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本物って何?

 日曜日の稽古前、小塚師範から電話がかかってきて「階段のシャッターの鍵が開きません」とのことでした。

 もともと、癖がある鍵で開けるのにコツが要り、皆、悪戦苦闘していたんですが、今回は本格的に開かなくなっているらしく、私も駆けつけてみましたが、もう完全にOUTでした。

 一階がビルのオーナーの工房(ガラス工芸)になっているので、相談しようと思ったんですが、日曜日だからお休みされていました。

 後から会員が来て入れないとマズイので、皆が来るまで待ちましたけど、こういう日に限って参加者が増えて滅多に来れない人も来ていたんですよね~(苦笑)。

 まあ、「ちょっと寒いけど、天気がいいから久しぶりに公園でやろう!」と、皆で駅の向こうの鹿沼公園に行って、久々に野外練習しましたよ。

 公園だと模擬刀はもちろんですが、木刀も使う訳にはいきませんので、もっぱら基礎練体と対練、推手の練習になります。

 ガンガン殴りあったりしないので、「何の練習ですか?」と興味もって聞いてくる年配の小父さんもいたりするんですけど、この日は二回も聞かれましたね。

 面倒臭いから「太極拳です」って答えます。

 ちょっと詳しい人だと「太極拳って空手みたいな組み手もやるんですか?」と聞いてきたりするんで、「本当はあるんですけど、健康法でやっている団体だと練習しないだけなんですよ~」と、笑顔でごまかしたりします。

 もう少し詳しい人(経験者)だと、腕試ししたがったりする場合も無くはありませんが、そういう場合は、いきなり「ここで金玉掴んで捻り潰す」「ここで目ン玉えぐり取る」「ここで喉笛掴んで押し潰す」「ここで耳を引き千切る」と、エグイ技路線に変更しますと・・・戦意喪失して黙って退いていきますね。

 スポーツ競技の感覚で腕試ししてカタワにされたらかなわん・・・と恐怖心を植え付けてあげる訳です。

 で、大抵、武道や格闘技をちょこっとやったことある初段か、せいぜい二段までの人間ですね。三段以上でこういうタイプは流石にいないと思いますけど。

 あ~、そういえば・・・子供を暴行して殺した暴力団員のデカブツが、何と、元極真空手のチャンピオンだったと報道されていて、愕然としてしまいましたよ。

 何て情けない・・・。私の知る極真空手修行者は全員が素晴らしく謙虚で人柄の良い人ばっかりだったのに、チャンピオンにまでなりながら、どうしてこんなクズになり下がってしまったんでしょう?

 本当に「情けない」の一語です!

 武道家としてのプライドも自制心も無い。無差別に暴力ふるうしかできない。本来、こんなヤツに空手を教えてはいけないと思うんですが、目先の強さしか求めていないと、こんな歪な精神構造のゴミ人間になってしまうのでしょう。

 でも、私も本当に気をつけないといけないと思いましたね。破門にしましたけど、勘違いした自惚れ屋は何人も出してしまいましたから・・・。

 少なくとも“キチガイに刃物”みたいにならないよう、教える人はきちんと選ばないといけないと思っているので、入会希望者でも態度が悪かったりすると断ったりしてます。

「武術はバカではものにならない」と言われるんですが、それは戦略思考、戦術試行をできる知性がないと実技を遣いこなせないからなんです。

 そういう点から言っても、武道を学びながら本質を考えている人は滅多にいませんね。

 チンピラ的強さしか求めないバカは、昔は入門させないのが当たり前だったのですが。


 練習後に、久々に駅前のジョナサンに行きました。

 ある意味、練習以上に練習後に飯食べながらいろいろな話をするのが戦略思考を育てる場として重要なんだと私は思っていますし、私自身も貴重な情報収集になります。

 昨年、セミナーを受講されていたスポーツトレーナーの方からも聞いていたんですが、ここ最近、整体や気功の先生が武術を教えて、しかも異常な高額で教えているのだそうですね?

 まっ、価格設定は教える人次第ですし、習う人が納得しているのであれば他人がとやかく言う問題ではありません。

 整体・カイロプラクティックなどの業界では100万円を超えるようなセミナーが普通にあるので、料金設定がバカ高くなるのも、そのせいかもしれません。80年代末の自己啓発セミナーも、そんな感じで300万円くらい取るのが当たり前な感じでしたね。

 無論、バブルが弾けて、こういうセミナー業界は一気に消滅していきましたが、企業研修なんかで細々と生き残り、未だに異常に高額で教えているところもあります。

 最近は、お金儲けに繋がるという名目で気功とか教えるところがあると聞きますけど、ただお金を集めるのに気功を用いるというのは完全なマルチ商法の手口ですね。

 気功というのはそもそも仙道やヨーガ、山岳密教の修行法を現代的エクササイズとして中国で再編成したものであり、ルーツからすればお金を集めるという世俗的欲求とは反対のものです。

 その筋の専門用語で「お試し」と言いますが、こういう欲望成就に応用した場合、最初はウハウハで上手くいったりするんですが、ほどほどで止めないと、どんどん欲望が肥大してコントロールできなくなり、最後は自滅してしまいます。

 気功の原理は催眠と同じです。自分を騙し、他人を騙す。そんなの良い訳ないんです。

 私は宗教哲学とか勉強してたんで、そのことも知ってましたから、自分の欲望成就には使わなかったんですよ。一時的に上手くいっても後で大変な災難に陥るのがわかってましたからね。

 願望達成だの成功哲学だのとやっている人には注意するようにしているんですが、こういうのは自己暗示ですから自分を客観視できなくなってる人は聞く耳ないんですよね。で、精神疾患まっしぐらになる人も多いです。「お金欲しい」やら、「有名になりたい」といった欲望だけをストレートに求めるのは自滅するだけです。

 お金が欲しければ、お金を稼げる能力を磨く! 有名になりたければ、自分の目指す分野で実績をあげる。これが一番です。

 私が小説の勉強したのも、これが理由なんですよ。自分が金を稼ぐ可能性のある能力を磨く!

「地道にコツコツ」・・・これが本当の成功の秘訣。


 さて、一般に武道の指導料は安過ぎるのではないか?とも言われますが、まあ、上限として入会金10000円で月謝10000円くらいかな~?とは思います。

 それ以上だと「高い」という感じがしますが、内容がその分濃いとか、施設の装備が良いとか、それなりの付加価値があれば問題視する程ではないか?と思います。

 逆に安過ぎるところだと、無料とか月謝2000円とか、そういう“お得感”をウリにするところもあります。

 そもそも「武道は金で買うものではない」という観念もあるので、お金を貰うことに抵抗を感じる年配の先生も大勢います。

 私も初期の頃は抵抗を感じました。が、安い料金(一回千円)で発勁も合気も何でも教えようとしたところ、ほとんど人が来ませんでした。

 つまり、安かろう悪かろうという観念が習い事にはある訳で、「ちょっと高いな」くらいが一番、信用を得やすいのでしょう。

 また、安くない金額を払ったら真剣度が違います。安いと真剣にやらないんですね。

 そういう様子を何年も観察してきたので、今では、「武術は安売りしない!」ということを自戒しています。「価値のあるものはそれなりの対価を払うのが当然だ」と、考え方を改めた訳です。

 個人指導は一回10000円貰っていますが、続けてきている人は真剣度が全然違うので、やはり上達度が尋常ではないですね? ほとんど別人のようになっています。

 だから、昨年は一回20000円の特別講習会もやった訳です。真剣に学びたい人だけを選びたかった訳です。

 そういう料金設定にしたので、“荒らし”が目的の人とかは来なくなりましたね。

 道場破りに金かける人はいないでしょう?

 もっとも、私は料金に見合った内容を提供できる自信があるから高くできましたが、「アンタ、誰?」って具合に、武術の世界で見たことも聞いたこともないような人がバカ高い料金で「これが本物の技だ」って教えていると聞くと、“誇大妄想狂がカルトを興す”みたいに思えて、いかがなものか?と思うんですよね~?

 もちろん、そういう人は昔っからざらにいます。甲野氏みたいに自己アピールが異常に上手くて世間を完全に騙してしまった実例すらありますからね~?

 詳しくない人は未だに信じていますが、まともに修行している人で甲野氏とまともな手合わせした人は、あまりの弱さにビックリした・・・という実例が多いので、業界の裏事情に詳しい人達の間ではお笑いの対象(ギャグ)でしかありませんよ。

 彼を利用したい人は仲良くしたがるんでしょうが、ダメな人はダメとはっきり言っていないと、最終的には同じ穴のムジナ扱いされるだけでしょうね?

 事実はいずれ明らかになります。現代のようにインターネットが発達した世の中では真相は隠せないですよ。

 特に、武術は実際にまともに手合わせすれば実力は露になってしまいます。延々とごまかし続けることは不可能ですよ。

 けれども、業界の体質を知らない人達だと区別がつかずに騙されてしまったりしますから、真贋の見分け方もお教えしましょう。

 本当に実力と見識がある先生ならば、「これが本物だ!」とは、決して言いません。

 何故なら、詳しく研究し知識が増えれば増えるほど、「これが本物で他は偽物」とは言えなくなっていくからです。

 実例で説明すると、甲野氏の武術はインチキですが、理論的に正しいことも部分部分では散見されます。

 トータルで見れば、武術家とすればインチキ詐欺師(戦闘力0だから)にしかならないんですが、武術の研究をしている人間だとすれば、あれでもOKなんですよ。

 どういうことか?というと、武術家であれば第一に実戦能力の高さが評価基準になりますから、まともに戦って全戦全敗の甲野氏は武術家と呼ぶに相応しくないということになります。

 ところが、“武術の研究をしている人間”ということになれば、別に実戦能力皆無でも構わない訳です。実戦経験も必要としません。趣味でやっているだけですからね。

 また、研究家と名乗らなければ、発表内容に責任を持つ必要もなくなります。プロではなくなるからです。

 つまり、“趣味で武術のまね事をやって文筆や講演活動をしている作家”だと規定するなら、な~んにも問題ない訳ですよ。単なる“奇人変人”として・・・。

 例えば、作家で武道や武術を趣味でやっている人もいますよね? その場合、下手であっても「修行している」という事実だけでハクが付きます。

 まして、道場で教えていたりする人だと、もう達人扱いされても構わないでしょう。

 何故なら、作家と武道を両立させてどちらもプロだというのは、並大抵の才能ではないからです。どちらか一つだけでも並の人間にはできませんからね? 並でないなら達人扱いされたって構わないでしょう? 達人の定義がある訳じゃないし・・・。

 宮本武蔵が高い評価を得られたのも画家であったり理論書を書いたからですよ。ただ強いだけなら武蔵以上の人もいたでしょう。


 私の場合は研究“家”と名乗っているので、甲野氏のように無責任に振る舞う訳にはいきません。発表内容には責任が伴いますから、間違ったらお詫びして訂正するということを心掛けています。

 武術の修行をしている人間としてもプライドの問題として勝負には拘るし、実戦能力を高めることを第一に考えていますから、指導する場合もそのように言っています。

 小説も発表して作家としても本格的に活動しようと思っていますが、これは研究家とは別の仕事ですからね。

 しかし、作家、文筆家としては、言葉の意味は正確にすべきだと思っています。

「これが本物の技だ」と称するならば、何が本物で何が偽物なのか?ということを説明できなくてはなりません。

 本来、説明するには膨大な知識が必要ですから、専門家は資料を集めたり自分で学んだりフィールドワークしたり、物凄く調べる訳ですよ。

 ところが、調べれば調べるほど、背反する事実が出てきて定説が覆ったりするんです。

 だから、専門家として真摯に研究していればいる程、「これが本物だ」とは言えなくなっていくのです。

 私のところにも「長野先生が本物だと思って来ました。教えてください」と言って来る人はいます。

 ですが、そういう人は見識が浅いから簡単に“本物”なんて言葉を使っているのです。

「私は本物じゃありませんよ。私の技はほとんど全てがパクリですよ」と言います。事実がそうだから、ありのまま言っています。正統な流派を継いでいる訳でもありませんし、実力だって私以上の人はいくらでもいます。

 武道武術の世界に詳しくない人が勘違いしたり舞い上がってしまったりするんですよ。

 唖然として来なくなる人はそれでいいと思っています。“本物”とは何か?と考えて自分が何を求めているのか・・・と改めて考え直して入会する人にしか教えたくない。

 そういう人でないと教えても体得できないんですよ。見世物芸なら誰でもできますが、武術の技を実用レベルで体得するには理合をきちんと理解して応用できないとダメです。

 私のところには、甲野氏や高岡氏、宇城氏、日野氏のところに行っていた人が結構いるんですが、“本物の武術とは何だろうか?”と悩んだ揚げ句に私のところに来たりしているみたいです。

 結局、こういう人達に共通しているのは、「有名な先生に習えば自分も凄くなれるに違いない」という依頼心でした。

 私に習いに来たのも、「長野さんに習えば自分でも達人になれそうだ」と甘いこと考える訳ですね。

 もちろん、こういう考えの抜けない人は、私が教えても、やっぱりダメです。で、また、別の団体に移っていくだけですね。で、考えを改めない限り、ずっとそのままです。

 こういう人は、本気で自分を変えたいと思っておらず、達人の弟子という立場に安心したいだけです。

 私は“本物の技”は存在しないと思います。でも、“本物の武術家”には誰でもなれると思います。

 それは、「徹底して自分に嘘をつかずに真剣に探究し続けること」です。

“本物”かどうかは自分の決意に左右されるのであって、他人から与えられるものではないのです。

 バカ高い金を払えば自分のものにできる・・・そんな都合の良い武術はありませんよ。

 むしろ、そんな御都合主義の考えをした時点で、その人は永遠に偽物のままです。

 近藤勇は偽物の虎徹を本物と信じていたと言われますが、一説に清麿が打った刀に虎徹の銘を切った刀だったとされます。

 その当時、清麿の刀は虎徹の刀に遠く及ばない値段で取引されましたが、現在では清麿の刀は正宗をも凌ぐ人気で最も高額な値段で取引されて虎徹を完全に超えています。

 要するに、近藤は刀の本質を洞察でき、当時の第一級とされた虎徹に優るとも劣らない刀であるから本物だと認識していたのではないか?と思いますね。

 日本のみならず世界中にいろいろな武術武道を学ぶ人がいて、「自分の学んでいる流儀こそが本物だ」という自負を持っている人が大勢います。

 それが間違っている・・・とは言えないでしょう?

 しかし、本気で探究している人は、安易に「これが本物だ」とは言えなくなる。それは、本物を求め続けているから、言えなくなるのです。

「これが本物の~~だ!」と言って教える人がいたら、迂闊に近づかないのが賢明です。

 誇大妄想狂か詐欺師、そのどちらかでしょう。


 稽古の翌日、シャッターの鍵が開かなくなったことを不動産屋さんに相談に行き、大家さんに連絡してもらって直行したら、大家さんがCRC556で開けてくれました。

 錆びて動きがおかしくなっただけだったみたいです。部品が壊れたのかと思った。

 ま~、セミナーの時じゃなくて良かったですよ~。

 せっかく大家さんが開けてくださったんで、前々からガラス工芸の作品を見たいと思っていたので見せてもらいました! 私も工芸は好きですけど、やっぱり素人ですから、プロの仕事の細かさには圧倒されました。

 表札も作られていたので、游心流の道場の表札もクリスタルガラスで作ってもらうとカッコイイな~?と思って、注文することにしました。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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