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「武道家」って呼ばれたいですか?

 年に二回、マンションの非常時に使うハシゴの検査に業者さんが部屋を通るんですが、部屋がゴッタ返しているのはいつものこととして、問題なのは、無造作に置かれた武器群?なんですね。

 これまでは押し入れに隠していたんですけど、刀(真剣ですよ・・・)が七振り、薙刀と十文字鎌槍、白臘棍(中国の柳科の樹木でよくシナル)、鎖鎌、南蛮千鳥鉄、子母鴛鴦鉞、八斬刀、峨眉刺、双剣、中国剣、カリスティック、ヌンチャク、トンファー、トンチャク(ヌンチャクとトンファーが合体したアルミ合金製鎖内蔵分割式武器)、釵、万力鎖、手鉤、各種棒手裏剣、十字手裏剣・・・等々、あまりに武器が増え過ぎて(特に十文字鎌槍は押し入れには入らない)、何か、コソコソ隠すのも面倒臭くなってきたんですね。

 それで、知らんプリして堂々と検査に来た業者の人(元の大阪支部長に顔が似てて、ちょっとビックリしたよ~。お~い、元気にしてるか~?)を通して、ベランダのハシゴを見てもらいました。

 で、何か、必要以上に物凄く事務的な対応をされたので、「あっ、こりゃあ、やっぱマズイな~」と、顔色をうかがって、帰られる時に「あの~、スイマセン・・・“コレ”、商売道具で道場で教えてたりするんですよ~」って、明るく言うと、ホッとした顔で、「あっ・・・そうなんですか。いや、スゲェ~な~って、思ったんですよね~」と、安心した顔で苦笑いしながら言われました。

「いや~、僕は本も書いてるんですけど、誤解されるとマズイな~って思ってですね~、ハッハッハ・・・(愛想笑い)」と、愛嬌を振り撒いてお送りしましたが、困惑したような笑いを浮かべて出ていかれました・・・ふぅっ、危機一髪だったぜ・・・。

 えっ、「何で、危機一髪なのか?」って、ことですか?

 そりゃあ、考えてみてくださいよ。たまたま訪ねた家の中に日本刀や槍がゴロゴロ転がっていたら、どう思います? 「もしかして、ヤーサンかな? 昼間っから家にいるのも変だし・・・」って思うでしょ? 噂されるくらいなら構わないけど、もしかして警察に通報されたらややこしくなるでしょ?

「別に違法なことやってないんなら、構わないでしょ」って思いますか? 

 甘いな・・・。

 警察が訪ねてきて部屋の中を見せてくれとか言われてるところを、近所の人に目撃されたら、もっと決定的なマイナス・イメージが広まることになるでしょ?

 あるいは、何かの事件が起こった時に不審人物として容疑をかけられる可能性もあるんですよ。私みたいなもの書きは、職業としては無職同然なんだから・・・。

 そういえば、ある人物から悪質な嫌がらせを受けて警察から電話がかかってきた時、事情を説明して既に地元の警察署にも被害届けを出していたことを話したら、それっきりになりました。後から聞いた話では、その人物は既に不審人物としてマークされていたので、私の話を信用してくれたみたいです。

「人を呪わば穴二つ」って格言は本当のことです。他人を恨んだり妬んだり呪ったりする人は、巡り巡って自分の首絞めるハメにしかならないんですよ。

 これは仏教の縁起の法則で説明される“仕組み”なんですが(余談ですが、私、二度目の大学では仏教学専攻です)、私はこれを知っていたから、人から嫌な思いをさせられると、絶対にそいつを見返してやるぞと決めて、仕事に頑張るようにしています。

 だから、冗談じゃなくて、嫌なことする人には感謝していますよ。「発奮材料になってくれて有り難う!」ってことです・・・。


 さて・・・以前から言っていますけれど、私は、「武道家」とか「武術家」なんて呼ばれても、ちっとも嬉しくありません。

 世の中には、自分から「武道家」とか「武術家」という肩書を好んで名乗る人がいますけれど、「恥ずかしくないっスか?」と聞いてみたくなるんです。

 第一に、「それって、職業として成立するのか?」って思う。道場経営者ならわかるんですけど、「私は武道家です」とか「武術家です」って名乗るのって、「私は侍です」とか「用心棒です」って言ってるみたいで何かヘンだと思うんですよね。

 例えば、自分の著作本が一冊も出ていないライターは少なくないし、多くのライターが生活費はアルバイトで賄っているのが現状だと思う。それはプロの格闘家や俳優でも同じような事情があります。

 私も、この業界の中では「長野さんは偉いね~。いくら貧乏だと言っても、武術で食っていってるんだから・・・」なんて言われることがありますが、要は、それくらい職業として成立するのが困難だということです。

 武道や武術の実力だけあっても道場経営のセンスなんかの実務的な社会性が無いとダメだろうと思うし、その逆だと論外でしょう?

 どうも、古武術がブームになった頃に、甲野氏の真似をして武術理論をウリにする人が続出しましたけれど、甲野氏みたいにうまくいかなかった。甲野氏が武術家?として大成功を収められたのも、彼の実家が元々裕福で食うに困らなかったから、道楽に専念できたという理由がある。普通の家庭に生まれ育った人間が真似をしたら人生を誤りますよ。

 私の場合は、文章書く才能がいくらか有ったから、何とかやってこれただけだし、それを認めて支えてくれた人が周囲にいたからですよね。それでも20年くらい極貧生活に耐えてきているんだから、他人の見本には全然ならないですよ。普通の神経の人だったら自殺しちゃうかもしれないし・・・。

 そして、第二点。「そんなに自分の実力に自信があるんですか?」って言いたくなる。

 私は、とてもとても自分で武道家とか武術家とか言う自信はないですね~。私なんかより強い人はゴマンといるし、逆に私より弱い武術家?もいたりするし、な~んか、武道・武術という言葉が安っぽく使われているな~と思うんですよ。

 そ~んな、安っぽいもんじゃないでしょう? 武道家とか武術家って言葉に値する人は滅多にいるもんじゃないと思いますよ。人の知らない技を知ってるだけで威張ってみても、知られてしまったら意味が無くなる。じゃあ、隠せるか?ってなっても、昔ならいざ知らず、今の御時世で隠せるものじゃないですよ・・・。

 私みたいに分析できる人間は、表に出ていないだけで結構いると思うから。

 だから、武道家・武術家って聞くと、「なんか、頭が悪そう」「偉そうにふんぞり返ってそう」「偽善者そう」「単に勘違いして自惚れてそう」といった、非常に恥ずかしいイメージがあるんですが、これって私だけなんでしょうかね~?


 けれども、現実に今の私は武術を教えて生活している訳なんで、単純に、武道家とか武術家とか人様から呼ばれることはある訳で、それを一々、否定するのも説明が面倒なんで、最近は放っておく場合も少なくありません。

 先日、近所のコンビニの店長さんに“もの書き”なのを見事に当てられて、「本を読んでみたい」と言われたもんですから、一冊、差し上げてきたんですが、何か、こっ恥ずかしいので、しばらく店に行かなかったんですね。

 それで、一週間ぶりくらいに店に行ったら、店長さんから「本、ありがとうございました。武道家だったんですね!」と言われて、曖昧に笑って、一瞬、研究家というのを強調しようかな?とも思ったんですが、「まっ、説明するのも面倒だし、別にそう受け止められてもいっか?」と思って、否定せずにいました。

 しかし、純粋に武道や武術に関心がある人に読んでもらうのならともかく、特に関心があるとも思えない人が私の本を読んで、果たして面白いと思ってもらえるのだろうか?とか考えてしまうんですね。

 正直言うと、武術のマニアとかより特撮好きの人とかサブカル本をハハハッて笑って読んでるような人にこそ、読んでもらいたいんです(エンタメとして書いてるんで)。

 そういう人達のほうが絶対、面白く読める筈だと思うんですよ。

 だいたい、私は精神構造的に武道家では絶対にあり得ない性格ですから、ガチガチの武道家タイプの人が私の本読んだら、「フザケテいる!」って、プリプリ怒ってしまうと思うんですよ(アンケート葉書に怒って書いてきた人もいた。そんなに腹立つなら読まなくていいですよ)。

 実際、うちの会で糞真面目な武道愛好者はまず続きません。シャレが解らないし、武道が何か崇高な精神性を磨くものだという思い込みがあるから、臭いものに蓋をするような考え方が根強く、融通が利かないからです。

 揚げ句に自分の偽善的考えを私に押し付けてきたりする。「綺麗事の屁理屈を意見する暇があったら練習しろ」って話です。

 勘違いする人が多過ぎるから明記しておきますが、私は、教わりに来ていて対等な関係は有り得ないと思っています。習う以上は、教わる内容に疑問を差し挟んだりするのは僭越というものです。私は質問は受け入れますが、疑問を呈する人や指示に従わない人には教えません。甚だしい場合は破門にします。

 講座やセミナーは、一応は一般向けに公開してお金を払って解説指導するものですから、そこまで厳しくはしません。が、会の中では自分勝手な真似を許す訳にはいきません。

 何かの事件が起こったら、社長や校長、親が出てきて謝罪したりするでしょう? 会社・学校・家庭といった共同体の中では管理責任ってものがあるからトップに責任が求められるんですよ。

 そういう考えなので、私は本質的には個人主義的体質なんですが、会を率いている以上は自分の責任を果たさなきゃならないと考えます。

 これが金銭の授受の無い単なるサークル活動だったら関係ないと思いますけど、金貰って教える以上は、管理責任は生じると思います。自己啓発セミナーやってるんじゃないんで、社会に顔向けできないような胡散臭い団体には絶対にしない!と決意しています。

 一度は解散しようか?とも考えた団体ですが、撮影の帰りに師範代が、「今は会員みんなが同じ方向を向いて頑張っているから楽しいです」と言ってくれた言葉で、俄然、やる気がわいてきましたよ。


 私は、糞真面目で冗談も言えないような人は嫌いです。一緒にいても楽しくないからです。武道や武術の愛好者には、こういうタイプが結構多くて、他人とコミュニケーションが上手くとれない人も少なくありません。

 真面目な人がダメだと言いたいんじゃないんですよ。本質的には真面目な人間であったほうがいいと思います。フザケて練習してたら危険だし・・・。

 けれども、真面目さを表に出すのは浅薄だと思うんですよ。お笑い芸人なんて、本当にいい加減な人間だとできないでしょう? 他人を笑わせるって、基本的に気配り上手な人間でないとできないですよ。

 バラエティ番組でお笑い芸人が司会をやる率が高いのは、彼らが場の空気を読んで気配りしながら番組を進行する能力に長けているからだと思いますよ。女子アナなんかより上手い人がいますからね。まあ、女子アナにそういうホステス的な能力を求めてしまうのも間違っているとは思いますが・・・。

 KYな人が冗談を言って、場が凍りついたりするのって、要するに気配りできずに自分が面白いと思うことをそのまま話すからでしょう。

 自分自身に対する真面目さより、他人に対する共感性を持つことのほうが重要なんだと思います。その点で、武道や武術に過剰にのめり込む人は、自己チューで他人の視線を気にしなさ過ぎる人が少なくないように思います。


 大槻ケンヂさんの本を読むと「この人は本質的にはメチャメチャ真面目な人間だぞ」ということがよく解ります。対象をシャレのめして面白がる感性は権威者的な観点に立つのが居心地が悪いからなんじゃないかな~? みずがめ座だそうだし・・・。

 私も典型的なみずがめ座なんですが、みずがめ座はそういう性格の人間が多いんですよね。一言で言って“変人”。

 でも、アーティストとかクリエイティブな仕事やるのには適性がありますよ。感性が普通の人と違うらしいから。

 ただ、猫かぶって常識人のフリをしていかないと世の中で浮いてしまったり、甚だしい場合は罪を犯してしまうでしょうね。

 確か、甲野氏もみずがめ座だったんじゃなかったかな~? あの変態っぷりはただ事じゃありませんけどね。その変人度数が世間の人の目を欺き、ある種の権威性にすり変わってしまっているから、今の繁栄がある(来年まで保つかな~?)。

 ですけども・・・未だに現代剣道を批判する(何のために批判する必要があるんでしょうかね~? それに乗っかる剣道関係者もいるから困ったもんだ)のに、名古屋の加藤伊三男師範が伝える柳生厳周伝新陰流の足の踏み方の理論(足指を反らして踵を着ける)を、さも自分が発見したかのごとく講座で解説するんだから、あれは“盗作”って言うものですよ。

 あの理論は、『江戸武士の身体操作 柳生新陰流を学ぶ』(赤羽根龍夫著・スキージャーナル刊)で発表されていたことであって、その事実関係を明確にした上で解説に引用しないといけない。

 気づいた人は、どんどん糾弾すべきですよ。武道業界の糞馬鹿馬鹿しい礼節に拘って誰も糾弾しないもんだから、本人も舞い上がって自分が第一人者だと勘違いしてしまうんだし、更に、そこに第三者がその勘違いを上塗りしていってしまうんだから、もう、二重三重のバチカブリ状態ですよ。

 私が武道家とか武術家とか言いたくないのも、業界的に間違いを放置してインチキをのさばらせつつ、本物と偽物の区別もつかない人達を増殖させてしまっているからでもあります。形式的な礼と本来の礼の判別がつかない人が極めて多い・・・。

 もっとも、他人のことを批判するのは簡単ですけど、私も気をつけなきゃいけないと思っています。これだけ続けて本書いてきている以上、間違いは当然、出てくる。できるだけ参考にした先生や資料は明かすようにしているつもりなんですが、読者の中で気づいた方は、遠慮なく指摘してください。私は他人に迷惑が及ばない範囲で隠し事はしないつもりですから・・・。

 だから、陰でイチャモン言われるのが一番、気持ち悪い。「長野さんは、そこが間違っているよ」と指摘してくれれば、きちんと訂正していくつもりでいます。

 公にしちゃいけない場合もありますが、少なくとも個人的な意見にはきちんと答えていきたいと思っています。

 でも、直接、意見してくれないと答えようがありませんから、私の知らないところで批判されても、一々、チェックしてないので、そこのところは宜しくお願いします。

 ただし、「どこかに良い道場はありませんか?」というのと、「どこそこの先生は本当に強いんですか?」といった類いの質問は御勘弁ください。

 道場の良い悪いというのは、結局、習う本人と先生、先輩たちとの相性でしかありませんから、答えようがありません。

 先生が強いか弱いかも、素人なら勝てるのか、初段クラスなら勝てるのか、プロ格闘家にも勝てるのか・・・といった具合に状況によるので、正確に答えることはできません。

 こういった質問をする人が初心者には、かなり多いんですけれど、初心者にとってはどこの道場に通っても実は大した違いはなかったりするんですし、あれこれ考える前に自分である程度まで修行してみないと意味がないと思うからです。

 結局、「自分が何をどうしたいのか?」ということだけが大切なことなんですよ。人から与えられるのを待っている人は、結果的に何も得られませんよ。

 游心流に来る人は、半分は、いくつかの流派を何年か習って中年に至って実力の衰えを何とかしたいと思った人で、後の半分は、何もやったことがなくて単純に面白そうだからやってみようと思った人ですね。

 ものの見事に、これ以外の目的の人はいないみたいです。

 でも、目的はどうあれ、私が教えることは、「護身術としての総合武術」以外の何物でもありません。学ぶ人の目的や好み、適性に応じて多少の違いはありますが・・・。

 私は、スポーツとしての武道性には興味がないので、必然的に技は危険なものばかりになります。格闘技を相当やってきた人が唖然となるくらい危険なことを教えてしまうので、やはり、教える人は選ばないと精神的に未成熟な人に教えてはいけないと思います。

 新刊本の写真撮影の時も、蛟龍十八式の技も撮ったんですが、技の雰囲気を表現したくて、つい気持ちが入ってしまって、受けを取ってくれている師範代の胸に寸止めしたつもりの拳が少し当たってしまい、これは危ないと思って、以後は形だけに止めて撮影しました。

 稽古会ではプロテクターを装着して練習していたんですが、これは寸止めは無理があるんですよ。重心移動を最大限に活用する技なんで・・・。

 この十八の技は一般公開しないつもりでいたんですが、映像で見せなければ写真くらいはいいだろうと思った訳です。

 それでも連続写真向けに実際に動いて技を仕掛けようとすると、戦闘の気が乗ってしまって、止まらなくなってしまう。

 私が師匠の歩法を真似て研究した蛟龍歩を用いて先をとって一気に攻め潰す技なので、「蛟龍十八式」と名付けたんですが、「連続縮地法で重心移動力を高めて、そのエネルギーを一気に相手に叩き込む」というシステムで作ったので、パワーのコントロールが利かないんですよね。

 もちろん、歩法ができなければ寸止めも可能ですが、それだと威力も大幅に半減してしまいます。奥義の必殺技なんだから、それなりに体得は難しくないとね・・・。


 それにしても、武術は奥へ進めば進むほど、表に出せなくなります。できる人ほど、何もやっていないように見せかけるのが、やっぱり正しい態度なんでしょうね。

 私も、一日も早く、もの書きだけで食えるようにならなくてはいけないと思っている今日この頃です。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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