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二月セミナー“軸の確立”

 今年に入って、もう二回目ですよ。早いよな~・・・年取ると時間が経過するのが加速度がついてるんじゃないか?というくらい早くなってるような印象がありますね?

 10代の頃が一番、長かったような気がしますね? で、その頃から精神年齢ちっとも上がってないような気がするんですよね~?

 何しろ、今でも学校に通っている夢見て、「将来は俺はどうすればいいかな~?」なんか考えてたりするんですよね。で、目覚めて「あれっ、今、何考えていたんだっけ?」と、変な違和感が残ってたりするんです。

 私は両親共に学校の先生だったんで、家の中でも学校の話ばっかりするんですよ。ずぅ~っとそうだから、世の中が学校の中だけしかないような気持ちになってしまうんですよね~?

 親戚も学校の先生だらけだったんで、尚更、そうなってしまうし、家の中でも教育について考えるのが家族の習性になっていたんですよね。

 まだ両親共健在だった頃に、田舎に帰省している時に会員から電話がかかってきて、「長野先生をお願いします」って言われて母親が、「はい、私です」って答えて、「いえ、あのぅ~長野先生を・・・」って言われて、「はいはい・・・わかりました」って親父に代わって、「いえ、あの、違います」って言われて、「あ~、なるほど・・・」って兄貴に代わって、「あの~、長野峻也先生に・・・」と言われて、ようやく私に代わってくれた・・・ということもありました。

 兄貴は当時、病院の薬局に勤めていて長野先生と呼ばれていたんで、病院の人からかかってきたと思われたみたいですね。

 私の両親兄弟は私がどういう生活をしているのか?ということをまったく理解していなかったので(何回説明しても理解してくれなかった)、「へ~、お前も先生って呼ばれてるんだ?」と意外な顔をされましたね。

 電話だと声がそっくりだったらしくて、親父にかかってきた親父の学校に勤めている先生とか、「はい、長野です」って返事すると、「あっ、校長!・・・」って話し始めて、「あっ、ちょっとお待ちください。父に代わります」って言って、「ええっ?」ってビックリされて、代わった親父が電話の後で、「あんまり声がそっくりだけん、校長だと思とったら、息子さんだったけん、たまがったですよ~って言うとったよ?」と笑ってましたが、こういうことが何回もありましたね。

 2月1日で53になったんですけど、確かこの年は親父はもう校長になっていたと思います。もう、そんな年になっちゃったか~?と、ちょっとね~・・・流石にもう若気の至りでって言い訳は通用しない年になったよな~って思いますね。

 でも、覚えのある人は多いと思うんですが、別に年とったからって精神年齢が上がるって訳じゃないですよね?

 武術にしろGunにしろ特撮にしろ猫にしろ・・・子供の頃に好きだったものは未だに好きですし、むしろ、拍車がかかってますよね。

 普通はこうじゃないのかな~?

 普通に就職して結婚して子供できて・・・って経験をしていないから、童心のままなんですかね~?

 多分、本来は私みたいなのが当然なのに、社会の中で生きていく過程でいろいろなしがらみを感じて自分を偽って生きていかなくちゃならない人が大半だから、本音を隠して装っていなければならないんじゃないか?とか思ったりします。

 よってストレスが溜まる。

 ストレス解消の娯楽産業の中に武道の道場なんかもあると思うんですが、怒鳴られド突かれ金を取られる・・・って、SMじゃあるまいし?って思うようなところもありますよね~?

 私はそれが嫌で嫌で、自分がやるんだったら、わいわい笑いながら楽しんで練習できる道場にしたいと思ってました。

 あんまり規律が無くて好き勝手にやるのでは怪我したりしかねないから注意が必要ですが、武術は基本的にしかめっ面して必死にやっても上達はしません。

 まして、本質的には殺人術を練習する訳ですから、練習相手を怪我させないことを第一に考えて力のコントロールをしながら技の効果を確認していく繊細な感覚を養成しないといけません。

 もちろん、いざとなったら問答無用で敵をぶち倒す覚悟が必要ですが、それはいざという時の覚悟の問題であって、普段の練習でそんな精神でやっていたら社会不適応者を育てるだけなんですよ。

 練習は練習、生活は生活、実戦は実戦と区別して適切に対応できることが重要です。

 私が猫好きなのも、昔、飼ってた猫が、見事なまでのこの区別をやってのけていたからなんですよ。武術の達人でもこうはいかないだろう?というくらい一瞬で戦闘モードに変われました。

 これは本能なんでしょうね~? 何しろ、手のひらに乗るくらいの生後一カ月にもなっていない子猫というより赤ちゃん猫の頃ですよ。ヨチヨチ歩きしてたのに、ちっちゃいネズミが出てきたのを見つけて眼がキラリンッ!となったと思ったら、ダッシュして超神速猫パンチ(早過ぎて見えない!)でバババババッとちびネズミを翻弄したので、「ひぃぃーっ! このままネズミばりばり食うんじゃね?」って怖かったので、「こらこら、もうそのぐらいにしとけっ!」って後ろ首摘まんで引き離したんですが、ちびネズミは既に御臨終になっていました・・・。

 いろんな達人に会いましたけど、まだうちの猫以上の人には会ったことありません!

 例えば、縁側の座布団の上で寝てた時に、犬が猛烈にワンワン吠えても無視してたんですが、暴れて吠えかかった拍子に犬の首輪が外れて飛び掛かったんですよ。

「やめろっ!」って叫んだけど、もう犬にかみ殺されてる猫の情景が脳裏に浮かびましたね。ところが、咬まれる寸前、クルッと振り向いた猫の猫爪パンチが犬の鼻面にザクッと炸裂し、激痛に犬がギャンッ!と鳴いて、恐怖に尻尾丸めてブルブル震えて縁の下に逃げようとしたんですが、戦闘モード全開になった猫がフーッと威嚇しながらバリッバリッと犬のケツに猫爪パンチをお見舞いして、その度に犬がキャーン、キャーンって悲鳴を挙げて助けを求めるようにこっちを見る訳ですよ。

 うちの犬はスピッツの雑種であんまり大きくないんですけど、流石に猫よりはずっと大きいですよね? 犬の癖に自分から攻撃していって猫に負けて助けを求めるような目でこっち見るなよ~って思いましたけど、「はいはい、もうそのくらいにしてあげて~」って、猫を離してやりましたけどね。

 この時に思ったのは、実戦は体格じゃないな~ってことと、一発で逆転する気迫と必殺技が重要だってことですね。

 人間は戦闘モードに入るのに時間がかかり過ぎますよね? 一瞬で迎撃できないとダメだよな~?と思いました。これも、私が試合に乗れない理由の一つです。

 ケンカの上手い人って、特徴があって、不意打ちが上手いんですよ。全っ然、攻撃する素振りも見せないで、いきなり喉首掴むとか、意識の隙間を狙うんですね。

 さらに達人になると、闘気がまったく出ないままで必殺技を出せる。私が目指しているのはこれですね?

『猫の妙術』とか、『木鶏』のレベルです。

 素人さんとか普通に武道・格闘技やっている人だと、気迫が漲った技とかを「凄いっ!」って絶賛したりしますけど、このレベルしか見えない人は武術の奥義とかを洞察する眼力はありません。

 私の本の感想で、先日、「付属DVDの仁平師範の突きが凄い!」って書いてこられた地方の会員さんがいたんですが、「あ~、この人、全然見えていないな~」って思いました。仁平師範も、“素人目に凄く見えるようにわざとやっていた”訳なんです。うちの幹部連中は苦笑してましたよ。あざといことやってるな~って・・・。

 うちの会員さんだったら、そこはちゃんと見極めて欲しいところですね?

 本当に凄い人の技は自然過ぎて全然凄く見えないものなのです。

 凄く見えないから、「こんなの簡単だろ?」って思うんだけど、真似しようとしてもできない訳です。

 ところが、何の経験もない人が真似したらできてしまったりするんですよ。

 何故でしょう?

 偏見が無いから普通の技だと思って、そのまま真似するからなのと、力まないからなんですね。

 実は簡単にできるのに、「この技は本物の師匠に就いて30年は修行しないとできないのだ」みたいに思い込まされると、“できない自分”を肯定してしまう訳ですね。

 それと、武道や格闘技の経験者は、力み癖がある。これが最大の障害です。

 長年、修行してきた人がうちに入ってきて一番苦心するのが、力み癖を抜くことです。

 特にフルコンタクト空手を長年やっていた人は例外なく堅いですね。

 でも、実力のある人は意外とスンナリ力を抜けます。感覚的に力まない方が技が効くことを知ってるからです。

 合気道やっている人が一番、うちとの相性は良いように思いますが、中には妙に堅い人もいるんですよ。そんな人の何人かに修行歴を聞いたら、堅い人は皆、同じ先生に習っていたので、これはその先生が堅いんだろうな~?と・・・。

 二月の月例セミナーのテーマは「軸の確立」ですが、軸なんてものはそもそも有りません!

 しかし、人間の身体は骨格を筋肉によって支持され脳と神経の指令によってバランスが調整されながら動かされています。

 そこには地球の引力との関係があり、重力の偏りを制御しながら効率良く動く身体運用法の一つの概念として、「軸の想定」が工夫された訳ですね。

 なので、軸というのは身体運動の理論化に於ける一つの原理でしかない訳です。

 ですが、軸を想定することで、様々な動きを効率的にして技の向上が望めます。

 よって、中心軸、側軸、二軸理論といったものが次々に提唱されてきた訳ですが、もともと無いということは、無限に有ると仮定することができる訳ですね?

 目付けのやり方としても軸を想定すれば非常に簡略化することができます。

 便利なんですよね? 軸で考えると・・・。

 ただし、もともと無いので、あまりにも軸で解釈しようとすることは逆に固定観念化を促してしまうので、それはいかがなものかな~?と、私なんかは思う訳です。

 もっと言ってしまえば、私が提唱している脱力技法・読み・交叉法・・・なんかも、本来は無い訳ですよ。“理論”だから。

“理論”は人間が考えた概念なんですから、もともとは無い。でも、それが“有る”という具合に定義付けすることによって科学が発展してきたんですよね?

 それは、自然界の様々な法則を発見して名前をつけて理論付けしていく作業を人類が延々と続けてきた精華であり、文化・文明というものは、そうやって作り出されてきた訳ですよ。

 だから、「江戸時代以前の日本人はナンバで歩いていた」と言った時に、「江戸時代って何か? 日本人とは何か? ナンバって何か? 歩くって何か?」といった具合に分解し、それぞれの意味を探っていく作業が研究家としての必要な作業だと私は思っているんですよね。

 武術だって、そうやって本気で探究しようとしたら、物凄く膨大な分野の知識を研究していかなければならなくなりますよ。

 だけど、それが本当の楽しさなんだと私は思います。

 世に武術の研究家を名乗っている人は何人かはいますが、本質的な探究をしていると言える人はいないと思いますよ。私だって、目指してはいるけど今の段階で充分だとは全く思っていません。死ぬ時までにどこまでいけるか?ですけれど、次の世代に本当に役立つ形のものを遺したいとは思っています。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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