作の『タイガーマスク』のアニメ化によってもプロレスの漫画化という路線があって、『アステカイザー』という実写とアニメが合体した番組もありましたけど、漫画とアニメで一番成功したのは、何といっても『キンニクマン』でしょう?

 最初の設定ではウルトラの父が不倫してできた子供がキンニクマンで、ウルトラの母や兄弟にイジメられて地球にやってきたという完全なウルトラシリーズのパロディー作品だったんですが、これは問題あり過ぎの設定だから無かったことにしてキンニク星の王子という設定となり、超人がプロレスするという設定ができて、テリーマンやロビンマスク、ラーメンマン、ウォーズマン、バッファローマン、アシュラマンとか出てきましたね。

 一方でリアルな格闘技路線もこの頃から模索されて、前田日明とドン・ニールセンの試合がきっかけで、空前の格闘技ブームが起こり、格闘技雑誌がいくつも出版されたものでした。

 ここで、藤原組長のような燻し銀の技の遣い手に陽が当たったのは、歓迎すべきことでした。

 格闘技としてのプロフェッショナル・レスリングへの注目が集まったからです。

 今日にまで続く格闘技ファンは、この時期に萌芽があったと言えるでしょう。

 つまり、UWFプロレスを中心として、シューティング、シュートボクシング、フルコンタクト空手、ムエタイ、ボクシング、サンボ、高専柔道等が注目を集め、打撃系と組み討ち系というカテゴライズができ、グレイシー柔術のアルティメット大会を契機として総合格闘技の流れができたからです。

 K-1の前身となったトーワ杯トーナメント以降、アマチュアも参加するグローブ空手、新空手というジャンルもできましたし、プロとアマの垣根も曖昧になっていきました。

 この流れが無かったら、格闘技漫画というジャンルが生まれていなかったかもしれません。『グラップラー刃牙』『修羅の門』・・・等がその代表格でしょう。

 そんな流れの中で、アマ・スポーツとしての現代武道からはみ出していた伝統武術は“神秘武道”なる冷笑的なネーミングで格闘技ファンから語られるようになりました。

「悔しかったら試合で勝て」という具合に挑発を受けて、試合に挑戦して敗退する武術修行者もいますが、自分の団体の主催でなければ勝てないという格闘技のセオリーから逃れることは困難で、ずっとマイナーな存在であり続けているのが実情でしょう。

 そもそも、武術にとっては試合はルール設定があり断片的な技量を競うものでしかなかったのですが、それ自体が目的化してしまうと格闘“競”技としてのカテゴリーに入ってしまい、それ専門の練習を積んでいないと対応できないものです。

 中国の散打は、中国武術を格闘技化したものと考えられていますが、実際のところ、シュアイジャオという組み討ち格闘技をベースにロングフック(圏捶)とサイドキック(足揣脚)を組み合わせて新たに創編されたものであり、カンフー映画でよく見られる打撃技主体のものではありません。

 そもそもが、中国武術は空手やボクシングのように打撃技のみで闘うスタイルではなく、打撃技と逆・投げ・崩し・点穴(ツボ攻め)が融合しているもので、門派による技術の違いも激しいので競技化が困難だと思われました。

 ボクシングに挑戦して破った国民的ヒーロー“神拳大龍”と呼ばれた蔡龍雲老師は華拳の遣い手ですが、華拳というのは長拳という表演武術(型の演武を競う競技)の中心になっている種目の門派なので、伝統中国武術マニアにはあまり評価されなかったりする門派なんですが、要は“遣い手の腕次第”という武術の当たり前の現実を示したのが蔡老師だったんですね~。

 中国の散打大会に出場した友人に聞いたところでは蔡老師はその大会の時も重要なポストで来られていたらしいですね。随分、前なので、その後、御健勝でおられるかは存じませんが・・・。

 初期の散打(散手)大会では意拳が活躍したり、通備拳の馬賢達老師が活躍したりとか、大会毎にいろいろな門派の人が活躍して一定のスタイルが無かった様子です。

 台湾の雷抬賽という散打大会では蘇東成老師や体流法の大槻一博先生が優勝したりされていたように聞いていますが、実は20代後半の頃に私も出場を目標にして格闘技の練習をしていた時期があったんですけどね・・・挫折して、でもせっかく練習したんだし?ということで、桐生の村上祐尊先生が主催されているグローブ空手の大会に出て判定負けしたのが私の剣道以外での唯一の試合体験でしたね~・・・。

 でもこれで格闘技の練習はやめてしまいましたね~。「一日十時間も練習してこの程度か?」って自己嫌悪に陥りましたよ~。試合そのものは何か独特な爽やかさがあって良かったから、またやろうという気持ちも一瞬あったんですが、いかんせん、格闘技やるには年齢がいき過ぎていたのですが、やっぱ、伸び代が感じられないとモチベーションが続かないですよ。

 本当、この頃は、「俺は何て才能が無いんだ~」って、落ち込みましたけどね~? 今思えば、変に勘違いしないですんだので、貴重な体験だったと思います。人間、本当の成長は失敗からしか得られないんですよ!

(あっ、何か凄いカッコイイこと言った気がする?)

 現在の散打の闘い方のスタイルを見ていると、シュートボクシングが一番、相性が良いように思えます。ロングフックを腕ごと相手の首に巻き付けて首投げにする展開が非常に頻繁に見られる点などです。

 これは、空手やテコンドー、ムエタイと闘った時に有利に闘えるように研究されたスタイルなのだそうです。

 K-1では肘打ちが禁止されていますが、これが禁止されたのではムエタイの選手が勝つのは困難になるでしょう。たった一つのルールで闘い方は想像以上に制限されることを知る必要があります。

 そういう意味でもプロレスは意外に実戦的なのだと思います。殺し合いを想定していたらプロレスラーが圧倒的に強くなるかもしれません。何しろ、パイプ椅子や折り畳み机、ゴングで殴ったり、マイクのコードで首絞めたり、フォークで刺したりしても“5カウント以内の反則はアリ”なのですから・・・。

 それを「八百長だ!」と非難する人もいますが、根本的に勘違いしていると思うんですよね?

 誰もが誤解していますが、格闘技は殺し合いを想定していません。ルールを決めて技の力量を競い合うスポーツなのです。

 なので、そこに単純な「強い・弱い」を決定する発想を持ち込むのはナンセンスなのです。決定されるのは技量の優劣であって、戦闘能力の計測ではありません。

 まして、“実戦的”という言葉を付け加えると、益々、おかしな解釈になります。本当に実戦ということを考えるのなら、どちらかの選手が死ぬまでやらなければ実戦的とは言えないでしょう?

 例えば、“実戦的な剣道”や“実戦的な柔道”を語る人はいません。しかし、“実戦的な空手”や“実戦的な合気道”を語る人は多いのです。

 どうしてでしょうか?

 恐らく、剣道や柔道は完全に競技スポーツ化しているので、実戦で語る必然性が無いからでしょうし、空手や合気道はストリートファイトへの対応を想定している武術性を残しているからでしょう。

 けれども、行き過ぎた実戦論は不毛なだけです。

 どうしても強いか弱いかに拘るのであれば、テロ組織に潜り込んで殲滅してくるとか、そういうことをやって証明されたらいかがでしょう? それが世の中にとっても役に立つ“実戦的強さ”ではないでしょうか?

 ルールを決めて素手で一対一で殴りっこして勝った俺は強い!・・・って、何かの自慢になるんでしょうか?

 幼稚園児が砂場を分捕って威張るのと変わりないと思うんですけどね?

 一般のスポーツを楽しむのと同様に、格闘技を、プロレスを楽しむ態度こそが正しいと思うのは、私ばかりなんでしょうか?

 試合に勝つための日々のトレーニングを積み重ねるストイックさや、試合で懸命に頑張る意志力や、負けても相手を称える謙虚さとか、そういうスポーツマンシップをこそ評価すべきだと思うんですけどね~。私の会った格闘技の人達は、皆、そういう精神の輝きを放っていて、私なんか「あっ、まぶしい!」って思いましたね~。

 それに比べると武術やっている人間なんて、オーラがどす黒く濁っていて、ムワァ~ンと嫌な臭いが漂ってくるような精神の腐ったような悪臭を放っていて、私なんか「げっ、寄るなっ!」って思いましたね~。

PS;射撃の解説で文字の打ち間違いがありました。狙いをつける部品は、銃口上のものが“照星(フロントサイト)”で、機関部後方上のものが“照門(リアーサイト)”です。お詫びして訂正致します!

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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