コンテントヘッダー

『合気開眼』を読んで

 以下、私は覚悟を決めて本音を申します。批判という領域を逸脱すると思いますが、言い訳は申しません。誰かが書かなければいけないことであり、研究家として活動している者の義務と判断するからです。

 神保町の書泉に営業に行った時に、『合気開眼』(保江邦夫著 海鳴社)を、購入しました。この著者の本は三冊目です。

 ですが、一読して、目眩がするほどに仰天しました。

 いえ・・・感動したのではありません。呆れ果ててしまったのです。

 しかし、木村達雄氏といい、高橋賢氏といい、この保江氏といい、どうしてこう佐川道場の人達は、こんなに神懸かったような“合気万能思想”にはまって抜け出せないんでしょうか?

 無礼を承知(道場破りされるのも覚悟してという意味です)で申しますが、この三名の方は、一回、公衆の面前でまっとうに試合してタコ殴りにでもされない限り、目が覚めないんじゃないか?と思います。

 武道・格闘技・武術というものを、ひいては“人間が戦う”ということに関して、あまりにも認識が甘過ぎます。秘伝の技の幻妙さに耽溺するあまり、現実に戦うことのリアリティーを一切、念頭に置かないまま配慮も覚悟もなく文章を書かれていると思います。

 格闘家と試合して大怪我したという動画サイトで晒されていた合気武術家の方が、まだしも尊敬に値すると思います。現実に言い訳の通用しない場で戦って見せたのですから。

 生前、名人の呼び声高かった佐川幸義先生も嘆いておられると思うと、本当に哀しくなります。「これが佐川先生の技だ」として示される技の戦技としてのリアリティーの欠如を全く自覚されておられない。これは亡き師匠を冒涜するに等しい。

 正直、これは武術というより新興宗教を信仰する人達みたいにしか思えません。

 私が聞くところの佐川幸義先生は、そういう態度を最も嫌っていたそうです。木村達雄氏がある大東流の著名団体に乗り込んで、そこの先生に恥をかかせるような真似をした時は、佐川先生が詫び状を出したという話も道場関係者から聞いたことがあります。

 他所の道場へ行って腕試しみたいなことをすれば、昔は半殺しの目に合わされても文句は言えませんでした。ましてや、同じ大東流内でそういう真似をするのは門流の規律を乱すことになるのですから、論外です。江戸時代だったら生きて帰れないでしょう。

 技の追究に熱心なのは良いことですが、自流のみ貴く他流他派の営みは踏みにじって良しとする態度は人として最低に愚劣です。ナチスの発想と原理的に同じ優越思想からくる覇権主義でしかありません。

 ですから、この保江氏の主張していることに関しても、精神主義的、宗教理念的な倫理観を述べているにもかかわらず、一歩引いて読めば、酷く差別的で排他的なのです。とても正気の沙汰とは思えないのが嘘偽らざる私の率直な読後感です。

 新書版の本『武道vs物理学』は、これほどまでに排他的ではありませんでした。多少の行き過ぎた表現も、微笑ましく許容できました。が、この『合気開眼』は発狂者の著述としか思えません。何より、引き合いに出している他流派の人達はおろか、自流の先輩方に対する配慮さえ完全に忘れ果ててしまっています。

 保江氏の論は、詰まるところ、「佐川先生の合気だけが本物で他は偽物。そして、佐川先生の合気を体得したのは世界中で木村達雄さんと自分だけで、他の門下生の誰もできない」という主張なんですけれども、普通の良識の持ち主であれば、こんなことはたとえ思っていたとしても口にはしませんよね。

 うちの破門した元会員達であっても、陰で「俺は長野さんを超えた」とのぼせ上がっても、面と向かっては言いませんでした。私がそんな言葉を許すようなお人好しでないことは薄々わかっていたでしょうから。無論、直接会えば無事で済ますつもりはありません。

 仮にも武術を指導する立場に立つ者として、このような無礼極まりない放言を許す者はどこにもいないでしょう。それに、私は個人的に自惚れた言葉を吐く人間が特に嫌いなので、初対面でも叱りつけたことが何度もあります。

 ですから、科学者だろうが何者だろうが、悪気があろうがなかろうが、礼儀知らずは礼儀知らずと言うしかありません。無礼者に武を語る資格はありません。

 口絵写真で示されている合気の技は、私の目には感応にかかった人(気功や内家武術などの演武でしばしば現れる“暗示投げ”)特有の錐体外路系反射運動(くしゃみ・しゃっくり・貧乏揺すり等の類い)による“自発的崩れ”にしか見えないので、「これで実戦に通用するとはとても思えないな~」としか思いませんでした。私がいつも批判している見世物演芸の範疇を一歩も出ていないからです。

 が、本文の論調によれば、「(真の合気とは)敵の精神に働きかけて一時的に軽い精神疾患に陥らせることにより、まるでこちらの技が物理的に効いているかのような身体運動を自発的にさせる」と説明されていて、もし事実そのような技の原理であれば、写真の様子に、ほぼ偽りは無いことになるでしょう。

 確かに、武術的に考えて、「相手の攻撃してくる手なり足、胴体なりに触れた瞬間に、いかなる相手でも“一瞬に感応状態に陥って”勝手に体勢を崩してくれる」のならば、「合気は実戦にも通用する万能の技だ」ということをも一応は認めることができます。

 しかし、素人や感応にかかりやすい人、あるいは“状況設定された中で限定された技の掛け合いしかしていない状況”(型や約束組手)で神業を示せても、単純な話で、「極真のトーナメントやUFCの金網リングの中に入って、それができるんですか?」と言いたくなるのが普通の感想でしょう。

 木村氏も高橋氏も保江氏も、型稽古をメインとする合気道や古流武術の経験しかなく、試合競技を有する武道や格闘技の修行経験がありません。単に、それらの経験者が道場の中で佐川先生に手も足も出ない様子を見てきただけであり、五分の条件で自分自身がまともに闘った経験が無い。これは絶対的な錯覚に陥る要因です。

 ところで、保江氏が全幅の信頼を寄せている木村達雄氏の合気揚げが私にかからなかったことを、今回の『そこが知りたい武術のシクミ』の中で名前は伏せて書きました。

 木村氏が真に本物の探究者であったら、この失敗談も隠さない筈だと思いますが、それを告白したという話は一度も聞いていません。

 この時は、空手雑誌の取材で尋ねていたので、“おとなしく指示されるままに”技をかけてもらい、最初はテーブルとソファーの狭い間で一方的に何回もかけられたので、正直、“このオッサン、調子に乗ってるな~”と、少々腹がたってきたのと、技のカラクリが解ったので、“これなら、足場を広くとって密着されないようにすればかからないな”と、咄嗟に破り方を考えて、「すみません。ちょっと足場を変えていいですか?」と、了解をとってテーブルとソファーの隙間から出て、再度技を受けたのです。

 で、結果は木村氏の合気揚げがまったく通じなくなり、顔が段々マジになってきていたので、“ホ~レ、見ろ。こちとら素人じゃないんだよ”と、内心、笑いをかみ殺しつつ、「ありがとうございました」と言って引きました。

 ですが、この部分は記事には書きませんでした。

 最初に何度もかけられたのは事実だし、やっぱり、記者として尋ねた訳で失礼ですからね。一介のライターに技が通じないのでは大東流師範、ひいては佐川道場の名誉にかかわることにもなるでしょう・・・。

 しかし、この時の私の木村氏に対する印象はかなり悪いものでした。何故なら、私が学んでいる太気拳の悪口を言っていたからです。取材でなければ手合わせを願い出て殴り倒すつもりで本気で立ち向かったかもしれませんし(今でもやってみたいです)、その他、佐川道場に真摯に学びに来ている名のある師範のこととか引き合いに出して自慢する態度が実に嫌みでした。

 それに、取材から帰って会社に連絡したところ、「あれっ、長野さん。本当に行ったんですか?」と言うので、オヤッと思って理由を聞くと、実は木村氏の方から取材依頼の電話があったのだそうで、風邪で体調が悪いのを押して筑波まで独りで取材に向かい、約束の時間に遅れたからと菓子折りを買って私なりに礼を尽くしたつもりだったのが馬鹿らしくなってしまいました。

 要するに、編集部の方では木村氏の横柄な取材依頼に腹を立てていて無視するつもりだった様子なのです。それを聞いていたら私も行かなかったんですが・・・。

 余計なことを書きました。ここでよく認識しておいていただきたいのは、私は、木村氏の指示に従って、「一方的に技を受けただけで、こちらからは何の攻撃もしていない」ということです。

 保江氏の論述の「大いなる勘違い」も、ここにあります。

 相手が指示されるままに技を受けてくれるシチュエイションで「極真の館長でさえ何も抵抗できなかった」なんて吹聴するのは、ピント外れも甚だしいんです。

 私も、一方的に黙って技を受けてくれるんだったら身長2m以上のプロ格闘家にだって関節技かける自信はありますよ。黙って受けてくれるんなら・・・。

 でも、実際の武術でも武道、格闘技でも、そんな黙って抵抗しないで技を受けてくれる状況なんて、本質的にあり得ないでしょう? 何を勘違いして「天才空手家の松井館長さえ合気には手も足も出なかった」みたいなタワ言をほざいているのでしょうか?

 松井館長が本気で倒すつもりで用心深く間合を詰めながら突き蹴りを出してくるのに合気をかけて制圧して始めて、武技としての合気の有効性が実証できるのであって、木村氏や保江氏の説くシチュエイションはナンセンスと言うしかありません。

 技がかかるべき状況でかけているだけだからです。これでは武技としての合気の実証には程遠いものです。甲野氏のやって見せているのと何ら変わるところがありません。

 無論、私自身、木村氏の未完成時の合気揚げを封じただけでまともに闘った訳ではありませんし、その後、木村氏が佐川先生の合気を完全に体得したという噂も聞きますから、私の体験のみをもって木村氏の合気を否定するつもりはありません。

 が、合気に限らず、私は万能に誰にでも通じる技の存在はあり得ないと考えます。知らなきゃ通じるでしょうが、仕組みが判れば遠からず通じなくなる。

 だから、生前の佐川先生は映像で撮ることを頑なに拒み、「映像を分析すれば勘のいいヤツには合気の秘密が判ってしまう」と言われていたそうです。よって、武術家として常に戦う状況を想定していた佐川先生は表だって公開しなかった・・・。

 それでこそ敬意を払うべき武人です! 常在戦場を想定して無闇に技をひけらかさず、決して他流を侮らないことこそが武人の心構えであり、木村・高橋・保江三氏は根本的に佐川先生の境地にはたどり着けないでしょう。

 保江氏は合気を体得したら公開すべきと主張し、隠すことを非難しています。

 ですが、隠すことが悪いとは私は全く思いません。武術が殺傷術である以上、やたらに公開することは慎むのが修行する者の倫理的な義務であると私は考えます。

 命のかかった勝負に負けたら一巻の終わり。確かに保江氏が披露しているような実戦に何の効果も認められないような見世物演芸の合気だったらナンボでもお見せできるでしょうけれど、武術の本当に使える技というのは単なる殺傷術以外の何物でもありません。

 秘伝の技を見せびらかしてエバリたいだけの武術芸人だったら、大いに批判すべきと思いますが、武術は秘すれば花の側面が絶対にあると私は思います。少なくとも命懸けの戦闘を考えていれば、そうなる筈です。

 保江氏の主張には戦闘者の心得が欠落しています。武を語るに値しない人物です。

 真に武術について考えていれば、技を隠すのが当然ですし、保江氏(木村氏、高橋氏も)は、“合気”という技のみに執着し過ぎて、「それさえできればいかなる敵にも負けないのだ」と盲信し、武術として戦う場合の峻厳さをまったく考慮していない・・・としか思えません。

 簡単な話、手裏剣打ってこられたら合気でどう対処するんでしょうか? 弓術の達人と遠い間合で勝負になったらどうするのか? 居合術の達人にどうやって対処するのか?

「相手に敵対心を起こさせないのが武術だ」と能書きを垂れるのは簡単です。が、現実に敵対心を起こさせてしまっているではないですか? 正直申し上げて、私は立ち合う気で満々です。他流他派、同門の先輩を愚弄するような人物には我慢がならない。

 どうでしょうか? 保江氏の合気が、「単に素手で無抵抗で技を受けてくれる相手にしか通用しない武術として致命的な欠陥がある空理空論」と、私が批判している意味がお解りでしょうか?

 どんな超絶の秘技であっても、人間が操る以上は弱点は必ずあります。命がけの戦闘になったら、人間は武術なんか知らなくても何だってやるでしょう。“近視眼的究極奥義”に、のぼせあがらない方がいいのです。武術は極めれば極める程に、次の段階、そのまた次の段階・・・と、延々と修行が続くものなのです。究極なんて言葉を軽々しく用いるべきではないのです。

 SF映画の古典『宇宙戦争』で、人類の遥かに及ばない科学力を持ち、原子爆弾さえ通用しなかった火星人が、地球人には何でもないウイルスに感染して全滅してしまうという皮肉な描写がありましたが、武術というのは、要は、このような自分の遥かに及ばない敵の弱点を探って倒す点にこそ真面目があるのです。

 それだからこそ、既に実績も実力もある多くの武道家や格闘家が、未知の技術体系を真摯に学びたいと願って、佐川道場を尋ねたのです。

 そのように、礼儀を尽くして自己の技を封印して指示された通りにおとなしく技を受けているだけの松井館長を引き合いに出して、合気の優越を論じてみたり(無礼過ぎます)、「合気道には合気がない」と馬鹿にしてみたり・・・まともに闘って勝つ自信があるならともかく(それだけの覚悟でものを言う人ならば、むしろ応援したい)、到底、それを実証してみせる気も無さそうなのに、自身が体得したという佐川伝“合気”こそが武術武道の究極の極意であると主張する態度は、無知蒙昧です。

 どうしてもそれが言いたいのなら、松井館長と実戦組手をやって堂々と合気で制圧して見せなければ嘘でしょう。

 何と理屈をつけようとも、極真空手や合気道のブランドを利用して自流の権威付けをするやり方は、卑劣千万。私は保江氏には多少の親近感も感じていましたが、ここまで勘違いしているとは情けない。他流を愚弄する主張は断じて許せません!

 極真空手に対する無礼。合気道に対する無礼。大東流他派に対する無礼。同門の先輩方に対する無礼。人として思っていても口に出してはならない礼節が、保江氏には致命的に欠如しています。

 甲野氏だって、これほどまでの暴言は口にしないでしょう。少なくとも公刊書でここまで書いたことはなかったと思いますし、批判されれば発言を訂正するだけ可愛いげがあります。そういう自分を演出する術に長けているからメディアを席巻したのでしょうが。

 保江氏も、ここまで本で発表した以上は発言の責任を持たねばなりません。天下無敵の実力を示せなければ、江戸時代の武士だったら腹斬ってお詫びしなければいけないくらい責任は重い。が、それが判っているとはとても思えない。武術武道の世界に対する認識が甘過ぎるのです。血の気の多い武道家が乗り込んできたら闘う覚悟はできているのでしょうか?

 私は研究家ですから、写真によって技術構造の大体の察しは付きました。基本的に完全脱力して相手の加えてくる力を受け流して重心の崩れを誘導しているところまでは写真から観察できました。

 保江氏が合気をかけていると思しき写真では、ポカ~ンとした顔で相手を見ずにあらぬ方向を向いていますが、これは思考を停止させて相手の加えてくる力の方向を受け流している。いわゆる心法(自己催眠)のかかった状態です。

 それによって、相手は自分の加えようとする力に対して“抗力が発生しない”ので、そのまま重心が奪われそうになり、体勢を支えようと保江氏に寄り掛かって踏ん張ることになる。

 ところが保江氏は脱力体にしているのでより所が無い。従って踏ん張ろうにも踏ん張れない。そこに重心移動の力をかけられるので耐えられずに倒れてしまう・・・とまあ、私なりに構造的な基本的メカニズムを分析すればこうなります。

 無論、保江氏の主張するところの要点は、「一時的に精神疾患に陥らせる」という点にありますが、それを簡略化すれば、松山主水(江戸時代の剣客で二階堂流平法を称える)の心の一方のごとき“瞬間催眠術”と考えられます。が、それは心法(自己催眠)の作用によるものと理解して良いでしょう。

 このような暗示系の技術はDVDで見た宇城憲治師範も用いていましたが、宇城師範の技を受けた人何人かは保江氏の論じている合気と同様の感触を受けたと言っていました。

 こういう技術は、武術では特殊ですが、新興宗教や自己啓発セミナー、治療術の世界では特に珍しくはありません。保江氏も宗教的啓示を受けて体得しているそうですし。

 さて、公開している以上は、技の破り方を工夫されるのも覚悟されているに違いありませんから、ちょっと考えてみましょう。

 保江氏の示す合気の術理を破るには、自分から力を入れて殴ったり蹴ったり捕まえたりしないことが肝心でしょう。フワリと些かも力を入れずに触れて、触れた瞬間に爆発的に発勁すれば、合気を作用する暇もなく打ち倒すことが可能でしょう。

 所詮、武術は“力の作用”に尽きるのです。筋肉力、伸筋力、脱力による重心移動力・・・どれを用いようと力の作用する度合いによるのです。合気がかかると力が入らなくなるのであれば、最初から力を抜いている相手にはそもそも効果が発生しない筈です。が、そこから一瞬で力を発する技術を持つ相手にどう対処するのでしょうか?

 もっとも、寸突きのできる空手家や中国武術家でなければ、この戦法は駆使できませんが、太気拳、意拳、沖縄空手の水準以上の人ならばできるでしょう。試してみれば真相は自ずと判明する筈です。

 いかなる技も、技の仕組みを知らない相手にかけるのは容易ですが、一度でも見られたら対策を講じられるのは必定です。

 ちなみに、佐川幸義先生の生前の技の連続写真を見ると、保江氏とは全く違うことが判ります。保江氏の演武は相手が協力してかかっていますが、佐川先生の場合は相手が本気で倒すつもりの攻撃をしかけている場面がいくつもあります。その間境の観きわめ方が全然違います。

 つまり、佐川先生は、相手が攻撃してくる腕や木刀などに交叉接触した瞬間に力の流れを転換させて送り返している・・・その結果として相手は重心を制御できなくされて抵抗できなくなっている・・・と私的には観ています。つまり、心法とは無関係にかけている・・・と私は観ます。

 保江氏の主張するところの合気に近いのは、やはり宇城師範の技でしょう。ですが、宇城師範は保江氏とは比較にならないくらい武功があります。両者が立ち合えば、保江氏の合気は宇城師範には全く通じないだろうと思われます。

 佐川先生と保江氏で一番違うのは気迫と地力(内功)です。保江氏の合気には気迫も地力(内功)も感じられませんが、佐川先生は気迫も地力(内功)そのものも卓越しています。木村氏の場合、気迫はありませんが、佐川先生には及ばないものの、地力(内功)は結構ありました。これは正直、大したものだな~と思いました。

 このように、見世物芸のレベルで真似ができても本質は全く違うように私には見えますし、保江氏がまともな勝負で他流の武道家諸氏に対することができるとは、とても思えません。

 例えば、メカニズムが解らない人にはかかっても、果たして私にかかるでしょうか? 木村達雄氏の(たとえ未完成であったにしろ)合気揚げの原理をその場で見破った私に、事前に連続写真と原理解説付きで情報を与えている以上、通じない可能性はかなり高いと思いますし、また、もし、私に通じなかったら、これまでの著作の発表を全否定するハメになる。

 本当に余計なことを書いたものです。「雉も鳴かずば撃たれまい」と思う・・・。

 私も研究家と名乗っている以上、保江氏が主張するところの武術の究極奥義“合気”の科学的解明には、諸手を挙げて賛同します。そのこと自体は素晴らしいと思います。自ずから限界を弁えて礼儀を以て適切に発表するのであれば・・・。

 が、繰り返しますが、それをもって他流修行者の積み上げてきた営みを無価値と断ずるかのごとき主張は、武術文化を愛する者の一人として、断固として絶対に許せません!

 同書中、植芝吉祥丸前道主と思しき合気道師範の失敗談を以て「合気道に合気はない」とする論を立てていますが、吉祥丸氏はサラリーマンとして人生を送る予定だったのを呼び戻されて合気道の普及のために尽力された人物であり、確かに武道家としての技量に足りない部分はあったかも知れませんが、それを以て合気道全体がダメだとする論調はあまりにも無礼千万でしょう。

 大東流には大東流の良さが有り、合気道には合気道の良さが有ります! 塩田剛三先生や砂泊カン秀先生のような方を面前にして同じことが言えるのでしょうか? 特に私が観るところ、砂泊先生は佐川先生にも匹敵する優れた技の持ち主であると思っております。

 また、保江氏本人は全く予期していなくとも、必然的に佐川道場の先輩たちの面目をも潰すことになっています。何故、それを考慮しないのか? 実に情けない・・・。

 もし、腕試しに殺到した武道家たちにコテンパンにぶっ潰されたら、自分だけでなく佐川先生の恥になるということを考えていたのでしょうか?

 私も何度かやられましたよ。タックルでひっくり返された・袋竹刀で打たれた・ローキックで脚が腫れた・ミドルキックで肋骨折れた・六尺棒で打たれて歯が折れた・・・それなりに有りますよ。

 悔しくない筈もないでしょう? 「あのヤロー・・・今度あったら絶対、倒す!」と思って練習していますよ。いまだに・・・。

 修行の動機?“怨念”ですよ・・・昔も今も。私は綺麗に飾って言いたくはありませんから・・・。

 でも、流石に45歳ですからね。それなりに合理化して考えますよ。だから、自分の自惚れを直してもらったんだと今は頭が下がります。痛い思いをしなければ根本から直していくことはできないでしょう? そうやって私は研究してきましたからね。

 人間は武術修行に限らず痛い思いをしたり負けることによってこそ、自分の足りない欠点を自覚できるんだと思います。だから、私は自惚れ屋を見ると屈辱感を味わせてあげたくなるんですよ。教育したくなるんです。

 保江氏は、武術修行者として、あまりにも迂闊過ぎます。あまりの思慮の足りなさに、物悲しくなってきます。だから、私が教えてあげなきゃいけないな~と思ったんです。


 特別な苦労を体験した人は、自分だけが特殊な劇的人生を歩いているのだとつい思ってしまいがちですが、自分達だけが苦労し神の恩恵を受けているのではありません。

 私は様々な道場で懸命に修行している人達をゴマンと見てきました。到底、私なんか足元にも及ばないと思える人達がいくらでもいました。私より強い人、技ができる人、それはもう沢山いますよ。ただ、武術の理論研究に関しては誰にも引けをとらないという自負心だけは有ります。でなきゃ本もDVDも出せません。

 努力しているのは自分達だけじゃないんです。佐川先生が、生前、決して表舞台に出ようとしなかった意味を、保江氏も、木村氏も、高橋氏も、まったく理解していない。

 空しいですね。人は、何らかの超越的なチカラを掌中にしたと認識した途端、神のごとき“上から目線”で物事を見下ろすようになるものです。ところが、往々にして自分の分際は全く見えなくなってしまう・・・。

 佐川伝合気の秘密が解明できても、このような排他的な思考では正当な評価を得るのは難しいでしょう。ガンを克服し、イジメのトラウマを合気修行で払拭したという保江氏の純朴な人柄を思えば、もう少し社会常識と節度を弁えておられれば・・・と、多少は残念な気持ちもあります。

 以上、お叱り及び道場破りが来ることも覚悟の上で、思うところを存分に書かせていただきました。ここまで書く以上、私は自分の文章には責任を持ちたいと思っておりますので、お呼びがあれば訪ねていくつもりでおります。

 あるいは無視しておけばよいだろうと思われるかもしれませんが、私は著述業をやっている限り、今後も追及し続けます。これは研究家として取るべき唯一絶対の道だと思っています。

 末筆ながら、佐川幸義先生の名誉が損なわれぬことを祈りつつ、保江氏、木村氏、高橋氏の猛省を期待し筆をおきます。

関連記事
スポンサーサイト
このページのトップへ
コンテントヘッダー
著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

FC2カウンター
リンク
最新記事
カテゴリー
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

月別アーカイブ
ブログ内検索