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2008年セミナー終了

 2008年の月例セミナーも、無事、終了致しました。参加された皆様、ありがとうございました。

 本年は、特に問題のある人もおらず、遠くは山口県や大阪から通われた方や、アメリカから来られた方もおられて、毎回、充実した内容で開催できたと思っております。

 まったく武道未経験の方から、空手・柔道・少林寺拳法・総合格闘技など学ばれている方まで、幅広く参加されていました。

 本年の特徴としては、指導者クラスの方も参加されていた点がありますが、来年はさらに指導者クラスの方の受講も増える様子ですから、内容ももっと精選してやっていきたいと思っています。

 それから、時々は自分の実力を勘違いして無礼な言動をとる人もいたりするので、今後は他の参加者の迷惑になるような態度の人は、即刻退場してもらうようにするつもりでいます。

 特に“実戦的な武道”ということを標榜する流派を学んでいる人には、こういう勘違いしているような人が残念ながらいます。

 そういう人間に限って、「あんな練習では強くなれない」とか勘違い発言をするので困ったもんだと思いますよ。

 練習は基礎・基本を学ぶものです。

 それらは、使うために学ぶのではなく、いざという場合の万が一の心得としての技を学ぶだけであって、武術にとっての実戦というのは、技なんかに拘らず、どんな手段を講じても必ず生き残ることが目的であり、逃げるのが最上で、逃げられない場合にはどんな汚い手段を使っても必ず敵を殺す(倒すではない)・・・というものです。

 ですから、武術というものは原則的に“武器で敵を殺す技”を学びます。武器が無い時のために“素手で殺す技”も知らないと困るから学ぶだけですし、通常、武術に於ける体術は身体作りと基本の戦闘原理を学ぶのが目的であって、メインの戦闘法ではない。

 本当に見識のある武道家だったら、ナイフ、手裏剣、拳銃なんかで襲撃された時にどうするか?ということも当然に考えているものですよ。

 芦原英幸先生なんか、その典型ですよ。トンファーやヌンチャク、手裏剣も工夫し日本刀まで自作していたという・・・あれこそ本物の武道家です!

 外国の土着の武術なんて、棒やナイフで巧妙に殺す技が実に見事に工夫されています。アメリカの軍隊や警察で日本の武道が採用されずにフィリピン武術が採用されたりしていることは日本人は知らないでしょう?

 競技スポーツになってしまっている日本の武道では生き死にがかかった現場では役に立たないから採用されなかったんですよ。

 戸隠流忍法も日本では今でも馬鹿にする武道家が多いですが、海外の生き死にがかかった現場に従事する人達には高く評価されていますでしょう?

 そういう現場で通用するテクニックと考え方が残っているのが、現代の実戦的に発達したとされている武道ではなく、たまたま戸隠流忍法だったというだけの話です。

 正直言って、“何をやっても勝てばいい”という状況だったら、私は自分よりずっと実力が上の武道家でも倒す自信はあります。

 大抵の武道好きの人間だったら「長野が大言壮語している」と思うでしょうけれど、そういう考え方が既に間違ってしまっているんですよ。

 現実的に考えれば簡単な話です。現実に武道の高段者や格闘技の猛者が素人にあっさり殺されてしまった実例がいくらでもあります。

 どうしてそうなったのか?

 一つは不意をつかれたこと。もう一つはナイフや銃で殺されたこと。

 こういうのを「卑怯だ」と考える人は実戦がどうこう考えるのはやめたほうがいい。元々、武術というのは不意をつくものなのですし、敵の武器より強力な武器を用意するのが当たり前なのです。

 宮本武蔵なんか、まさにそうやって六十数度の真剣勝負に生き残ってきた訳ですし、赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入りした時に一人も殺されずに済んだのも、敵の寝込みを襲撃したのと、鎖帷子を着込み、実戦刀として定評のある関の孫六兼元の刀を揃えた武装の差が大きかったでしょう。

 この武装を進言したのは、高田馬場の決闘で有名な馬庭念流の遣い手、堀部安兵衛だったと伝わっていますけれど、当時、真剣勝負の気風は失われた江戸太平の世の中だったので、実戦経験のある安兵衛は敵に勝つための実戦的な考え方をこらしていたのでしょう。

 実際に安兵衛が討ち入りの時に用いたのは、普通の刀ではなく“長巻”という薙刀と大刀の合いの子のような武器だったそうです。

 馬庭念流と言えば無構え下段の太刀構えが有名ですが、長巻を下段に構えてヒュッと斬り上げれば、普通の刀では防ぐことは難しい筈です。

 一方で、伊賀上野の仇討ちで有名な荒木又右衛門は、持参した伊賀守金道が戦闘中に折れたことについて、戸波又兵衛という人は、「かかる大事の時に折れやすい新刀を持参するというのは武士として甚だしく不嗜みである」と批判したと伝わります。

 実際に、この刀が折れたのは、槍術の達人、桜井半兵衛の伴の者が背後から又右衛門に木刀で打ちかかり、腰を打たれた後、木刀で刀の峰側を打たれた時に折れたというのですから、リアルな実戦譚ではあるものの、剣豪として名高い荒木又右衛門の名誉を損なうカッコ悪い話です。

 もし真剣だったら殺されていたかもしれませんから・・・。


 変態扱いされても構わないから、はっきり告白しておきますけれど、私、寝る時に日本刀(真剣)を横に置いて寝てます。住所明かしているから、本気で私を殺そうと思ってる人間なら簡単に寝込みを襲うことができますからね。

 侵入者がいたら鞘ごと殴りつけておいてから抜き討ちにするつもりです。

 昔、襲撃されたことあるから、用心しているんですよ。

 もちろん、日常的にもいろいろ考えていますよ。手のうち明かすとマズイから書かないですけどね。

 だいたい、何で私がありとあらゆる武術・武道・格闘技を研究したか?っていうと、それらの経験者と対戦した時にどうやって制圧するか?ということを考えているからであって、実は他流の技を採り入れて云々というセコイ考えじゃないんですよ。

 多分、現在、日本でも一、二を争うくらい実戦を考えているのは俺かも?なんてことも思ってますよ。どうやって倒すか?という観点でしか見ないから・・・。

 強さやスピードは素人でも判るけれど、テクニックや戦術は基本的に経験者しか読めない。それを観の眼で読めるのがプロってもんです。さらに、その裏をかいて制圧する方法まで考えられる人間となると激減します。

 原理的に見たら、どんな流派でも大差はないんですよ。瑣末な違いを優劣で論じてる連中がお目出度いだけ。そんなものは変化応用の方向性の違いでしかないんです。

 例えば、今回のセミナーでは空手の技の中に含まれている合気的な崩しの技法について指導したりしたんですが、これも技術そのものしか見ていなかったら気づかない。

 人間の身体の構造と様々な流派の技法の比較検討をしてみれば気づくことなんです。

 私は、武道家を自認している人達と話していて、一番、違和感(ガッカリ感)を感じさせられるのが、“俺は強い”という根拠のない自信をのぞかせて鼻の穴膨らませて威張ったりされる時なんですね。

 特に私が「研究家です」というと、たちまち、「ほう~、そうかね」と勝ち誇ったような態度になる人も多いです。私なんか、そういう態度の変化を観察していて腹の中で「おやおや、“この低度”で武術家のつもりかい(笑)」と微笑ましく見てたりします。

 しかし、本当に実戦を考えている人だと絶対に態度は変わらないですね。どんなに格下と思える相手でも態度が変わらない。つまり、警戒心を解かない。

 こういうのは武術の実戦についての考え方の現れなんですよ。実戦が強い弱いで決まるものではないと解っているから、決して相手を侮らない。侮りが墓穴を掘ることを知っているからですよ。

 こういう心理戦術について知らない人達は、「こいつは臆病な小心者だ」と思ったりするんですけど、大きな勘違いなんですよ。事実は、自分の臆病さが相手に映っているだけなんです。

 率直に挑発を込めて言わせていただくなら、現代の競技武道にも格闘技にも“実戦”の考えは無きに等しいでしょう。

 どうして、ナイフや拳銃に対抗する術を工夫しないのか? どうして、素手の格闘の練習しかいないのか? ・・・およそ、“実戦”から掛け離れた“娯楽”としてのスポーツの一種としての観点から考えた“実戦的強さ”しかそこにはありません。

 以前、実戦空手を標榜する団体の修行者と話していた時に、その人は「剣道三倍段と言われるけれど、剣道家なんか怖くない。竹刀や木刀で打たれても正拳突きを顔面に叩き込めば終わりだよ」と自信満々に言っていたので、「相手が真剣持っていてもできる?」と聞いたら、「ええ~? まさか~(笑)」と苦笑していました。

 そんなに実戦がどうこう言うのなら、日本刀で斬りつけるのを素手で捌いて抑える練習くらいはやって欲しいですよね。そこまでやれば、空想上の実戦的技が何の意味もないことが判るでしょう。

 遊心流ではそこまでできるように稽古していくつもりです。居合術も最終段階は無刀捕りにしていきますが、これもかつての古武術ではそうなっていたのです。

 殺から活に転化する具体的な技術的進化と言えるでしょう。

 その稽古システムの目的を理解してやらなければ、何十年漫然とやっても成果は得られないでしょう。

 娯楽として武術を楽しむことを間違いだとは言いませんが、単に娯楽目的ならば、他にもっと楽しいことはいくらでもあるでしょう。

 私は武術というものが人間の生き死にを直視して技術が組み上げられてきたものである点と、戦いという本能と直結している点にこそ、他のいかなる分野とも違う善悪を超えた価値があるように思えるのです。

 だから、強いとか弱いとかいったレベルで認識しようとする人達の論議には与したくありません。

 弱い者を足蹴にしておのれの強さを自認しアピールしたがる人間の浅ましさ・・・どうせ戦うのなら、庶民を食い物にする権力を持った巨悪に立ち向かうべきでしょう。


 余談ですが、K-1の優勝決定戦だけTVで見ましたが、バダ・ハリの暴走で最悪の後味の悪い結果になりましたけれど、「ただ勝てばいい。勝った者が強い」という強さを求める競技の問題点が露呈したように思えました。

 こんなモン見せて何になるのか?って思いましたよ。

 ルールがあって無いような、過激な内容をウリにするリアルな格闘技は凄惨な殺し合いの闇の興行にしかなりません。そういう代物を見て喜ぶ人間は理性が壊れていますよ。

 武術は人に見せるためでも強さを求めるものでもありませんが、「人殺しの技術を磨く修行を何の目的でやるのか?」というと、まず、「自分が生き伸びるため」であり、さらに「親しい者をも生かすため」であり、最終的には「敵を改心させて生かすため」というところまで到ることを目指している。

 殺から転じて活に到る。『殺活自在』というのが武術の目標なのです。陰を極めて陽に到る・・・これは宗教や哲学と同じ“行”なんですよね。

 人間は獣とは違う。それは理性があるからです。

 本能の衝動を抑制できない人間こそが弱い人間です。武術はそこまで考えさせてくれるところに追究する本当の価値がある。

 よって、それを求めていない人は来るだけ無駄だから、どうぞ他所へ行ってください。


追伸;この間、書きました「ブログで文句書いているヤツ」の話ですが、無事、自分達から退会届けを出してきましたので、除名の名前を晒すことはやめておきます。ただし、はっきり申しますが、こういうことは相手から言われる前に自分からやるべきことです。私自身、一人一人にはっきりと言ってやりたいことは山ほどありますが、信頼関係も無くなっている以上、無駄なことはやめておきます。去る者は追いません。ただ、今後は筋違いな真似をしないように彼らなりに反省してやっていっていただきたいと、それだけ思っています。どうせなら、私を見返すくらいになって欲しいと思う。ブログで妙な文句書くくらいなら、男だったら、そのくらいの意地は見せて欲しいもんです。私は陰口たたいたことは本人にも直接言ってますからね。
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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