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『99パーセントの本当と1パーセントの嘘 ~甲野善紀達人伝説の真相~』①

『99パーセントの本当と1パーセントの嘘 ~甲野善紀達人伝説の真相~』

                                                     長野峻也

前口上「本質が観えない人は権威におもねる」

 私は、随分、多くの人から武術を教わりました。何年か習った人もいれば、たった一度会って一時間くらい教えてもらい、その後、二度と会うこともなく名前すら知らないという人もいます。

 あるいは、本やビデオ映像で見て、憧れて技を練習した人もいます。

 歴史上の武術家が書いた文章からヒントを得て技を工夫したこともありますし、まったく武術と関係ないダンスなどの世界の人達から大きな示唆を受けたりもしました。

 だから、私が教えを受けた人達は、「無数にいる」と言ってしまっても間違いではありません。

 普通に、「好きでやっている」という言葉では言い尽くせないようなくらい、私は武術そのものが自分の存在証明のようになってしまっています。

 何で、ここまでのめり込んでやっているのか?と考えると自分では理由が見つからないのです。

 そのくらいの絶対的な愛情をもってやっているので、正直いって、武術のイメージダウンになるようなことを書かなくて済むなら、そうしたいのが山々です。

「武術はこんなに素晴らしい!」とだけ、書いていたいのが偽らざる本音です。

「身体が丈夫になる・度胸がつく・暴力を恐れないで済む・運動能力が高まる・頭脳明晰になる・実行力がつく・決断力がつく・読みが鋭くなる」・・・そんなことだけ主張していられれば、どんなに気が楽か?

 要は、都合の悪い事柄(自分にとっても業界にとっても)を全部隠して書けば気楽なんです。

 何しろ、そういう文章を書いていれば敵は作らない。明るく優しく公明正大な文章を書いて読者を気持ちよくさせていさえすればいい・・・臭い物に蓋をして、現実から目を背けて脳内の理想像について語っていればいい・・・。

 ですが、私は生まれついてのへそ曲がりで、そういう万人に受け入れられるような美しい文章というのは、どうにも嘘臭く思えて書きたくとも書けないのです。

 そんな訳ですから、私の文章を読んでいて不愉快に感じられる人は、どうぞ、もう読まないでください。私は、毒々しく怒りに満ちた批判的内容の文章とか、皮肉たっぷりのブラック・ユーモアの文章しか書けません。そういう性分なのです。

 いつから、こうなったのか? 自分でもよく判りませんが、私は表よりも裏、光よりも闇に関心が惹かれるのです。表面的な事柄ではなくて本質的な内面に関心が向かう。

 もし、本気で真実を追究していこうと思えば、あまりに不条理で理不尽なごまかしに満ち満ちている、この世の中のカラクリに向き合うしかなくなるのです。

 だから、私はいつもいつも怒りに任せて書くしかなくなってしまうのですが、不遜にも、内心では、そんな自分のやり方が「世の中には必要なのだ」と考えてもいるのです。



第一章「偽装」

 私が武術の研究家ということを自分の職業として肩書で名乗るようになったのは、古武術研究家の甲野善紀氏と出会ったことが大きいと思っています。

 丁度、1980年代も終わる頃で、私は地方の大学を中退して上京し、シナリオライターを目指して、もう一度、大学に入り直したものの、ほとんど授業には出ないで自主製作映画サークルに入り浸っていました。

 その頃、念願の忍法体術道場へ通うようになり、伝統的な古武術の技の多彩さにのめり込んでいました。

 そんな頃、合気道マガジンという雑誌で甲野氏の著書『表の体育裏の体育』『武術を語る』を知り、神保町の書泉グランデで購入し、特に『武術を語る』を読んで感動し、ファンレターを書き送りました。

 そうしたら、甲野氏本人から巻き紙に筆書きされた返事の手紙をもらって、「遊びにおいでください」みたいなことが書かれていて、それでビックリしてしまって、雲上人に会いに行くみたいな気分で三時間以上かけてバス、電車、地下鉄を乗り継いで聖蹟桜ケ丘まで行き、地図を見ながら尋ねて行きました。

 初めて会った印象は、正直言って、「アレ? 何だか暗い感じの人だな~?」と、一瞬、思ったんですが、武術好きな人間同士ですぐに意気投合したのを覚えています。

 私が無職なのを知ると、親しくしている出版社の社長さんに雇ってみたらどうかと交渉してくれたり、非常に親切にしてくれたのを覚えています。

 甲野氏も、その頃はまだ、合気道や古武術の業界の一部の人達の間で存在が知られるようになりつつあった程度で、メジャーな存在ではありませんでした。

 が、当時は甲野氏に心酔していたので、「きっと、近い将来、甲野先生は世の中の第一線で活躍するような存在になるだろう」と、憧れの気持ちも加えて思っていました。

 しかし、それから20年近く経過した今、『そこが知りたい武術のシクミ』(アスペクト刊)にも書きましたが、私の印象は、一言で表現すれば「虚栄心に凝り固まった人格破綻者(有り体に言うと詐欺師)」だという認識に180度引っ繰り返っています。

 これから、その理由について、私が見聞してきた“事件”について書いてみようと思います。

 実際、これまでも何度も何度も私は書いてきました。親しい人達からは、「そんなことはやめなさい。結果的に貴方が損をするだけだ。有名人には勝てないよ」と、それこそ百回以上、同じようなアドバイスを何十人もの人から言われたものでした。

 また、インターネットや職場への嫌がらせの匿名でのメールや手紙も随分と頂戴しました。

 ですが、私が批判し糾弾し続けてきたことは、大局的には間違ってはいなかったのだと考えています。

 私が批判しなかったら、甲野氏の嘘は何十倍も世間に広がって、多くの真面目な武道愛好家を惑わせてしまっていたでしょうし、間違った説が定説として権威付けされていたでしょう。

 間接的、直接的に甲野氏の言動に批判し続けたので、ギリギリの線で歯止めが効いて矯正されたのではないか?と考えています。

 そういえば、私が甲野氏に心酔して習いに行っていた頃は、あまりに私が従順にハイハイと従うので、面白くなかったらしく、「貴方は、もっと自分の意見を言わなきゃダメだ」と不機嫌に言われたことがありました。

 それから、思ったことを言うようになったんですが、甲野氏は他人に意見されるのが酷く嫌いな人で、むしろ疎まれるようになりました・・・(自分で言ったくせに~)。

 ですが、結果的にこれで良かったと思っています。嫌がらせも酷かったですが、時々は、甲野氏の無責任な嘘の犠牲になった人達から感謝されることもありました。

 そのような声が集まる度に、私は、かつて尊敬して師と仰いだ人物の哀しい魂に、複雑な気持ちになるばかりでしたが・・・。

 今回、できれば甲野氏の批判は終わりにしたいと思っています。

 一つには、私はあくまでも武術の研究家であって、甲野氏の提唱する古武術の身体操法の研究という領域にはまったく興味がないからです。

 私は、スポーツや介護に武術の動作を応用させるとか、日常生活の動きを楽にすることには、ほとんど興味がありません。

 結果的に歩くスピードが早くなるとか、動きが素早くなるとか、柔軟になるとか、そういう点はあると思いますが、それは別に武術でなくとも、ちょっと工夫すればいくらでも改善できることでしょう。

 それに、何か、「スポーツはメジャーで、武術はマイナーだから、スポーツに応用させることでアピールできて良いのではないか?」みたいなことを言う人もいるんですが、言わせていただければ、スポーツは自己満足で楽しむためにやるものであり、単に身体を動かしてゲームを楽しんだり、それを見て楽しむに過ぎない。

 それに対して、武術は、学べば身体を強くし、精神を鍛えてくれるし、おまけに理不尽な暴力から自分や家族、友人等を護るのに役立つんですから、こんな実用価値があって有り難いものは中々無いんじゃないでしょうか?

 私が武術を始めたのは中学時代のイジメ体験がきっかけでしたが、授業中に窓ガラスを叩き割り、壁に穴を穿ち、女の先生を平手打ちして泣かせ、体育館に火をつける・・・そんな学習環境って、漫画みたいなものでしょう?

 本心から、今の実力のままで中学生に戻りたいですよ。あるいは、タイムスリップして当時の自分に武術を教えてあげたいです・・・。

 本当に、あの当時は自殺も考えるくらい辛かったですし、自分の力の無さが情けなかったですよ。

 特に、足の悪い級友が不良連中に蔦で縛られて囲まれ、殴ったり蹴られたりしていたのを友達と一緒に見て、あんまり酷過ぎるだろうと思って、「おい、助けに行こう」と隣の友人に小声で言うと、彼は悲しそうな顔をして首を横に振り、私も独りで正義感出して「やめろ」と割って入る勇気がなくて、二人でコソコソと見なかったフリをしてしまいました。

 が、この時の情けない気持ちは40半ばになった今でも、はっきりと覚えているんですよ。こんなことなら、あの時にボッコボコに殴られるのも覚悟して「いい加減にやめろ」と、出ていけばよかったですよ。

 でも、勇気が無かったから、私は武術を続けてこれたんだろうと思います。正義感に任せて行動できる人間だったら、特に腕を磨いてどうこうしようとか考えなかったんじゃないかな~?と思います。

 まあ、甲野氏は、自分が武術を志した理由を「人間にとっての自然とは何か?」と考えて・・・なんて言っていますが、これも嘘なんじゃないかな~?

 あの性格は、絶好のイジメの対象になると思うんですけれど・・・。

 人間というのは暴力の真ん中に置かれたら綺麗言は言えなくなりますよ。

 私が疑問なのは、何で、武術がレジャー要素以外に実用価値が認められないスポーツの下請けみたいに扱われる必要があるんでしょうか? 外国の人は武術をやっている日本人というと凄く尊敬してくれますが、日本人の評価とはまったく逆ですね。

 そういう認識なので、私は甲野氏とは目指すものがまったく異なっているので批判する意味がない。

 ただし、甲野氏には、いい加減に“古武術”という冠を取っていただきたい。糞の役にもたたない不合理な技を“武術”であるかのごとく見せかける猿芝居をやめていただきたい。あんな不合理な技を信じて覚えてしまったら、命がいくつあっても足りませんよ。

 甲野氏の示す武術の技は、武術という文化を誤解させる最も許し難い捏造行為だと言うしかありません。

 昔、私が彼の道場に通っていた頃、得意げに「一流の詐欺師は、99パーセントは本当のことを言い、相手の信頼を勝ち取ったところで、最後の1パーセントで嘘をついて騙すものなんだ。だから、騙されている人も最後まで騙されたことを気づかない。(微笑)」と、言っていました。

 あの時の得意満面な笑顔は何が言いたかったんでしょうか?

 甲野氏は、道場の中では、とにかく有名な武術家の悪口を言うのが大好きな人でした。

 大東流の佐川幸義先生(「佐川道場はカルトだよ」と主張)、養神館の塩田剛三先生(「あんな技はかからない。嘘だ」と主張)、極真会館の大山倍達先生(「障害者チャリティなんて言いながら大会で障害者を出している」と、極真のトーナメントのポスターを見た感想)、太気拳の澤井健一先生(「喫茶店で自慢しているだけの爺さんだ」と小馬鹿にしていた)等、皮肉たっぷりに小馬鹿にして喜ぶところは、正直、嫌な感じでした。

 私も、尊敬できない武術家、武道家に関してはキッツイことを言いますよ。でも、私は本人に対しても言えます。はたして、甲野氏は本人に対しても言うのかな~(意外と言うのかも?)。

 そうした先生方の高弟が弟子入りしてきていると自慢していましたが、今考えると作り話だったとしか思えません。

 例えば、「養神館のナンバー2の人が私の技を体験して、塩田剛三先生以外にはかけられたことがないのに、先生は凄い・・・と言って、自分の道場を差し上げますと言ってきて参っちゃったよ~(微笑)」なんて言っていましたが、その当時の養神館のナンバー2と言ったら、井上強一先生? まさかねぇ~?

 甲野氏は、どうもホラ話をするのが得意だったようで、それらの先生方のお弟子さんに実際に会ってみると、甲野氏よりずっと実力が上だということが判って、客観的に「絶対、嘘ついてるな~」と思えたんですね。

 あの、「一流の詐欺師は99パーセントの真実と1パーセントの嘘をつくものだ」という話は、今思えば、「俺は一流の詐欺師なんだ」と自慢したかったのでしょう。

 確かに、甲野善紀氏は大した詐欺師だな~?と、言わずばなりません。

 多分、彼は腹の中で笑いが止まらないでしょう。自分がついた嘘がことごとく世間に受け入れられて“現代に蘇った武術の達人”とメディアが採り上げてドキュメンタリー映画まで撮られたのですから・・・。

 素人はともかく、それなりに実力のある武道家までが騙されていたのですから・・・。

 時代が彼を求めたのだとしたら、それは時代が狂っていたとしか言えません。

 食品偽装に揺れた時代・・・それはまさに甲野氏のような偽装武術家の活躍を許したことと無関係とは思えません。

 ですが、嘘は嘘。どれだけ偽装を重ねても嘘は真実になりはしないのです。

 だから、私は自分が知り得た真相について書く義務がある。

 そして、判断するのは読者自身に委ねたいと思います・・・。
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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