長野峻也ブログ

武術研究家、長野峻也の色んなエッセイ?を掲載します。リンクフリーです。HP:【http://www7a.biglobe.ne.jp/~yushinryu/】

武術は護身術です

 え〜っと、入会の問い合わせがまたちょくちょく来るようになりました。

 を読んで、DVDを見て、「やってみたい」と思う人がいるのは有り難い限り。何せ、まだ印税だけで生活できる程にはなっていないんで、セミナーシダックスの講座稽古会は無視できない収入源なんですよね。

 でも、正直言って、私は単に興味本位の人や無目的に強くなりたい人ではなく、武術について真面目に学びたいという気持ちの人でないと教えたくありません。

 実際、「金はいくらでも出すから長野さんの知ってる技を全部教えてくれ」と言われたことがあるんですが、断りました。私が貧乏なのを知っていて金で釣ればいいだろうという足元見るようなフザケた野郎だったからです。

 こんなこと言ったバカタレもいましたよ。「私がいなければ長野先生の老後は悲惨ですよね〜」って・・・。破門にしました。弟子が師匠に言う言葉じゃない。オメ〜は何様だよ?ってくらい、自惚れ過ぎるにも程が有る。私は自惚れ屋が一番嫌いなんで。

 こんな、人を嘗め腐ってるヤツの力なんか要らねえって思いましたよね。正直、「駅のトイレ清掃の仕事やってでも、しぶとく生きて武術研究の成果だけは残してみせちゃる」っという気持ちでしたし、その心境は今も同じです。

 武道をしっかり習っていた人は、大体、上下関係を弁えているので、そんなに失礼な言動を取ることはない・・・?と思いますが、そういう上下関係の有る習い事をやったことの無い人は、習いに来ているのに対等な立場を取ろうとする場合も少なくありません。

 私がそういう対等な付き合い方を好む?ように見えるから、そうされるんだと思いますけど、この際、はっきり書いておきますけれど、私、軽々しくタメ口たたくような基本的礼儀を弁えていない無神経で無礼な人間は大っ嫌いです。

「でも、長野さんはヤンキーなんかにも教えていたんじゃないの?」って思うでしょう?

 はい、最初に身体に痛みを与えてから教えたんですよ。そうするとヤンキーの人達くらい礼儀正しくなる人達っていないですよ。自分より強いヤツには絶対、逆らわないもん。

 自分がそういう態度取られるのが嫌いだから、相手に対してもそういう態度を取らないように気を付けているだけなんですよ。これはファミレスとか居酒屋での私の態度見ていたら気づくと思いますよ。気づかない会員さんもいたけどね。

 ダメだね〜。日常生活から勝負の場だと思っていなきゃダメ!

 だってね〜。食い物屋さんで尊大な態度取ったら、鍋に雑巾汁入れられるかもしれないでしょ? 感じのいい客だったら店員さんだって良くしてあげたいと思うでしょう?

 尊大な客に毎度からまれて爆発寸前になってる人だっているかもしれない。優しい言葉一つかけるだけで嫌な気持ちが消えて労働意欲だってわくもんですよ。

 だから、態度のぞんざいな店員さんの時ほど、わざと丁寧に挨拶したりしますよ。そうすると、だいたい、向こうがハッとした顔して態度が変わったりします。

 そういうハラ芸もできなきゃダメです。それも自然にできるようにならないとね。

 私は、こういうのは武術の先生達から学んだ考え方ですよ。自分の見せ方も“読み”の内なんです。

 外見がブサイクだったりしたら、これは有利ですよ〜。「この人、見かけはカッコ悪いけど、何ていい人なんだろう」とギャップ効果で印象が良くなる。ブ男でもてる人って、こういうところがうまいよね。ブサイクに生まれついたらチャンスだって思ったほうがいいんですよ。

 逆に美人は大変ですよ。ちょっとでも下手こいちゃうと「こんな女だったんだ〜」って、一気に印象悪くなるでしょ? 疲れると思うな〜。


 でもまあ、こんなことを色々考えられるようになるには時間も必要ですよ。結局、目先のこと考えていたってどうなるものでもない。「自分が生きてるのは自分にしかできない仕事が有る筈だ」って、何となく考えるようになったのは30過ぎてからですかね〜?

 だから、アキバの通り魔男って、まだ25歳だったんでしょ? 全く同情はしないけど、「そんくらいで人生諦めてどうすんだよ」って、言ってやる友達とか先輩とかいたら、違っていたんじゃないか?と思いますけどね。

 彼は、大量殺人の記録を作って世の中に自分の存在をアピールしたかったんだと思うんですよ。現実の生活で成功するのは難しいから・・・。

 正直、私もそんな気分になったことは過去に有りましたよね〜。大学に入ったけど不登校になった時なんて、宗教哲学の本ばっかり読み耽っていたしな〜。今思うと発狂してたと思いますよ。「俺は悟った!」とか思っちゃってたし・・・。

 ナチュラル・ハイでおかしくなってたな〜。

 でも、私は、映画と武術に打ち込んできたから、それを通じて色々な人との繋がりができたから、決定的に道を踏み外さないで済んだと思っていますよ。

 映画のシナリオライターを目指したことが今の文筆業に繋がったし、芸術方面への関心にも結び付いた。

 武術を続けていたことが特技として映画・演劇・舞踊の世界との結び付きを強めたし、武術の理論研究をやっていたことが専門誌のライターやら斯界の第一人者との交流に繋がっていった。

 そういうのが全てバランスよく結び付いて相乗効果を上げてくれていると思うし、甲野さんと出会ったのも、今思えばマイナスにはなっていないんですよ。やっぱり反面教師という言葉は言い得て妙味が有りますよね。

 無論、そんなエスカレーター式に歩んできた訳じゃないし、人並以上にトラブルにも見舞われたと思うんですけど、最後は、どれだけ純粋に追究しているか?という点が突破口になってきているんじゃないか?と思います。

 しかし、犠牲にしたものも随分、有りますよね。「普通の人は先生みたいな生き方はとても耐えられないですよ」と、何人かから言われましたけどね。

 でもね〜。“25歳で人生諦めて犯罪の花火を打ち上げて散る”より、“しつっこく諦めないで自分のやりたいことを追究する”のと、どっちがいいか?と言えば、最後に笑える後者の方が絶対、いいに決まっている。

 私なんか45歳で定収入無いし、本が売れなくなったら、それこそ老後は野垂れ死ぬしかないですよ。でも、モーマンタイ。

 だって、やりたいことやってんだもん。やりたくないことやらないんだもん。そんなワガママの極致みたいなキリギリス人生歩んできてるアンポンタンなオヤジでも、一芸が有るからやっていけてるんだよ。芸は身を助けるという言葉は私のために有るような言葉。

 私にとっての武術は紛うことなく“護身術”なんですよね。どういう意味か? だって、これが無ければ私という存在は生存できていないからですよ。これぞ究極の護身術だと思いませんか?

 だから、そりゃあ、趣味でやっている人とは人生賭けてる比重が違うんだもん。真剣味も違いますよ。

 従って、護身術という観点で考えていることも、そんじょそこらの人達とは全然違うと思いますよ。自慢しちゃうけどね。

 そりゃあもう、空手・柔道・合気道・少林寺拳法・剣道・躰道・弓道・新体道・居合道とかの現代武道は当たり前、古流武術(剣・柔・棒・槍・薙刀・手裏剣・医)に琉球古武術(棒・ヌンチャク・トンファー・スルヂン・釵・ティンベー・ローチン・鉄甲・鎌)、中国武術(拳法・シュアイジャオ・チンナ・剣・刀・棍・槍・佐助兵器・暗器)のみならず、カラリパヤット、カポエィラ、シラットなんかの日本では知られていなかった武術や、ボクシング、ムエタイ、サンボ、テコンドー、サファーデ、キャッチアズキャッチキャンなんかの格闘技本も読んでましたよ。

 よく読めないけど、古文書や中国語、英語やフランス語の武術本も読んだしね。

 それだけじゃなくて、「やっぱり、現代の戦闘は軍隊流の野戦体術からナイフ、ピストル、アサルトライフルくらいは操作できなくちゃな〜」と思って、その手の研究もしてきたんですよ。拳銃を使ったコンバット・シューティングなんかはもう武術と考えたほうが正しいですね。

『マイアミ・バイス』でジム・ズビアナというコンバット・シューティングのチャンピオンが殺し屋役でゲスト出演した時の45オート・オスタムを使ったコック・アンド・ロックのクイックドロー・シューティングは素晴らしかったですよ。

 元々、武術より先に銃に興味持っていたんで、道具と材料が有ったら自分で0から作れるくらいの知識と工作技能は有りますよ。エアガンのカスタマイズは高校の頃からやってたくらいだし、最近、趣味でやっている刀の拵え作るのだって、ほとんど自己流で工夫してるし・・・。

 日本刀って、材料の玉鋼作るタタラの村下(むらげ)・刀を鍛刀する刀工・刀を研ぐ研ぎ師・鐔や金具を作る金工師・ハバキを作る白金師・鞘を作る鞘師・柄を作る柄巻き師と、七人の専門職人が連携して一振りの日本刀が完成するんです。柄糸や下緒を作る人も入れたら八人ですよね。

 私は、その内、三人分の作業を一人でやってます。最近はこれらの職人さんも高齢化していなくなりつつあるそうなんで、これも武術研究の範囲と思うので、もっと研究して職人文化を残すことにも貢献できるようになりたいと思っていますが・・・。


 さて、一口に護身術と言うと、何か非常に特殊なもののように思いがちですけれど、武術にしろ拳銃にしろ、護身術という観点から発展し確立していったものであって、実は人類の歴史上、無視し得るものじゃないんですよ。

 専門家でも間違えてる人が多いんですが、武術は戦国時代に戦場で用いる技として成立したものじゃないんですね。

 無論、それ以前から“関東七流京八流”という言葉で武術の原型とされている簡単な刀剣術みたいなものは有ったとされています。

 しかし、戦場で用いる技というのは個人の工夫したものであって、体系化はされていなかったでしょう。つまり、教育システムが無い。それでは軍事訓練にはならない。むしろ、角力のほうが軍事訓練としての意味合いは大きかったと考えられます。

 ですが、角力は武術ではなくて、儀礼的な格闘技(競技)として発展していきます。これは区別して考えるべきだと私は思います。

 私が、「これが武術と言えるだろう」と考えているのは、流派が興って以降です。

 この、流派を名乗った武術では、念流が最古と考えられますが、そのままの形で伝承した最古では天真正伝香取神道流が有ります。また、最古の柔術は竹内流が有名です。

 これらの流儀武術は、戦場で戦う技を平時に修練することで戦乱に備える“平法”の観念を強く持っていました。つまり、最初から“護身術”と考えて技術体系化されているのです。

 居合術なんて、完全に護身術として工夫された技ですよね。刀を抜いて「いざ、尋常に勝負!」って言ってる相手に対しては、普通はこちらも刀抜きますよね。いきなり襲ってこられたのに咄嗟に対処する技だから「居合は鞘の内」と言った訳ですし、護身術としての共通原理から柔術と結び付いて伝承されることが多かった。

 例えば、竹内流を興した竹内久盛の弟の久安が片山伯耆守となって、伯耆流居合術の開祖になっているし、関口流抜刀術の開祖は柔術の名人として名高い関口氏心です。

 他にも、甲冑組み討ち技と融合した形の初実剣理方一流(今枝流)とか、天然理心流の居合術も柔術と組合わさっているものが多いですし、現代居合道の母体になっている土佐の無双直伝英信流にも実は柔術が併伝されていました。

 天心古流(神道天心流)に伝わっている“八寸拉ぎ”という短棒術は、元々刀の柄をからめて逆手に捕る技から発展していますし、居合術と柔術が融合して新たに護身術として工夫されていった技法は少なくないと思いますよ。

 こうした特徴は、平穏な時代が続いた江戸時代に特に広まって、流派は数百を超えたと言われています。

 よく考えてください。戦乱が続いている不安な情勢の中で呑気に武術の修行なんかやっている暇は無い。武術の技が高度に研究されたのは平穏な時代だからこそです。

 これは現代だって同じことですよ。仕事で多忙な生活をしている人は武術を修練する余裕なんか無いでしょう。うちの会員さんも仕事が忙しくて練習に来れない人が随分いますから、できるだけ日常生活の中で独修できる稽古法をわざわざ考えたくらいですよ。

 本当は学生さんとか暇の有る人がもっと来てくれたらいいのにな〜と思うんですが、うちの技は爺臭いから?若い人はほとんど来ませんね。

 現代で腰に刀差して歩くと逮捕されちゃいますから、居合術なんかは直接の実用性は有りません。

 でもね。武術の稽古は直接的な実用性だけには留まらない意義が有ると思うんです。

 福沢諭吉が居合術の達人だったって、ほとんど知られていませんけど、実は新立身流居合術(開祖は立身三京)の物凄い遣い手だったのですよ(立身流は今も千葉県に伝承している名門です)。

 現代で福沢諭吉に並ぶ居合の遣い手はほとんどいないだろうと言われるくらい、晩年まで居合の稽古は欠かさなかったそうで、実家には稽古でボロボロになった鞘がいくつも残っていたそうです。

 板垣退助、大隈重信、大久保利通なんかも剣術や柔術が相当できたらしいですね。

 勝海舟も直心影流の遣い手だし、桂小五郎は神道無念流、坂本龍馬が北辰一刀流の長刀免許を貰っていたのは知られていますね。でも、高杉晋作が柳生新陰流の免許持ちだったのは案外、知られていないでしょう。特に剣名を出していないから知らない人が多いだけです。

 侍だから修行するのは教養のうちで当たり前だと言われたらその通りでしょう。

 けれども、私は、彼らの行動力の基礎には武術修行が役立っていたと思います。感情的に否定したがる人は多いですが、幕末から明治にかけて日本の基盤を作ったのは疑う余地なく侍ですよ。あの行動力の原点には、武術修行で練ったハラ(度胸)が有ったと思います。無論、教養としての学問も学んでいたから先見の知恵も育っていた。

 榊原鍵吉や山岡鉄舟といった純粋な剣客も、国のために動いたりしていたんです。

 冷静に人口比率から考えても、もっと町人や百姓が活躍していてもいいとは思いませんか? 後半生は社会奉仕に励んだ清水の次郎長なんて、山岡鉄舟と出会って心酔したから人生が変わってますよね。

 近代日本の礎を築いたのは、間違いなく侍達ですよ。それも教養の有る上級武士より剣術ばっかりやっていたような下級武士、豪士なんかが原動力になって動かしていった。

 組織の中で硬直化して動けない上級武士ではなく、下級武士が私塾に通って「このままでは日本が危ない」という思想的方向性を与えられて決起していった結果でしょう。

 確かに何も解らず人斬りばっかりやっていた連中もいるけれど、それも含めて時代を動かしたのは侍達だったのは否定できないでしょう。もし、彼らがいなかったら、近代日本は外国の植民地になって日本という国すら無くなっていたかも知れません。

 これと同じ状況は“元寇”にも有る。もし日本に侍がいなかったら、日本は蒙古に支配されていたのは間違いありません。

 人間にとって“護身”ということは人生を確保するための行為だから、本来、必要不可欠な筈なんです。これは日本に限らず世界中の様々な地域に護身の技が伝わっている点でも解るでしょう・・・。



 で、突然、私事になりますが、私、昔は臆病だし級友がイジメられている(ほとんど寄ってたかっての暴行だった)のを黙って見て見ぬフリするような卑怯なガキでしたよ。

 それがトラウマになって自己嫌悪でたまんなかったから武術をやり始めたのが本音ですけれども、何年もやってきて、それなりに暴力に対する自信がついていくと、危ない目に会っている人を助けに入ることが平気でできるようになっていったんですね。

 学生の頃なんかはまだ結構、怖かったし、どうしようか?と悩んで決死の覚悟で割って入ったりもしたものですが、30歳過ぎる頃には、「あっ、あれは俺が助けないと危ないな〜」と、冷静に状況分析しながら「やめなさ〜い」と、平然と助けに入ることができるようになりました。要するに、想いと行動を一致させられるようになってきた。

 護身術と言うと、自分の安全を確保する技としか考えない人が多いですけど、違いますよ。自分の護身より、ストーカーに付きまとわれている女の子助けたとか、色々と人助けもしましたよ。

 だって、毎日訓練して膨大に戦闘術の研究してるんだもん。戦闘のプロでもないオタク・ストーカーにやられちゃったら泣きますよ。

 大体、そこらのヤンキーとかがまともに武道や格闘技を何年もやっている人間と戦ったって勝てる訳ないんですよ。五分五分でまともにやれば・・・。

 私も、「高校の頃にボクシングの県大会でベスト8になった」って学生とケンカになった時、距離取って殴り合いになったらボコボコに滅多打ちされると思って、わざと「へぇ〜、ボクシングってどう構えるの?」って尋ねて、「こうやって・・・」と相手が構えた瞬間、前手を掴まえて側面に密着しながら肘打ちと膝蹴り出しましたよ。「キッタネ〜!」と罵られたけど、二度と向かってこなかったですよ。

 格闘技を真面目にやっている人と五分五分の勝負したら、そうそう勝てないよな〜と思ったから策略を使ったんです。その後、格闘技の練習もやってみて、確認できたし(人間、痛い思いをしてこそ修行になるもんです)。

 だから、私は現代のスポーツ化した武道や格闘技が弱いなんか全然思わないですよ。武術オンリーの人は「スポーツだからダメだ」なんて言うけど、技の威力やスピード、テクニックの点でも型稽古オンリーの武術と比較すれば完全に上回ってると思いますよ。競技化は技の範囲を狭めるけれども技を洗練させる利点は有りますからね。

 現に、甲野さんは日本空手協会でボッコボコにされたのをはじめ、現代武道や格闘技の実践者と、少し本気で手合わせしたら丸で勝てなかった。彼の場合は極端過ぎますが、似たような事態に陥る武術家は少なくないでしょうね。YRさんとか・・・。

 悔しいから認めたくないという気持ちは理解できますが、事実は事実として認めていかないと進歩しませんからね。

 でも、そういう現実を認められない人は、「武道や格闘技やっていたって、ナイフやピストルを出されたら勝てないだろう?」って論理をたてるんですけどね。

 ナイフやピストルは、それ自体の攻撃力は凄いけど、結局、素人が遣ったって大した戦闘力には結びつかないんですよ。プロが遣ったらとんでもない戦闘力が発揮できるでしょうけどね。

「アキバでは一突きで何人も殺されたじゃないか」って思うでしょう?

 そこなんですよ。問題は・・・。

 武術の訓練なんか意味が無いと考える人は戦闘の全体像を見渡していないで感情的に認めたくないだけ。暴力に暴力で対抗しようとする発想の危うさを論じたいのであれば、そう言えばいいと思うんですが、「現実的に無理だ」と言い切ることで否定すれば、結論が先に有りきの考証になり、不合理なんですよね。

 無抵抗で棒立ちになっている人間だったら素手で殺すのだって造作も有りません。格闘技の試合で一方が棒立ちになっているところを一撃で倒して「最強だ」って言ったらバカでしょ?

 ダガーナイフが殺傷力が高いなんて言ったって、それはプロが遣う場合の話であって、あの事件の状況を見れば、百円ショップで買った包丁でも同様の事件が起こせたのは疑いの余地がありません。

「武術や護身術が無意味だという証明だ」と言うのなら、あのような通り魔事件と同様の状況を作って、武術や護身術を相当な期間学んだ人間を集めて実験してみなければ判断はできません。襲われたのはフツーの人達なんだから、戦闘能力以前に戦う意志すら無かったでしょう。

 警察官も刺されたことから「戦闘のプロでもダメだった」なんて考える人もいるでしょうが、警察官は戦闘のプロじゃありませんからね。柔道や逮捕術を警察学校で習いはするでしょうが、せいぜい初段レベルの人が大半だし、拳銃の射撃訓練なんて年に一回か二回、数十発撃つ程度だそうです。戦闘に関してはフツーの人なんですよ。

 私、親友が元SAT隊員だったから色々聞いてますもん。詳細は言えないけど・・・。

 警察学校を一番で卒業したらしい彼とふざけて柔道の手合わせした時は私が一瞬で勝ちました。“急所を点穴して投げたから”です。

 また、エアガンで射撃の競争した時も私のほうが上手でした。射撃の試験を受ける前に私が手紙で図解してコツを教えたら「お陰で良い点が取れた」と喜んでいました。

 警察官の拳銃は、発砲が非常に厳しく制限されているので、実際に撃つのは相当に緊急事態でないと許されないのだと彼は言っていました。だから、後の始末書のこととか考えるとまず撃てないと言うのです。威嚇するために使えば充分だから弾丸を込めない警官もいるそうですし(ゴリさんだっ?)、「犯罪者に奪われたらどうしよう」とノイローゼになる警官もいるそうです。

 拳銃持ってるから大丈夫と考えるのは大間違いなんですよ。アキバの通り魔男に立ち向かう警察官の様子を見ても、明らかにビビッて腰が引けていました。

 回りで見ているヤジ馬が「足を撃て!」なんか叫んでいたそうですが、あの姿勢で狙って当てられるとは思えませんね。拳銃で手や足であっても人間を撃つというのは心理的に相当な覚悟が必要な筈ですよ。もし、太い動脈を損傷して出血多量で死なせてしまったらどうしよう?とか、考えるでしょう。

 威嚇するのが関の山ですし、下手に撃って急所に当たったり、また、もし流れ弾や跳弾が通行人に被弾したらどうなるか?とか考えると、通り魔男がヘタレてくれたから、内心は目茶目茶安堵した筈だと思いますよ。

 そう言えば、警察官のピストル自殺は結構有ります。ソ連崩壊後にトカレフやマカロフが日本に闇ルートで出回った時は日本中の警察官は震え上がっていたらしいです。トカレフの徹鋼弾は44マグナムのハローポイント弾を止められる防弾チョッキを楽々と貫通してしまったからだそうです。

 悪質な犯罪者は警察官を狙って襲って拳銃奪うくらいやりますからね。今回の事件では背後から刺された警察官が拳銃を奪われなくて、本当に良かったと思います。もしかすると、それを狙ったかも知れませんが、交通誘導をやっていた方だったそうなので、拳銃を携帯していなかったのかも知れませんね。まだ重傷で入院されているそうですが、何とか御回復されることを祈りたいです。倒れながら仲間の警察官に犯人の向かった方向を指示されていたそうですが、命を張って仕事されている警察官には本当に頭が下がります。

 正直言って、個人的には、凶器持ってる犯罪者と遭遇した時に警察官に守ってもらおうとは思いません。気の毒ですもん。自分が戦ったほうが、制圧できる確率が高いと思います。一応、警察に連絡はしますけどね。自分でやっちゃったら罪に問われるかもしれないから・・・。

 実際に、以前、二回くらい警察を呼んだことありますけど、到着するまで5分はかかりますね。3分じゃ来れないですよ。アキバの通り魔男は正味2分で殺戮に及んだそうなんで、全然、間に合わない。

「走って逃げたほうがいい」という意見も賛成はできません。それなりの距離が有れば逃げたほうがいいのは言うまでもありませんが、犯人が近かったら背中を向けた途端に刺される危険性が高いからですし、そもそも人込みだったら思うように逃げられませんよ。

 犬や猫を飼ってる人は解ると思いますが、犬猫は知らない犬猫と遭遇すると間合を保って唸るでしょう? それで気迫で負けて後ろ向いて逃げようとした途端、猛然と追いかけますよね。人間も、相手が逃げると反射的に追いかける本能が有るんですよ。

 ハイヒール履いてる女性や子供、老人なんかはそもそも早く走って逃げられないでしょう? それに電車やバス、店の中なんかでは逃げるに逃げられない場合も有る。ナイフや包丁程度の武装だったら、カバンなんかを楯にして戦う意志を示して威嚇したほうが実際は効果的なんですよ。

 以前、ベトナム戦争で戦っていたアメリカ人武道家の先生に聞いた話ですが、武器を持たない時にジャングルの中でばったりベトコンと出くわしてしまったそうです。

 ベトコンはAK47(世界最高の軍用アサルト・ライフル)を持っていたそうですが、その先生は咄嗟に「ぶっ殺してやる」という意志を込めて相手を睨みつけたそうです。すると、銃を持っているベトコンのほうが脅えて動けなくなり、やがて、じりじりと後ずさって、しばらく下がってから大慌てで逃げ出してしまったそうです。

 やっぱり、実戦は気迫が重要だと思いますよ。人間だって動物ですから。

 ネオむぎ茶のバスジャック事件の時なんか、真っ先に後ろの窓から飛び降りて逃げたのが合気道師範だったと言われていますけど、「お前が逃げてどうすんねん? せめて相討ちになって取り押さえろよ〜」って、本当に思いましたよね。

 私が今回の事件で本当に危惧しているのは、「暴力に対して為す術なく一方的に無抵抗でやられてしまう人間ばかりになっている今の日本の状況」なんですよ。つまり、気迫が無くなって、ほんのちょっとした暴力にすら何の抵抗もできないどころか、しようとすらしなくなっている。

 暴力を否定するあまり、気迫、闘争本能まで否定してしまっているんですよ。

 その結果、暴力に全く抵抗できず、より弱い者を狙う陰湿なイジメ体質国民になりつつあるように思えてなりません。

 優しいだけで厳しさが無い。だから甘いことしか考えなくなるし、ちょっと挫折すると簡単に自殺したり犯罪に走ったりしてしまう。中身を磨くより金ためることばっかり考えて、「財力の有る男と結婚すればいい」なんて寄生虫宣言を平然とする女性も多い。忍耐力の代わりに自己顕示欲が肥大化して羞恥心が無くなっている・・・。

 武道や格闘技をやる人間は、やっぱり普通の人より気迫や闘争本能は有りますよ(それが空回りして困ったちゃんになっている人もいますが)。武道や格闘技を続けるには、第一に忍耐力が無いと無理。だから、やってる人は心が強くなりますよ。

 だから、私は武道やってる女性が好きですね〜。カッコイイもん。さらに武術も体得してくれたらな〜と思うんですよ。

 私が武術、護身術を推奨するのは、「暴力を許すな!」ということです。ガンジーの無抵抗主義は崇高な暴力への抵抗の意志を表明する手段としての“無抵抗”であって、もし、子供や老人が暴力に晒されているのを見たら、ガンジーはきっと助けに入ったと思いますよ。そんな風なことも発言してるみたいだし。

 だから、私は“徹底抵抗主義”でいたいと思います。力で脅されても「やれるもんなら、やってみろ」と言える人間でありたいのです。その意志を支える具体的なより所として武術修行には価値が有ると思っています。他人はどうあれ、私はそう有りたい。今の日本は幕末と似てるような気がするし、気骨の有る日本人が増えないと危険だと思うんですけどね・・・。(何か、国粋主義者と間違われるかな〜?)


追伸;やっぱり起こったか?と思いましたが、またもナイフ持って暴れた男が警察官に刺又で取り押さえられたりしていましたが、今度は結構、てこずってましたね。刺又をちょいちょい突き出して威嚇するのは掴まれて逆効果になりやすいから、一気に挟み込んだほうがいいと思いますね。それと、やはり掴めないように鉄のトゲがついていたほうがいいと思うな〜。あの刺又だと私だったら簡単に逃げてみせられるよ。後は、スルヂン(分銅鎖の長いヤツで琉球古武術最強の武器と言われる)を使って脚をからめることも考えたらどうでしょうかね。昔の捕り物具でも鉤爪の付いた縄を投げたりしていたでしょ?

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