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構えから戦法が解析できる

 日曜日の稽古会では研究会としての游心流の特色を活かして、会員からの質問に答える形でいろいろ実演解説しているんですが、27日は、ちょっと面白いことがありました。

「駒川改心流の八相の構えはどういう意味があるんでしょうか?」との質問・・・。

 ご承知の人もいるかもしれませんが、駒川改心流を創始した駒川太郎左衛門は、新陰流開祖の上泉伊勢守の直弟子です。

 つまり、駒川改心流の技の理合は新陰流から紐解くことができる筈です。

 新陰流の撥草(八相)の構えと駒川改心流の八相の構えは相当な違いがあります。

 が、半身から半身に体転換するのに併せて斬っていくことに関しては違いはありませんし、改心流の太刀構えは柄尻を相手に向けるように刀を寝かせて肩に担ぐようにし、上体を斜めに倒して低く滑るように無足で間合を詰めていきます。

 何故、こうするのか?

 これは、相手から刀身が見えないようにして間合を詰めていくためであり、剣尖が届く間境を相手に悟らせない意味があると考えられます。

 それと、恐らくは下から切り上げる刀法も隠していると思われます。

 どうしてか?というと、刀身を相手に見えないようにしているからです。袈裟にくるか斬り上げにくるか? これが判らなければ、相手は対応にとまどうことになります。

 これはクエストから出ている渡辺忠成先生(新陰流転會)のクエストのDVDに、下段からのそのような刀法が紹介解説されています。

 改心流はそれを八相からおこなっているのであろうと推測できますから、同様の太刀遣いを隠していると推測できる次第です。

 以上は、私が型から解析して導き出した戦法ですから、現に改心流を修練されている方々からすれば「間違いだ」と言われるかもしれません。

 しかしながら、武術は実際に遣えるかどうか?が大前提であり、実用できれば間違いとは言えません。

 そもそも、新陰流を正統と見做す人から見れば、駒川改心流は亜流に過ぎないと認識するでしょう?

 ですが、駒川改心流が長い年月を経由して現代まで伝わってきている事実からすれば、新陰流とはまた一味も二味も違った神妙の技を伝えているからこそ残ったと言えるでしょう。

 これは、タイ捨流、直心影流、疋田陰流などについても同様に言えるでしょう。

 ですから、「正統」「間違い」とは、「優れた人材を輩出して後世に残るかどうか?」でしか判断できないのではないか?と思います。

 私は武術研究家を僭越ながら自称しておりますが、何も名前を残すことには価値をおいておりません。

 形骸化した武術では意味がないと思っているのです。

 例えば、現代武道や格闘技にまったく太刀打ちできない武術を、誰が学びたいと考えるでしょうか?

 よほどのフェチシズムを持った変人でなければ学ばないでしょう?

 昔、「戦えない武術ではいけないんでしょうか?」と言った方がいらっしゃいましたが、戦えなくていいのなら武術と名乗らなくていいではありませんか?

 そもそも、戦えない武術はそのほとんどが歴史の中で消滅していきました。

 現代まで残った流派はそれだけ勢力を広げて評価されていた流派か、あるいは優れた価値があると有志が必死で伝承した流派です。

 だから、その本質は想像以上に実戦的であると私は考えます。

 私は駒川改心流を、その昔、黒田鉄山先生が初めて一般向け講習会を開催された時に参加したのみですが、実に得るものが多い充実した体験であったと今でも思っています。

 あの講習会の時は、参加者人数分のお弁当まで配られていて、非常にアットホームな良い雰囲気の講習会だったと記憶しています。

 黒田先生は、一貫して「型こそすべて」という姿勢を崩さず、世間一般に名を売ろうとかされていないところが立派だな~?と思いますね。

 そういえば、その講習会の時に同じ会場の一階で南郷継正さんの空手道の大会をやっていたのですが、黒田先生がボソッと「ああいうのとは(うちは)違うので・・・」と言われて、「何か、空手とか他流をバカにしているな~?」と、内心、嫌な印象を受けたんですが、その後の黒田先生の終始一貫した“我が道を行く姿勢”を見ると、別に自惚れて言われたのではなくて、本当に、「よそ様とうちは違いますから」という気持ちで言っただけで悪気はなかったのかもしれないな~?と思いましたね。

 そんな次第で、後に、新陰流の初歩を学ぶ機会を得た時に、その価値を改めて再認識しましたよ。

 やはり、それぞれの流派に優れた術理が育まれているのだと思います。

 ですから、自分の知識で良いの悪いのと安直に判断することは慎まねばならないと思いますし、より多くの流儀を知ることが個々の流儀の特色ある長所を確認することに繋がると私は思っています。

 優劣論争をする人達は総じて、自分の学んでいる流派の考え方に埋没していて広く客観的な視野と理解力、洞察力、分析力を持っていないのです。

 やったことがないから良さが解らない。単にそれだけの話ですよ。

 無論、かじった程度では解らないし、いくら学んでも価値が解らない人もいます。

 ところが、そんな人に限って、「自分は悟った」とか、「自分がやっているのこそ本物だ」とか言うのですね。

 私なんて、やればやるほど、「これこそが本物だ」とは言えなくなりますよ。どんな優れた理論をとなえていても武術は手合わせして負ければ間違いですからね~。

 それでも、「俺が未熟なだけで理論は正しいのだ」と言った人もいますが、それは「お前は黙っていろ!」という話なんですよ。


 翌日28日は、阿佐ケ谷のオルタナスタジオ游心流合気道三回目の稽古会でした。

 合気道三段のIさんを主将にして進めていますが、昔の技量が蘇ってきてますよ!

 自信が出てきたからでしょうか? ナイフ捌きも実に堂々とやっていて、水を得た魚のようです。

 昔は「合気道は本当に遣えるんだろうか?」と不安に襲われて止めてしまったそうでしたが、今は違います。ちゃんと遣える!と確信すれば、使えない武道なんかないんです!

 質問があったので心眼流の掌底重ね打ちを実演しました。加減したんですが、予想以上の威力だったらしくて、ビックリ目になってました・・・。

 游心流のお家芸は発勁ですからね~・・・。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
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