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『セーラー服忍者』相模原上映会感想

 5月22日(日)は相模原メイプルホールにて『セーラー服忍者』(併映『いちごジャム』)の上映会を開催しました。

 来られる予定だった青木先生から予定が立たないという連絡があり、かなり参加者が減ってしまいそうだな~?と心配でしたが、そこそこの人数の御来場者があって、まずまずの上映会になったかな~?と思います。

 とにかく苦労して撮った作品なので、より多くの人に観ていただきたいと思っていますが、劇場での公開は予算的にキツイので、これでひとまず、上映はお休みさせていただきます。

 ブルーレイ、DVDの発売は、来年春以降になりそうなので、それまでにイベント的に上映会を開きたいところですが、その時は告知しますので、宜しくお願い致します。

 御来場いただいた皆様、ありがとうございました!


・・・と、気分良くシメるつもりだったのですが、帰宅してから観てくれた友人からいきなり怒りの電話を受けて、面食らってしまいました。

 打ち上げの席で、その人の習っていた武道の先生を私が侮蔑したのが“絶対に許せない”ということでした。

「あ~、以前もこういうことがあったな~?」と思いました。それも二度。

 何だか頭に血がのぼってる感じで一方的に文句を言われたので、謝るしかありませんでしたが、ちょっと言い訳を書いておこうと思います(もしかしたら、これを読むかもしれないので)。

 私は、侮蔑した訳ではなく、その人はいつも自分の習っていた先生と流派の自慢話をするのですが、既に自分は道場を辞めてしまっており、強くなることを諦めている様子なのが気の毒に感じていて、「世の中は広いから、強い人、優れた武術家はいくらでも居るし、君だって今からもっともっと強くなれるんだよ!」と、以前から彼に言いたくてたまらなかったのですよ。

 師匠を敬愛するのは否定はしませんが、アンタッチャブルに祭り上げる態度は本人の向上を心理的に阻んでしまうのです。

 私がいろんな技を独自に体得していった一番の理由は何か?

 優れた師範に出会う度に、憧れると同時に「この先生と戦う時にどうやったら勝てるだろうか?」と常に考える習性があったからです。

 憧れているうちは先生の技の真似まではできても、決して超えることはできません。憧れとは、心理的に「超えたくない。超えるなんておこがましい。不遜な考えだ」というストッパーが働くからです。

 むしろ、「このヤロー、絶対超えてやる!」くらいの気持ちが無いと武術修行者としての上達の見込みはありません。

 何故なら、超えることを考えていれば、先生の技を一面ではなく多面的に観察し、分析して長所と短所を導き出すことができるからです。

 実際に、一角の名を成す人物というのは、こういう思考法を持っています。一流の人間ほど人格的には偏っていたりします。その偏りがあるからこそ、常に精進し続けられるのであって、円満な性格の人間が修行者としては二流止まりになるのも、すぐに満足してしまうからでしょう。

 無論、超一流となると話は別で、徹底的に修行し尽くした後に無我となったのでしょうが、そこまで行ける人はやはり異能者で、凡人はあがきにあがくしかありません。

 師匠に限らず、他者への敬愛を語るのは素晴らしいことだと考える人が多いでしょうが、聞かされる側はウンザリするだけです。新婚の友人のノロケ話を聞かされて楽しめますか? 「結婚したのは間違いだった~!」と落ち込んで見せた方が得ですよ?

 例えば、ひたすら自分の師匠の凄さ、素晴らしさを称えるだけの文章と、師匠への尊敬と憎悪、嫉妬がないまぜになった文章のどちらが第三者に強い印象を与えるでしょう?

 私は、前者を読むと吐き気がしてきます。嘘臭くって、気持ち悪い・・・「カルト宗教の機関紙かいな?」と思える。

 後者を読むと、「そうだよな~。そういうもんだよな~、人間は」と共感できる。

「人の不幸は蜜の味」・・・これが凡人の心理に共通する定理ですよ!

 人間は、酒を飲んで本音が出ると、大抵、他人の悪口ばっかりになります。しかし、それが本音であるのなら、その状態は嘘が無い極めて誠実な状態なのです。

 私が、美しい言葉ばかり口にする人が信用ならないのも、本音を隠していると思えるからです。毒舌の人だと他人に悪く思われることを恐れていないから、実際は真っ正直な人でしょう。

 いつも真面目な人が悪酔いして人格が豹変し、後から酔いが覚めて、ハッ?と気づいて自己嫌悪に陥る・・・これが人間の味というものですよ。

 マスゾエさんとノノちゃんを比べたら、ノノちゃんの方が断然、魅力的でしょう?


・・・で、彼は、この時もまた自分の師匠の自慢話をし出したので、私は“気持ちが悪くなってきて”、「ごめんなさいね?」と断っておいて、挑発的に「あなたの先生でも~~さんには勝てないよ」と言ったのです。

 本当は続けて技術論的、心理作用的な理由を説明するつもりだったのですが、彼は何も言わないので、「~~流の先生たちでも~~さんには勝てないよ」と続けて言ったのですね。

 やはり、彼は反論しませんでしたから、それ以上は言いませんでした。

 が、彼は内心では腹を立てて、帰る途中で怒りが倍増したということなのでしょう。敬愛する師匠を侮辱されたという“曲解”が自尊心を傷つけた様子です。

 その場で言わなかったのは、私の身内の前で私に恥をかかせたくなかったからだと言ってました。が、これは言い訳でしょう。面と向かって私を怒らせてはマズイと思ったのが本当のところだと思います。

 しかし、私だったら、その場で言いますね。「それってどういう意味? 俺の師匠を侮辱するんだったら、俺にケンカ売ってる訳だよね? 当然、覚悟してるよね?」って喧嘩吹っかけます。というか、こういう具合に喧嘩?したことが何回もあります。

 私は性格が悪くて無礼なのではなく、思ってることをはっきり言いたくなる性格なだけです。

 電話で彼も言っていましたが、「戦ってみなければ解らないのに、何で、どっちが強いか解るんだ?」と言う人も武道・格闘技の世界には多くいます。

 これは一見正しいことのようですが、正解ではありません。

 戦力や弱点を分析すれば戦わなくともほぼ解る・・・というのが戦術論の基本です。

 もちろん、マグレ勝ちやラッキーパンチというものもありますから、強い方が必ず勝つとは言えませんし、勝負の行方は論理では測れない面があります。

 けれども、200m離れてスコープ付きライフルとピストルで撃ち合ったとしたら、どうなるでしょう? ピストルで200m先を正確に狙う照準器はついていませんから、ほとんどの場合、遠距離を正確に狙い撃てるスコープ付きライフルを持っている方が勝つでしょう。

 武器の機能や戦力の差で決着がついてしまうのですね。

 武道や格闘技をやっている人達の大半が、このような思考法を持っていません。だから、「戦ってみなければ解らない」と平気で言うのです。

 漠然と、「どっちが強いか?」としか考えられないのです。

 しかし、武術の世界では、「パッと会った瞬間に勝てるかどうか判らないようでは武術はモノにならない」と言われます。身体的な戦闘力よりも洞察力が重視されるのです。

 親しい合気道の先生も、「実際に手合わせしないと解らないようでは命がいくつあっても足りませんよ」と笑っておられましたが。

 どれだけの実力者でも、その本人が自覚していない弱点を狙われれば、実力を発揮することもできないままコロリとやられてしまうものです。

 身体の隙、動きの隙、呼吸の隙、意識の隙・・・実は人間“隙だらけ”なのです。

 そして、自分は強いと思っている人ほど、自分の弱点(隙)に気づいていません。と言うか、考えたことも無いでしょう?

 私は、彼が武道を諦めていながら、かつての師匠への過剰な憧れを吐露することに違和感が拭えませんでした。憧れることで強い師匠に自分を自己同一化して考えているのですね。諦めているから、そうなるのです。要は、“依存”です。

 しかし、武道・武術・格闘技は他人の実力は関係ありません。自分がどれだけできるか?ということだけが肝心なのです。

 なので、私は自分がどこまで向上できるか?が第一の関心で、その次に弟子がどこまで向上するか?を目標にしていて、尊敬する先生も何人もいますが、基本的には超えるべき目標でしかありません。私は信仰心ありませんからね。

 以前、俳優をやっている会員の千葉さんと久しぶりに会った時に、「先生は立派です。弟子の仁平さんが自分よりずっとレベルが高いと平気で言えるのは素晴らしい。普通は嫉妬したりするものでしょう」と感心した風に言うので、「嫉妬しない訳ないじゃ~ん? 本当は妬ましいけど、それ言ってたらカッコ悪いじゃ~ん?」と答えたら、ズッコケてました。

 ただ、私が偉いところは、“事実に関してごまかさない”というところですかね~?

 事実、仁平師範が総合的に私を超えているから、そう言っているだけの話です。が、例えば、歩法のスピードとか、ギャグのセンスとか?部分的にはまだ私の方ができるところもあります。

 けれども、それも時間の問題で仁平師範はあらゆる点で私を超えていくのが一目瞭然ですけど、単なる一武術家ではなく、武医同術の遣い手として武術の歴史を変革した人間として名を残せる人材だと思うので、それをサポートしたいと思ってますよ。

 ちょっとお名前は出せませんが、武道の世界では誰もが知っている有名な師範が身体の故障に苦しんでおられたのを、仁平師範が治療して治してさしあげたらしい。その師範は武道界の宝と言うべき方ですから、これからも長く活躍されないと大きな損失になってしまいます。仁平師範は、よくやった!と、私はこんな嬉しいことはありませんよ。

 だから、私は武術研究家と作家(できれば映画Pも)に専念して残りの人生を送るつもりです。武術は道楽で続けますけど、やっぱり作家だけで食えるようにならねば!

 ちなみに、達人になるのは理由があります。素質や才能とは関係ありません。誰もが仁平師範のようにはなれないでしょうが、私と同程度のことは教えれば誰でもできます。

 正直言うと、私は他人に教えるのは嫌なんですよ。生活費稼ぐために仕方なく教えているだけです。でも、金取ってる以上は、しっかり教えないといけないと思ってます。

 武術は知識がある方が圧倒的に有利になります。持って生まれた強さではなく後天的に得る様々な知識によって弱者が強者に圧倒的に勝てる!

 それを文句言ってきた彼にも理解させて、「あ~、自分でも上達できるんだ!」と感動させてやりたい。そのためには過剰な師匠愛を切り離して物事を客観的に水平に観察することが必要だと考えて、わざと挑発的なことを言ったのです。

 もちろん、彼が怒って「実証してみせろ!」とかつての道場の先輩を引き連れて道場破りに及ぶことも想定内ですよ(似たようなことやらかしたヤツがいました)。

 私は40年もやってるんですから、勝算が無くて、自慢話するようなぽっと出ではありません。彼の学んでいた流儀は私もやったことがあるので、特徴は熟知していますし、弱点も研究し尽くしています。はっきり言って、致命的な弱点があるんですよ(ヒミツ)。

『刃牙道』風に言うと、「確かに強いが、武ではないな・・・」ということです。

 このような次第で、私は彼に教えてあげたいと思っただけで、侮蔑する意識など金輪際無かったのですが、私が思っていた以上に彼の依存性が強くて、反感を強めただけでしたね。

 彼の欠点は自尊心が強過ぎることです。口では自分の弱さを吐露して見せながら、かつての師匠への盲目的な敬愛の念を口にする時点で、背伸びして見せたがる。私に対しても露骨に対抗心を燃やします。それは本当は、まだ強くなることへの未練があるからなのを自覚していません。道場は辞めたけれども、まだ未練が残っているのです。

 要は、自分の本心に蓋をしてあれこれ理由を付けて自己憐憫に陥っているのを自認できていない。

 簡単なんですけどね~? 「俺は本当は強くなりたいんだよ!」って言えばいいだけなんですから・・・。

 こういうことを書いているのは、過去に同様の誤解をして敵意を剥き出しにしていた人が、何カ月も何年も経過して、突然、連絡してきて「長野さんの言っていた通りでした」と言われたことも何度もあるからです。

 今、現時点で「長野さんは何て性格が悪いんだ! 絶対、許せん!」と思ってもらっても一向に構いませんし、むしろ、そう思うような気持ちの強さが無いと本当に負け犬になり下がってしまうでしょう。

 やっぱり、「悔しい」とか「こんチクショウ!」という感情は向上心に繋がるんですよね。私は、ずうっと、そういう負の感情を燃料にして頑張ってこれましたから。

 武術業界で私が一番売れてるのに専門誌が取材に来ないのは何故か? 偏見もあるでしょうが、一番の理由はジェラシーでしょう。「こんなオタク野郎をのさばらせてたまるか?」と思ってる人が何人もいる訳ですよ。

 でも、それが私のやる気スイッチになってるから、いいんですよ! 超売れっ子になって厭味言いまくってやるのが楽しみなんですよ。

 人格円満で誰にでも好かれる八方美人は、何故か一流にはなれません。

 そういう意味で、「俺は長野さんを絶対に許さない!」と宣言した彼は嫌いになれません。それでこそ、武を学ぶ資格があるんですよ!

 あっ、そういえば、私が松田隆智先生に意見した(噛み付いた?)時の松田先生も、こんな気持ちだったのかもしれない・・・?

 結局のところ、人間は自分が体験して骨身に染みたりしないことには信仰心からは覚めないものです。

 かく言う私も、お恥ずかしいことに甲野氏を二年間は信じていましたから・・・。

 不思議なもので、信仰心というのはいつかは崩れるものですよね?

 ある先生を生涯の師と崇めて尊敬していたのに、その先生の二面性を知って、すっかりバカバカしくなってしまったこともありました。

 武術家は聖人君子じゃないですよね?

 しかし、そういう経験が私自身の今に繋がって財産になっているのだと思います。

 その意味ではプラスもマイナスもありません。良いとか悪いというのは自己の都合でより分けているだけです。

 信じる信じないではなく、理解するかしないか?

 本当に理解したら、怒りとか憎悪とかではなく、「ふ~ん、そういうことか?」と納得するだけで感情がささくれだったりはしないものでしょう。



 話は変わりますが、柔芯体メソッド稲吉先生がお弟子さんを連れてバルセロナ・ダンス・アワードに行かれるのに、クラウドファンディングで資金援助される方を求められているそうです

 私も少しばかりは援助させていただこうと思っていますが、昨年、日本人初の三冠に輝く快挙をあげられた稲吉先生です。日本人の素晴らしさを世界に注目してもらうチャンスですから、是非、お志しを賜れば・・・と友人として願っております!


 また、さらに話は変わりますが、高瀬先生のツイッターで怪我をして後遺症に悩むスタントマンの方について、(製作側が)あまりにも心ない対応をされている点を憤られるコメントをされていました。

 本当に私も身に染みます。

 何故なら、昨年の『セーラー服忍者』の撮影中、やはり事故が発生してしまい、プロデューサーとして事前準備が足りなかったことを痛切に反省させられたからでした。

 スタントの仕事に怪我が付き物なのは当たり前でしょう。が、それを自己責任の一語で済ませられるでしょうか?

 肉体が資本の仕事をしている人にとって、怪我はある程度覚悟の上でしょうが、後遺症に苦しむ人を労災としてできる限りケアしようとするのは雇う人間の誠意と良心の問題です。

 私は後日、お見舞いをした後、丁寧な御礼状を頂戴しましたが、大事に至らなかったから良かったものの、取り返しがつかないことになっていたらどうすれば良かったのか?と、冷や汗をかいたものでした。

 同様に、数年前に武術セミナーの最中に起こった事故の時も、救急車を呼んだり、終わってから病院へお見舞いに行ったら、集中治療室に入られていて茫然としたものでした。

 聞くところでは、何とお子さんが生まれたばっかりなんだそうで、もし万一の事態になったら、私はどう償っていけばいいのか?と、動揺しまくりでしたよ。

 この時も大事に至らず、怪我された方も退院してから一度来られましたが、本当に、ちょっとした弾みで事故は起こるもので、注意してし過ぎることはないでしょう。

 高瀬先生はお立場上、多くのスタントマンやアクション俳優を護らねばならない方ですし、想像するに、心無い言葉を浴びせるプロデューサー、監督にも何人も出会っておられるのでしょう。

 侠気(おとこぎ)という言葉はもはや死語に近いかもしれませんが、失わずに持ち続ける人間が今ほど必要な時代はないように思います。

 高瀬先生のように外柔内剛の人であって欲しいですが・・・(ピラピラのチンピラチックな態度を侠気と勘違いしている人もいるからな~?)。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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