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意識の転換が結果を左右する

 どうも、ここ何年か、「懸命に武道の修行を積むことが本当に実力の向上に繋がるのだろうか?」という疑問が膨らんでいます。

 私自身、何年も、いわゆる練習らしい練習をまったくやっていません。立禅すら、せいぜい一分くらいしかやりませんし、筋トレの類いは徹底的にやっていません。

 しかし、居合とか杖術とか手裏剣とか、そういうのは練習し始めると結構やってしまったりもするんですが、それも型の稽古みたいなことはやりません。

 型稽古というと、せいぜい、簡化24式太極拳と八卦掌の走圏をやるくらいで、これもメイプルホールで生徒が誰も来なかった時に独り稽古でやっている程度です。

 汗をかくほどの練習もやっていないのです。

 それで十年くらい?

 普通に武道に取り組んでいる人だったら、完全にOUTだと思うでしょう?

 でも、一日十時間も汗だくになって血尿が出るくらい必死で頑張っていた頃より、今のほうが遥かに実力は上がっています。

 無論、多くの武道修行者は私と同年代になっていても毎日汗だくになって練習しているのだろうと思います。

 そういう必死で練習を続けていることをステイタスにしている先生も多く、「練習しない=怠けている=修行者失格」という強固な認識を微塵も疑っていないからです。

 私が練習らしい練習をしなくなったのは、始めた当時に時間が無くなったという点もあったのですが、脱力技法を研究しているうちに、練習すればするほど下手になる?という悪循環に気づいたからでした。

 つまり、ついつい余計な力が入ってしまって技が成功しなかったのです。

「力を抜かなくてはいけないのに、力を入れる練習ばかりすれば、下手になるのは当たり前だよな~? いっそ、練習しなければどうなる?」と考えて実践してみた訳です。

 最初は、相手の攻撃力に打ち負けては元も子も無いと考えて、ついつい力を入れてしまっていたのですが、例のグデングデンに酔った状態での手合わせで、重心力の真の威力に気づいて、徹底的に脱力して完全に相手の攻撃力を受け止めないで流し崩す“化勁”を磨くことに徹した訳です。

 その結果、太極拳や合気道の戦闘原理を理想として追究してきました。

 副産物的に達人しかできないと言われていた数々の技が、脱力技法によってほとんど再現できることを発見し、「まったくの素人にもできる!」と実証することで、武道の世界で金科玉条となっている考え方に疑問を提示する反骨的快感に浸ってきました。

 私にはそもそもの信仰心がありません。

 何も信じていませんから、疑ってかかることに対する倫理的束縛がありません。

 これは研究家にとって必要不可欠の資質であり、私にとっては技の優劣、流派の優劣、個人の優劣などすべて無価値であり、何が正しくて何が間違いか?という区別すら意味がないというニヒリズム的理解をしているのです。

 これは若い頃にジッドゥ・クリシュナムルティーが好きで著作をかたっぱしから読んでいた影響でしょう。

 武道好きには思想だの美意識だのに拘りを持つ人が多いのですが、彼らの根本には自己崇拝があります。その代償としての憧れの師範への過度の熱愛や憧憬があります。

 根本が自己崇拝ですから、実力が上がって憧れの師範を超えた?と自認(大抵は錯覚)した時に自我意識が肥大して誇大妄想狂となり果ててしまう例が多くあります。

 このタイプの人達に共通するのは、「いかなる人間も自覚のある無しに関係なく何らかの思想信条によって行動原理を支配されている」という自己認識を他者に押し付けたがるという点です。

 無思想、無信条である人間というものの存在を認めたくないのです。

 何故なら、そんな人間は自らの誇大妄想を洞察してしまうからで、つまりは自身が構築している権威主義的思想の正当性を共有してくれないからです。

 どういう意味かと申しますと、特定の宗教を信仰している者にとって、それ以外の宗教の教えは間違いであり、間違った信仰は否定されるべきだ・・・という独善性があるということです。

 私には信仰心がありません。

 だから、他人の信仰心に干渉する気もないのです。

 お解りでしょうか?

 私が流派の優劣論争だの強弱論争だのを無意味だと認識しているのは、私はいかなる対象にも信仰心を持っていないからなのです。

 けれども、過剰に批判したりするのは何故か?

 それは、自分の信仰心に過ぎないものを、これが正しいんですよ!と広めようしている人達の阿呆さ加減を指摘してやりたいからです。

「ヤボなことをするな! それはお前の誇大妄想に過ぎないんだよ?」と指摘してやりたいだけ。だから、私と同様に、信仰に過ぎないと自覚している人には文句を言わないんですよ。

 松田隆智先生や青木宏之先生は、ちゃ~んと解ってらっしゃいましたから、私も安心して本音で話せた訳です。

 信仰心の強い人だと、勝手に敵愾心を燃やして私を貶めようとするので長続きしませんね?

 武道の世界では信仰心の強い人が圧倒的に多いので、私のような考え方の人間は目障りで仕方がないのでしょう。

 即ち、自分が長年、「これが正しいのだ!」と信じて疑わなかったことを根底から揺るがすような“自分の信仰を脅かす悪魔”のような人間に思える訳です。

 無論、これは信仰心の強固な人間に特有の“被害妄想”です。

 精神病理として考えると、非常に危ないタイプで、ちょっとした弾みで簡単に社会規範を逸脱してしまうような人間です。

 ところが、そういう歪んだ精神構造だからこそ、一定以上の水準に達することができた?という現実もあります。

 つまり、歪んでいたり危ない精神だから強い?という大変、困った現実がある訳です。

 シンガーソングライターを滅多刺ししたストーカー男は柔道を、相模原で戦後最多人数の殺傷事件を起こした犯人も格闘技をやっていた・・・という事実がある。

 この連中は明らかに自己肥大した神意識の持ち主で、選民思想のようなものがあったのでしょう。だから、あのような残忍な事件を平然とやれた訳で、惜しむらくは、彼らに教える立場の人達が、何故、そこを見抜けなかったのか?ということです。

 私は、競技スポーツの弊害であろうと考えます。

「競技者として強ければいい」という認識しかないから、本人の人としての精神面の欠陥を放置したのだと思います。

 私が入会希望者やDVD購入希望者をたまに断ったりするのも、人として他者に対する時の言葉や態度を重視するからです。

「こういう言葉を用いれば相手がどのように感じるか?」と予測して言葉を選ぶのが社会性のある人間ですから、まずはそこを観察します。

 つまり、基本的な礼儀作法を弁えているか?という“常識”の有無。

 私は常識の欠けている人間に武術を教えるのはキチガイに刃物持たせるようなものだと思いますから、初対面で非常識な態度の人には教えません。

 しかし、その“常識”を意図的に駆使して人を騙そうとする狡猾な人間もいますから、そこを更に洞察していく力も養う必要があります。

 10年前の分裂騒動の時も、私は半年間、観察し続けました。そして、彼らには私に対する敬意は失われており、自分達の方が上だという優越意識が認められたので、最初はその優越感を満足させるために“独立”を提案して体よく追い出しましたが、「破門された」と第三者に告げ口しているのを確認したので、「あ~、体面を保ってあげようとしたのに、そういう被害者ヅラするんだ? だったら御希望通り、破門にしましょう!」と破門宣告した・・・という次第です。

 私は性格優しいですよ? でも、ある一線を超えたらためらわずに斬ります!

 必要とあらば、いつでも捨て身になれる! それが宮本武蔵の言う“巌の身”であり、修行者として範とすべきだと思っています(まあ、これは趣味ですよ)。

 日頃の言動というのは、その人の基本的考え方が反映されますから、注意していれば相当に多くのことが洞察できます。

 これは、“武術の読み”にも直結することです。

 この点に関しては、戸隠流忍法を習った時に野口先生に教わったことが多かったと思いますし、後に友寄先生からはかなり厳しく言われましたね。

 伝統的な武術家は、技よりも、このような心得について非常に重視しているものです。

 だから、私も技とか実力よりも心得がどの程度なのか?という点を、まず観察します。

 で、本当にできる人は、微塵もそれを感じさせないものですね? 武道家でござい!と宣伝して歩いているような人は論外ですね。

 現実は残酷なものです。

 有名な空手の師範がバスの割り込みした者を叱ったら、ナイフで刺されて即死したとか、全米空手チャンピオンが小学生に拳銃で射殺されたとか、クラブマガのインストラクターが喧嘩に巻き込まれてナイフで刺されて死んだとか、柔道家が引ったくりを取り押さえたけど「許してください」と言われて放してやったら隠し持っていたナイフで刺されて死んだとか・・・こういう話は腐るほどありますよ。

「自分は強い」と思っているから、油断して弱いはずの者に殺されてしまった訳です。

 日本プロレスの父である力道山がヤクザにナイフで刺されたのが原因で死んだという事実もあります。

 だから、私は技だの力だのはあんまり評価していません。その人が武術家としての心構えをどのくらい体現できているか?を評価しますね。

 極端に言えば、顔を見ただけでわかりますよ? 威圧するような険しい顔している人はダメですね。戦闘意欲を表面に出していたら相手も反応しますからね?

 でも、専門誌の取材なんかでは、強そうな顔をしてくれって注文出したりしますからね~? 本人の意志じゃないかもしれないから、表に出ている情報だけでは判断できませんけどね・・・。

 あっ、それと誤解する人がいるので解説しておきますが、「組手もやらずに強くなれるはずがない!」と言う人が随分といらっしゃるんですが、私は勝つことしか考えていないので、逆に「組手になったら勝てないでしょ? 確実に勝つには、いかにして相手の技を封殺して何もさせないようにするか? 相手に技を出させて自分も技を繰り出して、どっちの技が速くて強いか?で勝負を決するのは競技の考え方であって、武術の戦闘理論は徹底的に自分が一方的に勝つためだけの理論なので、原則的に騙し討ちにするのが鉄則です!」と申し上げておきます。

 だから、「老人でも子供でも非力な女性でも屈強な男に勝てる!」と主張している訳で、「勝つためには、正々堂々とまともに戦ってはいけません。相手を油断させ急所だけを狙い、できれば、一発で殺せる強力な武器を使いなさい!」と言う訳です。

 このような考え方を「卑怯だ」と非難する者は真の戦闘のなんたるか?を一度も考えたことのない“平和惚け勘違い人間”です!

「組手、実戦的、強さ」を主張する人達って、同じ条件で競うことしか想定していないし、圧倒的に相手が自分より強い場合を考えていません。

 負けたら死ぬという絶対の危機を想定していないから、“強さ”を無邪気に論じられるのです!

 武道、格闘技に親しんでいる人はまったく疑問に感じない様子ですが、そもそも武術の源流は戦場で戦う“兵法”ですよ。

“兵法”というのは、いかに効率よく敵を殺すか?というものですよね?

 私が言わんとしている事柄を、よくよく考えてみて戴きたいですね?

 そうすれば、いかに自分が幼稚な平和惚けした考え方をしているのか?が解ると思いますよ。

 本当に、私は武道家を自認している人と話していて、情けなくなるというか、「こいつ、本当に頭悪いな~?」と、つくづく失望することが多いんですよね?

 ほら、北朝鮮とアメリカがいつ戦争はじめるか判らない時に、殴り合いの強いの弱いのと喜んで話している時点で「阿呆ですか?」としか言えないでしょう~。

 現実逃避していないで、意識を転換していかなくちゃ~生き残れない人類滅亡前夜に我々は生まれてきているのかもしれませんよ~?

「人類存亡の危機に臨んで、俺は一体、何ができるだろう?」って、嘘でもいいから言ってくださいよっ!

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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