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ほびっと村感想

 日曜日のほびっと村は護身術をテーマにしていましたが、年始に完成した游心流合気道の基本型五本を初披露しました。

『表入身投げ・裏入身投げ・中段入身投げ・腕がらみ四方投げ・拳捕り小手返し』

 この五本です!

「たったの五本しか技が無いのか?」と疑問に思われるかもしれませんが、それぞれの技から相手に応じて無数に千変万化する応用変化技を駆使する戦闘理論ですから、心配御無用ですよ!

 游心流武術の初級中級の対錬型は他流のものをほとんどそのまま採り入れていたんですが、独己九剣は半分は私が創作していました。

 今回はベースは合気道ですが、逆に無駄をそぎ落としてシンプルな形にしています。

 何故、そうしたのか?というと、できるだけシンプルにすることで逆に応用発展性を高めることを狙ったからです。

 このアイデアの素形は、宮本武蔵の遺した五つの構えでした。

 具体的な技の手順を捨てて、基本の構えのみを遺したといわれる武蔵の考えに倣った訳です。

 これはブルース・リーも同じ意味のことを言っていますが(この一点でブルース・リーが相当に高い水準に到達していたことが判ります)、実戦は千変万化して予測がつかないものであり、それに対応するには、こちらも千変万化して応じることができないといけない。

 だから、どれだけ実戦的な技や構えを考えたところで、それは一面的な観点から考えたものに過ぎず、予想外の敵を前にして一切無力化される危険性が常にある。

「実戦は強いほうが勝つとは限らない」と言う意味がコレなのです。

 真剣に実戦を考えていると、「パンチしてきたら・キックしてきたら・掴みかかってきたら・タックルしてきたら・ナイフで刺してきたら・日本刀で切りかかってきたら・拳銃で撃ってきたら・ライフルで狙われたら・手榴弾投げ付けられたら・ミサイルが飛んできたら・・・」と、どんどんシチュエイションが広がっていきます。

 若い頃に台湾で修行されていた木本泰司先生から聞いたところでは、喧嘩で塩酸ぶっかけるなんてこともやるので、とても実戦がどうこうなんて言えないとのことでしたね?

 私はトイレ洗浄剤はサンポール使ってますけど、やっぱり汚れ落ちが違いますよね。塩酸入ってるから・・・。道場破りが来たら、サンポールをちゅーっ!っとかけちゃおうかな?


 ところが、現代武道や格闘技で強さを求めている人だと、ナイフ以降は何故か考えない傾向が強くて、現実問題として、そのようなシチュエイションに対処することを何も考えていなかったりします。

 冷静に考えると非常に不思議なことです。

 通り魔や強盗が素手で立ち向かってくる事例は皆無に近く、ヤンキーや暴走族でさえ木刀や鉄パイプ、金属バットで殴りかかってくるのが基本なのに、何故か、対策を講じていないのです。

 中には、「腕の一本くらい折れてもローキックで粉砕してやればいい」と言う人もいましたが、相手が複数であったら、腕一本折れた状態でしのぎきるのは至難でしょう。

 実戦で大切なのは「相手の攻撃を受けないこと」です。

 しかし、現代の多くの武道家や格闘家が“受け技の重要性”を解いています。

 これは試合がもたらした最大の弊害だと私は思っています。

 一対一でルールを決めて同じ技をくり出し合って闘う試合は、第三者に参観させることを前提にしており、自然に見世物としての見栄えがするような試合内容に変質していかざるを得ません。

 その結果、「相手の攻撃を受けてから反撃する」という闘い方のスタイルが定着していったと考えられます。つまり、受け技は試合によって生み出された技じゃないか?と思うのです。

 本来は、防御のみの技というものは無かったと私は考えています。受け流したり、受け崩したり、受けと同時に攻撃したり・・・という攻撃することをメインにそれを補助する技法であったと思います。

 相手のパンチやキックをパリーしてから自分もパンチやキックを出す・・・という攻防スタイルに慣れてしまうと、そうするのが当然なのだと脳に定着してしまいます。

 そういう思い込みからは新たな技や戦闘法はそうそう生まれてきません。

 特に護身術を考えた場合、圧倒的な戦闘力の差を一瞬で逆転させられなくてはなりませんが、武道や格闘技をやっている人ほど、「そんな夢物語みたいなやり方は存在しない」と決めつけます。

 しかし、武道や格闘技のセオリーを離れてしまえば方法はいくらでも考えられます。

 ケミカルメイスやスタンガンは、護身を目的に開発されたものですし、伸縮警棒や携帯ヌンチャクも熟練していれば強い武器になります。

 簡単な話、ピストルを持っていれば小学生がプロレスラーを殺すことも容易です。

 護身が目的なら強い相手と力比べをする必要はないからです。

 武術そのものが力比べとは反対の技を希求してきています。

 その典型例が“発勁”や“合気”です。

 うちの会で初めて体験した人がびっくり仰天した顔・・・この時の新鮮な驚きの気持ちを忘れないで欲しいですね? それが即ち、武術が伝える叡知に触れた瞬間の驚きだからです。

 武術は決してインチキではありません!

 インチキな人間が武術家を名乗っている事例が多いから誤解されてしまっただけです。

「長野はインチキだ」と中傷する人達は、劣等感に苛まれていながら自己承認欲求だけが肥大している自己欺瞞家・・・そんな人間が武術に耽溺している(現実逃避ですよ)のだろうと思います。

 そういう人間は現実をきちんと見せられると反発する。現実を認めたくない。

 そんなに夢想に耽溺したまま人から崇拝されたいんでしょうかね?

 私は別にインチキな人間だと非難されてもどうってことはありません。まともな社会人とは自分でも言えないし、ダメダメな人間だと自覚しています。

 けれども、私の研究してきた武術理論は誰にも否定させません! 潰せるものなら潰してみればいい。

 安全な場所で匿名で吠えるしかできない者は男じゃありません。卑劣なやり方でしか意見を言えない人間の言葉は決して人の心に響きません。

 私は匿名で他人を貶したことは無いと思うんですけどね? 有ったかな~?


 ほびっと村の翌日は阿佐ケ谷の游心流合気道です。

 が、御承知のごとく東京都心は大雪でした。

 私は、こういう時こそ後々のネタができると思って、敢えて強行しました。

 もっとも、電車が止まっていたら物理的にできないからな~?と思っていたものの、何とか電車も動いていたので相模原から阿佐ケ谷まで行けました。

 かなり早めに出たので駅で大分、時間が余っており、熱いミルクティーを買って駅のホームで時間を潰そうとしたんですが、寒くて無理!

 駅中のコンビニに入ろうと思ったら早めに閉まってます。

 これは困ったな~と思って、トイレに入ったところ、阿佐ケ谷駅のトイレの便座は温度調節機能がついていて、「あ~、ケツがあったけぇ~」と、ついついヌクヌクして長居してしまいましたよ!

 15分前に改札前で待っていたら、二人来ました。

 まあ、今日はこんなもんだろうと思ってオルタナスタジオに向かおうと駅から出ると、盛大な吹雪のような状態で、一瞬、こりゃ~休むんだった・・・と後悔しましたけどね?

 ここまできたらやるしかないでしょう?

 何か八甲田山の行軍か?というくらいの勢いで東京でここまで降ったことあったっけか?と思いましたね。遭難するかと思ったよ・・・。

 スタジオに到着すると、流石に深井先生もお休みされていましたね?

 逆に、「俺たち、バカだな~?」と思いましたよ。

 後からもう二人来て、五人で練習しましたが、何しろ、この酷い天候の中をわざわざ来てくれたんだから、大サービスでいろんな裏技を教えましたよ。

 本部でも支部でも練習内容はルーティンになってしまっているので、游心流合気道では実験しようと思っていて、この日は基本型の第一、“表入身投げ”だけからの応用変化技を10種類以上やりました。

 この応用変化は、頸柱捻り技や拳・掌・肘のゼロインチ打撃、回転二段肘打ち、打拳掴み崩し、分筋錯骨法と点穴、肩固め潰し、ナイフ奪取法などを指導しました。

 うちの特徴として掴み手から技をかけるのではなくて打拳に対して交叉法で技をかける方式にしているんですが、これはやはり現代の格闘シーンから最も可能性の高い攻撃法に対応する形式で練習すべきだと思ったからなんですね。

 昔の日本人は掴んでからやったかもしれませんが現代ではパンチから始まることが多いでしょうし、刃物で突いてくるのに対応できないといけませんからね。

 分筋と点穴は滅多に教えていないんですが(痛いから練習が嫌になって会員が減ると困ると思ってやらなかった)、護身術として知っておくとレパートリーが広がりますから。

 私の考えは、とにかく様々な技と戦闘法を知っておくことが有利になるというもので、どんな実力者でもまったく未知の技や武器、戦闘法には対処できないという考えです。

 他流をやっていた人だと、とかく“この技は使えるけど、これは使えない”と批評しがちなんですが、こういう考え方は技を固定的に見ているから出てくるものであって、一面的なんですよ。

 一を聞いて十を知るような人は滅多にいません。

 特に「最近の人は多いな~?」と思うのが、“一を見て十を理解したつもりになってしまう人”です。

 本に書いてあることを鵜呑みにしてしまう人も多いですが、健全な批判眼を育てていかないと、物事の正否を信じる信じないのレベルでしか判断しない論理的思考力の欠如したお馬鹿さんになってしまいますよ。

 直感力も重要ですが、論理的思考力が無いと世の中で円滑に生きていけませんから。そして、論理的思考力は教育と学習によって獲得していくものであり、知識と教養に裏打ちされています。

 ある武道の先生が、自説の正当性を主張するために、そこそこ名の知れた古武術研究家の意見を紹介していましたが、この研究家氏、業界では有名な宗家病で捏造体質なんですよね? 私、この人が過去に自著の中で偽装した証拠握ってますよ。

 だから、「あ~あ~、やっちまったな?」って思いましたよ。

 武術の世界で正統だの伝統だのという言葉は遥かに昔から死語なんですよ。私は恥ずかしいから、そんな理屈は言えません。

日本武術達人列伝』でいろんな武術家の捏造疑惑を批判的に紹介していますが、あれが全てだと思ってもらっては困ります! もし名誉棄損で告訴された時に裁判で負けないように、まだまだ重要なネタは隠してますからね・・・フフフ(不敵な笑い)。

 私は“負ける喧嘩はしない主義”なんですよ・・・フフフ。

 帰りに電車の中で同じ方向に行く会員さんから質問を受けていろいろ話していたんですが、何でもかんでも初心者に教えてしまっても“消化不良になるだけ”ですから、今回は段階的に指導していくつもりなんですよね。

 練習時間は一時間でも毎週やるから続けて通ってきてくれれば本部師範に匹敵する実力になるのも時間の問題かと思います。

 オルタナスタジオでは畳マットを敷いてあるので、投げ倒すことができます。

 これができるのとできないのでは練習できる技の幅が全然違うんです。

 本部道場を開設してから試し斬りや手裏剣の練習を普通にできるようになって技の研究が格段に進みましたが、それと同様に阿佐ケ谷の稽古会でないとできないことがあったんですね~?

 まず、受け身の稽古ができるのは良いですね~? 皆さん、最初はぎこちなかったけれど、前回辺りからぐぐっとうまくなりました。

 受け身の練習をやってもらっているのは、受け身しながら技かける戦闘法もあるからなんですよ。それと地ショウ拳にも繋げられる。

 五月には女子護身術研究会も始める予定ですし、千葉支部も開設候補地を探している段階です。

 東京支部も隔週で再開する予定でいます。

 とにかく人を育てたいですね。天狗になって馬鹿なことやらかすような者は、もう二度と出したくありません!

 実技が優れていてもそれを表に出さずに人格善良で知識と見識も深く世の中で活躍できる人間を育てられる武術研究会でありたい・・・。

 幕末の志士が剣術道場で技を磨きながら国の行く先を語らっていた・・・そんな具合になるといいな~?と思うんですけどね。

 哲学サロン的なサークルというのは宗教の専売特許じゃないと思うんですけど、何か、現代でそれやると独善的なカルトになりかねないでしょう?

 もっと気楽にやれないもんかな~?と・・・。

「あ~、だから長野先生はああいう話をしているのか?」と思った人・・・当たりです!

 武術やる人間は頭が良くないとダメなんですよ。何でかというと、狡猾な人間に利用されてしまうから・・・。昔の大学武道系の学生なんか体制に利用されていましたから、全共闘世代の人達には武道やっている人間を異常に警戒する人も多かったですよ?

 こっち方面の話はまた、いつか・・・。


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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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