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四月セミナー“脱力技法”

 三月はえらい忙しくなってしまって往生しましたが、四月は岩槻映画祭があり、ほびっと村上映会もあり、小説デビュー作の仕上げもあるので、相当忙しくなるのは覚悟していました。

 三月三十日には大阪に賢友流の取材(DVD撮影が目的)で行ってきたんですが、生憎、近所が工事中で騒音が煩く、とても撮影できたものじゃなく、急遽、予定変更して本の打ち合わせ中心にしてきました。

 三代目宗家を継がれた愛子先生の演武(ニーパイポ・二十八歩)も拝見しましたが、友寄先生の動きを彷彿させる見事なもので、賢友流の形は現代の空手形に源流の中国武術のエッセンスが融合されているのだな~?との感銘を受けましたね。

 空手家のほとんどが、沖縄の古伝空手こそが源流であると考えていますが、実際は中国まで逆上らないと真の理合が見えてこないと私は思っています。

 無論、琉球で発展している部分や、本土に伝わって発展した部分、あるいは海外に広まって発展した部分もあるとは思うのですが、武術としての真価は中国武術に学ばないと見えてこないのではないか?と個人的には思います。

 この考えは、友寄隆一郎先生や松田隆智先生といった、空手道から中国武術を研究した先生の実感であったかと思います。

 もっとも、その中国武術も、国の政策によって武術としての真価は隠されてスポーツとして普及されたので、実戦用法を知る人は非常に少なくなっているようです。

 しかし、これは空手道でも事情は同じであって、形の動作の意味をきちんと理解している人は非常に少なく、ボクシングやムエタイの影響を受けたフルコンタクト空手が誕生して以降は、武術というよりは格闘技としての発展をしています。

 ご承知のように、私は武術と格闘技を別のものとして完全に分けて考えています。

 武術は言葉を換えるなら“実戦護身術”とでもなるでしょう。

 格闘技は、“格闘競技スポーツ”です。

 論じるまでもありませんが、実戦護身術である以上、武術の技はまともに使えば簡単に人命を奪えます。

「そんなのはハッタリだ!」と言う人は知識が無い故に勘違いしているのです。

 武術は一撃で人命を奪うことのできる“武器を使うこと”が大前提であり、何も武器が無い時に限って、素手でも人命を奪うことのできる技術を工夫したものなのです。

 いや、実はそればかりではありません。

 奥伝に至れば、毒薬の知識や、呪術(密教や陰陽道、仙道)をも駆使するのが本来の武術の姿であり、もう技とか威力とかの話ではなく、イメージ力(想念の力・観念力)の世界になってしまうので、普通の武道や格闘技を修行している人達からすれば、もう何が何やらチンプンカンプンで、得体が知れないでしょう。

 ですから、まともに使えば人命を奪ってしまえるのが武術です。危険過ぎるから秘伝のシステムができあがって教える人を厳選したのです。

 一方、格闘技は競技スポーツであり技術の優劣を競うのが目的で相手の人命を奪う目的などありません。むしろ、安全に競技できるようなルールを工夫することに注力されてきています。

 つまり、似てはいても目指す方向は真逆なのですね。

 この点はよくよく理解していなければなりません。現代の武道が競技スポーツの方向性を選んだのは、社会的に考えても当然の成り行きだったと言えるでしょう。

 一方、武術は秘伝システムによる選別教授法が災いして伝承者が激減しました。失伝してしまった流派も多く、伝承している流派も内容が大幅に劣化していたり、伝承者が秘伝の内容を知らなかったりする事例が大半という、絶滅危惧種(あるいはUMA?)のようなジャンルになってしまっています。

 何しろ、現代では、武術家を自称している人間がまるで武術のことを理解していなかったりしているのですから・・・。

「身体操作がどうしたこうした」とか言っている時点で、真相は何も知らないのがモロバレなんですが、真相を知っている人間から見たら、乳幼児が得意げに刃物振り回しているみたいで危なっかしいですね?

 どうして、このような事態になってしまったのか?と考えた時、恐らく、知的水準の低い人間しか学ばなかったことが影響しているのではないか?と、最近は思うようになりました。

 要するに、体育会系の人間しか学ばず、単なる運動法だとしか考えなかったから、膨大な理論体系が理解されないまま捨てられ続けてきたのではないか?と・・・。

 最も気になるのは、“応用性が無い人が大半”だということです。

 平気で「形なんか意味が無い」とか、一つ教えられたら、それを金科玉条にして外のやり方を認めないとか?・・・そういう頭の堅さ、発想の固定化をする人があまりにも多過ぎたと思います。

 そして、柔軟に考える者を屁理屈を付けて排斥するような“既得権益を守ることしか考えない組織と権力の維持しか頭に無いようなクズ”によって組織的拡大をしてきた側面も否めないでしょう。

 ですから、普及するのと技や理論が深まるのとは往々にして反比例してしまうのです。

 そういえば、取材中、私が「沖縄空手の源流である白鶴拳や詠春拳は女性が創始した伝説を持ち、実際に三戦(サンチン)の歩形が膝と爪先を内股にする点が、姑娘(クーニャン)歩と言うんですよ・・・」とか話していたら、愛子先生が非常に驚かれて、隆一郎先生以外で、空手の源流から中国武術のことまで知ってる人がいるとは思わなかったのだそうでした。

 確かにそうだと思います。私が知る限り、こういう方面の知識があるのは数人しかいないだろうと思います。私も友寄先生の影響があって研究を深めているので、もしお会いしていなかったらどうなっていたことか?
 多くの空手家は「沖縄が空手の源流だ」と言いますが、その沖縄空手がどこから来たものか?という点を考えない人が多過ぎます。

 太気拳の先生方が、澤井先生が亡くなった後、意拳を学び、「意拳こそが実戦中国拳法だ」みたいに主張する風潮が流行りましたが、そこから更に源流を研究する人がほとんどいなかったのはどういう訳なのか?と、私は不思議で仕方ありませんでした。

 意拳から形意拳、更に戴氏心意拳や心意六合拳を研究しても良さそうなものですし、また意拳に影響を与えたと言われる白鶴拳や梅花拳を研究する人となると噂にも聞いたことがありません。

 特に、意拳の構えは形意拳よりも白鶴拳の影響の方が強いように思われますし、脇下を空けるのはボクシングのショルダーブロックの影響もあるのではないでしょうか?

 澤井先生の太気拳は、形意拳に近く、さして白鶴拳の影響を感じません。習った時期による違いなのかもしれません。

 やはり、ちょっとでも分野が違うと専門家でもまるでわからなくなってしまうものなんですね?

 私が友寄先生にお会いした回数は、最初に某先生に紹介してもらった時、それから取材で一回、東京で二回、出版の打ち合わせで訪ねたのが一回、大会にお邪魔したのが一回・・・ですから、僅かに六回しかお会いしていません。

 それなのに、非常に強い縁を感じるのです。友寄先生からいくつもヒントを与えていただき、そこからいろいろ研究してきたんですね。それが逆に愛子先生の参考になったとすれば本当に嬉しいことです・・・。


 さてさて、四月の月例セミナーは、お待ちかねの「脱力技法」です!

 前回の伸筋技法から進化したのが脱力技法だと私は考えています。

 つまり、筋肉の力から重心力を駆使するものへと根本的な原理の転換が起こったのだと私見しています。

 重心力を駆使することで、初めて体格や体力の差を乗り越えることができます。

 即ち、女性や子供、老人や身体虚弱な者でも屈強な者を倒す威力を出せるのです。

 ブルース・リーが言う「水になれ・・・」という言葉の意味をお教えします・・・。

PS;当日、久々に、游心流体道塾の仁平師範も来ます。お花見会で久しぶりに会いましたが、もう達人というレベルを超えてましたね? K野氏とか0.06秒で倒せるだろうし、U氏ももう問題にならないでしょう。リアル武侠小説みたい・・・。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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