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特別講習会と猫見会?感想

 5/4(木)は、千代田メイプルホールの稽古時間を変更してGW特別講習会を開催しました

 申し込みが少なかったので、どうなることか?と思っていましたが、前日、一気に参加申し込みがあって、会員ばかりでしたが、そこそこの人数で開催できました。

 月例セミナーだと3時間でワンテーマですから余裕をもってやれるんですが、今回は2時間で0インチ打撃化勁・ハイスピード打撃・蛟龍歩・そして零勁斬りもやるので、一工夫が必要でした。

 要するに、“実戦のケースに合わせて混ぜて教えた”のです。

 昨年から今年にかけて游心流のオリジナルの戦闘法を形成するように指導してきているんですが、その過程で、いわゆる“気”とか“心法”に関するオカルト的に受け止められかねない要素は思い切って省いて、科学的に解説できる領域でシステム化することに決めました。

 どうしてか?というと、そうしないと“感覚主導”になってしまい、“盲信”や“信仰”の対象になってしまい、社会性を失ってしまうと思った訳です。

 実際に、10年前に破門にした元会員達は“気の感覚主導”で追究した結果、言動が完全にオカルチックになってしまい、まっとうな社会常識を喪失していました。

 注意しても聞かなくなっていたのですね?

 これは気功でいう“偏差”であり、禅でいう“禅病”であり、精神医学でいう“統合失調症”であり、簡単にいうと“心のバランスを取れなくなって幻覚と現実の区別がつかなくなっている病態”であったと私は判断した次第でした。

 例えば、「酒やジュースの味を変える」「雨雲を散らして雨を止める」「幽霊を祓う」といったことを公の場で大声ではしゃいで吹聴してしまうのですが、これではまともな神経ではないという印象を周囲に与えるのが確実です。

 まだ、会の仲間内だけで愉快にやっている分にはシャレということで罪がありませんが、外部に向かって声高に主張したら精神病院行きですよ?

 実は、この分裂騒動の最中に、やはり気の感覚がある手技療法家の会員がいて、彼は自分がそんな能力があるということはおくびにも出さずにいたんですが、私は困ってしまって相談したんですね。

 そうすると、「長野先生がブレずにいれば、そういう人達は自然に離れますよ。何の心配もありません」と言ってくれたので、随分、助かりました。

 その経験があったので、先の花見会でのある会員の軽薄そのものの言動に対して重大な問題があると考えた訳です。

 これらの“病態”と、昔から言われている“霊能”との違いは何か?という点に関しては明確な区別はない訳ですが、私個人の見解としては「幻覚と現実の区別がつくか?」「社会常識を守れるか?」の二点であり、この二点を失っていたら、いわゆる“病態”と判断することにしています。

 ただし、これは私個人の判断基準であって、恐らく社会一般的には「すべてが病気か、あるいは虚言を弄する詐欺師」と判断されるであろうと予測しています。

 特に、弁証法的唯物史観による科学的認識(マルクス主義社会科学)を絶対のものと信じる人にとっては、霊的・神秘的・宗教的・スピリチュアリズムに関しては激烈な否定論者(例・上岡龍太郎とか大槻教授とか松尾貴とか)が存在するので、オカルトに関する発言は一般ピープルならば“不思議ちゃん”扱い、私のような専門家ならば“オツムテンテンの人”扱いされるのも覚悟してでないと迂闊に言えない訳ですね?

 で、日本は恐らく世界中でも特に弁証法的唯物史観の教育が成功して国民に広く浸透している国だと思われますから、オカルト発言者に対する排他的対応が激しい!

 特に霊能者の料金体系は非常識に高額なのが常ですから、一度、詐欺師のレッテルを貼られるや、魔女狩りのごとく四面楚歌になって社会から抹殺されてしまうのが特徴です。

 そうやって潰されていった人を何人も知ってますよ。

 有名な事件だと、『リング』の元ネタになった福来友吉博士と御船千鶴子の千里眼事件がありますね? 千里眼能力が評判になったもののインチキ詐欺師扱いされた千鶴子が自殺した事件・・・。

 真実がどうか?ではなくて、メディアが一斉にインチキだと糾弾すれば弁明の余地は無くなって“希代の詐欺師”とレッテルを貼られてさらし者にされてしまうのです。


 ところが、実は日本は世界でも有数の霊的文化の伝統を持つ国なんですね? もともとは・・・。

 だから、宗教に対しては驚くほど寛容でしょう?

 他の国ならすぐに宗教対立から戦争に発展したりするところですよ。

 でも、日本は古来から神道・仏教を中心に様々な宗教が伝承されてきています。キリスト教だって、景教(ネストリウス派キリスト教)が古くから入っていたといわれますし、密教はゾロアスター教(拝火教)の影響だと考えられていますし、明治以降の様々な新宗教は政財界の有力者との結び付きも強く、また党派を越えた「日本会議」のような結社も誕生しています。


 でまあ、何が言いたいのか?と申しますと、武道や格闘技、ダンスなどから武術に関心を持つようになった人達は、「“身体技術”にしか関心が無く、文化的社会的背景をまるで知らずに“技術”にのみ耽溺してしまっていて社会的見地が致命的に欠落している」ということです。

 これは数千に達する武道・格闘技・ダンスなどの実践者と接した上での感想ですが、専門にやっている人ほど、自分の専門外の事柄に関してはびっくりするほど無知で、非常識と言えるほどに常識知らずな人も珍しくありませんでした。

 普通にサラリーマンとかやっている人なら、「これは危ないな~」と踏みとどまるところが、閉じられた世界観の中でずっとやってきた人は“世間知”というべきものが育っていないので、そのまま突っ込んでしまうのです。

 大麻事件でバッシングされた元女優も、まさにそうでしょう?

 良く言えば“純粋”なんですが、それは、“無菌室で育てられたような純粋さ”で、“疑うことを知らない単細胞な信者タイプ”なので、容易に騙されてしまう訳です。

 世間では、“マルチ商法”とか“霊感商法”に引っ掛かる人は「騙される方が馬鹿なのだ」と見做されるもので、普通は同情されませんよね?


 私の世代で武術から入った者の多くは、精神世界とセットで学ぶのが当たり前のようなところがありました。

 これは、松田隆智先生がGIグルジェフの信奉者で、青木宏之先生はオショー・ラジニーシを敬愛していた・・・という点に象徴的でしょう。

 私はブルース・リーが敬愛していたジッドゥ・クリシュナムルティーにはまって学生時代は宗教哲学系の本ばかり読んでいましたが、視点が偏るのは良くないと思って、芸術・映画・健康法・手技療法・教育・社会運動などに関して実践研究していました。

 もちろん、武術は好きでずっと続けていましたが、強くなるという目的よりも文化的背景を研究することの社会的意義を直感して研究してきて、それが最終的に目的化したと言うべきかもしれません。

 私は知的好奇心とか探究心が並外れて強いらしく、謎に触れると解明したくてウズウズする気質なんですね?

 だから、様々な武術の秘技を解明することに熱中できたのだと思いますし、いろいろな分野に手を出してきたのも自分の中では別々のことをやっている意識が無かったからだと思います。

 事実、いろんな体験知が集積されることで謎の解明に役立っている訳ですから・・・。

 作家になれたのも、今考えると必然的ですね?

・・・というか、これしかできない。

 外に金を稼ぐ手段が無かっただけなんですよ・・・。


 余談が過ぎましたが、講習会は相当な成果がありました。

 特に、歩法は何人かの会員が、見る見るうちに体得していましたが、これは私が今まで教えた中でも数人しかできるようになった人がいないくらい難しいんですよ。

 いきなりやらせてできる道理がないんですが、日頃から地道に練習している人だから、ちょっとコツを教えただけで体得できたんでしょう。

 この歩法とハイスピード連環打撃を組み合わせ、0インチ打撃を使えば、スピード・テクニック・パワーの三位一体攻撃となります!

 これは護身術としての後の先ではなく、先の先で自分から攻撃していって一方的に倒すためのもので、これまで具体的に公開していませんでした。

 これは攻撃力は高いんですが、コントロールが難しいので危険だからです。

 本当は、この先に、発勁を連発するやり方もあるんですが、これは初心者にやらせれば身体を壊すのが確実なので、流石に講習会で教える訳にはいきません。

 私は、武術は即、使えるものでないと意味がないと思っているので、地道に訓練を何年も重ねないとできないような技術体系にはしていません。

 しかし、だから否定している訳ではなくて、日々の稽古の積み重ねによって身体を練ることの成果は確実にあります。

 例えば、立禅や這いはそうなんですね?

 私自身はもうほとんどやっていませんが、それは日常生活の中で練るやり方を工夫しているからです。

“型が大切”なのは、初心者から中級者向けの話であって、いつまでも型に拘っていてはダメです。

「これが正しい」というのは単なる思い込みです。

 例えば、ある先生が「釈迦の悟りはまだ達していない。その先がある」と言っていたそうですが、同様のことは青木先生も言っていました。

 が、その後、「いや~、釈迦の先の悟りがあると思ったんだけど、お釈迦さんも気づいていたんじゃないかな~? まだ、先があったんだよね~(苦笑)」と言ってました。

 結論から言えば、お釈迦さんが自分自身で残したものは無い訳です。

 すべて弟子が「お釈迦様はこう言っていた」と伝承しているだけ。

 つまり、嘘かも知れない訳ですよ。

 お釈迦さんと呼ばれる人物も実在しなかったかもしれない?

 実際、ヒンドゥー教では釈迦及び仏教はヒンドゥー教の一派に過ぎないと見做しています。

 あるいは逆に、釈迦が悟った内容について言葉を尽くして弟子に伝えようとしたけれども、弟子は悟っていないから上っ面しか解らない。

 だから、不完全にしか伝わってこなかった・・・。

 まあ、これが真相に近いのではないかな~?と私は思う訳です。

 もともと、悟りというのは言葉で伝えることができないから自分で悟るしかない訳で、だからクリシュナムルティーなんか、「瞑想しなさい」としか言わない訳です。

 岸田秀の唯幻論なんかもそうなんですが、言葉は共通言語でないと通じないし、価値観やイメージを共有している人間同士の“共同幻想”によってコミュニケーションが成立する面がある訳ですよ。

 それは宗教であったりイデオロギーであったり、所属意識や党派観念であったりするんですが、要は趣味道楽好みに理屈つけただけなんですよ。

 だから、私なんか、美意識とか思想とか口にする人間が胡散臭くって気持ち悪いんですよね~? 大体、こういう連中って言行不一致ですからね~。

 凡人は、権威ある人間が言っていることだから・・・と疑いもせずに信用してしまうものですが、こんなの単なる奴隷根性ですよ。

 私は、青木宏之先生や松田隆智先生に対して、常に尊敬の気持ちを持っていますが、信仰心は全然ありません。

 だって、権威を尊敬しているんじゃないからですよ!

 武術の腕前を尊敬しているのか?

 いや、それも違いますね。

“生き様”ですよ!

 青木先生も松田先生も自分に真っ正直に生きていて嘘が無い。だから、尊敬しているんです!

 今、気づきましたけど、私は嘘つかない人間が好きなんですね? 裏表のある人は嫌い。真っ正直に生きてる人間が好き!

 本当にカッコイイと思うのは、自分のダメなところや欲望や変態っぷりも隠さないでバーンッ!とさらけ出してしまえる人ですよ。

 武術も捨て身にならないとダメですから!

“捨己従人(おのれを捨てて人に従う)”ですよ!

 で、最後にやった零勁斬りも、上手くやろうとか「できるかな~?」と不安に感じたりする邪念があると失敗するんです。

 無念無想でエイヤッとやらないと失敗するんです。

 何人か成功しましたよ。

 で、成功した人は三段認定しました。

 試し斬りの良さは、迷いを切り捨てる心理効果がありますね。切れるか切れないかという結果が明確に出るので、意識転換が簡単にできます。

 依頼心を切り捨てることにも繋がります。

 剣術には“祓い太刀”というのがありますが、意識転換に最も役立ちますね?


 講習会の翌日は、小塚師範宅にて“猫見会”をやりました!

 今回はカヅコも積極的におもてなししてくれまた。猫はゴロゴロ腹出して転がるところがカワイイですよね?

 さっ、私もベストセラー出して、猫ビル建てるぞ~っ!


追伸;今回の講習会の模様はDVD化しますので、御期待ください!

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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