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六月は“交叉法”

 本当に時間が経過するのは早いもので、今年ももう半分ですよ?

 月に一回の武術セミナーも、江古田から数えて、もう随分、長くやってきています。

 その前は、ほびっと村で月一回ずつやっていましたし、本当に長く続けているものだな~?と、我ながら感心します。

 さて、六月の月例セミナーは、“交叉法”です!

 この理合を知ってから、私の武術研究は加速度がついて進展していきました。

 いかなる流儀の技も、交叉法の理合で解析することで本当の遣い方が明らかになるのではないか?と直感して、拳法、柔術、合気、剣、居合、棒・・・と、流派の垣根を超えて技の本質が洞察できていった・・・と私は思っています。

 無論、そんな簡単な道ではありませんでしたが、重要なのは、「諦めないで続ける」という、たったそれだけのことです。

 もちろん、長くやっているので欠点も判明しました。

 どうも、「合気さえ会得すれば無敵になれる」といった短絡的な考え方をする人が武術の世界には多くて、「発勁さえ」「遠当てさえ」「気さえ」といった具合に万能の技を求める人がいて、交叉法もその類いのものと誤解する人がいるのですが、当たり前の話ですが、万能に勝てる秘技なんか無いのです。

 手の内を明かすのはいやなので書きませんが、当然ながら欠点もあります。

 しかし、欠点が判ったら、それを補う方法を工夫すればいいだけでしょう? 私は、当然のごとく欠点を補う工夫をしております。

 何事もトライアル・アンド・エラーを繰り返して一歩一歩、真実に近づいていくのが醍醐味であり、苦労を避けて正解だけを教えてもらおうなんて考えの人間は、たとえ正解を与えられても、その真価に気づくことはなく、宝の持ち腐れに終わるだけのようです。

 私は、随分、凄い人に会いました。

 神業としか言えない技の持ち主もいました。

 しかし、私は人間を崇め奉る行為が非常に無礼なことのように感じられて、これまで誰も崇め奉ったことがありません。

 多分、今後もないでしょう。

 私は自己崇拝するようなナルチシストでもないので、信仰心が持てません。

 すぐに冷めてしまうのです。

 恐らく、だから、洞察眼が発達したのだと思います。

 普通の人は、優れた人に出会うと憧れのあまり、その人を神格化してしまいがちです。

 武道の世界で達人が滅多に存在しない理由がこれです。

「俺の習っている先生は天下一だ!」という憧れが思考停止を招き、自分などは及びもつかない大達人なのだと崇拝してしまう。

 つまり、崇拝することで自分の可能性に蓋をしてしまうのです。

 また、そんな従順な可愛い弟子を従えることが快感に繋がるので、多くの先生は弟子を自分以上に育てようとする努力を放棄してしまうのです。

 気持ちはよく解ります。

 私も弟子に追い越されるのは嫌だな~と思う気持ちがあるからです。

 先日、クエストさんである先生が零勁斬りで太い青竹を斬ったと聞いた時は、嫉妬の炎がメラメラメラ~ッ!と燃えましたからね?

 私みたいにクールな性格の人間でも「武術に関しては誰にも負けたくない!」という感情があるのですから(だから40年以上も続けている訳ですが)、世の武道家を名乗っている先生方はどのくらい負けず嫌いだろうか?と想像するのです。

 従順な無邪気な武道バカの軍団を従えるのは気分がいいのだろうな~?と思いつつ、私は基本的に頭の悪いヤツと話しているとムカついてくる性格なので、頭が良くて謙虚でユーモアセンスがあって常識を弁えていながら、いざとなったら捨て身になれる度胸を秘めたカッコイイ人間が好きなんですよ!

 そんな人間はいない? い~え、います、います!

 今回の交叉法は、基本の練習法と、いろんな流儀への応用法を中心に、欠点と欠点を補うやり方まで指導してみようと思います。

 GWの特別講習会で、かなり教えてしまったので、それ以上のことを指導しなければならなくなりましたよ。

 3時間でみっちり教えようと思っています。

 特に、交叉法の利点としては、「自分が学んだことのない流儀の技を見ただけで応用自在に遣えるようになる」という点があります。

 つまり、“方程式”みたいなものなんです。

 私が、剛柔流空手のサンチンや形意拳の三体式や二天一流の構えを見ただけで技への展開をいくらでも考案できる理由が、“交叉法”という方程式に当てはめて考えるから実戦応用法が次々に工夫できる・・・という次第なのです。

 普通、型の中の動きを技として使うには口伝を受けないと無理なのですが、口伝も記憶に頼っていると劣化していきます。

 武術の型というのは、練体・読み・身体感覚・技の用法・技の変化といった要素を内蔵しているんですが、大抵の場合、練体と技の用法しかないと考える人ばかりです。

「空手は型に始まり型に終わる」と言われたりするんですが、型というものは総合的な武術に必要な要素を内蔵しているから、こう言われる訳です。

 ところが、それが洞察できないと、まったく使えない。型無用論が出てくるのも道理なのです。

 なぜなら、口伝に頼る伝習形式では、教える内容がどんどん劣化していってしまうからです。

 はやい話、正しく口伝を受けた人が独りだけで、他の大多数の弟子が型を覚えただけで全然、遣えない・・・という悲惨な状況に陥りかねないからです。

 多くの古武術流派が失伝したり先細りしてしまう理由がここにあります。

 なので、“交叉法”を知ることは失われつつある武術の理合を蘇らせる鍵になると思います。志しのある方の参加をお待ちします・・・。

PS;『GW特別講習会』DVD、完成が遅れてしまいまして申し訳ありません! 5月中に完成できませんでしたので、新作割引セールを六月いっぱいまで延長させて戴きます。サンプル映像を見た限りでは非常に面白いものができあがると思います。お待たせしておりますが、御期待ください!

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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