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真実はいつもヒトツ~っ!

「百人いたら百通りの答えがある」と気軽に言う人・・・

 あま~いっ!

「な~に、ヌルいことゆうとるんじゃい、ワ~レ~?」って、私は言いたいです。

 勘違いしてはいけません・・・。

 真実は常に、一つしかありません!

 もちろん、解釈は百人いたら百通りあっていいんですよ。気持ちの問題だから。どれが本当か嘘か?なんてことをはっきり白黒つけたいと思っている人間以外には、どうだってよかったりするんですよ。圧倒的に多くの場合・・・。

 でもね? 真実というのは一つしかないから“真実”と言うんですよ。ここ、大事!

 私が武術が大好きなのは、限りなく真実に近づいていける世にも珍しいものだから。

 武術にとっての真実とは、「戦って勝てる技術」ということです。実にシンプル。

 かつて、「戦えない武術ではいけないんですか?」と問うた人がいました。

 私は、「ダメ! 絶対!」と確信を以て断言しました。

 だって、武術は戦って勝つために数多の戦闘大好き人間達が周囲から変態扱いされるのも厭わず研究工夫して作り出してきたものだからです。

 戦えない武術は武術ではないのです。モデルガンが武器でないのと同じ。

 しかし、モデルガンでも改造して殺傷力のある弾丸発射機能を備えれば武器になりますよね? そうなったら改造銃という代物になり、銃の一種、あるいは亜種として認知されることになります。

 フルーツナイフだって、武器として使おうとすれば武器になってしまいます。

 私なんてラジオ体操でも阿波踊りでも武術に改造できますよ!

 何故か?

“戦う意志”が技術を生み出していくものだからです。

 どんな達人に習おうが、どんな秘技を修得しようが、戦えない人というものは居ます。

 私は、現代日本の最高峰クラスの達人に何人も会っていますが、弟子がそのレベルに達している例は非常に少ない・・・というか、ほとんど皆無に近いものでした。

 その理由は、戦う意志が無いからなんでしょうね。

 あるいは、「達人に習えて幸せ~。いつか自分も達人になれるといいな~?」という自己満足の願望に陥っているから、自身が師匠超えを目指さない。これではダメです。

 逆説すると、何の技も知らず、何の力も持たない者でも、戦う意志さえあれば、技術も力も自分で勉強して獲得するものです。肝心なのは“戦う意志”そのもの。

 独学だって、非常に高いレベルに到る人はいます。異常に意志が強い人だと。

 それに、戦うことだけ考えれば、武器を持てばいい。武器なんて、周囲にいくらでもあるでしょう? 何もなくても上着を振り回したり頭から被せてブン殴れば効果的だし、ベルトを鞭代わりにするもよし、靴を手に持って殴るのもいい。靴下だって砂とか土とか砂利とか摘めて殴ればブラックジャックみたいな打撃武器になります。

 どうですか? 周囲にいくらでも武器になりそうなものはあるでしょう? 戦う意志があれば、こういうこともどんどん考えつくようになるのです。

 例えば、ストーカーに家に押し入られた時に、ただ隠れるよりも台所にダッシュして包丁を握った方が助かる率が高まりますよ。

「風呂に入っていたらお手上げじゃないか?」と思うのも間違い。熱い湯をぶっかけるとか、シャンプーを目潰しにするとか、濡れタオルをヌンチャク代わりにするとかいろいろできますよ。

 トイレでもサンポールを目潰しにするとかトイレブラシで顔面突くとか・・・?

 ねっ? やろうと思えば、いくらでもできるでしょう?

 私が世界中の古今東西の武術を研究してきたのは何か?というと、別に技とか理論はどうでもよかったんですよ。

 私は信仰心が無いので、どんな必殺技だの高度な理論だの習っても、それが万能に通じる筈がないと思っていました。だから、今でもずっと研究し続けているんです。

 つまり、戦って勝つ方法を貪欲に追究してきただけなんですよ。

 武術に関して膨大な知識を得ることになったのも、副産物なんですね。基本的に武術の歴史だとか達人の経歴だとかには全然、興味がありません。

 小説書くようになったから意識的に調べているだけです。

 私は、戦って勝てる武術を追究しているだけだし、もしも無いのなら自分が作り出してやろうと思って研究してきています。習ったら、さらに改良する! 常に進歩し続けていく・・・それが武術のあるべき姿だと思います。

 この点、普通に武道や格闘技が好きでやっている人達とは考え方が根本から違う。

 私は武器を使うことを前提にしていますが、それは武器を使うのが人類の普遍的戦闘の真実だからですよ。

 素手の戦いに拘る人に共通するのは、本気で戦闘に勝つことを考えていないということです。「勝敗は時の運」みたいな呑気なことを言うのは素手で闘う格闘スタイルを楽しみたいだけなんであって、命のやり取りを考えていないからですよ。

 だから、戦争のような状況は何も考えないで、強いとか弱いとかヤンキー中学生レベルのことを考えていられる・・・近視眼的なんですね。

「そんな状況を今の日本で考えることそのものが異常だ」と、時々、言われます。

 阿呆ですね?

 今の日本の状況でも日夜、生死がかかる戦いに備えていなければいけない仕事の人達は大勢います。その人達がもしいなかったら、社会秩序は成立していません。

 法律が秩序を守っているのではありません。法律を支える処罰を“実行する人間”がいるから成立しているのです。

 そもそも犯罪をおかす人間はアウトロー(法律を無視する無法者)なんですから、そんな人間に法を守れと言うだけ無駄です。

 こんな簡単な理屈が解らない人間は“阿呆”としか言えないでしょう?

 生死がかかる戦いに備えている人達に感謝しないでどうします?

 具体的には警察官や自衛官。警備業務の人にも命がかかる危険な場所で仕事している人はいますよ。

 そこまででなくとも、日常生活の中で暴力に晒される機会は少なからずあります。

 学校や職場のイジメ、ママ友イジメ、サークル内イジメ、御近所トラブル、ネットコミュニティーでのイジメ、そして家庭内DV・・・。

 自分が経験が無い、あるいは経験しても鈍くて感じないから、「そんなものは無い。日本は平和そのもの」と考えるのは大間違いですよ。

 基本的に自分の幸せを優先して考えるのが人間の性質であり、世のため人のために粉骨砕身して自己犠牲の精神を持つ人は極めて希少でしょう。

 マスゾエ都知事のニュースとか見ると、一般社会だったら業務上横領で即刻捕まるレベルなんじゃないか?と思いますね。以前、五円玉ポケットにしまっただけで懲戒免職になった駅員が居たと思いますけど、庶民がマスゾエ都知事に怒っているのは、自分達が生活ギリギリで苦しい生活をしている中で、税金使って成り金みたいな真似繰り返している神経に腹が立っている訳ですよね?

 でも、私は政治家なんてあんなもんだと思ってるので、呆れるだけで腹は立ちません。

 ナルシシストは海外ではサイコパス扱いで危険視されているのに、日本ではちょっと変わった人程度に思われているそうです。ナルシシストは他者への共感ができない自分のことしか考えない人間だから、権力握るとムチャクチャやるから危ない・・・という理屈。

 マスゾエ都知事はナルシシストでしょう? 典型的な・・・。反省なんかしてないでしょう。“俺は今、受難を受けているのだ”としか思ってない。権力にしがみついてる。

 猪瀬さんはサクッと辞めたでしょう? 権力に未練が無いから辞められたんじゃないですか?

 ナルシシストといえば、武術界にも多いです。

 もう名前書かなくとも誰のことか解りますよね?

 大勢いるからな~・・・。

 最初のテーマに戻りますが、百人いたら百通りの解釈があるのは当然のことです。が、それは決して真実が百通りあることにはなりません。

 真実を追究するには厳しい態度が必要ですし、そのためには、むしろ解釈は邪魔になります。

 稽古の時に話題になったんですが、「水素水は科学分析するとただの水だから、健康に良いというのは何の根拠も無いのでは?」というもの。

 科学的に根拠が認められなくとも体験的に効果が認められるとして愛好者がいる物というのは無数にあります。

 EM菌、パイウォーター、紅茶きのこ、ぶらさがり健康機、磁化水、還元水、バナナ酢、ヒランヤ、サルノコシカケ、丸山ワクチン・・・etc

 多くの民間療法が科学的には根拠が無いとされながらも、愛好者がいなくなることはありません。

 どうしてか?というと、体験的に効果があると認識する人が一定数いるから。

 現在、療法として定着している、柔道接骨、指圧、鍼灸なども国が認定するには関係者の壮絶なまでの運動があったことを知る人は少ないでしょう。

 催眠療法も、創始者と見なされるメスメルは詐欺師扱いされていて、“動物磁気説”なんてものを提唱したりして科学的な理論を構築しようとしていた訳ですが、その後、心理療法の中で“自律訓練法”(シュルツが考案)が採り入れられて科学的に認められていきます。

 気功法も、中国で科学的に理論付けして普及したから、それほどオカルト的なイメージは薄いですが、元をただせば仙道の訓練法(内丹法)ですから、科学的か?と言えば、実に怪しい訳ですよ。

 日本ではダイエット体操くらいに思われているヨーガも、もともとは修行者の行法であり、根本は瞑想(メディテーション)です。原理的には気功法と同じなんですよ。

 座禅も仏教式の瞑想ですよね。

 20年くらい前にはカイロプラクティックも国認定の療法にしようという運動がありましたが、「科学的な根拠が認められない」として挫折しました。

 それはそれで良かったと思います。まともな教育を受けていないカイロプラクターが溢れている現状では危険過ぎるからです。

 しかし、私は「科学的に」という言葉には逆の意味で盲信が感じられてしまいます。科学が万能という認識自体が誇大妄想だと思うからです。

 そもそも、自然科学の源流は長い歴史の中での様々な試行錯誤の末に理論付けされてきたものであり、根本は体験的な知恵だった訳です。

 例えば、漢方薬はまさにそうですね。薬になるか毒になるか? 分析技術が無かった頃は体験的に調べていくしかない訳です。

 水素水のブームも、健康に良いと言われる水に共通するものは何か?と研究した人がいて、「水素含有量が多いからではないか?」という仮説をたてて発表したことが遠因だと思います。

 私、一時期、健康法の研究している頃にいろんな水を試してみたりしていたんですが、確かに成分分析すればただの水なんだけど、明らかに体調に変化が出たりする訳で、「果たしてこれはプラシーボ効果に過ぎないのだろうか?」と考えたりしましたね。

 個人的にはプラシーボとは言えない物もあると思います。例えばパイウォーター。これは相当、違いが出ましたね。水分の吸収率が良くなったのでしょう。ウサギの糞みたいに乾いた便がコロコロッと出るのでビックリしました。

「お尻拭かなくて済むからペーパー代が浮くな~?」とか思いましたね。

 その当時、パワーウォーターがブームとなりましたが、その時は水素ではなく「水分子が小さい」というのがキモでしたね。

 結局、科学は後追いだと思うんですよ。現象があって、仮説をたてて、分析して、理論化する・・・。

 既存の科学分析で判定できなくとも現象として“有る”ということを否定することはできません。

 ただ、注意しなければいけないのは、体験は主観であって個人の感想に過ぎない。客観性が乏しいものを絶対視してみたり、盲信する態度は、そこに付け込む詐欺的ビジネスの温床になることも現実ですから、常に批判的視点を忘れてはいけないと思いますね。

 要は、一つの視点に固定化する態度はマズイ!ということです。

 真実は一つ!

 しかし、真実を認識することは不可能に近いのだと謙虚な姿勢でいないといけない。

 故に、私は信仰心を持たないようにしている次第・・・。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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