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日本最高レベル武術家の対談実現!

 よく、人から「長野さんが一番強いと思う武術家は誰ですか?」と聞かれます。

 一番と言うのは誰もが簡単に考えて答えが出せるくらい“ぶっ千切りで強い人”というイメージで言われるのでしょうが、武術を長く幅広くやってきていると、おいそれと答えられるものではなくなっていきます。

「弱い人は?」と聞かれたら腐るほどいますけど、武術の強さは試合して測定するのが難しく、実際にどのくらい強いの?というと、断片的な立ち合った事実から推定するしかなくなります。

 あとは、スピードならこの先生、テクニックならこの先生、打撃の破壊力ならこの先生・・・といった部分的な技の錬度は比較できますが、それら全てを兼ね備えていて実戦に対応できるであろう人となると、ちょっと思いつかないんですね。

 それでも、トータルで「格が違うな~」と思える方なら、挙げられますよ。

 そのお一人は、新体道の創始者である青木宏之先生。最近は、滅多にメディアに取り上げられず、武道は引退した?ということにされているので知らない方も多くなっているかと思うのですが、かつて、その実力は日本最高峰とも噂され、著名な武道家が密かに仰ぎ見ている存在でした。

 そして、もうお一人、掛け値なしに並の武術家とは比較にならないと思うのは、先頃、生涯一修行者を貫徹すべく日子流を打ち立てられた田中光四郎先生。かつて義勇軍としてアフガン・ゲリラ「ムジャヒディーン」に参加し、“アフガンのサムライ”と呼ばれて白い道着で戦場に立つ姿が世界中に報道されていました。

 このお二人は、武術家という枠組みに収まらない現代に奇跡的に残ったラストサムライとでも呼ぶべき、正に“別格”の武人だと私は思っています。


 随分、多くの有名無名の武道・武術関係の方に会ってきましたけれど、「知名度と実力は比例しない」とか、「弱いヤツほど強がって見せる」とか、いくつも法則があるな~と思うようになりました。そして、そんな中でも青木先生と光四郎先生は、一見、生き方の方向性が異なるものの、どこか共通する感触を感じてきていました。

 そして、私がライターとして文を書かせていただいた光四郎先生の御著書を読んだ青木先生から、「田中先生に是非、お会いしたいから、長野さん、紹介してくださいよ」と言われて数カ月、この度、セッティングできました。


 いや、それにしても・・・私、何を勘違いしてしまったものか、メモ帳に“くだん会館”と記していたのですが、当日、都営新宿線の九段下で降りて右往左往した揚げ句、光四郎先生に電話すると“伊勢丹会館”と聞き間違いしていたことが判明しまして、慌てて新宿三丁目に戻って、セッティングした本人が遅れてくるという大ポカをやっちゃいましたよ・・・。

 私は何で“伊勢丹”と“九段”を聞き間違えたのでしょうかね~?

 まあ、当日、確認の連絡をしてから出掛ければ良かったんですけどね。皆さん、気をつけましょう・・・(って、気をつけるのは俺だよぉ~)。

 久しぶりにお会いする(確か高瀬道場の演武会でお会いして以来)光四郎先生は、大病をされた後と聞いていましたが、思っていたよりずっとお元気でした。何よりも、不二流体術から離れて、新たに“日子流”を興されたと聞き、近々、クエストさんからもDVDが出る予定です。

 青木先生は、光四郎先生への贈り物として“書”を用意してこられていました。やはり、光四郎先生に是非、お会いしたいと、青木先生が主宰されている天真書法塾を支えていらっしゃる吉田さんも同伴されていらしたので、フェミニスト(御本人は「レディキラーと呼んでください」とのこと)の光四郎先生は常にもましてニコニコされていたように思いました。

 やっぱり、美しい女性がいると男はニコニコしちゃいます。

 男、特に武術をやっている者同士で酒を飲んでいると、「どっちが強いか、勝負だ、このヤロー」みたいな展開にいつの間にかなってしまって、夜の公園で酔拳でドリャー!となったり(経験者は語る。テヘヘ)・・・という場合もあるんですよね。

「まさか~。そんないい歳した大人がそんなことないよ~」って、思うでしょ?

 違います! 武術やる男というのは精神年齢が中学生くらいで止まってるんです。「男同士は拳で語るんじゃ~」・・・というヤンキー精神を60、70、80になっても温存しているものなんです。私も自分が46にもなっているのに、全然、自覚ないです。

「少年の心を失わない純真な男」と思ってもらいたいけど、こればっかりは哀しい男のサガと言うか、闘争本能のなせる業なんでしょうね。

 人間も動物だから本能につき動かされて理性的判断ができなくなることってある。特に酒飲んでる時はそうなりやすい・・・。

 何年か前に、中国武術家同士を引き合わせた時、「よしよし、仲良くしてるな」と思って安心して仕事のために中座したら、私がいなくなった後、きわどい展開になったということもあったようです。

 また、隣同士に座っていながら間にシールドが張られているように互いに口を利かない武術家とか・・・(あっ、俺もあったな~、そういえば・・・)。

 だから、私は武術家同士を引き合わせる時は、随分、神経使うんですよ。

 本当に、さっきまで笑いながら酒を酌み交わしていたかと思うと、振り返ると殴り合っている・・・なんてことが起こっても不思議じゃないんですよ。

 わ~い・・・って陽気に騒いでいて、「ちょっとトイレに失礼しまっす」とトイレ行って帰ってきたら、無言で睨み合ってた・・・って、本当にありましたからね。

 特に、今回は、『キングコング対ゴジラ』みたいなものだから、気を抜くといかん!と、内心、思っていたりしたんですね。

「もし、青木先生と光四郎先生が戦いはじめたら、俺はダッシュで逃げるぞ・・・」と心の中で決めてましたよ。

 だけど、今回は本当に良かったな~と思ったのは、吉田さんのレッサーパンダのようなつぶらな瞳が向いていると光四郎先生も照れ臭そうに俯き加減で、闘争本能が燃え上がらないものか、終始、円満に会食は進みました。

 腕に覚えのある男だけで酒飲むのは、火薬箱に座ってキャンプファイヤーやるようなもんだもん。

 でも、青木先生が紹介して欲しいと言われたのは、尊敬する気持ちがあるからであって、そもそも私が心配するのは杞憂に過ぎませんでしたね。

 それに、青木先生はいつも相手を立てる方ですから、よっぽど勘違いして自惚れた人間でもない限り、険悪な雰囲気にはそうそうならないでしょうね。

 それから、考えてみたら、私は光四郎先生からも押し付けがましいことは一度も言われたことがありません。「俺はこう思う」ということは時に激しく言われますが、それを他人に押し付けるところは一度も見たことがありません。“自分は自分、人は人”という達観を持たれている方なのです。

 それに、光四郎先生の心はまたアフガンの大地に飛んでいる御様子でした。

 世間的には孫の成長を見守りながらのんびり余生を過ごす年齢になりながら、老いた獅子が獅子に相応しい死に場所を求めるように、武侠の最期をまっとうしたいと切実に求められているんじゃないのか・・・と、勝手に私はそんな印象を受けていました。

 ですが、吉田さんもまた、そんな具合に感じられたと話されていました。彼女は英雄的な死を求める男の気持ちにエゴを感じ共感できない様子でしたし、それよりも、光四郎先生には、もっと生きて欲しいと思われていたのではないかと思います。

 私と青木先生は、やはり男として自分に相応しい死に場所を選びたいとする光四郎先生の気持ちは解る面があると思うんです。

 正直いって、私は、今回が光四郎先生に会う最期かもしれないと思いつつ、足を運んでいました。大病を患い、もう若いとは言えない年齢で、再び混迷深まるアフガンに向かう決意をされた以上、それはより具体的な死の覚悟を決めたことを意味するからです。

 かつて、我々の親、その親の世代には日本も戦争を経験していました。敗戦によって民主国家、自由主義国家として世界有数の産業国として蘇った日本は、平和を当然のこととして享受して生きてきました。

 しかし、今でも世界には子供の頃から銃を握って戦わねば生きていけない国や地域もある。そんな国がかつての日本のように平和を享受できるように・・・そんな願いを持ちつつも今を生き抜いていくには銃で敵を殺さねばならない・・・。

 それが悪で、間違っていると解っていても、そうしなければ生きていけない。そんな人達の存在を見て見ぬフリができず、「それなら俺は一緒に戦ってやるよ。一緒に死んでやるよ」と、自ら進んで地獄の戦場に向かった。それが田中光四郎という人の愛なんだろうと私は思う。

 どんな理屈をつけようと人殺しは人殺し。人として最も忌避すべき最大のタブー。それを犯した罪悪感を背負った上での自身の正義を求めること。かつて戦場に駆り出された日本人の多くが背負った十字架を、自分の意志で背負ったこと・・・。

 私には、それを何と評価することもできません。英雄的な行為だと讃えることも、そんなのは無意味だと切り捨てることも、どちらも他人事とし過ぎているような気がする。

 朝鮮戦争、ベトナム戦争に従軍していたアメリカ人武道家の先生と一時期、交流がありましたが、自身の行為を英雄的なものと話すところは正直、嫌だな~と思いました。が、最近、雑誌で「夢でうなされる」みたいなことを書かれていて、やはりPTSDに悩み、英雄的行為なんだと思い込むことで精神のバランスを保っていらしたのかも知れないな~と、思いましたね。

 青木先生が光四郎先生に会いたいと言われたこと、吉田さんも同行したいと申し出られたこと。それは、光四郎先生の澄んだ眼の奥にあるあまりに深い哀しみと孤独の色を感じ取られたからだったんじゃないか。せめてそれを癒してあげたいという気持ちがあったんじゃないか?と、私はそんなことを勝手に思っていたりしました。

 だから、今回、「あれっ? 光四郎先生もこんなことを言われるのかな?」と意外に思う瞬間もありました。それに対して、本当に一所懸命に答えている青木先生の姿を見ていて、私は本当に御紹介できて良かったと思いました(もっとも、青木先生が忘れていただけで以前に何かのパーティで挨拶を交わしたことはあったそうです)。

 この日、この瞬間にできた縁が、きっと育っていくんじゃないか?と、そう思ったのです。

 そんなことを考えながら、帰りの電車の中で、ふと青木先生と光四郎先生の共通性に気づかされたように思いました。それは、お二人とも、人に共感する心、愛が深いということだと・・・そう思うと、何だか急に泣けてきましたよ。終電で人が少なかったので助かりましたけどね。

 戦争。人はなんで殺し合いをやめられないのか。本能と理性。武術の実戦と修行の意味するものは?

 そもそも、たかだか百年もたずに誰もが死ぬのに、何で生まれるんでしょうね。生きることがそんなに楽しいのか? いや~、半分以上は苦しいと思う。私はもう人生の半分以上過ぎたと思うけど、本音言うと、本当に大変だったよ。よく、死ななかったな~と思いますよ。少なくとも精神のバランス壊れなかったのは奇跡的なように思える。

 精神のバランスを失っている人にも随分会ったし、その度に「弱いヤツだな~。しょうがないな~」と思ったけれど、友人から「俺は長野さんみたいに強くないんだよぉ~」と言われて、「えっ、そうなの? 俺が強いだけだったの?」って思いましたよ。

 それでも、生まれて、生きて、人とかかわって最後は死ぬ。これは全人類に共通するものです。なら、生きがいは自分でつくっていくしかないんですね。良いことも悪いことも、自分の受け止め方であり自分で招くもの・・・。

 私の場合はどうか? 嫌な思い出の方が多いけど、でも、割りと楽しい人生だと思う。

 だって、今から別の人生送りたいとか思わないもん。結構、満足はしているし、出会った人達にも本当に恵まれていると思う。嫌な人との出会いも、自分を奮起させる起爆剤になってる。「ぬぬ~、あのヤロー、絶対、ほえづらかかせてやるっ!」って思って頑張ってこれたからね・・・。

 今は、皆と一緒に練習するのが楽しいし、稽古した後、ファミレスで何時間もねばってオタク話に興じるのも楽しい。この前の日曜日も黒谷先生が御友人を連れて見学にこられて楽しかった。練習中も公園で子供さんと遊んでいたお父さんが「道場はどこでやっているんですか?」と興味もって尋ねてこられて、「道場はここです」と言ったら、ガクンとして行っちゃいました(早く道場を確保せねばなら~ん)。

 お~、でも何か、楽しいこと考えてたら、楽しいばっかりの人生に思えてきたぞ~。

 青木先生、光四郎先生、吉田さん、楽しい時間をありがとうございました!


追伸;『あなたの知らない武術のヒミツ』と、『誰も知らない武術のヒケツ』が増刷されました。大きな書店の武道書コーナーには並んでいると思いますので、是非、ご覧くださいませ。増刷にあたって少しだけ訂正した箇所もありますが、まあ、人生はいろいろあるな~?と、ちょっと物思いに耽っちゃいましたね。
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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