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『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』を読んで

 新聞の広告記事でアキバ通り魔事件に関する評論集が出るということで、早速、シダックスの講座がある日に電車を一本分早めて、橋本駅前ビルの書店に買いに行きました。

 最近、プロの物書きとしての力量不足を痛感してまして、特に若い頃に読んでいた現代思想系の本なんかの批評論の表現法なんかももう一度、勉強し直してみっぺぇ~?みたいなことも思ったんですよね。

 何か、中身が薄くても思想的な表現を工夫したら、何となく偉そうで一般人が意味も解らずひれ伏しちゃったりするじゃないですか?

 そういう一級文化人みたいな文章も書けたほうが、ネームバリュー上がって仕事増えるんじゃないのかな?とか思ったりする訳ですよ。

 で、思想系、哲学系の本なんかも書店でパラパラッと眺めてみるんですけど、やっぱり抽象的な言葉がダダダーッと羅列されてるだけだと、つまんないったらありゃしなくてですね~。

 それで、もう少しレベル落としたサブカル批評本くらいにしとこうっと、思った訳。

 アキバの通り魔事件に関しては、私も凄く気になったし、武術の観点からも考えるべき点が多かったので、この本を読んでみたんですが・・・。

 正直言っちゃってもいいですかね?

「ヌルイね・・・」

 思っていたような卓越した論は無いし、事件より犯人の心情や社会学的な他愛の無い解説が並んでいるだけで、「そうだっ、その通り!」と言いたくなるような論はありませんでしたね。

 いや、サラサラーッと流し読みして「つまらん」と思ってほうり出してしまう・・・というのを5回も6回も繰り返したので熟読はしなかったんで、決めつけた書き方をしては申し訳がないんですが、でも、そのくらい慧眼を感じさせる論が無かったんですよ。

 ちょっと、共感できたのは、蔵研也氏が「経済力がすべてではない」という結論に纏めたところに賛同を覚えました。宮台真司氏の「勘違いの野放しが問題」というのも納得。

 でも・・・概ね、この犯人に同情的な方向での論説ばかりに思えて、何か根本的に「貴方達は人間としてやっていいことと悪いことの区別はついてんですか?」と言いたくなりました。

 この犯人は、要するに親や社会に対するルサンチマンが高じて“無差別殺人”という行為で自己顕示欲を満たしたかっただけのコンプレックスの固まりでしかないですよ。

 そんなチンケな男に共感や賛辞、崇拝の声を挙げるのも精神構造が同じレベルの幼稚な自己愛者でしかないでしょう。

 ワーキングプアだの何だのと言っても、商売で成功して金稼ぐ人間は、相応のリスクを負って努力を重ねるのが当たり前。与えられる職場しか選べない自分の脆弱さを自覚しているなら、何故、そこから抜け出していく努力と工夫、自己鍛錬をやろうとしないのか?

 私はまったく同情しようとも思わない。自分の脆弱さを変える勇気がない者が、社会や親に責任転嫁してみせるなんて卑劣で臆病なだけ。それを「真面目さ」だと勘違いして同情する間抜けの多さには呆れ返ってしまう・・・。

 この犯人は相当に頭がいいですよ。ズル賢い。自分がいかにも親や社会に追い詰められて爆発した悲劇のヒーローであるかのごとく周到に自己演出を重ねてきていますね。

 私がそう考える理由は、第一に、犯行の場所としてアキバを選んだこと。第二に、わざわざ福井の専門店まで足を運んでマニアしか買わないダガーナイフを購入したこと。第三に、犯行をネットで実況したこと・・・。

 私は、犯行の切っ掛けになったという“ツナギが無かった”ということに本人の作為的な演出を感じるのです。自分がキレて犯行に及ぶ正当な理由付けのシンボルが欲しかったから、“ツナギがない”と必要以上に大騒ぎして見せた・・・と読む。

 何故なら、犯人は過去に何度も何度も自分から仕事を変わっている。仕事に愛着があったとは考えにくいし、リストラされてもいきなり食うに困る状態になったとは思えないのです。

 こうした言動は、演技性人格障害のタイプに多く、統合失調症の人が犯罪を犯すやり方にもよく見られます。

 無論、だから無実だと言いたいのではなく、責任能力は明確にある。

 犯人に同情的な人達は、彼の周到な自己演出に乗せられてしまって、彼の深層心理に巣くう異様なまでの屈折した自己愛に気づいていません。

 自虐的な文章をネットに書き込むのは、本音ではなく、むしろ逆でしょう。

 優しい女の子に「そんなことはないよ」と言って欲しいからでしょう。餓鬼がよくやる手口ですよ。彼は典型的なナルチシストであることが、ポーズ取った写真を見ても、文学調に気取った文章を読んでも明確に感じられますよ。

 恐らく、「本当の自分はこんなものではない。それを世の中に見せてやる」というナルチシスト特有の想念こそが、彼を犯行にかき立てた真の動機だろうと私は観ます。

 それが、世界的に注目される町“アキバ”を選び(主演舞台)、百円ショップで買えるようなありふれたものではない特別な“ダガーナイフ”を専門店で購入した(特別な小道具の準備)理由でしょう。

 そして、彼の邪まな目論みは成功し、犯罪史に残るだろう凶悪な事件となったのに、多くの共感者、崇拝者を生み出したのです。正に、用意周到な邪悪な計画でした。

 このタワケた誇大妄想狂の演技に乗せられて、刹那的で邪悪な悪意に捕らわれて外道に陥る者が増殖しつつある。一瞬の邪念が一生の希望を潰してしまう予測ができずに、理性を喪失してしまうのです。

 弱い人間だからこそ、夢と希望を掲げて、努力と自己鍛錬を積まねばなりません。生きていくのは、須らく、辛くて苦しいことばかりです。それが現実であり、自分の思い通りにはなりません。

 どうしてか?

 皆が自分の思い通りになることだけを求めれば、互いの思いがぶつかり合って、社会は成立しなくなるからです。だから、生きていくには他人と共存共栄することを考えて、自らの適性を考えて仕事を選んでいかねばなりません。

 現今は、経済力が最も力を持つようなイメージが広まり過ぎています。金を稼ぐことさえできれば後はどうにでもできると本気で錯覚している人もいます。

 だから、自分の適性を考えないで仕事を選んでいるからこそ、金は稼げても心は苦しく居たたまれなくなってしまう。

 しかし、金で得られないものは現実にいくらでもあります。

 学識や芸術の才能、武芸も金で得られるものではありません。本気の恋愛も経済力とは無関係です。「幸せは金では買えない」というのは本当のことなんですよ。

 昔は“職人”というのは学の無い下流の人間がやることと蔑む傾向がありましたが、最近は技能職が見直されてきつつあります。腕に技能があれば仕事は得られる。卓越したスキルがある人は引っ張りだこになります。

 以前、ライター仲間だったNさんという人は、「職人になりたい」ということを言っていましたが、要するにプロフェッショナルとして仕事をこなせる人間になりたいという意味だったんだろうと思います。

 彼は、“好きな仕事がこなせれば貧乏でも構わないよ~んオーラ”をビンビンに出している人でしたが・・・。

 私は割りと目立ちたがり屋なんですが、同時に恥ずかしがりなんで、名前が知られるのは嬉しいんですけど、あんまり表に顔を晒すのには抵抗があります。本の表紙がイラストなのも写真で顔出してると書店で恥ずかしいからですよね。

 真正のナルチシストじゃないんで、人からジロジロ顔見られたりするのは嫌なんですよね。やっぱり、職人的なポジションで物書き仕事ができればいいかな~?とも思うようになりましたよね。

 命には限りがあるんだから、やりたいことをガムシャラにやって、後悔しないで死にたいですね。生きていくのは辛く苦しいことばかりかもしれないけれど、それだけって訳じゃないし、頑張ったことは決して無駄にはならないんですよ。

 自分の人生を大切にして、他者も尊重するのが大人ですよ。

 私がアキバ事件の犯人に最も憤るのは、“無関係な人達の命を理不尽に奪った”という点についてです。私は、それを徹頭徹尾、憎悪します。

 そして、犯人に共感したり崇めたりする言葉を吐く人達に、「貴方の愛する人が理不尽に殺されても、同じ言葉が言えますか?」と聞いてみたいものです。
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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