長野峻也ブログ

武術研究家、長野峻也の色んなエッセイ?を掲載します。リンクフリーです。HP:【http://www7a.biglobe.ne.jp/~yushinryu/】

『読み』について・・・

 7月の月例セミナーは『読み』がテーマなんですが、ちょっと事前に解説しておきますね。これは、武術にとって最も大切であると同時に、最も誤解されているのです。

 読みと一口に言う場合、「読みが当たった(外れた)」みたいなヤマ勘みたいなものと思う人が多いのではないでしょうか?

 このヤマ勘みたいなものも、否定できないところがあって、例えば、犬なんて犬好きの人がすぐに判るみたいですよね。本能的なものだから動物は鋭いのが普通です。

 人間の読みは、まず第一に視覚、それから聴覚、触覚が続きます。

 一番重要なのは観察力であり、それによって情報を集める。そして、情報を吟味して予測をたてたり判断する。これが洞察力となり、これが読みそのものです。

 洞察力は、論理的な思考力が必要になりますが、たま〜に、全然、論理的思考力が無いのにヤマ勘で察知する人なんかもいます。

 でも、これは読みではなくて「勘が鋭い」というものであって、個人差が大きいんですよね。動物的な本能ですから。

 そんな訳で、“読み”は、あくまでも“論理的に考えるもの”であって、感覚に頼るものではないんです。

 だから、「感覚を鋭敏にすることによって敵の殺気を察知できるようにする」という従来の武術のやり方は両刃の剣なんですね。安易に求めている人達は自分の社会生活を犠牲にする覚悟はできているんでしょうか? ないでしょ?

 人間が野生動物のような過剰な感覚を磨くと、社会生活を普通に送れなくなるでしょうね。あくまでも相対的な状況の中で役立たないと意味がありません。

 飼い犬や猫が、あまりに野性の本能が強かったら、危険なだけです。テキトーに抜けてるくらいが丁度いい。

 武術に関心を持つ人には、目先の能力アップにしか目を向けずに、結果的に精神状態がおかしくなっているのを自分で気づけない人が実に多いんですよ。

 エネルギーが溜まり過ぎて暴走してる状態ですね。

 論理的に考えるというのは、主観と客観のバランスが取れているということです。これは自分に対することであると同時に、相手のことでもあります。

「身体に気持ち良いことが良いことなんだ」という主観のみの主張は、人間の痛覚の意義について何も解っていませんね。痛覚が有るからこそ、身体の異常を察知できる訳であり、痛みを麻痺させて感じないまま放っておけば、身体の異常が進んで取り返しがつかなくなるでしょう。

 苦痛が一定限度を超えると急に気持ち良くなるランナーズハイとか有りますよね。苦行をする人は、この中毒になっている人が相当多いと思いますよ。でも、もっと気持ち良くしようと思って、ずぅっと続けていたらどうなります? 身体が保たないですよ。スポーツをやっていて突然死する人は、こうなっていた可能性も否定できません。

 目先の都合ばかり求める人は墓穴を掘っていることに気づかない。客観的に自分を見ることができない人間が陥る現実逃避ですね。

 先日の通り魔事件以来、ネット掲示板に大量殺人や特定個人の殺人を予告するような書き込みが増えて、次々に摘発されていますけれど、一回、そういう前科がついたら一生くっついて回るんですからね。

 バカなことをやって衆目を集めても代償は高くつきます。どうせなら、もっと世の中に役立つことをやって注目されたほうがいいのに、どうして後ろ向きの発想しか出てこないんでしょうね。

 読みというのは、「自分がこれをやったら、どうなるか?」という先の予測をたてることも含んでいるんです。

 単に目前の人間が敵か味方か? 攻撃しようとしているかどうか? どんな技を出そうとしているか?・・・といったことを読むだけのものじゃないんですよ。

 目先のことしか読めないんじゃ論外でしょ?

 酔っ払いにからまれてブチのめしても、警察に捕まってTVニュースに流れ新聞にも載ってしまった・・・となった時に、親や奥さんや子供がどんな片身の狭い思いをするか?と考えたら、少々、からまれたくらいは頭を下げて謝るのが正しい選択でしょう?

 ホントウの護身術というのは、命が奪われるかも知れないギリギリを見極めて、「可能な限り、使わない」ということが重要なんですよ。

 一瞬で先々の影響まで先読みして最善の対応をするのが“武術の読み”であって、単に相手を倒せばいいと言うものじゃないんです。武術の基本は“安全確保”であって、ギリギリまで争いは避ける。それができなかった場合に瞬時に敵を撃退するために技が有るんですよ。使わずに済むなら、それが一番良いことですからね。使ったら単なる暴力なんだから・・・。

 観察から洞察へと論理的に思考して予測し、自分の対応を選んでいくのが“読み”なのです。シャーロック・ホームズやコロンボ、金田一耕介、明智小五郎、古畑任三郎といった名探偵(刑事)のような観察力と論理的分析能力が“読み”の目指すものであって、霊感を高めることを追求するものじゃないんですよ。

 最近、私の本を読んで知った人達は、私が十年以上前から甲野氏を批判してきたのをまったく知らない人が多いですが、私は彼が世間的に存在を知られている前から、「甲野氏はいずれ世間的に大きな影響力を持つようになるだろう。そうなった時に彼の嘘を観抜ける人がいなかったら、非常にマズイ事態になってしまう」と予測していたから、ずぅ〜っと批判し続けていたのです。

 高岡英夫さんとか宇城師範を批判したのも同じ理由です。やってることが非常識過ぎると思うし、新興宗教的な権威主義構造が見えるから、批判する人間がいないと危険だと考えたんですよ。

 無論、もっと露骨に阿呆な真似をやっている人や団体は少なくないでしょうが、取り敢えず社会的に大した影響力が無いと思える人は、「趣味の範囲で頑張ってくださいね」というだけです。そんなのに騙される人は本人も阿呆過ぎるだけだから、私の知ったことじゃないし・・・。

 甲野さんに関しては、「長野さんが誤解されるだけだからやめろ。あんなインチキは世の中には通用しないよ」と言っていた人は物凄く多かったですよ。

 でも、私はやめなかった。どうしてか? 彼のインチキが世の中に十分に通用すると考えていたからですよ。何故なら、私は甲野氏が催眠術やマインドコントロールのやり方について研究していたのを知っていたからです。

 甲野氏は自分の純粋さをアピールしていますが、実際は自己顕示欲が極めて強烈な人であり、自身の売名にしか関心が無いとまで言い切っても過言ではありません。謙虚そうな態度を装うことで逆に人から信用されることを知っていて演技しているだけです。でも、身近に接していれば、彼が本質的には非常に傲岸不遜な性質であることを知るでしょう。

 武道の世界では甲野氏の化けの皮を暴いた人達が、そろって、「あんなインチキなやつは誰も相手にしないさ」と馬鹿にしていました。

 が、私はそうは思いませんでした。素人や型稽古しか知らない武道家ならば騙されてしまうと思っていたからです。結果は、私の予測していた以上に、彼が適当に喋ったインチキ、嘘が世の中に広く浸透してしまいました。

 それに、メディアは、彼が売れる限りは怪しいと薄々感づいていてもギリギリまで使いますよ。特に不況の煽りを食っている出版業界は・・・。

 そういう「売れたモン勝ち」の論理が先走っているから、もし、私が自分の評判を考えて甲野氏を批判していなかったら、彼の嘘、インチキはもっともっと世の中に浸透して武術というもの自体がメチャメチャに変質させられてしまっていたでしょう。

 甲野氏は今はナンバについてちっとも言わなくなったでしょう? 私が間違いを指摘したからヤバイと思って口を噤んだんですよ。

 私がしばしば批判したり押しかけて行ったりした効果で、彼は軌道修正せざるを得なくなった。間違いなく、真相はこういうことです。

 別に身体操作がどうしたこうしたという話は好きにやればいいではないか?と思いますし、間違いは自然淘汰されていくでしょう。

 けれども、甲野氏に学んだ人が通り魔に遭遇して取り押さえようとして刺し殺されたらどうなりますか? 勘違いしている分だけ大胆に立ち向かって殺される可能性は低くないですよ。

 そうなった時に、インチキな事実が糾弾されたと同時に、甲野氏だけでなくて武術文化そのものがインチキだと決めつけられて社会から抹殺されかねません。これでは真面目に修行している人達全員が大きな迷惑を受けてしまいます。

 だから、私が現在やっているのは、「甲野氏はまったく武術を理解していない単なる勘違いした人物なんだ」というキャンペーンです。武術の文化を護るためには、彼を斯界から追い出さないといけません。

 戦えない武術を広めてもらっては多くの人の命にかかわりますからね。

 身体操作法という分野を開拓したんだから、その中だけでやっていればいいじゃないですか? ねえ?

 山師に先導されなきゃやっていけない業界なんて、ロクなもんじゃないですよね。それだけ人材がいないって訳だから、末期症状になっています。

 でも、武術の世界は、一人一流ですから、全体がダメでも個々の流派が繋がっていさえすれば、またいつか世の中の脚光を浴びて役立つ日も来るでしょうよ。山師に頼る必要なんかありませんよ。

 誰かに頼るのではなくて、重要なのは自分を磨くこと。

 武術を学ぶというのは「自灯明」の精神を持つということです。

 私が、何故、かくも武術にこだわって、世の中に武術の意義をアピールしようとしているのか?というのが、「自灯明」の精神を持つ人が物凄く少なくなっていると思っているからです。

 犯罪おかす人達の言い分って、「社会が悪い」「親が悪い」「彼女がいないのが悪い」とか、全部、外部に原因を求めていますでしょう。

 全然違う。「テメーが悪いんだよ。モロモロ全部ひっくるめて自分の責任なんだよ。自分が生きて頑張れば乗り越えられない試練なんか無いんだよ」と、言いたい。

 以前、ある小さな出版社の社長さんから、「長野さんはすっごくダメなところが有るけれど、純粋に頑張ってるところがあるから、私は応援しますよ」と言ってくれたことがありましたし、実際に助けられました。

 もし、私がふて腐れて他人に文句を言っているだけの人間だったら、誰も助けようとはしてくれなかったでしょう。天は自ら助ける者を助けるって言葉は本当だと思いますよ。

 こういう考え方は、中国拳法の師匠から折りに触れて教えられていたことです。

 私が“読み”について教わったのが、この師匠です。だから、武術の極意って、技だの術だのではなくて、「天意を読んで行動する」ってことに有るんだと思っていますよ。

 今度のセミナーで、「武術に関心のある人にしか教えない」と私が明記していたのが、どういう意味なのか?ってことは“読めましたか?”

 自分で理解してもらわなきゃ意味ないんですけど、大サービスで書いておきます。

 つまり、武術に関心が無いのに私のところに学びに来る人って、要するに御利益主義で何か自分だけ得するような知識や情報だけ欲しがってる訳で、単に利己主義の人ですよ。

 利己主義の人って、自分の利益になることしか求めないけれど、結局は自分が損する選択を不思議にしていくものです。

 一例を挙げると、名誉欲にかられて親友を裏切った人が、その後、一時的に脚光を浴びたものの、それがかえってアダになってしまって、どんどんダメになっていった・・・という様子を見ていて、「やっぱり天道に背くとこうなるんだな〜」と、思いましたね。

 そんな人は知識や情報を自分の益することにしか関心が無いし、そのためには平気で他人を裏切ったりしますからね。そういう真似をしながら勝ち組だって威張って他人を見下したりする。そういう人には私は教えたくありません。金さえ払えば何でも教えてくれるような人のセミナーとかに行ってくださいと言いたい。

 一時的に注目されたって、自分に力が足りなかったら一挙にダメになってしまうもんですよ。知識や情報を武器だと勘違いする人が多いですが、最後の決め手は日々、培っている地力です。一発屋になる人とそうでない人は、注目された時の先読みができるかどうか?ですよね。

 だから、私が武術に関心が無い単なる利己的な興味しかない人には教えないと言っているのは、地力の無い人に便利なだけの極意を教えても、自分の実力がアップしたと勘違いして道を踏み外すのが読めているからですよ。つまり、親切心で断っているんです。

 あくまでも、実力というのは日々の積み重ねによるものです。チャンスは誰にでも訪れるけれど、精進を怠る人にチャンスをものにする力は有りません。

 それが解っているから、長年の貧乏生活も有り難いと思えますよね。裕福という程じゃないけど、私は成人するまで苦労知らずのボンボンでしたから、あのまま無難な人生を選んでいたら今の自分は無いと思います。人間は苦労して磨いたものしか力にはなりませんからね。

 5年前にラブホテルでバイトしたのだって、要は、これまで懸命に頑張ってきたことを水の泡に終わらせたくなかったからだし、トイレのゴミ箱に捨ててある女性の使用済みタンポンを指で摘まんでゴミ袋に入れる時は、「あ〜、俺は40にもなって、堕ちるとこまで堕ちたな〜」って、愕然としてましたよ。

 普通、40の男だったら会社の中でも責任ある立場で仕事やってるもんでしょう? 

「うちの親父は40の時は主任クラスで教頭目指していた頃だったよな〜」とか思うと、本当に親父に顔向けできないダメ人間になっちまったな〜って、自分の境遇より親父に情けない思いさせたのが悔しかったですよ。親が優秀だと子供は劣等感で根性がねじ曲がるもんでしょう?

 でも、ラブホだって、本当にあの時は雇ってもらえたから助かった。仕事が有って金もらえるだけで有り難かったですよね。一カ月一日も休まずに時間外も出たりして、それでもようやく手取りで18万円に届かなかったけれど、それでも涙が出そうになるくらい有り難かったですよ。

 やってるうちに結構、楽しくなったし、将来、ホラーアクション小説書く時に役立てようと思ってますもん(腹上死したオッサンの霊と織田無道が戦うやつ?)。

 そうそう。年収39万円?というビックリの武道雑誌ライター時代だって、その時にできた縁と“盗んだ技”のお陰で今の活動ができているんですから、金には替えられない無形の財産を沢山いただけたんだと思っています。

 だってね〜。金もらって貴重な技を解説付きで見せてもらえるんですよ? 普通に習いに行っていても十年たたないと見せてももらえないような技を、先生が取材だからってんでハッスルして特別大サービスで見せてくれるんですよ。

 私は、本当に、あの時期に関しては本気で有り難いな〜としか思ってないんですよね。編集長や営業の人とかライター仲間とか良くしてもらったし、金貸してもらったり奢ってもらってばっかりだったもんね。皆、ほぼ会社から離れて苦労してやっているみたいですが、捨てる神あれば拾う神ありだから、めげないで頑張りましょうよ。

 田舎に住んでいた頃は、まさか、憧れの武道の大家と一緒に食事したりするようになるなんて夢にも思わなかったですもんね〜。そう言えば、松田隆智先生に焼き肉奢ってもらったことあったな〜? 中学時代のイジメを克服できたのも松田先生の本が支えになってくれたお陰だし、本当に私は恵まれ過ぎてるよな〜と思う。

 私は、雑誌ライターの頃は、いろんな武術の先生から弟子でもないのに貴重な技を見せてもらってウッシッシでしたよ。

 同僚のN村さんという人も中国武術やっていたから嬉しそうでしたよね〜。これ、習得しなかったら阿呆じゃないですか? そりゃあもう、家に帰ってから「確か、こんな具合の技だったな〜?」って、必死に思い出してノートにメモ取ったり絵を描いたりして練習しましたもんね〜。

 こういう体験は何億円出したって、縁が無ければ体験できないことなんですよ。金は無いけど、金で買えない財産を沢山もらって、俺は何てラッキーなんだろうと思ってます。

 だから、私の周囲でも出版業界は仕事がうまくいってないとかリストラされちゃったという人が何人もいますけどね。これは次にチャンスが来る時の準備なんですよ。

 ぜんっぜん、めげる必要、無し!


 とまあ、「読み」というのは、解釈の仕方によるものなんですが、観察力と洞察力、それから対応の仕方を含めて考えるものです。

 相手の動きを読むだけなら、“軸の傾き”や、動き出しの初動を観察すれば事は足ります。これを教えるのは簡単なことです。

 けれども、人間は機械じゃないので、それだけではダメです。心(意識)の動きを読むことを求めないといけない。

 これを重視する人は「相手の目を観ろ!」と言う訳ですね。脳の機能的動きは眼球に顕れるし、表情から人の考えはかなり読めますよ。読まれないように無表情にしている人もいますが、他人と接していれば色は動くからね。

 ですが、人間相手の読みはまだ“小の兵法”ですよ。大局を観る読みを養ってこそ人生に役立つし、社会の在り方や人類の歴史、時代の波、地球環境・・・といった巨視的観点が培われていきますよ。

 そうなって初めて、我々が人生の大事と考えている心の呪縛から解放されて自由な視点を得られる。

 何か、“読み”というテーマから外れたように感じられるかも知れませんけど、結局、追究していくと、こういう具合にいろんな分野に繋がっていくんだよって言いたい訳なんですよ。

 セミナーでは具体的な目付けのやり方から、外見で人をどこまで観抜けるか?ということや、具体的な武術の技に展開する“護身・心術”の用法まで、かつて誰も解説し得なかったレベルまで解説したいと思っております。(今回はヤルぞぉっ!)

 これは、今年のセミナーのキモであり、脱力や丹田、軸なんかのこれまで学んできたことを統括する中間折り返しポイントになっていますので、ドシドシ御参加ください。無論、武術に関心が有る人ならばイチゲンさんも大歓迎しますから安心してくださいませ。


追伸;御要望が多かったので、自主製作DVDも新作の企画進行中です。過去の作品(発勁・合気・丹田)も要望が多いので少しだけ再販してみようと思っております(権利関係でもめると困るので、以前の制作担当者には要望があれば売上から分配金を支払うつもりですから、希望があったら遠慮なく申し出てくださいね)。セミナー会場でも販売しますから、乞、御期待!

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