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得意技は一度見せたら通用しないと思え!

 日本の柔道の将来が本格的に心配になってきましたね。


 井上康生選手は、柔道家として類い稀な才能の持ち主だったと思います。

 以前、ある武道の師範の御紹介で、ヘーシンクを育てた柔道の大家とお会いしたことがありました。

 その時、その先生は「井上康生は素晴らしい」と、何度も言われていました。

 だから、私も井上康生選手には特に注目していました。

 四年前のオリンピックで敗れた時は、「あれっ? 妙に重心が浮いているな~。これじゃあ、危ないぞ・・・」と思ったら負けてしまいました。

 今回の引退に到る高井選手との試合でも、高井選手に比べて腰が座っていないように見えましたし、相手の体勢を無視して得意技の内股ばかり出そうとする内容にガッカリしたのが偽らざる本心でした。

 が、それよりも何よりも、引退会見の話にガッカリするのを通り越して呆れてしまいました。

「自分の中での理想の柔道が完成したと思った・・・」

 もう、何をか言わんや。「アンタ、死にもの狂いでオリンピック出場権を勝ち取って、もう一度、金メダルを取ってやるって気持ちで出場したんじゃなかったの? 自分の本心をごまかしてるんじゃないの?」と言いたいけれども、たとえ面と向かって言ったとしても馬耳東風でしょう。

 ワイドショーなんかも、いい加減だと思いました。毎度、お定まりのお涙頂戴のストーリーしつらえて、「井上康生選手は立派な武道家だ」なんてコメンテーターに言わせて綺麗言でまとめようとしている・・・。

 どうして、誰も「フザケルな! 自分の本心をごまかして意味の解らない綺麗言で締めくくろうとするな!」と、叱ってやらないのか?

 武道って、そんな生易しいものじゃないですよ。断じて、自己の本心を偽って綺麗言で飾るような腑抜けたものじゃない!

 決勝の鈴木選手の試合を見てごらんなさい。完全に押さえ込まれたところから残り2秒で必死に返してみせて、その前の試合で出た鼻血がまた止まらなくなっても、最後まで諦めずに戦っていたじゃないですか?

 準決勝の時だって、高井選手の動きをよく観察していて、出足払いを実に見事に決めていました。

 康生選手が攻め切れなかった高井選手の、あのどっしりと安定した巨体が、いとも簡単にクルッと転がった瞬間にこそ、柔道の醍醐味がある。何故、そこを無視して理の無い攻めを繰り返している康生選手の無策を叱責しようとしないのか?

 私は、あのような闘い方を容認するどころか、「果敢に攻めた姿勢は立派だ」と称賛している日本柔道は本格的に危ないと思いました。

 相手の状態を観察せずに無謀に攻めるやり方を繰り返してしまうのは、柔道の勝負理論から外れている筈です。それは攻められてしかるべきなのに、逆に称賛するというのは何なのか?

 準決勝で高井選手に鈴木選手が出してみせた、アレが柔道の“技”ですよ。相手の重心が不安定になる踏み出す瞬間を狙い澄ました“出足払い”。見事の一言でした。私はTV見ながら、「うまいっ!」と思わず声が出てしまいました。

 で、解説者が絶賛するか?と思ったら、ほとんどスルーしてしまうので、オヤ?と首をひねってしまいました。

 相手の体勢を無視して、単純にやたら技を仕掛けるのは武道とは言えませんよ。剣道の試合なんて、相手の動きの隙間を見計らって、息詰まるような拍子を盗む心理的攻防があって、そこから技を出す。相手を観察しないで技を仕掛けるというのは、相手がよっぽど格下だと侮ってなきゃ、やらないことなんですよ。

 引退会見を見ていて、はっきり判ったのは、「井上康生選手は、やはり驕りの気持ちがあるんだな~」ということでした。「自分が特別な存在なんだと錯覚しているのではないかな~?」と、そんな気すらしました。

 自己完結しちゃっていて、現実を冷静に認識しようとしていない。恐らく、聞く耳も持ってないのではないでしょうか。

 努力しているのは彼だけじゃないんです。“自分の理想の柔道”なんて寝言を言うより、きちんと「僕はもう、これ以上、強くなる努力はできません。限界です。今まで応援してくださって、ありがとうございました」と言えばよかったんです。

 もちろん、世間の期待が大きかったからこそ、負けることの精神的ダメージは凄かっただろうと想像します。そこから逃げだしたくなる気持ちも判らなくはありません。

 けれども、「自分をごまかして自己欺瞞に陥っていいんですか?」ってこと。

 負けるというのは、自分の弱点を教えてくれている訳で、成長の糧になるんです。試合って、もともと自分の欠点を自覚するためにやるものですよ。稽古理論に沿って考えれば。

「あ~、得意技に頼って相手の体勢を観察していなかったな~」とか、「ちょっと、変化技、連続技で仕留める練習を怠っていたな~」とか、まだまだ向上できる要素はいくつもあったのに、何故、自分の欠点を認識して埋めていこうとしなかったのか?

 私は本当に疑問だらけですよ。

 本当に才能のある選手だっただけに、非常に残念でなりません。キツイ言い方になりますが、あのまま指導者になって、良い柔道家を育てられるとは、私には思えません。

 自分の欠点を自覚できない人に、他人の欠点を矯正する指導力があるでしょうか?

 別に柔道に限った話ではなくて、剣道でも空手道でも国際試合で日本人が勝てなくなっていく理由は何か? 気迫や練習量が違うのか? やはり、体格や体力が違うからか?

 いいや、そんなものは大した理由じゃありませんよ。

 言わせてもらえば、「勝つための工夫を怠っている」・・・ただ、それだけですよ。

 ちょっと、言葉を換えてみますか?

「外国人はあれこれ考えて勝つための工夫をするけれど、日本人武道家は精神論に埋没したり権威者に頼って自分で考える習慣がないからだ」・・・ちょっとキツイかな? でも、反論できないでしょう? 本当のことなんですから・・・。

 もう、八、九年くらい前になりますか? 当時、游心流は数人しかいなくて(あっ、今も同じだな~)、師範代に任命していた人は、元ヤンキーで喧嘩ばっかりやっていたそうで、柔道、少林寺拳法の黒帯で形意拳も習い始めて熱心に練習していました。

 その師範代と、会員になって日が浅い武道経験0の人が組手をやってみました。

 当然、師範代が一方的に勝つに決まっているので、初心の会員にはちょっと入れ知恵しました。

 すると、何と? 武道経験0のまったくの初心者の会員が師範代に優勢勝ちしてしまったのです・・・。

 私もまさか?とは思いましたが、師範代もびっくりしていて、相当、ショックを受けていた様子で、私に組手のやり方を教えてくださいと申し出てきたくらいでした。

 ざっと比べて実力そのものは師範代の方が数倍はあったのに、何故、こんなことになったのか?と言いますと、その当時、師範代は形意拳に熱中していたので、“三体式の構えをしっかりとって構える癖”があったのです。

 その構えを“ガッチリとり過ぎていた”ので、「前に出している腕の外側に回り込みながら攻撃しろ」と、初心者の会員に教えたんですが、それを忠実に実行したら難無く死角から攻撃できたので勝ってしまった・・・という次第だったのです。

 無論、これは形意拳が弱いのではなくて、形意拳の構えを固定してとって変化することを知らなかった(後で教えましたから改善された筈です)師範代の弱点をモロに攻められたので、対応できなくなってしまった訳なんですが、こういう具合に、たとえ実力差がかなりあったとしても、弱点だけを集中して攻めれば楽に勝ってしまうことはざらにあるのです。

 私が、康生選手の内股だけに頼ったやり方を批判する意味がお解りになると思います。

 どんな強力な得意技であっても、最初からそれだけしか出してこない相手に対策をたてない阿呆がどこにいますか?

 でも、その阿呆な真似を平然とやってしまうし、それを「立派だ」って誉めてるんですよ? 国際的に日本の柔道が相手にされなくなるのが当然だとは思いませんか?

 私は自分の戦闘法や奥の手の技は隠して見せないようにしている訳ですが、これは一昔前の武術家だったら常識的心得なんです。

 今は、自分の得意技をやたらに人に見せびらかしたがる阿呆ばっかり・・・日本の武術、武道が弱くなるのも道理ですよ。揚げ句に「武術の秘伝は公開すべきなんだ」とかタワ言をほざく人が武道家を名乗っているんだから、末期症状ですよ。

 現実に闘うことを考えている格闘技の世界は、結構、頭のいい人がいて日進月歩で技術革新しているから、武術、武道の世界はダメでも格闘技をやっている人達の方が秘伝を理解したら大切にするんじゃないかな~?

 私は、一度見た技は、長所と短所を徹底して研究します。その上でできるようにし、体得したら今度は封じる技と返し技を工夫します。それから、体得した技を応用変化させたり別の技と組み合わせて使う研究をします。

 打撃技から崩し技、受け技から投げ技・・・常に技が変化していくようにすれば、相手はそれだけ対処しにくくなる。現代武道が忘れていったのは、この変化することです。

 ですが、外国人は変化することの有効性を知っているし、試合経験を積む度にどんどん技が変化していっています。同じ戦い方を何年も何年も繰り返しているのは日本人だけでしょう? そりゃあ、通じなくなるのは当たり前ですよ。

 ぶっちゃけ、打ち明けてしまいますが、游心流の要である“交叉法”の破り方も、私は徹底して研究しています。自分の最も得意とする戦法だからこそ、それが通用しない場合を考えておかなければならない。

 自分だけが卓越した才能があって、他人の知らない秘伝を知っている・・・みたいな錯覚は身を滅ぼす元凶です。私が二冊目の本を『誰も知らない武術のヒケツ』としたのは、皮肉を込めていたんですけど、気づいた人はいたんでしょうか?

“歩法”や“寸勁”“合気”に関しても同様で、すべて、破り方も私の中では研究してきているのです。

 こうした研究は、それらの技を得意技にしている相手と戦う場合に、そのまま利用できますし、自分の技が通じなかった時に動揺したり慌てたりしないで別のやり方にチェンジできる利点(今回の月例セミナーでもそうした)があります。

 得意技というと、大抵の人が、攻撃力にばかり目がいきます。圧倒的なパワーとスピードのある技なら、どんな相手も粉砕できると考えるのかも知れません。

 ですが、「攻撃力が大きい」ということは、「それだけ防御力が犠牲になる」ということなんですよ。この点を意外に考えている人が少ない。

 殺し屋の世界でプロ中のプロは大口径の高威力のマグナム拳銃とかじゃなくて、標的射撃用の22口径の銃とかを使うって言います。

 小型で反動が少なく、サイレンサーを装着すれば発射音がほとんどしない22口径ピストルを人混みに紛れて急所に圧し当てて引き金を引けば、数歩歩いてバッタリ倒れる。倒れた死体を確認するまで銃に撃たれたことが判らないから、その間に逃走できる・・・のだそうです。

 そういえば、実際にKGBとかの暗殺用武器なんかは22口径の弾丸が発射できるようになってる万年筆とかコウモリ傘とかがありました。

 武術で考えるなら、高い攻撃力が出せない女性向けの峨嵋刺とかの暗器は、威力を補うものであると同時に相手に武器を持っていることを隠して油断を誘うものです。

 その意味から考えても、得意技を喧伝し、しかも馬鹿正直に得意技を繰り出し続けた井上康生選手は、スポーツマンとしての潔さを誉められても、武道家として考えるならば、あまりにも無策過ぎますし、武道家として称賛するのは疑問なんですよ。

 でも、それを問題視しない日本柔道界の将来が、私にはもっとずっと心配ですね。

 もっと、武道とは何か?という根本的命題を考える人が増えてくれればいいのにな~と私は思うばかりです。

 自分で考えていないと、山師みたいな武道屋先生に丸め込まれて余計にドツボに嵌まってしまいますからね・・・。
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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