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脱力体の重要性

 今度の日曜日は月例セミナーの第一回ですが、毎年、第一回目は「脱力体の養成」をテーマにしています。

 どうして脱力体を第一にもってくるか?と言いますと、武道にしろスポーツにしろ勉強にしろ、筋肉に力を入れて緊張する程、効果が上がらなくなると考えるからです。

 ものの考え方が一面的で独善的な人は、身体的にも緊張して身体が堅い人が多い。

 もちろん、緊張型の人は勤勉であったり真面目であったりする良い面もあるのですが、行き過ぎてしまうと頑迷で融通が利かない愚か者になりかねません。

 武道家には、こういうタイプが実に多かったんですね。

 私は、だから武道家が日本の様々な業界で活躍できなかったのだと思います。

 もっとも、権力者に忠実なタイプは武道家タイプでしたから、戦前は奨励されました。

“権力の番犬”にはもって来いなんですよね。

 しかし、こういうタイプは達人とか名人にはなれないですよ。

 もちろん、その生来の真面目さ、勤勉さから稽古は熱心にやり続けるので、高い段位になって有名になる人はざらにいます。

 けれども、だから達人だとか名人だとか言えるのか?というと、私は全然、違うと思いますね。

 少なくとも、私が会った達人、名人と呼べるレベルの先生方は、物腰が柔らかく考え方も柔軟な方ばかりでしたし、洞察力が人間技のレベルではありませんでした。

 つまり、非常に頭脳明晰なんですよ。

 私は文筆業やってますから有名大学出てたり頭の良い人には沢山会っていますが、そういう人間としての頭の良さではなくて、やっぱり洞察力ですかね~? パッと見て、相手の本質を観抜いてしまうとか、そういう妖怪的な頭脳の持ち主なんですよ。

 年末に最近、紹介してもらって知人になった合気道家の方から知らせてもらって知ったんですが、合気会の若手の指導員が迷惑行為で警察に捕まったのだそうですね。

 ニュースを見ると、真面目そうだけれども前頭葉の働きが悪そうな目付きでした。

 脳の状態は大体、目に顕われます。

 ストレスとかあったのかもしれないけれど、犯罪行為をやってしまう言い訳にはなりません。

 恐らく、自分の欲求を適度に発散させられない性格で、ストレスを溜め込み続けてしまって爆発したのかもしれません。

 つまり、考え方が固定していて柔軟にあれこれ考えられなかったのでしょう。

 武道の先生は、そういう愚直さを持て囃してしまう傾向が強いので、弟子は疑問があっても先生に質問したりしないし、先生の問題点を指摘することも憚ります。

 武道の先生は、どんな無茶ブリをしても黙って従う“自分の頭で考えない”馬鹿が大好きなんですよ!

 だから、“思慮分別の無い馬鹿”が増殖するんです!

 武道の世界は、未だに前時代的な封建主義の道場が非常に多いですよね。私は、そういう道場を見るとウンザリさせられます。いつの時代やねん?と・・・。

 もちろん、最低限の礼儀も節度も必要ないとは言いませんけれど、もっと普通にやれないもんかな~?と思いますね。

 何か、“量産型馬鹿の製造工場”みたいな道場すらありますから・・・。

 そんな世界だから、“大馬鹿が先生やっている道場”も少なくありません。

 10年くらい前だったか? 荻窪の体育館を利用していた時に、個人解放の時間帯で畳の上で我々が数人で練習していたら、道着を着た爺様がヨタヨタとやってきて、無言で我々に向かって、シッシッと犬でも追っ払うみたいな仕草をしました。

 一人の会員が怒った顔で何か文句を言おうとしたんですが、「まあまあ」と宥めて、わざとらしくニコヤカに「どうぞ、どうぞ~」と場所を譲りました。

 その爺様。何と合気道八段の大先生?だったらしい・・・。

 でも、私の目には、ひいき目に見ても二段がせいぜいという程度にしか見えませんでしたし、いつも小人数で練習している合気道の先生らしき壮年の人の方がずっと実力がありそうでした。この方は明るく謙虚で、立ち居振る舞いが実に見事でしたね~。

 清心館佐原先生とお話していた時に、「あの先生が八段だったら佐原先生は八十段ですよ」とギャグを言ったら佐原先生は苦笑しておられましたが・・・。

 武道の世界は、喧嘩が強ければ尊敬される世界だったりするので、しょうがないか?とも思いますけど、これじゃあ、世間的に尊敬される道理がありませんよね~?

 ジャイアンが尊敬されてスネオが一番、嫌われる?(私はドラえもんみたいなもんなので、「長野はズルい!」と嫌われる・・・)って、何だかな~?


 え~っと・・・それで、何を言いたいのか?というと、私は、「本来の武道も武術も、みんながイメージしているようなものじゃな~いっ!」と言いたい訳です。

 武道にしろ武術にしろ、今現在、ものすごく表面的で抽象的なイメージで語られますでしょう? 専門家を名乗っている人達ですら首を捻るようなヘンテコリンな定義を言い出すから、本当に困ったものです。

 実際に修行している人間ですら、自分が何を修行しているのか?ということを全然、解ってないんですよ。だから、質問したって答えられない。

 じゃあ、武道をやっている大学の先生なら?と思って聞いてみても、いや~、やっぱり無理ですよ。

 何故なら、武芸百般の経験が無いし、流派の違いや各国の民族に伝わる武術についても知らないし、武術と舞踊、宗教、医術の関係なんかまで幅広く研究している人なんか皆無でしょう?

 どうしてそうなるか?というと、皆、自分の学んだものが一番だという思い込みに埋没して自己満足に陥ってしまうからですよ。

 即ち、頭が堅いんです・・・。

 武術で一番、重要なのは、「考え方を柔軟にすること」なんですよ。

 そもそも、武術って、人間にとって最も忌むべき“殺人”の技術を修練するものですよね? これって倫理的にも社会通念的にも完全にOUTでしょう?

 その完全にOUTな文化が、何故、何百年何千年も延々と伝えられてきたのでしょう?

 それは、「生きるためには戦わざるを得ない局面がある」という“生存のリアル”に対する具体的な対策を教える解答の一つだからです。

 警察や軍隊が無いと社会も国家も維持できない。けれども、もし絶対権力を持つ施政者が民衆を完全に支配するために警察や軍隊を利用したらどうなるでしょう?

 この具体例は、ナチスのホロコースト、ポルポトのクメールルージュ等々、人類の歴史に無数にあり、現在も続いているではありませんか?

 思想として暴力を否定し法律で処罰することにしたところで、現実の暴力が無くなることはない訳ですよ。

 その現実の暴力から個人が自己防衛を考えた時に“武術が誕生する訳”です。

 武術というのは権力から切り離された“完全なる自己防衛術”なのです。

 本質として、そこに正義だの善だの悪だのという概念はありません。あるのは、唯一、「護るための戦闘術」です。

 概念があるとすれば、“完全なる専守防衛の術”だということくらい。

 だから、中国、琉球の武術家は、自分が武術ができることを隠しておくことが基本でした。そして、やむを得ぬ場合にのみ遣った。

 日本では安土桃山から江戸時代初期を中心に武芸を売って地位を得る風潮ができましたが、一部の武術家は隠して生きたようです。腕前をアピールする行為を恥ずかしいことと考える人もいた訳です(まっとうな社会人ならそうですが・・・)。

 私も学生時代に母親から「お前はそんなことやっててヤクザにでもなりたいのか?」と言われたことがあります。

 父親は剣道の有段者だったので、私が武術にのめり込んでも文句を言ったことはありませんでした。

 まあ、男のロマンは女には解らんし、熊本の男は武道やるのが一つのステイタスだったのかもしれません。

 それはさておき、最近のストーカーやら通り魔、狂人の起こす事件などをニュースで見ると、「俺だったら、こんなヤツ、一瞬で倒すのにな~? くっそ~、ちゃんとした武術を広めたいな~?」と思うのです。

 競技に偏っている武道や格闘技には自己防衛術の概念が乏しく、特に“対刃物”をさっぱり考えていないんですよね~。

 何故、考えないか?というと、自分が練習しないからですよ。

 鉛筆を削れないとか料理ができないとか、最早、珍しくも何ともないでしょう?

 日本の教育環境の中で刃物の使い方を教えないのは、本当に大問題だと思いますね。

 それで、数年前から、私は游心流の中で制定したナイフ術を指導しようと思い、游心流独自のタクティカルナイフも考えていました。

 年末年始に風邪が治らずに困っていたんですが、無駄に時間を浪費するのが嫌だったので本を読みまくったりしていたんですよ。

 その時、ふと、以前に「システマ剣術シャシュカで使うアルミ製の刀が折れたので先生にプレゼントします」と会員さんに貰ったシャシュカの折れた切っ先があったのを思い出したので、これを金ヤスリで加工してみようと思ったんですね。

 ヤスリでガシガシ削っているうちに、あれこれイメージが湧いてきて、ちょっと面白い形になってきました。

 最初は、以前、田中光四郎先生に贈った両刃の日本刀の短刀みたいにするつもりだったんですが、「非対象の両刃でブレイドとグリップが一体化したものにしてみようか?」と思いつきました。

 私は同じ物を二回作るのは嫌なんですよ。せっかくロシア武術の刀剣だったんだから、日本風にする必要はないだろう?と思いまして、握りは、順手と逆手で握った時に安定してグリッピングできるように削り込んでみました。

 やっぱり機能性を優先しないと格好だけ良くてもダメですからね。

 アルミの鋳物らしく、空気が入ってス(透き間)が出来た箇所が多く、だから折れたのだろうと思いますが、トレーニング用ナイフとしては強度的に十分ですから、プロトタイプをいくつか作ってみてから正式採用する本物のナイフを作ってみるつもりです。

 游心流合気道では対ナイフを基本にするつもりです・・・。合気道って元々、そういうものだし、冨木式合気道がまさにそうですよね?

 さて、話を戻します。

 考え方というのは、その人が生きてきた中で自然に固まってきているものであって、「はい、そうですか?」と簡単に変えられるものじゃありません。

 例えば、敬虔なキリスト教徒に「イスラム教こそが正しいのだから変えなさい」と言っても、無理でしょう?

 だから、考え方をいきなり変えさせるのは無理なのですね。

 しかし、考え方が固定している人というのは、概ね、身体が堅いものなんです。力む癖がついている。

 だから、まず、身体を柔軟にする!

 脱力することを身体に覚えさせる。

 身体の力みを抜くことで精神もリラックスする・・・その状態でこそ脳機能が円滑に働き、考え方も柔軟になる・・・という仕組みです。

 だから、私は、これまでの「武道をやると馬鹿になる」という状態を「武術をやると頭が良くなる」という方向へ転換していくような啓蒙活動をやろうかな?と思っています。

 その第一歩として「脱力することによって達人しかできないと言われている技がバンバンできるようになる!」ということを証明しますので、初めての方こそ、歓迎致します。

 来たれ!


追伸;今年は、支部がいくつか増えそうです。10年くらい前にやっていた大阪支部も新しく復活する見込みです! 関西方面は兵庫支部に続いてですが、復活して欲しいと言っておられた皆様、御期待ください!


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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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