ヒストリーch『ヒューマン・ウエポン』は武術好きの人必見です!2008-06-20 Fri 01:42
世界中のマーシャルアーツ(武術・格闘術)を体験的に紹介していくというドキュメンタリー『ヒューマン・ウエポン』が、ヒストリー・チャンネルで放送中ですが、これは素晴らしく興味深いものです。
総合格闘家と、アメフト、レスリングをやっていた巨漢の二人が色々なマーシャルアーツを修行して、最後は試合する・・・という展開ですが、これまで、ムエタイ、空手、柔道、エスクリマ(フィリピン武術)、サファーデ(サバット。初代タイガーの得意技ローリングソバットの語源がこれ)、パンクレーション(パンコラチオンの現代版)、クラブマガと続いていますが、今後も軍隊格闘術とか色々やる予定らしい。 ムエタイは、古式ムエタイやクラビ・クラボーン(棒や刀剣を使う武術)も紹介されていましたし、空手は沖縄剛柔流(友人にチョコッとだけ教わったこと有る)に上地流(以前、シダックスで講座が有ったので師範に挨拶だけしたこと有ります)、そして極真空手が・・・。 柔道は最古の柔術“竹内流”まで登場するし、サファーデは謎に包まれていたステッキ術(噂には聞いていたけど見たのは初めて)まで紹介されていました。 最後に対戦するという趣旨が有るので、中国拳法や合気道は派を選ぶでしょうが、色々紹介されると楽しいでしょうね。 余談ですが、武道や格闘技を修行する人は、「実戦的なものを学びたい」と考えるのが常ですが、素手に限定されて技も禁じ手の多い現代武道や格闘技を学んでいると、この“実戦的”という言葉の定義があやふやになりがちではないか?と思うんですね。 私が一番、「これでは実戦的とは言えないな〜」と思うのは、ルールの問題ではなくて、“戦闘スタイルが同じ者同士で技を競う点”に有ります。この方式に慣れてしまうと予期しない攻撃に対処しづらくなるんですよ。 昨年の今頃でしたか、セミナーに参加した人に、模擬ナイフで突いていくのを捌いて捕らえる練習をやらせてみたら全然できず、「私は実戦的な武道をやりたいと思ってこれまでやってきたんですが、ナイフ一本出されただけで何もできなくなるなんてショックでした」と感想を言われていたことがありました。 この方はその後熱心に通ったので今は別人のようになりました。癖を抜くのに多少、時間がかかりましたが、一度癖が抜けると、以前やっていた武道の動きも見違えるようにレベルアップして蘇るものです。 どうしてこうなるか?と言うと、形を固めて作った動きは、応用性が望めないんですが、身体を柔らかく練り込んで動けるようにすれば、過去に学んだ動作も身体が記憶していれば形状記憶合金みたいにピシャッと出せる。 私もムエタイ風の回し蹴りなんて十年以上も練習していなかったのに、最近、やってみたら以前より楽に出せるから驚きました。威力も上がってるし、多分、ゆっくりしか蹴ってないけど、その気で出せばスピードも上がってると思います。 一番練習してた29歳の頃より45歳の今の方が動きが良くなってるって不思議でしょ? 要は、全身を効率良く連動させられるようになったから無理なく結果的に動きの質が上がった訳ですよ。ただ、無理して維持していた身体の可動性は無くなったから、昔できたような高い蹴りなんかはできませんけどね。 でも、私の体型と風貌で華麗なハイキック連発したらブキミでしょ? 今は掌法の方が得意だからいいや。回し蹴りはローのスイープキックとか、せいぜいミドルまでだね。 付き合いの有る方が自身のブログでアキバの通り魔事件について「護身術は役立たないという証拠だ」という意見を書かれているのを読んで、正直、タイヘン、不愉快な気分になったんですけれど(よっぽど、ヤな武術家に何人も会ったんだね?)、でも、十中八九、普通に武道や格闘技を習っていても、ああいう通り魔的な犯罪者にいきなり遭遇したら対処できないのが現実であろうとは思います。 実際、武道家や格闘家がナイフやピストルで簡単に命を失った例も有ります。 でも、だからといって、私は「武術や護身術なんか学んでも無駄だ」という結論にはなりません。 命を失うハメになった人達は「それはマズイよな〜」というやり方をしてしまっているからであって、つまり、武術的な戦略思考法を体得していなかったに過ぎない。やり方を間違えなければ命を失わずに済んだ筈だと思うのです。 論より証拠で、私、武術やってきたお陰で何度も現実に助かってるからですよ。間違いなく、やっていなかったら生きていないか、重大な障害負っているか、自殺してるかしてると思いますよ。 通り魔に会ったことはまだ無いんですけど、ナイフ突き付けられたことも有るし、木刀で向かってこられたり、椅子でぶん殴られそうになったり、複数と相手したことも有ります。 どうやったと思います? まず、ナイフで「アンタを殺しても外国に逃げれば平気なんだよ」な〜んて脅された時は、平然とした態度で思いっきり軽蔑の眼差しで視殺しました。すると、相手はハッとした顔になって、(俺って、メッチャ格好悪いことをやってしまった・・・)という自己嫌悪に陥って俯いてしまいました。武道やっている人だったのでプライドが有るので有効だと読んで心理戦術をやった訳です。ビビって泣きを入れると思ったんでしょうね。生憎、そういう性格じゃないんで。でも、こういう相手のプライドを利用するやり方はラリってるヤンキーには通用しないでしょう。 木刀のヤツは、わざと無防備にして振りかぶったところを入身して顎を突き上げて木刀を奪い取りました。椅子で殴りかかろうとしたヤツは、振り上げてる椅子に飛び蹴り噛まして椅子ごと蹴り倒しました。この二つの時は相手の攻撃を待たないで自分から先に攻撃してビビらせました。両方共にヤンキーだったので、より凶暴なやり方でビビらせたら向かってこなくなるのが解っていました。先手必勝! 複数と相手した時は学生時代で酔っていたので、何故、そうなったのか?はよく覚えていません。多分、クラブの飲み会の帰りか何かだったと思います。相手も酔っ払った連中で5〜6人以上は居たと思います。ただ、一番近くのヤツを捕まえて逆手に取って喉に三角絞めしたまま「こいつの腕、へし折るぞ!」とすごんで、やり過ごしたのだけ覚えています。酔ってたので他は本当に忘れてしまいましたが、「コイツ、あぶね〜よ」とか言われたような気がします。 私、顔の割りに意外とムチャする性格なんで、こういう真似も意識的にやることは有るんですが、ムチャしたのは全部二十代までです。 三十過ぎてからは本格的に修行に専念したので、技を伸ばすことにしか興味が無くなりましたね。試合も経験して自分が大した実力でないのもよく解りましたから、必然的に、いかに争い事を回避するか?という戦術的思考にシフトしていきました。 特に、私は最初に通った道場が戸隠流忍法でしたし、最も真剣に学んだのが中国拳法でしたから、最初からストリート・ファイト的な状況でいかに戦うか?という観点が原点だったんですね。 だから、技は素手対素手の格闘はハナッから考えていないし、対武器、武器対武器を基本にして、そこから現代武道や格闘技の対戦状況にも応用できるようにしようとしているだけです。でも、基本は武器を使うことを前提にしています。 本当に実戦を考えたら素手対素手で戦うなんて状況はほとんど有り得ませんからね。どんな人間でも、だれかを殺そうと思えば、刃物や首を絞めるためのロープとか用意するでしょう? スタンガンでリーマン脅して有り金全部奪った援交女子高校生とかいましたよね。 日本人は、「空手は徒手空拳の武道」とか、「精力善用自他共栄」とかいった精神性を前面に出して教育し過ぎたためか、本来の武術としての戦略思考まで捨ててしまったのがネックになっていますよね。 「武道は礼に始まり礼に終わる」というのだって、単なるお題目じゃなくて、礼儀を尽くして恨みをかわないようにする現実的な対人心理戦術だったんですよ。 「他流批判、決していたすまじき事、これ肝要也」ってのは、流派間の優劣論とか安易に論じていれば悪気は無くとも恨みをかって攻撃されるのが判っているからですよね。 これは武術やっている人達は当然、心得ていないと危ないんですよ。だから、私は勝負して勝てる計算してからしか批判しませんよ。戦略もたてずに意見するのは素人さんだけですよ。 江湖に民主主義は無いんですよ・・・。 どんなに格闘技に自信が有る者でも素手でコンビニとか銀行を襲うヤツはいないでしょう? 必殺カンフーを体得したチャイニーズ・マフィアの殺手(殺し屋)も実在するみたいですが、素手でどうにでもできる彼らでも暗器の類いは必ず持っているそうです。 本来、武術は素手から棒から刀剣から槍、薙刀、弓、手裏剣と一通りの武器術は習練するものですし、医術も当たり前に学ぶんですよ。日本以外でもインドや中国の武術家は表看板で治療院やっていることが多いでしょう。 例えば、手裏剣術って流派として残っているところは少ないでしょう? 根岸流と白井流くらいで、後は現代で作られた流派でしょう。 これって、どうしてか?と言うと、手裏剣は裏芸として古流武術では割りと一般的に伝承しているんですけど、表芸じゃないから存在が忘れられがちだったという事情が有りますね。 だから、古流の型の中には手裏剣を打つ動作が入っているタイ捨流とか、その源流の新陰流では刀を投げ付けてくるのを打ち落とすものとか有る。 空手の型の動作も、武器を持つと意味が解る場合が結構有ります。釵術の型には釵を投げ付ける動作も含まれています。だから、釵は両手に一本ずつと、予備に帯にもう一本挿して、都合三本持つのが本当なんだそうです。 中国でも暗器やピャオ、羅漢銭なんかの投擲武器はいろんな門派に伝承はしているけれど体系化はされていないようです。やっぱり裏芸だったんですね。 私も、もちろん、研究過程では軍隊の野戦体術やナイフ術、ピストル術なんかも研究してきていますし、実際、実はナイフ使うのは得意なんですよ。でも、あんまりそういうのをやって見せるとドン引きされちゃうし印象良くないですからね。殺伐とし過ぎるし。 『ヒューマン・ウエポン』でも、クラブマガの練習でいきなりゴムナイフで滅多刺しにされてしまうシーンが有りましたが、想定練習していなければ、そうなるのが当たり前なんですよ。 だから、先日、シダックスの“武術で護身術講座”ではナイフ術を指導しましたが、私の考えでは、まず自分がナイフ術をできるようになって、その長所と短所を覚えておけば、その制圧のやり方は必然的に導き出せる・・・という訳です。 形で覚えてもダメなんですよね。かと言って、理合も考えずにやたらに自由にやり合って感覚的に対応しようとしても無理が有る。 こういうところは武術は長い歴史の中で多くの歴代修行者が試行錯誤して工夫してきた技が伝えられているので、実はシステムが理解できると極めて実戦的な知恵が隠されていることに気づいて感動させられるんですよ。 私、完全に自分だけで考え出した技なんか一つも無いですもん。 殺気を察知して躱すというのも、やってるうちに鋭敏になってきて自然に発達するものですが、まずは五感を徹底して磨くべきでしょう。武道やってきた人は気合入れた瞬間、信号が出るから判りやすいです。素人のほうがよく判りません。そのうち、相手の気持ちを読む洞察力も発達していきますし、危機を予知するような感受性も出てきますよ。 偶然は偶然なんですが、昔、深夜に近所のレンタルビデオ店に行っていたら突然、地震があって、ビデオがバラバラッと床にぶち撒かれるくらい揺れたんですね。揺れが止んでから慌ててアパートに戻ったら、もちろん、本棚の本はドサドサと落ちてるし、私がいつも寝てる万年寝床に壁に立て掛けてた槍の穂先が突き立ってるんですよ。 ぞぞっとしましたね。あのまま寝てたら刺さって死んでたかも? 本当に、その時間帯はいつもはビデオ屋さんに行ったりしないんですけどね。急に行きたくなったんです。 私、こういう偶然助かったことって多いんですよね。 こういう危機察知能力って、ネズミだって猫だって有るんだから、人間だって有りますよ。有ると思っていれば自然に発達します。無いと否定していたら芽生えた感覚も自分で否定してしまうので発達を殺してしまう。だから発達しない。 昔は、「いや〜、あんな技は一生かかってもとてもできないよ」と思っていた技の大半が今はできるようになっちゃいましたからね。で、教えたら結構、誰でもできるようになるんですよね。 武術というのは護身術として伝わってきたものですから、本来、使えない道理は有りません。使えないのは、使うことを考えて練習しないからなんですよ。 だから、現代武道や格闘技が護身術にならないとすれば、護身術という観点で技を考えなくなっているからなんであって、専門的に考えて技や戦術を工夫していけば、「使えない」とは私は全く思いません。 犯罪者だって人間ですからね。ビビって背中向けて逃げてる相手と、素手でも拳握り締めて立ち向かう意志満々の相手とでは結果は全然変わりますよ。 アンドレ・ザ・ジャイアントだって無防備に棒立ちになっていたらナイフ一本で簡単に殺されるでしょう。 諦めて天命だと思って殺されるのを選ぶ人には護身術は必要ないと思いますが、私は人事を尽くすほうを選びますけどね〜。 それに、女性や子供、老人が暴力受けているのを見たら、助けたいって思わない人は少ないでしょう? 助けられなかったら自己嫌悪で一生トラウマになりますよ。私はそっちの方が嫌だよな〜。自分が暴力にしっぽ巻いて逃げ出すことの言い訳したがるヤツは軽蔑します。悔し涙を流すヤツが好き。だから、平和だの何だの理屈言って現実から目を背ける連中は大っ嫌い! 理不尽な暴力に蹂躙されて怒りを感じなくなったら、生きてる必要無し! 「男なら理不尽な暴力に蹂躙されて生きるより、立ち向かって、戦って死ねっ!」 言いたいことは、以上っ! |
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