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遊心流の源流について

 ちょっと確認したいことがあって、元の道場の先生とお話しました。

 その時に、私が教えている技の内容と名称について逆に質問されましたので、これは誤解されるとマズイな~と思って、遊心流の源流について書いてみようと思います。

 まず、明確にしておかなくてはならないのは、「私は武術全般を総合的に研究している人間であり、何らかの流派を継承していく立場の者ではない」ということです。

 私が“遊心流”と名付けているのは流派としての伝統をもっているものではなく、「私の研究成果を実験的に編成している武術技法の体系を仮に称しているだけ」でしかありません。

 これは、どういう意味か?と言いますと、「研究成果なので固定したものではない」ということと、「流派の名称に伝統文化としての権威性はない」ということ。

 簡単に言うと、人から「武術というと、何をやっているんですか?」と聞かれた時に毎回、説明に四苦八苦していたので、便宜的に流派名を名乗るようになっただけなのです。


 しかし、このように概念を説明しても理解しづらいと思います。元々、深く考えて名乗るようになったのではなく、「シャレで考えた名称」だったからです。

 別に、「絶対魔拳道(ぜったいまけんどう)」でも「大東亜防衛武術(だいとうあぼうえいぶじゅつ)」でも何でも良かったんですよ。実際、「セクシーコマンドーじゃどうかな?」なんて言っていたくらいです・・・。

 スンマセンね~。ネーミング・センスなくって・・・。


遊心流武術健身法』としたのも、会員間で、「セクシーコマンドーはマズイでしょう?」と言われて、何となく、ちゃんとした流派名に聞こえるように“遊び心”でつけたんですよね。

 もう、十年も経過してますから、割りと愛着ありますよ。辞めた人間ですら、遊心流という名前を名乗りたがっていましたからね。

 ただ、今の会員でも源流を知らない人が多くなってしまっているし、習った師範方からも「勝手に名乗ってけしからん」とか、「勝手に名前を変えてけしからん」とかあれこれと言われてしまうのに個別に「それは誤解ですよ・・・」と説明するのも疲れます。

 ですから、源流について書いてみます。

 遊心流の源流は以下のごとし!

1,スワイショウ;笠尾恭二先生の太極拳本その他から採用。
2,立禅;高木康嗣先生の至誠塾に一時間半体験入門した経験と太気拳本を参考にし、田中光四郎先生からコツを教わって独自にアレンジした。
3,試力;至誠塾での体験と、岩間統正先生の取材時の様子を参考に採用しアレンジ。
4,這い;上に同じ。
5,丹田歩法;能の歩法と八卦掌の走圏を参考に独自に工夫。
6,蛟龍歩;躾道会の小林直樹先生と田中光四郎先生の歩法をミックスしてアレンジ。
7,走圏;松田隆智先生の八卦掌講座で習ったことをベースにアレンジ。
8,対錬;躾道会の嫡流真伝中国正派拳法の“使用法”をベースに、田中光四郎先生の技、新体道の技をアレンジして初級を編成。中級は組手構えからの攻撃に変えて、より実戦に即した形にアレンジ。
9,推手;高小飛先生の呉氏太極拳の推手を参考に意拳の技法を組み合わせてアレンジ。
10,剣術;鹿島神流、新体道剣術、新陰流、一刀流その他を研究して編成。
11,居合術;交叉法、刀法、身法等を研究してオリジナルで編成。甲野善紀氏に抜き納めと刀装製作等を習った後、民弥流を振武舘第一回講習会で初歩を学ぶ。
12,手裏剣術;甲野善紀氏に初歩を習い、無冥流の鈴木崩残氏のレクチャーで研究。
13,棒術;大学時代の竹内流、戸隠流野口道場、新体道棒術等をベースに研究。
14,ヌンチャク等;高校時代の拳正道通信教育で練習。
15,整体活法;日本武道医学専門学院二期卒業。三期インターン? 足医術を京都の講習会で一度受講(巍桜流拳法も体験)。

・・・え~っとまあ、だいたい、こんな感じですかね~?

 もちろん、参考にした武術武道の映像や書籍は無数にありますし、体験入門したり取材で体験した回数も数十回はあるんですよ。

 武術以外には健康法や舞踊、伝統芸能、サイコセラピーなんかも含めると、もうムチャクチャになってしまうんで、解説していたら本の二、三冊は書けてしまうんですね。

 無論、一つの流派を十年二十年と継続した経験はありませんから、「そんな齧り歩いても何の実力にもならんぞ」と思われるでしょうし、その点について反論する気はさらさらないです。

 でも、トータルした稽古量は、やっぱり三十三年も続けているので、その年数に見合った技量にはなっていると思っています。

 だって、私は単に技のコレクションして歩いた訳じゃありません。実際に使えるようになるのが目的だった訳で、体験的に結論付けると「流派の優劣なんか無い!」と確信をもって言えます。

 私が学んだ先生は「流派の優劣はない。ただ個人の練度で差がつくのだ」と言われていました。

 基本的にはこの考えで間違いないと思います。が、私は、「流派の優劣はない。理を体現したかどうかで決定的な差がつくのだ」と思うようになりました。

 だから、「技より術、術より理合」だと思っています。理に合わない練習や技の用法は、いくらやっても向上には結びつかないと思っています。

 自分の学ぶ流派と師匠を信じて取り組むのは当然のことだと思いますが、そこに理合を悟る経験がなければ真に上達することはないのではないか?と、私はそう思っています。

 理合を悟るというのは、“理合に沿って戦える”ということで、頭で理屈を解ったつもりでいても体現できなければ意味がない・・・そういうことです。

 結局、戦って勝てない武術では意味がないんですよ。

 そして、“勝つ”というのは、無傷で勝つ・多少の傷を負っても勝つ・戦わずして勝つ・勝負に負けて社会的な名誉や利益を得て勝つ・自分が犠牲になって仲間を助けて勝つ・小さなケンカに負けて大きく成長して人生に勝つ・暴力を諌めて邪念を挫いて改心させて勝つ・・・と、いろんな勝ち方があります。

 逃げるが勝ちというのだって、立派な勝ちですよ。

 自分に余裕がないと、暴力に暴力で対抗して互いに傷口を広げるだけになってしまいます。ある意味、圧倒的なレベルの差がないと手加減なんかできないんですよね。

 よって、武術を修行するなら徹底的に最高の境地を目指すべきだと思うんです。

 私は、武術というのは、自分が死ぬ瞬間に「俺はこんなに頑張ってきたんだ」と大いなる満足感を得られるよう人生を充実させる“勝ち”を目標に嗜むべきだと思っています。

 だから、自己満足でいいんですよ。最終的には・・・。

 私は他人に認めてもらいたくてやっているんじゃないんです。自分自身を認めたいから、やっているんです。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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