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死んで花実も咲くことがある

「人間は、死んだらそれまで。死んで花実が咲くものか」って言葉がありますけれど、私はこれは一面的な考えだよな~と以前から思っていました。

 ブルース・リーは死んだ後から世界中に有名になりましたし、松田優作は死んでから20年近くになろうかというのに人気は衰えていません。

 ジェームス・ディーンや赤木圭一郎のように若くして死んで伝説となった俳優もいますし、黒沢明、勝新太郎、石原裕二郎のように生前から輝きを放っていた人もいます。

 芸術家や芸能人は死んだ後も作品と共に名前が残ることが多いですね。

 武術の世界も同じで、宮本武蔵を筆頭に、戦国時代からずっと続く武術の歴史上、数多の名人達人の名が伝えられ、昭和の頃の生ける伝説だった武術家も少なからずいました。

 武術というのもある種の作品ですよね。受け継がれていく技や理合が、それを工夫し編み出した人の存在を証明するものです。

 そう考えると、無形の財産を戴いている我々は本当に幸せだよな~と思うんですよ。あの拳聖と呼ばれた澤井健一先生や、中国武術最強と呼ばれる李書文先生、ゴッドハンド大山倍達先生、神人武道家と呼ばれた植芝盛平先生、今武蔵と呼ばれた鹿島神流の国井善弥先生、知る人ぞ知る伝説の名人桜公路一顱先生・・・無数の名人達人が工夫した技と理合の一端を学ばせて戴いたなんて、中学時代の自分が知ったらどう思ったでしょうか?

 人生は、どこでどうなるか? 先が判らないことを不安に思うより「だから面白い」と思ったほうがいいと思いますね。

「あの人がいてくれたから、今の自分がある」と思う人が、誰にでも一人や二人はいるんじゃないですか?

 でも、本当は無数の人のお陰で生きていけるのが人生ですよね。だから、「お陰様で」と言うんです・・・。


 今日(9月30日)、従兄弟の写真展の最終日だったので、橋本駅近くのコーヒー・ギャラリー“えみいる”さんに行ってきました。

 二回目だったか?のささやかな展示会でしたが、先客もおられて、私は記憶になかったんですが、一度お会いしていたらしく話しかけられていろいろお話しました。

 従兄弟の父(私の叔父に当たります)が相模原市の田名地区でユニークな活動をしていたので、地域の人達と交流が盛んで、その頃から仲良くされていたそうでした。

 叔父は十年以上前に亡くなってしまっていたんですが、今でも、こうして懐かしく親しく話してくださる人がいらっしゃるということが血縁者としても嬉しいものでした。

「歩き方とか雰囲気とか話し方まで岡崎さん(母方の姓が岡崎と言います)とそっくりですね。息子さんより似てますよ」と言われて、生前の叔父とはしょっちゅう喧嘩(口論だから勘違いしないでね?)ばっかりしていたから、昔だったら似てると言われても嬉しくなかったんですけど、今では何か嬉しく感じるようになりました。

 だって、死んで十年以上も経過していたら、大抵の人は忘れ去られてしまうんじゃないですかね?

 確かに私の叔父はユニークと言うのを通り越して変人扱いされるような異常に濃いキャラクターの人でした。リアル版“フーテンの寅さん”を想像してもらったら一番近いと思います。本当に冗談抜きであんな感じの人でした。

 一応、高校教師という職業は持っていましたが、地域の社会活動に熱心で座間キャンプとの縁を通じて英会話学校を始めたり、自分の主義主張をエッセイとして纏めたガリ板刷りの機関紙を出したり、地域の困っている人を助けようとしゃしゃり出ていったり、もう、訳の分からない世話焼きオヤジっぷりを一年365日、続けているような人でした。

 損得勘定の抜け落ちた、あまりの訳の分からなさ加減に、「あの人は政治家を目指しているのか?」とか「何かの宗教をやっているのか?」とか言われていたものでしたが、団塊の世代にはそういうタイプの人が結構いますから、その意味では別に珍しいこともなかったのかも知れません。

 けれども、そんなメチャメチャッぷりも今思えば愛嬌であり、珍獣を見ているみたいな可愛らしいところのある人でした。

 そういえば、叔父の依頼で高校の講演に甲野善紀大先生様を招いた時は、甲野大先生様が大魔神怒る?みたいに豹変して真剣を抜刀してスゲ~こと(詳細は省く!)になっちゃいましたけど、あの時も叔父は大先生様のことを心配してくれて自分が責任を引っ被ってくれていたんですけどね。

 あの時のことは叔父に本当に申し訳なかったですよ。あんなパープリンを紹介しちゃったばっかりに・・・。

 とにかく、叔父は、頼まれた訳でもないのに他人の世話をするのが好きで好きでたまらないみたいな人で、利害をちっとも考えずに突っ走るところがありましたから、周囲の人達は笑って見ていながら少々の困惑も交えて付き合っていたみたいですね。

 最初は私心があって、やっているんだろう?と思っていた周囲の人達も、叔父が本気で自分の思いだけでやっていることが解って手助けしてくれたりしていたみたいです。

 ところが、殺しても死にそうにないバイタリティーの固まりみたいな叔父が、風邪をこじらせて入院したと思ったら、あっさりと亡くなってしまったのです。

 本当に驚きました。残念だとか何だとか考える余裕もありませんでしたから。

 でも、私は叔父を頼って上京してきてから、何かにつけて叔父を精神的な支えにして頑張ってこれたような気がします。

 家族も親戚中の誰も認めてくれなかったのに、叔父だけが「アイツは絶対に凄い才能がある。今に必ず有名になって活躍する」と言い続けてくれていました。

 今になって思えば、もし、叔父がいなかったら、私はそもそも上京しようと思わず田舎でひっそりと普通に暮らして、近所から「長野さんは変わってるね~」と苦笑いして見られるようなボンクラな人生を歩んでいたように思えます。

 だから、たった一人だけでも認めてくれた叔父の言葉が私の精神的支柱となってくれていたんだと思いますよね。

 今でも、トラブルが起こる度に、「あ~、叔父さんが生きていてくれたらな~」と思いますよ。何か、徳川家光にとっての柳生但馬守宗矩みたいな存在ですかね~?

 あ~、だから、一回、甲野善紀大先生が自分の著書の中で高校の日本刀事件(詳細は省きます)の時のことを自分のお手柄話にすり替えて書いていたのを読んだ時は、本当に激怒しましたよ。叔父さんはもう死んでいたから何も反論できないし、アイツのせいでどれだけ片身の狭い思いをしたか?と考えると許せなかったですね。

 それで、一回、西武のコミュニティカレッジ乗り込みましたからね(詳細は省く)。

 でもま~、そんな訳で、死んだ後もいろんな人から慕われ続けている叔父は立派だったよな~と改めて思いましたよ。相模原の一部の人達の間だけの伝説だって、私は叔父を誇りに思っているし、あんなフェイク野郎と違って自分に嘘をつかなかったんだから立派ですよ。

 今度は私が従兄弟の心の支えになれるようにしなきゃいかんな~と思ってます。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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