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ほびっと村感想

 今年、しょっぱなのほびっと村の講座は游心流合気道の初披露となりました!

 つまり、游心流武術の考え方を組み込んだ合気道ということですね?

 ちょうど、0インチ打撃法を幹部クラス全員体得してしまって、危険過ぎて迂闊に打てなくなってしまったので、崩して制圧する合気道の技術体系と、殺伐としない技の掛け合いが中心の稽古法がピッタリだと思ったんですよ。

 そもそも、合気道が現在の練習体系になったのは、怪我人が続出して“地獄道場”という異名をとるほどだったので、普及するために安全に技を掛け合えるように工夫した結果だということなんですね。

 創始者である植芝盛平翁も、最初は大東流柔術と名乗った時期もあり、後に相生流と名乗ったり、九鬼神伝流との関連も匂わせたり、実は結構、紆余曲折しておりまして、合気道に落ち着くまでは色々とあった様子です。

 巷間に知られるように、大東流を武田惣角に習った後に大本教に入信してから独自の悟りを得て合気道と名乗った・・・というような単純なものではなかったようです。

 それと、本当に危険な技は、お互いが弁えて安全に気を配りながら注意して練習しないと体得できませんし、そういう練習ができるのが合気道の素晴らしいところだと思うんですね?

 もっとも、私自身は合気道を実際に体験したのは一時間半しかない訳で、そんな人間が合気道を名乗ったり教えたりしていいのか?って疑問の声があると思います。

 いいんです!

 游心流の中の合気道なんですから、部外者にとやかく言われる筋合いじゃありません!

 ただし、専任師範は私以外から選ぶつもりでいます。

 順当なのは東京支部長の小塚師範なんですが、「大学の部活でやっていただけの人間がおこがましいですよ~」と遠慮しているので、まだ正式には決めていません。

 他にも修行歴が10年の人と20年の人もいて、その他にも数人いるので、やってるうちに自然に決まるだろう?と思って、今は焦っていません。

 何よりも、技の研究するのが楽しくってしょうがないんですよ。

 横浜支部長の栗原師範も、「(うちは)こんなに楽しいのに、何で、皆、興味持ってくれないんですかね~?」と首ひねっていました。

 私も不思議です。

 游心流合気道も各派の合気武術を研究した私の集大成としたいと思っています。

 従来の合気道では裏技扱いになっている当て身も多用しますし、剣の理合との融合、対武器などを流派の特色にしようと思っています。

 要するに、私が触れて示唆を受けて脳内で理想化された合気道を具現化したい!という欲求が生じたんですね。

 これは、やっぱり新体道と佐原先生の合気道を取材させてもらったからだと思います。

 御承知の方は少ないと思いますが、ザックリ言って、新体道は空手をベースにして合気武術の理合で構築されていると言っても間違いにはならないでしょう。特に、養気体の技は空手とは別物です。

 以前、武術研究の先輩Nさんから、「長野さんの技は中国武術の技を日本武術の理合で使っているね~」と言われたことがありましたが、そう言われて、あ~、なるほど、そう言われたらそうだよな~?と思ったものでした。

 読みも交叉法も剣(居合)術の理合なんですよ。

 それを応用して中国武術の使用法を工夫したのが北区赤羽にあった大日本講武會の櫻公路一顱先生。

 縁あって学べた理合を以ていろいろな流儀の達人を観察して回った結果、「私のような素質も才能も無い人間でもできるかも?」と直感して研究して、もう四半世紀も経過しますよ。

 中でも、日本武術の特質とも言えるのが合気道の中に受け継がれているような気がしますね。

 それが、力を捨てる・闘争心を捨てるということで、捨ててしまって0になることで個人の力ではなく自然と調和した力を駆使することができる!

 合気って、そういうことだと思います。

 我を捨てて、流れに身を委ねる。

 身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあり・・・なんですよ。

 個人指導の時に合気道三段のIさんに教えていて、彼が「正直言って、まだ筋力が必要なんじゃないか?と先生を疑う気持ちがあるかもしれません・・・」と言ったんですが、なるほど、彼がさっぱり伸びなかった理由が判明したと思いました。

 要するに、捨てられないんですよ。だから、体得できない。

 手に荷物持っていたらダイヤモンドが落ちていても掴めないですよね?

 気持ちが固まっていたら身体は思うように動いてくれません。気持ちを楽にしていたら、相手が殴ってくるのも先に解ってひょいひょい避けられます。

 何事も、上手な人というのはリラックスして余裕があります。

 下手な人は、緊張して身体が固まり、視線が一点に固定しています。

 私が脱力が大切だというのは、根本の問題なんです。

 気持ちと身体は一体なんです。

 だから、どちらかをコントロールできれば心身はコントロールできるんですよ。

 それから、私に習いに来る人は、未だに「游心流は広まってもらいたくありません。自分たちだけのものにしていたい」と言う人がいるんですが、こういう姑息な性根でいると技も体得できないんですよね。

 要するに、劣等感があるから優越感に浸りたくて武術に依頼心を持ってしまう。

 現実逃避です。

 武術ができても偉くも何ともありません。

 私は作家として成功したいとは思いますが、生涯、武術家なんて名乗りたくありませんよ。

 名乗ってる人達は優越意識があるんでしょうが、武術家という肩書は一般人にとってはヤクザの親類くらいにしか思われませんし、少なくとも知性的な人間とは思ってもらえません。

 実際、非常に知的水準の低い人が多い(マニアックな知識はあっても、一般常識的な知識が欠落している)のが現実です。

 私の場合、武術は護身のため。そして修行は娯楽。楽しいから練習する。それだけ!

 生活の糧を得るのは売文業に徹したいですよね。数年のうちに作家として生活を確立させようと思っていますから、毎月、資料本に何万円も費やして勉強しています。お陰で貯金はまったくたまりません。

 でも、これは稽古をするより遥かに重要なことです。

 誰もが誤解していますが、武術とは身体運動よりも脳機能のトレーニングなのです。知識を蓄え、知恵を磨き、論理的戦略思考を発達させなければ意味がありません。

 実際に自分の五体を駆使して戦わねばならないのは下策なんですよ。

「戦わずして勝つ!」というのは、知恵を使え!という意味なんですよ。無論、上級者同士の立ち合いでは“位(くらい)勝ち”というものがありますが・・・。

 だから、「武術は馬鹿には体得できない」と言われているのです。

 ただし、文化としての武術の研究は、私に課せられた天命だと思っています。だからこそ、武術を利用して文化人の真似事みたいなことはしたくないんですよ。

 それは天に唾する行為だと思っています。

 そんな連中、ざらにいますからね~。同類と思われたくありませんよ。

「猛練習することを意味がないと言うんですか?」と、最近もよく聞かれます。

 猛練習することの意味を考えてやるのなら、ある程度の意味や効果はありますが、無心にやればそれでいいと思っているのなら大間違いです。

 答えが知りたい人も多いでしょうから、解説しておくと、猛練習というのはランニングハイのような動的瞑想法による変性意識状態に脳の状態を導くための一つの手段です。

 一つの手段と言うからには、他の方法もいくつもある訳で、効率を考えると、それほど賢いやり方ではありません。過剰な肉体鍛練による傷害の心配もあります。

 瞑想法の類いも問題が無いとは言えません。瞑想修行で廃人同然となってしまった人の話は、精神世界方面ではざらに聞きますし、私も何人も実見しています。

 原因は、神経伝達物質の過剰分泌による現実感覚の喪失だろうと考えられます。

「身体に良いものは沢山とればいい」と考えるのは阿呆です。何事も適正量というものがあるのです。薬を大量に飲めば毒になるでしょう? 何故、それを考えない? 馬鹿過ぎますよ!

 神経伝達物質であるドーパミン、エンドルフィン、セロトニン、ノルアドレナリン・・・等は適正な分泌量でなくては心身に悪影響を与えてしまう・・・という基本認識が欠落している人もいますね~。しかも、現役医師免許持っている人が・・・(気が狂ってる)。

 神経伝達物質は麻薬や覚醒剤より遥かに強力な幻覚作用をもたらすと言われており、昔、『脳内革命』という本が流行りましたが、最近も類似の本が出版されたりしているようです。

 はっきり言って、天然シャブ中患者を増やすだけだと思いますね。

 瞑想法を教える団体で、このような失敗した人を出していない団体は、恐らく皆無でしょう。

 私は具体的に名前を挙げられますが、敢えて書かずにおきましょう。

 私のところでさえ、気功の研究をしている連中が言動がおかしくなって、結果的に破門にせざるを得ませんでした。

 私の指示を無視するようになったからです。これでは治るものも治りません。

 一人、関係妄想の症状を訴えてきた会員の時は、「それは精神疾患の症状だから、しかるべき治療を受けなさい」と指示して従ってくれたので大丈夫でしたが・・・。

 何事も“中庸”が大切なのです。

 気持ち良ければそれが正しいことなのだと結論付ける・・・それは自己催眠に陥って思考停止しているだけなのです。

 世の中に溢れるマルチビジネスの類いは、そうやって信者を増やしていくのです。

「プラスイメージを持ちなさい」って、誰もが自分にとって都合の良いプラスイメージでしか考えなくなったら、世の中はメチャクチャになってしまいますよ。利己主義者を増産し続けているのが自己啓発セミナー系の阿呆システムなんですよ。

 ずる賢い詐欺師が愚か者を量産して金を吸い上げるために考え出したものです。

 お金というのは、生活を支える大切なものであり、だから働いて賃金を得ることが生活の核になっている訳ですね。

 よく、「健康は金に代えられないでしょう?」と言って法外な治療費を要求するクソ療法家?がいますが、彼らの正体は拝金主義者なんですよ。病気に苦しんでいる人を洗脳して金を絞り取ってしまうのでは、たとえ病気が治っても、借金苦で自殺するハメにならないとも限りません。

 病気治しを謡い文句にする霊能者とか新興宗教なんかも同様です!

 健全な批判精神というものは社会性ある大人にとって必須のものです。

 問題点をきちんと認識し、それを解決していくこと無しに未来は無いのです!

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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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