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ぷちサイコな人々が増えているのかな~?

・・・って、つくづく思いますね。

 いや、あのビデオ店放火殺人事件の犯人の“顔”ですよ。

 アレは脳の状態がおかしい顔ですよ。目の焦点が合わずにボーッと見開いて、口も半開き・・・離婚してどうのこうのって生活環境についてニュースで聞いても別に同情はしないんですけど、な~んか、最近の事件は“ぷちサイコ”な人間が起こしている理由無き殺人事件が多過ぎる気がして気持ちが悪いんですね。

 普通、殺人事件って、個人に対する怨恨とか金銭が目的とかってものなのに、通り魔にしろ今回の放火殺人にしろ、「人生が嫌になったから」みたいな理由にならない甘えた理由ばっかりじゃないですか?

 そんな甘えた理由で人が殺せるんだったら、私なんか5、6人くらいは日本刀でぶった斬ってますよ。

 結局、生きていくのに現実に最も大切なことって、“忍耐”ですよ。試行錯誤を繰り返して努力に努力を重ねて、失敗に失敗を積み重ねる人生を十年くらい我慢して、ちょびっと成功に繋がるかも?と思ったけど、まだ不十分で、さらに十年かけて、ようやく何とか軌道に乗る・・・そのくらいのもんですよ。

 楽して金儲けて誰もが自分に従う人生なんて、どこにも無いんですよ。

 この際ですから、はっきり明記しておきますが、「游心流を学べば楽して強くなれる」なんて考えて習いに来る人がいるんですけど、そんな訳ないでしょ?

 他所の団体と比べたら、技は比較的簡単にできるようになりますよ。理合も教えるから上達は早いですよ。

 でも、現実に戦う強さは全然、別なんです。真剣で斬りつけられても心が動揺しないくらい圧倒的な精神力にならなきゃ、本当に交叉法を使えるものじゃないんです。

 もう、死ぬの生きるのという意識から完全に超然としていなければ本当に先を取って制圧するなんてできっこないんです。

 だから、趣味として学んだところで何の技能も体得できはしませんよ。役にたたない珍しいパフォーマンスができるようになるだけ・・・それじゃ、甲野氏と五十歩百歩でしかない。

 私は、そんな低レベルな地点は目指していません。

 正しく学べば、武術について知れば知るほど、人間の弱さ、限界、儚さ、現実に戦うことの恐ろしさ・・・なんかが具体的に理解できてくるから、「強くなった」なんてノウテンキに考えられなくなりますよ。

 うちで自惚れて破門になった人達は、その恐ろしさを理解することから目を背けて自分の未熟さを認識しないまま思考停止してしまった人達です。つまり、現実逃避した。

 ただのマニアと修行者はまったく別ですよ。マニアは自分の世界に閉じこもって悦に入るだけ。修行者は修練したことで精神と知性が磨かれて実生活に活かせる人です。

 私はやっぱり、一修行者でありたいし、教える人にもそうなって欲しいんですよ。目先の強さ?しか見ようとしない礼儀知らずの武道バカや武術気違いは御免こうむります。

 大体、考えてみてください。武術の技を体得して何の役にたちますか?

 そりゃね~、ヤンキーからは尊敬されたりしましたよ。「ケンカ、汚ね~な~」って必ず言われるもん。それで「教えてくれっ」てなるけど、ヤンキーは続かないんですよ。忍耐力がからっきし無いから・・・。

 肝心なことを教えるまで続く人は非常に少ないし、大抵は物珍しい技が知りたいだけ。そこそこ満足したら来なくなったり、私が意外と昔気質な人間だもんで、興味がある技だけ教えてもらおうとしても断られるから離れる・・・とか、そういうパターンが腐るほどありましたよ。この十数年間で。

 やっぱり、根本的に考え違いしている人が多いと思うんですよ。

 何事も基本を体得してこそいろんな技能が効力を発揮するんであって、インスタントに習った技だけでは現実にはいかんともしがたいのが現実なんですよ。

 そういう意味では、強くなることが目的なら、格闘技の方が絶対に早く強くなれます。数カ月もジムに通えば、それなりの実力がついて、人によったら試合にも出れる。でも、その分、年とったら確実に衰える。

 武術で本当に強くなるには、やはり時間が必要です。年単位で・・・。数カ月じゃ全然無理ですよ。

 もちろん、それじゃあ現実的に困るから、即席で人を倒す技術もいろいろと工夫されている訳ですが、それは現代武道や格闘技では禁じ手だったり反則だったりするものです。

 その上、武器も使う。戦闘術として工夫されているんだから当たり前ですが。

 で、私が武術を長く研究してきて思うのは、具体的な技とか稽古法だのじゃなくて、この“発想”の豊かさが現実生活に役立つと思うんですよね。

 だって、他に使い道ないですよ。護身術だって、戦う時点で既に法的処罰を覚悟しなきゃならないんですからね。私自身、余裕で遊んであげられる相手と判断しなければ相手しませんからね。

 だからといって、身体の使い方がどうしたこうしたとかって方面には行きたくないですね~。そんなの武術であるべき必然性が全然ないでしょ? 単にブランド・イメージとして“武術”だの“古武術”だのって言ってるだけで実質的には丸で関係ない。

 護身術として使えない武術なんか、インチキとしか言えませんから、私は関与したくないんですよ。

 何で武術がスポーツの下請けに成り下がらなきゃならないのか? 先人に失礼ですよ。

 だから、現代で武術修行の積極的眼目として認められるものは、唯一、“忍耐力”を養成することくらいなんですよ。精神的鍛錬となるものでなければ現代で修行する意義が無くなってしまいますからね。

 これは護身術としても同様です。嫌がらせに屈さない心を支えるための「最終的に暴力をふるわれても制圧してみせる」という覚悟があれば、最後の最後まで我慢できます。

 実際に、これまで暴力で脅された時にも私が全然怯まないから相手がシューンとしたり逃げたりして事無きを得たことが何度もありました。だから、手を出す必要がなくなるんですよね。

 私はもともと臆病だから、暴力で脅されたら怖いですよ。でも、今はむしろ、先に手を出してくれたら合法的にぶちのめせるかな~?みたいな欲求が出てくるくらいだから、相手も「こいつは脅えてないな。何か様子が違うぞ」と不気味に感じて手だししなくなるんですよね。(わかんなくて出すヤツもいるけど)

“奥の手”って言いますけど、やっぱり、最後に頼るべき手段があると思うと気持ちに余裕ができますよ。武術はそういう奥の手であるべきで、表だって人にひけらかすものじゃないですよ。

 でもね~。正しく学べばそうなるものでも、現実には中途半端な現実逃避の遊び道具として武術をやりたがる人が多くて、そういう人は気質的に“ぷちサイコ”予備軍だったりするから、本当に困ったもんです。
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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