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映画『靖国』問題の続き

 何だか、ここまで混乱が進んでしまうと個人の出る幕ではないな~?という感じになってきた、稀に見る大問題作、映画『靖国』ですが、恐らく4月の朝生でテーマに採り上げられるのではないかな?といった具合になってきて、公開前から議論百出するのは、これはこれで予想外の望ましい展開になっているのかも?しれませんね。

 反日映画だと批判している人達にとってはこの映画の存在そのものを抹消しようとする意志がうかがえるのですが、アテが外れたんじゃないでしょうかね?

 さて、会員さんから、「問題になっているのは国の助成金に関してであって、表現の自由とは筋が違うのでは?」という御指摘を受けましたので、この点からもう一度、考えてみたいと思います。

 率直に言って、「甘いのぅ~。見事に術中に陥って、問題の本質から目を眩まされてしまってるのぅ~。世の中、そんな単純じゃないんだよ。フフフ・・・」って感じです。

 確かに、最初に問題視されたのは「国の助成金750万円を騙し取っているのではないか?」という問題で週刊新潮で採り上げられたことからですが、読売新聞の4月18日朝刊で「基礎からわかる映画『靖国』問題」と題して、この問題のねじれ具合が一通り解説されていました。

 ちなみに週刊新潮では「映画『靖国』は反日映画だ」という論調で、その後も糾弾記事が掲載されていたようですが、私は記事を読んでいないので何とも言えません。ただ、電車の中吊り広告なんかに書いてある記事のコピーからは、「反日映画を許すな」みたいなネガティブ・キャンペーンを張るのが目的なんだろうな~という印象を受けます。

 要するに、国の助成金の問題は、反日的内容の映画を糾弾するための“口実”であって、事実、その後は「刀匠は騙されて協力していた」「南京大虐殺をイメージさせる映像が挟み込んである」「靖国神社は映画撮影の許可申請は受けていない」といった具合に、二の矢、三の矢を射かけて問題視し、上映中止、封印に追い込まんとする粘着的な意志を感じざるを得ません。

 作品の監督李イン氏は、映画秘宝5月号のインタビュー記事によれば、日本に長く住んでいる中国人であり、中国では日本のNHKに相当する中国中央テレビ放送局(CCTV)にてドキュメンタリーのディレクターとして勤めていたそうですが、限界を感じて安定した仕事を捨てて来日し、皿洗いや運送屋のアルバイトをしながら金をためて中国と日本の関係を扱うドキュメンタリー作品を手掛けてきたそうです。

 が、スタッフには日本人のドキュメンタリー映画作家(『ヨコハマメリー』の監督さんや『サッドヴァケイション』の編集さん)等が参加していて、日中合作の趣がありますし、韓国の釜山国際映画祭アジアドキュメンタリーネットワーク基金の助成も受けているそうです。

 最初に問題視された助成金に関しても、何をもって“日本映画”と規定するか?は、論議を要する問題でしょう。外国との合作は日本映画とは言えないのか? 監督が中国人だと日本映画と言えないのなら、在日韓国・朝鮮人であることを秘匿している監督の作品は日本映画とは言えないのか? ならば、かなり多くの日本映画が、「あれは日本映画ではない」と非難されることになりかねないでしょう。

 御承知の人も多いと思いますが、武道・格闘技の世界や芸能の世界の第一線で活躍している第一級の国民的有名人には、在日韓国・朝鮮人の人が驚くほど多い。『越境者・松田優作』(松田優作は在日二世であることを隠して後に日本国籍を取得)では、在日韓国・朝鮮人であることに苦悩する人間の苦しみが描き出されていて、胸が痛くなりましたし、以前、在日の知人からそういう内情について聞かされた時は驚いたものでした。

 正直、その頃は、「あの人も日本人じゃないのかも知れない」という対人恐怖みたいな異様な疑心暗鬼に捕らわれてしまいましたが・・・。

 が、人種差別をかいくぐって社会的成功を得るには、活躍できる世界は限られてくるのでしょう。武道・格闘技や芸能の世界で必死になって頑張ることでしか、日本で人間らしくは扱ってもらえないという状況で、必死に人種差別と戦う姿は尊敬すべきです。

 2ちゃんねるでは人種差別的な有名人の誹謗中傷文が書かれることが多い様子ですが、忘れてはいけないのは、日本人も、一歩、海外に出れば人種差別の悪禍に晒されてしまうということです。差別の問題は誰も無縁ではいられないのです。

 自分達がやられたら嫌なことを、弱い相手を見つけたら平然とやる・・・こういうイジメ体質を恥ずべきこととしてやらないようにしていかなければ、日本人はアジアの嫌われ者のままではないでしょうか?

 私が今回の『靖国』問題に注目しているのは、日本国内で隠蔽しようとする動きを見せていれば、国際的に日本人の人種差別を容認する民族というイメージがますます強まってしまうだろうことを憂慮しているからです。

 だから、日本芸術文化振興会の規定そのものの曖昧さに付け込んで、いちゃもんを付けている可能性の方が問題視されるべきと私は考えるのです。

 私は、最初から、問題視されている助成金云々はスケープゴート(口実)であって、問題の本質は別のポイントに狙いがあって糾弾されているのは容易に判りました。

 別件逮捕と同じで、「反日映画は闇に葬らねばならない」という暗い情念が透けて見えていたからです。だから、「反日映画でも公開すべき」という意見を書いたのです。

 しかし、問題視している人達の意識には、「国の助成金を騙し取って反日映画を作った卑劣な中国人監督」という独善的思い込みを世間一般に向けて広く印象操作をすることによって、「中国人は反日的な連中なんだ」という強烈なネガティブ・イメージをすり込もうとする意図が無意識的にも厳然と“ある”という点を洞察できる人は限られてしまうでしょう。

 何しろ、問題視している人達すら、信念という「自己の無意識の悪意(人種差別意識及び民族的優越感)」を自覚できてはいないと思われるからです。つまり、独善的正義感から糾弾しているからです・・・。

 考えてみて欲しい。何で、議員さんたちが一般公開される前に試写会を要求するのでしょうか? 権力による事前検閲にならない道理がない。それこそ、政治の介入ですよ。

 これが、一般公開された後で議論されているのなら、私は何も文句は言いません。

 権力をちらつかせて一般公開を中止させる方向付けをしたのは紛れもない事実なのですから、これは海外のメディアからも日本の良識を疑う批判の声があがるのが自明です。

 さらに、問題を拡大し、作品に採り上げられている90歳の高齢になる刀匠に不信感を抱かせて削除依頼に至らせたというのは、何としてでも作品そのものを葬ろうとする意志が働いている・・・と考えるのが自然でしょう。靖国神社からもクレームが出てしまいましたし・・・。

 私が一番、問題視するのは、ここです。

 刀匠の刈谷直治氏が演出意図を理解しないまま撮影に同意していたとしても、それは高齢であるからよく理解していなかったかも知れず、一方的に騙していると決めつけて論じるのもアンフェアです。まして、作品が出来上がった後では、嫌がらせでしかない。

 刈谷氏の映っているシーンを削除するということは、作品を一から編集し直さなければならないからです。まして、靖国神社そのものが撮影許可を与えていないと言えば、どうなるか?

 無論、批判されている事柄が正しいかもしれません。意図的な反日の意識がある作品なのかもしれない。

 けれども、「反日の意識が秘められているから公開させない」という対処をしてしまったら、国際社会で日本という国の尊厳は地に堕ちてしまうことを自覚しなければならないのです。

 チベット問題から北京五輪の聖火リレーの妨害に到ったように、国際問題として日本国の体質が糾弾される可能性もあるのです。『靖国』は、既に香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞し、ベルリン国際映画祭、サンダンス映画祭といった国際的に権威ある映画祭にも出品され、既に国際的な評価が固まっているのですから、それを今更、当の日本で上映中止に追い込まれたとなったら、日本は世界の物笑いになってしまいますよ。

 何故、そこを考えないのか? 堂々と上映させて、その後にしかるべき批判論を展開していった方が良いのです。

 そもそも、ドキュメンタリー映画というのはタブーを暴くことに意義があるのです。上映前からゴタゴタと騒ぐのは、国際社会に恥を晒すのと同じなのです。


 先月、映画評論家の方とお話する機会があって、「“靖国刀”というのはどんなものなんですか?」と聞かれて、「神道では三種の神器、八咫の鏡・やさかにの匂玉と並んで、天叢雲の剣(草薙の剣)がありますから、日本刀を祭る神社は結構あるんですよ。だから、靖国神社に奉納する御神刀として作っていたんじゃないですか?」と、実にテキトーに答えてしまったんです。

 そもそも、私、右翼嫌いなんで、靖国神社って、一度も参ったことないんですよね。

 軍国主義の総本山みたいなイメージがあるじゃないですか? そういうのと日本刀が結び付けられて語られるのは、日本刀愛好家として非常に迷惑なんですよ。

 戦前に武道と軍国主義が結び付けられたのは不幸なことだと私は思っていますし、私にとっての武術というのは、あくまでも徹底的に個人の尊厳を死守するための最後の手段としてのものなので、軍国主義を支える奴隷養成の軍事訓練に利用されるのは我慢がならないのですよ。

 最近の若者が右傾化していると言われていますけれど、単に痛い思いしたことないから頭の中で過激な妄想に浸っているんじゃないの?としか思わないから、のぼせ上がって右寄りの発言する餓鬼を見ると腹が立つんですよ。

 情報に踊らされる頭の悪さにも腹が立ちますが、殴り合いすらしたことの無い人間が武力について語る態度が胸糞悪くなるのです。戦う力も覚悟も持たない者が無責任に戦いを煽るような発言をする態度は醜悪そのものです。だから、左翼も大っ嫌い!

 私の両親は戦中派だし、父親の兄、私にとっての伯父は戦死しています。戦争というのは個人の意志も尊厳も奪って、権力の奴隷に仕立てられて殺し合いさせられる人間として最も外道な社会装置ですよ。

 私はだれの指図も受けたくない。自分の人生は自分で守る。そのために武術修行している。何者にも自由を脅かされないためには残念ながら武器は必要だと思っています。

 ですから、私にとっての武術は思想、権力とはまったく無縁のものでありまして、靖国刀についても呼称は知っていましたけれど、実態は知りませんでした。

 日本刀に関する本は、新しいのも古いのも含めて、十数冊は集めて読んでいるんですが、ほとんど載ってないんですよね。恐らく、軍国主義に繋がるようなイメージを嫌っているから敢えて避けているんじゃないでしょうか? 「日本刀は日本伝統の優れた美術工芸品である」という認識が現代の日本刀の定義であって、思想信条とは完全に切り離されているんです。だから、私も靖国刀については具体的にどういうものなのかは解らなかった訳です。

 ただ、書泉グランデの武道書コーナーにそのものズバリ『靖国刀』という専門書があったのを覚えていたので、営業で寄った時にパラパラと立ち読みしてみました。

 値段が5000円もしたので買えなかったんですが、どういうものなのか?ということは大体、わかりました。

 粗悪な軍刀とかが作られて日本刀の伝統的製作法が失われていくことを憂いた刀剣界の中から、政財界や教育界からも人が集まって中央刀剣会が組織され、昭和8年に「財団法人日本刀鍛練会」を立ちあげて、九段の遊就館(つまり、靖国神社の中)にて独自にタタラ(山砂鉄から日本刀の材料となる玉鋼を精錬する直接製鉄法で、近代的製鉄法では不可能な極めて純度の高い鋼を得られる)を設置して伝統作刀法による日本刀を多くの刀匠を集めて作らせたそうです。昭和8年から20年くらいまで靖国神社内で日本刀が作られていたように書かれていました。

 それで、オヤッと思ったのは、この靖国刀を作っていた刀匠の中に、私が所持している短刀の作者の名前(酒井一貫斉繁正)もあったことでした。つまり、私もそうとは知らずに靖国刀を持っていた?みたいです。

 状況的に考えて、これは上級士官などに配給する“指揮用軍刀”を作っていたのではないか?と思えますし、戦時中の士気を鼓舞する意味合いが無かったとは考えにくいでしょう。単に奉納刀としての目的のみでは考えられない数の日本刀が作られているからです。

 神国日本を象徴する神器としての“刀剣”を、軍国主義の思想的シンボルと見做したのは疑う余地がないでしょう。

 雑誌『SPA!』では、福田和也氏と坪内祐三氏の対談記事で、『靖国』が事実誤認のトンデモ映画であるとしつつも、“だから、上映してほしい”と結論づけていて、なるほどな~とは思ったんですが、「御神体として祭られてるのは剣と鏡で、刀じゃない」と力説しているのは、はてな?と思いました。

 坪内氏は、「監督自身が日本刀と剣の違いをぜんぜんわかっていない」と述べていますが、日本刀を使う武術を“剣術”と言うのは何故でしょうか? “剣道”も、日本刀を用いる武道であることを前提としていますよね。

「剣は両刃で直剣。刀は“片刃(カタバ)”がなまってカタナと呼ばれるようになった」という説を主張しているのなら、呼称の違いを論じる以前に、日本刀が、敢えて“剣”と呼ばれる理由について、よく考えてみるべきです。

 中国では刀と剣は分けられていますが、日本では厳密に区分されてはいないんです。その理由は、日本刀の操法に剣と同様の突き技も含まれるからであり、日本刀という武器は剣と刀の操法が融合した武器なんですよ。だから、日本刀を“剣”と呼ばれる場合も多いのです。

 日本刀の始祖とされる伝説的刀匠、天国(あまくに)が鍛えたという“小烏丸(こがらすまる)”は、刀身の先端は両刃になっていて、剣から弯刀へと変化していく途中の日本刀ですが、これは剣と呼ぶべきか刀と呼ぶべきか迷うでしょう。

 また、日本刀は世界でも類例が無いくらい、研磨技術を重視しています。砥石を十三回も変えて執拗に磨き抜く工程は、鏡・匂玉にも共通するものですが、磨くことに神道の重要な要素である“清め”の考えが入っているからではないか?と個人的に思います。

 神道が道教の影響でできた宗教であるとはよく言われることですが、日本刀の製作法には木・火・土・金・水の中国古来からの陰陽五行思想が関わっているように思えるんですね。木炭(木)・炉(火)・焼き刃を作る土置き(土)・玉鋼(金)・焼き入れと研ぎ(水)と、どれも五行思想に相当するものです。

 つまり、日本刀の製作は古来の陰陽五行思想が流入した神道と無縁ではなく“神事”なんですよ。これは武道の道場で神棚を設けて参るのと同様のことです。

 ですから、「剣と日本刀は違う」なんてことを論点にしても意味がない。御神体を間違って紹介しているのはドキュメンタリーとしての致命傷ですが、李監督が靖国の象徴としての靖国刀を持ち出した点は単なるオリエンタリズム趣味ではなく、直感的なものでしょうし、福田・坪内両氏が一笑にふすようなピント外れだとは思わないんですね。

 厳密に日本刀と剣についてきちんと説明できる専門家なんて、日本中探しても10人もいないと思いますよ。坪内氏も、その事実を知っていて発言しているとは私には思えませんでした。

 むしろ、純粋にソードスミス(刀職人)としての奉納刀を作る人の心とは無関係に、権力に利用されてしまう靖国刀の運命について考えてみることは、十分に意義があると私は思いますね。

 日本の文化と伝統を敬う素朴な心根が、軍国思想によって、どう歪められていったのか?ということを考える教材として、靖国刀に目をつけたのは安直な反日感情じゃないと思いますよ。

 アジア諸国で日本の軍国主義を象徴するシンボルといえば、疑う余地なく“日本刀”です。中国人である監督が“靖国刀”をシンボルとして映画の縦軸に持ってくるのは当然なんじゃないですかね?

「南京の大虐殺は捏造だ。百人斬りはあり得ない」と、いくら日本の中で大合唱しても意味が無い。当時、中国に居た亡くなった祖母は、「南京の大虐殺は嘘なんだよ」と言っていました。が、現実に、戦争中に日本の軍人が軍刀で現地の人を斬り殺した事例は少なからずあった筈です。

 数年前に渋谷の刀剣店で軍刀仕立ての備前長舩祐定(びぜんおさふねすけさだ)を見せてもらったんですが、その値段が、たったの13万円・・・。普通だったら、50万以上はするでしょう。

 何で、こんなに安いと思いますか?

 その刀は、もの打ちが大きく欠け、刀身全体に刃毀れが無数にあったからです。

 これがどういう意味か解りますか? 軍刀仕立てになっているということは、この刀は“戦争中に損傷した”ということになりますよね? でも、実際の現代戦闘で刀で斬り合うということがあるでしょうか?

 しかも、この刀の刃毀れは、刀と斬り合ってできた刃毀れではない。刀と斬り合ったら、クサビが食い込んだみたいになる。この刀の刃毀れは、明らかに、骨か何かを力任せに斬ろうとして刃が毀れたものに見えます。傷んだ刺し身包丁みたいに・・・。

 考えられるのは、「無抵抗の人間を試し斬りしようとして腕が未熟で刃毀れした」という状況です・・・。

 結局、格安でしたが買いませんでした。多少の刃毀れはヤスリと砥石で直してしまう私も、この刀から発散される“まがまがしい怨念”を清める自信はありませんでした。

 日本は、理不尽に他国に蹂躙された経験が無いから、根強い恨みの感情を理解できないのではないでしょうか?

 殺された人数が全くの捏造だと論じる愛国的な思想家に言いたいのは、「自分の親や子供や恋人が殺されたらどうします? たった一人殺すのも、何千人何万人殺すのも恨みの強さは同じですよ」と・・・。

 事実を調査して論じることは重要ですが、事実をたてにして、相手を暴力で蹂躙していた状況そのものを隠蔽しようとするのは卑劣ですよ。

 何か、この手の論争は両極端に二分されて、都合の良い事実関係を表す証拠を提示して、どっちが正しいか?という論議にすり替えられていきがちで、非常に気持ちが悪くなってしまう。

 重要なのは、もっともっと意見交換して互いの認識を深めていき、その結果として互いを理解し、尊重し合える地点を目指すことですよ。その根底には相手の立場を尊重する意識を持たなければどうにもならない。

 国家間の軋轢は、結局は自国の利益しか考えないから対立しか生み出さないし、そういうお子ちゃまな対応しかできない国は国際社会で信用を失っていくのです。『靖国』は、日本人が大人の対応を示すことによって、世界にモデルケースを示す絶好のチャンスなんじゃないでしょうか?

 このチャンスを無駄にはして欲しくないですね。


追伸;『SPA!』の福田・坪内対談中、台湾の先住民族タイヤル族の活動家・高金素梅氏のことについて「この活動家の人って美人だけどさぁ、もしこの人と過ちを犯したら、別れ話が大変だろうな・・・」と、坪内氏が発言していましたが、酒飲み話としてもひどいな~と呆れ果ててしまいました。高金さんは確か癌で余命が限られているそうで、彼女を主人公にしたドキュメンタリー『出草の歌』で詳しく描き出されています。タイヤル族は戦時中に日本人として義勇軍に組み込まれたから靖国神社に日本人として合祀されている訳ですが、それはかつて台湾が日本の属国とされていた証明であり、ここにも権力に隷属された側の怨念がある。「そもそも靖国神社を認めないなら、父親の霊は故郷に帰ってきてるって思わないのかなあ」という坪内氏の能天気過ぎる発言には哀しくなります。それを言われた側の人間がどう思うでしょうね。同じ日本人として恥ずかしいです。
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
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@yahoo.co.jp

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